第6話 Serilion、デビュー
デビューを2週間後に控えたSerilionのメンバーたちは、急遽宣材写真とデビュー曲のMV撮影をすることになった。
絶対こんな直前にやることじゃないだろ――透真はそう思っていたが、所属事務所の段取りの悪さを前から知っている澪や律音は眉を顰めるだけで、何も言わなかった。
透真たちが撮影スタジオに到着すると、白い壁に反射した照明が眩しいほどの輝きを放っていた。無機質なセットの中に、立ち並ぶ撮影機材の黒がくっきりと浮かび上がり、三脚やレールに取り付けられたカメラが静かにその瞬間を待ち構えている。空調が効いているはずなのに、機材の熱と人の気配でわずかに空気が重く感じられる。
スタッフが小走りで動き回り、指示の声が飛び交う。メンバーの髪や衣装を直すために、ヘアメイクがこちらへ走ってくるのが見えた。
「……千景澪さん、撮影開始です! どうぞ」
カメラマンに指示されて、澪がスポットライトの中へ足を踏み入れる。レフ板が角度を変えられながら配置され、カメラマンがシャッターのタイミングを見計らっている。パシャリ、パシャリと一定のリズムで響く音が、スタジオ内に軽やかに跳ね返る。
撮影用のライトが当たるたびに、澪の横顔が影と光のコントラストで際立つ。カメラのフラッシュが瞬くたび、柔らかく揺れる髪の毛の一本一本まで映し出され、見守っていたメンバーたちも思わず息を呑んだ。
白い背景の前に立つ澪の姿は、白シャツを着ていることも相まって王子様のように美しかった。
「澪くんモデルみたい。カッコよ過ぎてむかつくなあ~」
撮影の様子を眺めていた龍之介が、拗ねた口調でつぶやく。他のメンバーも澪が特に緊張することもなくポージングを変えていくのを見て、軽く拍手していた。
そんな中――透真だけは澪に見とれてしまい、身動きが取れなかった。
「あー! トーマがぼんやりしてる~。澪に惚れ直しちゃった?」
「ばっ、ちがっ……! 何言ってんだよ空翔!」
空翔に図星を刺された透真は、焦るあまり大声を出してしまう。横にいた凌介が動揺する透真を見て、何かを思案するような顔つきになる。
「……それくらい澪はすごいってことだよね? ほら、次は透真の番だよ。いってらっしゃい」
凌介は透真をフォローするように言うと、透真の背中を軽く押し出した。
――凌介さん、もしかして話を逸らしてくれた? 気のせいか……?
凌介がわざと空翔の話を遮った気がして、不思議だった。凌介は優しい人だけど、他人の話に被せてまで話を切り出すタイプではない。いくらか腑に落ちない点はあるが、きっと自分が困っていたから助けてくれたんだろう――透真はそう自分を納得させると、澪が立っている撮影ブースへと歩いていく。
「千景さん、ビジュアルがすっごくいいねえ! 綺麗だから無理に笑う必要もなかったね」
ブースにたどり着くと、カメラマンが澪を褒めていた。澪はそれを聞きながら、真顔のまま「ありがとうございます」と礼を言っている。曲がりなりにもアイドルの宣材写真だというのに、どうやら澪は笑顔の写真を一枚も撮らなかったようだ。
「……笑った顔は、もっとかっこいいのにな」
透真は小さな声でつぶやく。
千景澪と言えばキラキラの笑顔。彼にはそんな代名詞もついていたのに。この世界の人々が澪の笑顔を知らないのは可哀想だった。それに、アイドル用ではない素の笑顔は、びっくりするくらい柔らかくて、優しくて、目にすると胸が苦しくなる……。
澪のふにゃっとした笑いかたを思い出して、透真は胸がざわつくのを感じた。
「――久苑さーん、久苑透真さん! 次、お願いします!」
「はい!」
名前を呼ばれて、我に返る。澪とすれ違うようにして、透真は白い背景の前に立った。
「……透真。笑顔、な」
澪が去り際に囁いてくる。彼の吐息が耳元をくすぐって、透真の身体はぶるっと震えた。
「うん! わかってる」
――自分は笑わないくせに、俺には笑えって言うんだもんな。
彼は、なぜ笑顔を封じるんだろう? そうしないといられない理由でもあるのか。
透真はそんなことを考えつつ、澪の矛盾した言動に苦笑した。すかさず、カメラマンが「おっ、いいね、そのまま笑ってー!」と言いシャッターを切る。その後は、ひたすらカメラマンの指示に従って、ポーズを変えていった。
かつてはいちオタクに過ぎなかった透真は、アイドルとして写真を撮られることに慣れなかった。けれど、前世で見た澪の笑顔を思い描いて、どうにか口角を引き上げる。
「うん、うん。久苑さんは笑顔がいい!」
カメラマンが写真をチェックしながら頷く。
確認用のモニターの中で、前の世界での澪の笑顔と、透真の笑顔が重なった――。
***
Serilion、デビューショーケース当日――
ライブ直前の楽屋は、独特の緊張感に包まれていた。メンバーたちはそれぞれに準備を整え、最後のチェックを終えている。スタッフの足音や控えめな話し声が、張り詰めた空気の中に溶け込んでいた。
透真は水を飲もうと顔を上げて、ふと気づいた。澪の姿が見えない。楽屋の中を全部見渡しても、澪はいなかった。
透真がペットボトルを持って楽屋を出ると、廊下の向こう側から話し声が聞こえてきた。
「……わかってるよ。母さんに迷惑かけるようなことはしないから」
そこにいたのは千景澪だった。母親と電話をしているようだ。
澪は背を壁に預け、通話中のスマホをぎゅっと両手で握りしめている。その指先がわずかに震えているのを見て、透真は不安を覚える。
「やっとデビューが決まったんだ! 頼むから……やる気を削ぐようなこと、言わないでくれ」
澪の声はまるで泣き出しそうに聞こえた。絞り出すような言葉と共に、澪はスマホを放り捨てる。彼の足元に落ちたスマホの画面には、通話の終了画面がかすかに光を放っていた。
――そういえば……インタビュー記事で前に澪くん言ってたっけ。『母親は完璧主義者で、アイドルになった自分を認めてくれなかった』って……。
前世の記憶を思い返しながら、透真は廊下でうずくまっている澪の姿を見つめた。
いつもの澪からは想像できない、弱弱しい姿だった。額には汗が伝い、顔は青褪めている。呼吸は荒く、速い。透真が数歩近づくと、震える指で乱暴に髪をかきあげるのが見えた。
透真は一瞬、声をかけるのをためらった。しかし、追い詰められたように小さくなる澪を見て、躊躇を振り払う。
「澪くん、大丈夫……じゃ……ない、みたいだね」
澪は反応しない。代わりに、荒い息がますます速くなった。手が小刻みに震えている。過呼吸だ、と透真は悟る。
透真は無意識に澪の手を取った。冷たい。氷のように冷たい指先が、自分の手のひらの中でわずかに痙攣している。
「ゆっくり息を吐いて。大丈夫、俺がいるから」
意識を自分に向けてもらおうと、透真はそっと指を絡める。澪の手がそれでも硬く強張っているのを感じ、ぎゅっと包み込んだ。
澪はかすかに目を伏せ、口を開く。けれど、言葉にはならない。ただ、肩がかすかに震え、唇がわずかに噛み締められるだけだった。
透真はわからなかった。ステージ上では完璧に輝く千景澪が、今ここでこんなにも脆く崩れかけている理由が。だが、澪の隣でずっと憧れ続けた透真には、その『弱さ』に触れることの意味が、痛いほどわかる気がした。
透真は自分の手を少し強く握り込む。澪が過去の呪縛に囚われているなら、せめてこの瞬間だけでも、そばにいることを伝えたかった。
「絶対、大丈夫。澪くんなら完璧にできるよ」
ほっとしたように息を吐く澪。指先の震えが、ようやく止まった。
「……ありがとう。そろそろスタンバイする時間か?」
「あ、うん。そうだけど……一旦、水飲んでから行こう。ああ、俺の飲みかけでよければ、だけど……」
澪は透真が差し出したペットボトルの蓋を開け、ためらいもせずに口をつけた。ほんの一瞬、澪の視線が透真を捉えた。けれど、澪は何も言わずに水を飲み始めた。
――なんか、勝手に罪悪感を覚える……。
結果的に間接キスを促すようになってしまったので、透真は水を飲む澪の喉仏を凝視して唇を噛んだ。
「もう大丈夫だ。行こう」
水を飲み終えると、澪はいつも通り『完璧なアイドル・千景澪』の顔をして言った。
***
ステージの幕が上がる直前、会場は静かな熱気に包まれていた。暗転した空間の中、客席のあちこちに揺れるペンライトの光が、地上に咲いた宝石のように揺らめく。微かなざわめきが天井に吸い込まれ、期待と緊張が入り混じった独特の空気が漂っていた。
ステージ上には、強烈なスポットライトが交差しながら踊るように動き、光の筋が仄暗い舞台袖を照らしては消えていく。スモークが静かに広がり、薄い靄のように足元を包み込んでいた。舞台裏では、スタッフが最後の確認をするかのように小声で指示を交わし、モニターにはメンバーたちのシルエットが映し出されている。
LEDスクリーンが光を放ち、音楽のイントロとともに一斉に照明が切り替わる。ステージ全体が鮮やかな色彩に染まり、会場の空気が一気に弾ける。暗がりの中から姿を現したメンバーたちのシルエットが、光の粒に包まれるように浮かび上がる。
スピーカーから流れるビートが床を震わせ、心臓の奥まで響く。観客が息を呑む気配が伝わり、次の瞬間、彼らの足が一斉に動いた。光と音が渦を巻くように絡み合い、デビューの瞬間が、今まさに幕を開けた。
『夜明けの約束が呼ぶ、すべてに立ち向かおう――』
凌介がデビューシングル『Dawn's Promise』のライブバージョンのイントロを歌い始めると、眩いライトがステージを包み込み、スポットライトが円を描くようにメンバーたちのシルエットを照らし出す。観客席のペンライトが揺れ、色とりどりの光が波打つように瞬いていた。会場の熱気は最高潮に達し、耳をつんざくような歓声がステージ上の彼らを迎え入れる。
透真は一歩を踏み出すたびに、心臓が高鳴るのを感じた。目の前の光景は前世で何度も夢見た景色だった。でも、これは夢じゃない。自分がその中心に立っている――。
『影が疑念を囁く……。凍りつき、恐怖の中に閉じ込められた俺たち』
『でも君の声が、俺の中に火花を灯した』
『朝の光へと導いてくれた』
続いて律音、透真、空翔が歌い踊る。辛かった練習の日々をここにぶつけるように、6人はしっかりと前を見据えて最後までパフォーマンスに没頭した――……。
曲が終わると、メンバーたちは息を整えながら中央に集まった。汗に濡れた額を手で拭いながら、マイクを手に取る。
MCの時間だ。
「改めまして、僕たちは——!」
「Serilionです!」
リーダー律音の声に続き、メンバー全員が揃ってグループ名を叫ぶ。その瞬間、客席から一斉に歓声が上がった。名前を呼ぶ声、拍手、感極まったような叫びが入り混じる。
龍之介が笑顔で観客に手を振り、凌介が少し照れくさそうに髪をかきあげながらマイクを握る。
「今日は本当に、こんなにたくさんの方に来ていただいて……」
凌介の言葉がかき消されるほどの歓声が沸き起こった。彼は少し驚いたように笑い、それを受けてほかのメンバーたちも笑顔を交わす。
そして、澪がマイクを持つ。透真は、彼の表情を見つめていた。
澪は一瞬、ほんのわずかに唇を噛む。しかし、すぐに落ち着いた声で話し始める。
「俺は今日、ようやく皆さんの前に立つことができました」
ステージの上では、あの極度の緊張も微塵も感じさせない。けれど、透真にはわかる。先ほど楽屋で震えていた手のこと、過呼吸になりかけていたこと。あの時、握り返した手のひらの温度が、まだ鮮明に残っている。
澪はゆっくりと視線を上げ、客席を見渡した。そして、少しだけ言葉を選ぶように間を置き、静かに続ける。
「ここに立てることが、どれほど幸せなことなのか……俺はだれよりも理解しているつもりです。メンバーたちやスタッフの方々、そしてファンの皆さんのおかげで、夢の舞台に立てています。本当にありがとうございます」
澪が頭を下げると、客席が静まりかえった。それは決して否定的な反応ではなく、全員が息を詰めて澪の言葉を受け止めようとしている空気だった。
次の瞬間、歓声が爆発する。澪は小さく頷き、メンバーの方を振り返った。そして、透真と目が合う。
澪は小さくではあったが、透真に向かって笑いかけていた。その一瞬、透真は息を呑む。澪の目は、どこまでもまっすぐだった。ステージに立つ前の不安も、震えも、すべてを乗り越えた強い輝きを宿している。
透真は澪に微笑んだ。
「ちょっと澪くん、しんみりモードに入るのはまだ早いよ! 今日はもう1曲用意してるんだから。……それじゃあ、最後の曲です!」
龍之介の声と同時に、会場が再び熱気を帯びる。イントロが鳴り響き、メンバーたちは立ち位置へと駆け出す。
透真は、全身に広がる高揚感を噛み締めながら、澪の隣へと向かった。
そして、音楽が始まる。
新生Serilionの物語が本当に始まる瞬間だった。
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