第7話 恋愛感情がないアイドル

 Serilionのデビューショーケースは、まずまずのスタートを切った。各メディアで紹介されると、SNSでも徐々に知名度が上がり始めていた。特に千景澪の世間からの注目度は桁違いで、SNSに写真や動画を上げるたび、「奇跡のイケメンがいる!」と話題になった。

 澪のおかげで雑誌や番組から仕事の依頼が入り始めていた、そんなある日の昼下がりのことだった――

 都内の駅前は、スマホを片手に歩く学生、疲れた顔の会社員、キャリーケースを引く観光客が入り乱れ、まるで人の流れが交差する大河のようだった。特にこの時間帯になると、駅近くにあるコンビニも昼食を求めて集まった客が多く、そこそこ混雑していた。

 事務所での打ち合わせの合間にコンビニの横を通った透真は、喉の渇きを覚えて立ち止まった。

「ちょっと飲み物買ってくる!」

 透真は澪にそう声をかけると、コンビニの店内へと入っていった。忙しくなり、外出も減った。だからこそ、こうした日常はほっとする。

 しかし、そんなささやかな休息も長くは続かなかった。

「えっ……あの、もしかしてSerilionの透真くんですか?」

 透真が会計を終えたその時、女の子が声をかけてきた。気がつけば数人の視線がこちらに集まっている。

「わあ、本物だ! すごい! 私、ファンなんです。写真撮ってもいいですか?」

「あ、そうなんですか? えーっと、どうしよう……」

 ――ついこの間まで一般人だったから、こういう時どう答えればいいとか知らねーよ!?  笑顔でファンサするべき? それともやんわり断るべき……?

 瞬く間に人が増え、ざわめきが広がる。透真は戸惑った。

「ねえ、あそこにいるのアイドルらしいよ」

「誰?」

「ほら、この前動画で見せたじゃん。すごいイケメンがいる新しいアイドルグループの……」

 透真は店の外にいる澪をちらりと見る。店内のざわめきを察した澪は、足早に透真の隣へ駆け寄ってきた。

「……写真くらいなら、大丈夫だと思う。社長も宣伝になるから許してくれるだろ」

「わ、わかった。……じゃっ、写真撮りましょうか!」

「うわあ、嬉しいです。ありがとうございます!」

 透真が頷くと、女の子は嬉しそうにスマホを構えた。

 今はとにかく自分たちの存在を世間にアピールする時期なのだ。「これからも応援してください」と一言添えつつ、透真はこの写真をあの子がSNSに上げてくれたら話題になるかな……などと考えていた。

 そんな中、店内に広がっていたひそひそとした声が、高揚した悲鳴へと変わり始めた。透真の周りにいた女子高校生の軍団が、澪の存在に気がついたのだ。

「え、こっちの人……千景澪!?」

「やばい、超イケメン!!」

「実物のほうがかっこいい!」

 澪を取り囲んだ数人がスマホを手に勝手に撮影し始めると、その波は一気に広がった。

 透真の背中に、じわりと冷たい汗がにじむ。コンビニ店員の迷惑そうな視線が肌に突き刺さる。店の営業妨害になっているのは明らかだ。

「や、やばい……どうしよう」

 思わず小声でつぶやいたが、もう遅い。

「これからどこに行くんですか? もしよかったら、一緒に遊びに行きましょうよー!」

 調子に乗り始めた女子高校生たちが、澪の腕を掴んで声をかけている。

 戸惑った透真は、不安な気持ちのまま澪を見た。澪は腕を組んで表情を変えずに立っていたが、明らかに状況を冷静に見極めているようだった。

 澪を取り囲む人の数は増えていく。店の外を歩く通行人も足を止め、多くの人がスマホカメラを澪に向けて隠し撮りしていた。透真は無意識に後ずさった。

 その時——

「ごめんね、今はプライベートだから」

 落ち着いているが、はっきりと響く声だった。

 澪が一歩前に出ると、その場の空気がピンと張り詰めた。淡々とした口調、冷静な眼差し。その佇まいに、騒ぎ始めていたファンたちは自然と押し黙る。

「俺たち、次の仕事に向かうところなんだ。応援してくれるのは嬉しいけど、ルールは守ってほしい」

 きっぱりとした口調。しかし、決して冷たく突き放すのではなく、きちんとファンを気遣うような柔らかさも含まれていた。

「え、あ、そうですよね……すみません!」

「ごめんなさい!」

 女子高校生たちが気まずそうに下がると、騒ぎが少しずつ落ち着いていく。スマホをこちらに向けてきた人も、澪の目線を受けて気まずそうに手を下ろした。

「透真、行くぞ」

 澪はそう言うと、さりげなく透真の手首を引いた。驚く間もなく、透真はそのまま歩き出す。澪のファンらしい女子高校生たちはまだ名残惜しそうに見つめていたが、澪の毅然とした態度に誰も無理に引き止めようとはしなかった。

 路地に入ると、澪は手を離し「大変だったな」と小さく息を吐いた。

「助けてくれてありがとう」

 透真がそう言うと、澪はわずかに眉を上げ、なんでもないように答えた。

「グループの仲間は大事だから」

 それは淡々とした言葉だったが、どこか温かみがあった。それなのに、透真の胸の奥が不意にちくりと疼いた。

 ――今は俺もグループの仲間だから、こうやって近くで話せるけど。少し前まであの子たちと同じ立場だったんだよな、俺も……。

 澪を見つけて強引に迫っていた彼女たちを責められない。だって、自分も澪に恋していて、チャンスがあればもっと近づきたいという下心を持っていたのだから……。


 ***


 セカンドシングルの仮歌が完成したので、Serilionのメンバー一同はスタジオに集められた。

 レコーディングスタジオの空気には、微かに機材の熱がこもっていた。厚い防音壁に包まれたスタジオは、まるで外界から切り離された別世界だ。ミキサーやスピーカーから微かに電子音が漏れている。

 壁際のソファにはメンバーたちが座り、室内に流れているセカンドシングルの仮歌を聴きながら、それぞれの思考に沈んでいた。セカンドシングルのメロディーはもう完成していて、後はメンバーたちによる作詞作業だけが残っている。通常通りなら、作詞が得意な律音がこれから歌詞入れ作業を行うはずだ。

 律音はメロディーを聴き、ノートにペンを走らせようとしたが、手が進まなかった。

 ふと誰かが椅子を引く音がして、沈黙がわずかに揺れる。

「次のシングル、恋愛をテーマにするのはどうかな?」

 音楽プロデューサーの提案に、Serilionの事務所社長は「いいですね!」と喜んだ。恋愛ソングはファンの共感を呼びやすいし、アイドルとして王道の選択だ。透真、凌介、空翔は肯定的な反応を見せた。澪と龍之介も、喜びはしないが軽く頷く。

 だが、律音だけが険しい顔をしていた。

「律音?」

 異変を察知した凌介が呼びかけると、律音は静かに視線を上げた。

「あの、プロデューサー。今回も俺が歌詞担当なんでしょうか」

「え? みんなで作ってもらってもいいけど……上手にできる人、他にいる?」

 プロデューサーの言葉に、思わずメンバーたちは顔を見合わせた。律音はデビューシングル『Dawn's Promise』の歌詞を担当していたし、その前から自分で作詞作曲するのが特技だった。そんな律音と同じように歌詞入れをできるかと言われると、自信がない。当然、誰も名乗り出なかった。

 黙り込んでしまったメンバーたちを見て、プロデューサーは苦笑する。

「君たち、なんでそんなに自信なさげなのよ。他のメンバーも、作詞経験はあるんだろ? せっかくのセカンドシングルなんだから、納得いくものを書いてくれよ。ただし、締め切りは守って」

 なんだか締まりのない空気のまま、セカンドシングルについての会議は終わってしまった。スタジオを出ていくプロデューサーと社長の後ろ姿を、律音が暗い表情で見送っている。

 いつもと違う律音の様子を不思議がった透真たちは、言葉もなく律音を見つめた。

 律音は重々しくため息をつくと、メンバーたちを見回して口を開く。

「俺には……できない」

 苦々しく、絞りだすような声だった。律音の指先は微かに震えている。いつも冷静な彼にしては珍しい反応だった。 

 場が一瞬、凍りつく。

「律音……調子でも悪いの?」

 凌介が眉を寄せる。律音と長い付き合いのある凌介もこんな姿は初めて見たようだ。心配そうに律音の背中を摩っている。

「そうじゃない。ほかのテーマなら書けたけど……恋愛ソングは、俺には無理だ」

「硬派なキャラだから?」

 澪の問いかけに、律音は無言で首を横に振る。

 メンバーたちが息を呑んで待つ中、律音は彼らしくないか細い声で話し始めた。

「俺には……恋愛感情がないんだ」

 律音は言い終えると、まっすぐにメンバーを見渡した。その瞳には迷いも戸惑いもなく、ただ真実を語る静けさがあった。

「理想が高いとか、同性が好きってわけでもない。どうしても、他人に対してそういう感情を持てない。友情以上の好きとか愛しいとかが、よくわからないんだ」

 誰もすぐには言葉を返せなかった。空翔が口を開きかけて閉じる。

 透真は律音の表情を見つめながら、胸の奥に妙なざわつきを覚えた。

「……もしかして……『アロマンティック』ってやつかな?」

 凌介が沈黙を破ると、律音は少し驚いたように目を見開き、頷いた。

「ああ、そうなんだと思う。よく知ってるな」

「うん……前にネットでそういう人もいるって記事を見たんだ」

「へえー、名前があるんだ?」

 どこか落ち込んでいるように見える凌介。龍之介は、純粋に聞き慣れない単語を知っている凌介に感心している。

 ――じゃあ、あの熱愛スキャンダルは嘘だったのか?

 透真の中に、前世の記憶がよみがえった。「恋愛に興味がない」と公言していた律音が起こした、まさかのスキャンダル。女性芸能人の近くにいても何も反応せず、冷たくも見えるほど女性相手に徹底してポーカーフェイスを貫いていた律音。プロ意識の高いアイドルだと評判だった彼だからこそ、お泊まりデートの写真が流出して、ファンが悲しみ嘆いたのだ。

 あの時、律音は何も言わなかった。まるで、何かを守るための沈黙のように。てっきり事実だと思っていたが、本当は仕組まれた嘘だったんだろうか……?

 透真が疑問に思っていると、不思議なことに空翔も同じような表情をしていた。眉間に皺を寄せて、深く考え込んでいる。まるで、過去の何かを思い出そうとするように。

 ほかのメンバーが何も言えず黙っている中、凌介が穏やかな声で律音に話しかけた。

「あのさ、律音。律音が嫌なら、恋愛ソングじゃなくてもいいよ」

「え?」

 律音が目を瞬かせる。凌介は肩をすくめ、当たり前のように続けた。

「アイドルの歌、全部が恋愛ソングって決まってるわけじゃないし。友情とか夢とか、いくらでもテーマはあるよ」

 それは、まるで「明日晴れるらしいよ」と世間話するような、自然な言葉だった。律音の指先が、そっと膝の上で握られる。微かに息を吐き、口元を緩めた。

「……ありがとう」

 彼が絞り出すようにつぶやいた瞬間、透真は律音の横顔に確かに安堵が浮かんだのを見た。

 だけど、メンバー全員が納得したわけではなかった。

「えーでもさ、アイドルやってる限り恋愛ものからずっと逃げ続けるわけにはいかないじゃん。これから先、どうしても恋愛ソングやらなきゃいけないってなったら、その時は律音くん、どうする気?」

 龍之介が律音の痛いところを、言葉のナイフでぐさりと刺す。年下から生意気な意見を飛ばされ、律音は龍之介をじろりと睨んだ。険悪な雰囲気になりかけた瞬間、澪が申し訳なさそうに切り出す。

「律音にとってはつらいかもしれないけど……プロデューサーと社長は恋愛ソングで行く気満々だったろ。正直、恋愛抜きの歌詞を提出しても、プロデューサーからはねつけられると思う」

 澪の言うことは現実的だったので、メンバーたちは律音の顔色を窺って黙り込む。気まずさに耐えきれなくなったのか、空翔が不自然なほど明るい声で「あっ、じゃあこういうのはどうかな!?」と叫んだ。

「歌詞作りなら、凌介と俺もできるから、今回は律音抜きで作ってみよう。パフォーマンスでの表現とかは……その時また考えればいいことでしょ」

 空翔が出した意見に、「それならいいか」と龍之介が頷いた。

「俺のせいで気を遣わせてごめん」

「律音が謝ることじゃないだろ。むしろ、言いづらいことなのに話してくれてありがとうな」

「うん、そうだよ。もう謝らないで、律音」

 頭を下げる律音に、透真と凌介が慌ててフォローに入る。

 一時はどうなることかと思ったが、セカンドシングルの歌詞は凌介と空翔に任せることに決まった。

「それじゃあ、空翔と俺は歌詞について相談してくるね」

「おう! 頑張って!」

 凌介と空翔は、宿舎とは別方向に歩き出した。夜まで営業しているカフェで話し合うらしい。

 ――できることなら俺も手伝いたかったけど、セカンドシングルだもんなあ。

 透真は二人の後ろ姿を見送りながら、前世で繰り返し聞いたSerilionのセカンドシングル『Colorless Love』の歌詞を思い出していた。

『Colorless Love』は爽やかなデビューシングルとはまったく違う、切ない片思いソングだった。報われない恋に身を焦がす男という世界観の曲で、『共感200%のラブソング』としてヒットチャートにランクインもした。

 その事実を知っているので、透真はセカンドシングルが必ず恋愛ソングになるだろうと予想していた。けれど、律音の『恋愛感情を持てない』という秘密を知ることになるとは、まったくの予想外だった。

 ――どうも腑に落ちないんだよな。あの女性アイドルと律音がホテルで撮られたスクープ写真は、捏造だったのか。だとすれば、誰が何のためにそんなことを……?

 考えても答えの出ない疑問に頭を悩ませつつ、「まあ、いつかはわかる日がくるか」と透真は己に言い聞かせた。

 そんな透真の後ろで、律音が凌介たちの去っていた方向を意味ありげな視線で見つめていた。

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