第7話 陰湿変態泥棒野郎さん
数日後の昼休み。周囲が昼ご飯を食べ始める中、律は購買に行った沼津を自席で待ちながら、スマホを確認していた。効率の良い家事のこなし方や、ライフハックの記事が延々と流れてきては消えていく。
すると緋町から一件のメッセージが届いた。
『律、もしかして私の体操服持って行ってない?』
メッセージが目に入った途端、律の頭からすっと血の気が引く。慌てて律は、鞄の中に入っている体操服に手を伸ばした。
律はおそるおそる中を覗いてみる。若干色が異なって見えるのは、きっと気のせいではないのだろう。律は体操服を引き出して眼の前で掲げる。
そこにあったのは――律が通う高校のものではない、胸に「大石」と刺繍された体操服だった。
律は体操服から即座に手を引き、スマホを鷲掴みにする。
「ごめん! 緋町のを間違えて持ってきてた」
緋町の既読はすぐについた。
『あー……やっぱりそうだったかー。逆に私のところに律の体操服があったからまさか、って思ったんだよね』
律は思わず項垂れてしまった。取り換えっこになったとしたら、洗濯したあとに仕分けたときに違いない。
律と緋町の体操服では、サイズも、色も異なっているというのに。まさか間違えてしまうとは。
律はまた「本当にごめん」と送った。
『謝らなくていいよ。ちゃんと見なかった私にも非はあるし』
「緋町は、体育っていつあるんだっけ?」
『五時間目だから、昼休み後すぐの授業』
律は時計を確認する。昼休みはあと三十分以上はあった。そして律の高校と緋町の高校のタイムスケジュールは同じであることは事前から知っている。
律は机の上に置いていたコンビニおにぎりと惣菜パンをしまい込むと、鞄片手に席を立った。
「今から、届けに行く」
『えぇ! 大丈夫だよ。そこまでしてもらったら申し訳ないし』
「俺も体育は昼休み後だし、取り換えられそならそのほうがいいと思うんだけど」
一回授業を欠席するのは、律にとっては造作もないことだった。
しかし、緋町は違う。緋町はそもそもが飛び級という箔のついた経歴を持つ上に、「お姫様」という周囲からのイメージを持っている。今回の件で、築き上げた評価を崩してしまいかねない。
緋町も懸命に期待に応えようとしていただけに、そんな事態があってはならなかった。
『……わかったよ。だけど、いざというときは律はちゃんと自分を優先すること!』
「もちろんだ。それで、あまり人には見られたくないんだが、なにかいい方法はないか?」
『うーん……校門前の植え込みとかどうかな。私が律の体操服を袋に入れてそこに置いておくから、逆に律は自分のを回収したあとその袋に私の体操服を入れる、とかいいんじゃない?』
「土で汚れたりしないか?」
『どうせ体育が終わったら土まみれになるんだから、気にしないよ』
「わかった。じゃあそれでいこう」
律はスマホをポケットに入れると教室から飛び出した。
ちょうど帰ってきた沼津と廊下で鉢合わせる。
「うわっ、どうしたんだよ律、帰るのか?」
「ごめん沼津。帰るわけじゃないんだけど、ちょっと急用ができたから昼休みは抜けるわ。後時間目が始まるまでには帰ってくるから」
「わかった! 健闘を祈るぜ!」
沼津はびしっと敬礼を決めて送り出してくれた。あまりにも様になっている姿に吹き出しながら、律は廊下を駆け抜けていった。
◇
ぜえぜえと息を切らしながら、律は緋町の高校の前までたどり着いていた。昼休みの終了まであと二十分強ある。全速力で走ってきた甲斐があった。
校門前の植え込みをがさがさと漁る。目当てのものは、すぐに見つかった。
透明なビニール袋に律の体操服が入れてあり、『わざわざありがとう』
とメモが挟まれている。
早く回収して、この場を立ち去ろう。
律はそっとメモを取ると、袋から自分の体操服を取り出した。鞄から取り出した緋町の体操服を、代わりに袋の中に入れる。
「これでよし、と」
律は袋を元の位置に戻して、スマホを取り出す。「体操服、受け取れたよ。緋町のも置いておいた」とメッセージを送った。
その瞬間、律は背後から何者かに思いっきり体当たりをされた。
「はあ!?」
律はバランスを崩し、手にしていた体操服を取り落としてしまった。律を倒した何者かは、体操服が地面に付くよりも先に、それをキャッチした。
「成敗しましたよ……この変態!」
体勢を整えながら、律は自身の後ろに目を向ける。
そこにいたのは、小柄な少女だった。
身長は律の胸ほどまでしかない。緋町と同じ制服を着用しているところを見るに、この学校の生徒なのだろう。青みがかった黒い短髪が風になびいて揺れている。髪と同色の大きな瞳はきっと鋭くしぼめられ、律のことを睨んでいた。
少女の小さな手が、律の手首をがっちりと掴んでくる。
「緋町先輩が茂みの辺りでごそごそしていたので、気になって来てみれば……。まさか体操服を引き渡すよう脅迫されていたなんて! でももうあなたのことは特定しましたからね! 観念してください!」
「待て待て待て! 大きな誤解だって!」
とんでもない論理の飛躍だった。
しかし律は否定こそしたものの、口をつぐまずにはいられなかった。
自分と緋町との関係を説明しないまま、この状況をやり過ごす最善手はあるのだろうか? 少なくとも、律の頭の中にはちっとも浮かんでこなかった。
少女は律に路上に落ちているゴミでも見るような視線を向けてくる。
「誤解って、それならなにか反論してみてはいかがですか? 本当に潔白ならなにも言えないなんてことはないですよね? そこで黙り込むということは、やましいことがあるからですよね、変態さん!」
「俺は変態じゃない!」
「いーですよなんとでも言っててください。私はあなたを先生の前に引き出しますから。あとは署の方でお願いします」
「ちょっ……勘弁してくれ……!」
律は掴まれていないほうの手で、少女が抱えている体操服を指さした。
「そもそも! その体操服、俺のだから! 緋町のはあっち!」
「えっ、そうなんですか」
少女は訝しげに体操服を眺めると、みるみるうちに目を丸くしていく。
次に顔を上げたとき、少女は路上で腐っている生ゴミでも見るような顔をしていた。
「なるほど……つまり変態さんは事前に緋町先輩がここに体操服を置きにくることを知った上で、自分の体操服と緋町先輩のを交換し、そして今バレないように元に戻しに来たというわけですか……。これはただの変態ではなくて、陰湿な変態泥棒野郎ですね!」
「なぜそうなるんだ!」
「いい加減罪を認めてください陰湿変態泥棒野郎さん!」
「その呼び方やめてくれないか!」
「事実でしょう! 『さん』付けなだけありがたく思ってください!」
「全然中和できてないんだよ!」
少女はさらに強い力で律のことを引っ張り、高校の中に引きずり込もうとする。律も負けじと足を突っ張り対抗した。少女の力は思っていたよりも強く、少しずつではあるが律の体は校門に近づいていた。
昼休みの終わりも刻一刻と近づいている。しかしこのままでは律は、若くして社会的に死んでしまう。
律は力を振り絞って少女を引き返した。火事場の馬鹿力というやつだろうか、奮闘した甲斐もあって律の体は滑るのをやめた。
両者の力は拮抗し、膠着状態に突入する。
どれくらいそのままでいたのだろうか。段々と律の腕が痺れてきて、少女の顔にも疲れが滲み出してきたとき。
「律、に
二人の意識は、やってきた緋町の声によって現実に引き戻された。
「女子校のお姫様」と名高い先輩、家では事実上俺の妹です 夜野十字 @hoshikuzu_writer
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