第4話 捧げもの
川島くんと別れてしばらくすると、杉崎くんに呼ばれることがなくなった。
こうなる日がくることは分かっていた。それでも受け入れられなくて、私は何度も杉崎くんにLINEを送った。
待っても待っても既読は付かなかった。ブロックされたのかもしれない。
教室で声をかけると、
「なに?」
爽やかな顔で返された。
みんなに向けるのと同じ表情をしていて、もうぞくぞくするような冷たい視線で私のことを見てくれなかった。
「もう呼んでくれないの? 私、何だってするよ」
声が震えた。
どんな形だっていいから杉崎くんと繋がっていたかった。
暴言を吐かれたって、痛いことをされたって、苦しめられたっていい。一番つらいのは無視されることだった。
「なんのこと? 藤原さんの言ってることが分からないんだけど」
杉崎くんは困ったように首をかしげた。
彼の反応を見ていると、体育倉庫の出来事が現実だとは思えなくなってくる。
朝に目が覚めて、見ていた夢の質感が失われていくのに似ていた。
体育倉庫で感じた杉崎くんの表情、呼吸の音、手の動き、体の感触。それらを失いたくなくて、私は彼から逃げるように教室を出た。
私は川島くんにお願いしてよりを戻してもらった。
このときの私は杉崎くんの気持ちを取り戻そうと必死になるあまり、おかしくなっていた。
杉崎くんに声をかけられるようになったのは川島くんと付き合いだしてからで、関係を切られたのは川島くんと別れた頃だった。
川島くんとの関係が戻れば、杉崎くんが私への興味を取り戻してくれるんじゃないかと思ったのだ。
再び川島くんと付き合いだした私は、川島くんにべったりになった。
休み時間のたびに川島くんの机に行ってお喋りをした。
教室でも手を繋いだり、抱きついたりした。
川島くんはいきなり変わった私の態度に困惑した。
クラスメイトは人目をはばからずいちゃいちゃする私のことをよく思わなかった。
それでも私は構わなかった。杉崎くん以外の人のことなんてどうでもよかった。
杉崎くんの注意を惹くことばかりを考えていたのに彼は反応してくれなかった。
私はただのクラスメイトに成り下がってしまった。
授業中、斜め前の席には杉崎くんが座っていて、気がつくと彼のことばかり見ていた。
やっぱり杉崎くんの手は指が長くて美しい。
その手でさわられたい。
願望が広がっていくのを抑えられなかった。
もし杉崎くんから誘われることがなかったら、遠くから焦がれるだけでここまで狂わなかっただろうか。
もしものことを考えてもすでに手遅れで、私の頭は妄想と追憶にふけることに費やされた。
授業を理解しようとしても、友達の話を聞こうとしても、杉崎くんのことが思い浮かんでしまって注意を傾けることができなかった。
放課後、私は体育倉庫に来ていた。中には入らず、外から倉庫を睨みつけていた。杉崎くんが入ってから二十分が経っている。
ようやく扉が開いて杉崎くんが出てきた。
表情はふだんと変らなかったけれど、シャツが乱れているように感じて、胸が苦しくなる。
きっと倉庫には女の子が残っている。
少し前までは私がそこにいたのに。
名前も知らない女の子への憎しみでいっぱいになって体が震えた。彼女が近くにいたら首を絞めてしまうかもしれない。
「あれ、藤原さん?」
杉崎くんが私に気づいた。その瞳は残酷に光っていた。
教室では絶対にしてくれない視線に出会えて苦しいのに嬉しくなってしまう。
「何してたの?」
「何って、分かってるでしょ」
「言ってくれないと分からないな。でも、ずいぶんとひどい顔だね」
私は泣いていた。
杉崎くんの指が近づいてきて目の下に触れると、電流がはしったような感覚があった。
懇願するように彼のことを見つめたけれど、ふっと笑われただけで、もう触れてくれなかった。
「そんなに僕にさわってほしいの?」
「うん」
「そうだな。僕が言う日にここに来てくれたら考えなくもないけど。涼花は外にいるんだよ?」
「うん」
久しぶりに名前で呼ばれて何も考えずに頷いていた。苦しい日々が始まることは目に見えていた。
自分のことを馬鹿な女だなと思うのに、杉崎くんの提案を断らなかった。
週に一回、杉崎くんに呼び出されるようになった。
私がいるのは体育倉庫の中ではなく、その裏側だった。
杉崎くんと女の子よりも早く来て、身を潜める。
二人は別々に出入りしていたから、入るときに二回、出るときに二回、扉の音を聞いた。
出てくるとき、杉崎くんは気まぐれに倉庫裏にまわってきて、私の反応を眺めた。
聞きたくないのに、倉庫の中でどんなことをしたのかを話されることもあった。
私の心がずたずたになっていく様子を杉崎くんは見ていた。
私が傷だらけになるほど杉崎くんの瞳の輝きが増す。
彼に見られていると、自分の存在が彼を満足させるための捧げもののように思えてくる。
「何がしたいの?」
いくら彼の呼び出し通りにしても、一向に倉庫の中に入れてくれなくて、我慢できなくて聞いた。
「意味なんてないよ。ただ楽しいから」
「おかしいよ……」
「そう思うなら、来なくていいよ。選んでるのは涼花でしょ?」
返す言葉がなかった。
杉崎くんはおかしいけれど、私だっておかしい。
彼と一緒にいてもいいことなんて一つもない。
傷だらけになることは分かっている。
でも、杉崎くんのことになると頭が動かなくなる。
まるで脳に砂糖菓子でも詰められたように考えることができなくなって、言いなりになってしまう。
「ちがうの。ごめんなさい……」
口から勝手に言葉が出た。
甘ったれた声だった。
私は何を言っているのだろう。どう考えても杉崎くんはおかしいのに。
私の口は私の考えを否定した。
「分かればいいんだよ」
杉崎くんは私の頬に指で触れると、そのまますべらせて、あごの輪郭をなぞった。
親指で唇をいじられる。
力を入れられて、私の下唇の真ん中に彼の親指が沈みこむ。
それだけで脳が痺れて、唾液が溢れてきた。
このまま指を押しこんでほしい。
苦しくなるほど奥ふかくまで。
強く願ったけれど、叶わなかった。
杉崎くんは私の唇から指を離すと行ってしまった。
私はその場から動くことができなかった。
自分の唇にはまだ杉崎くんの指のあとが残っているような気がした。
私は舌を出して自分の唇を舐めた。ひどくみじめだと思った。
それからのことは正直あまり覚えていない。
学校には行っていて、杉崎くんに言われるがまま倉庫裏に行っていたはずだけれど、思い出そうとすると頭にもやがかかったようになる。
復縁した川島くんとも別れた。
どういう経緯で別れることになったのか。どちらから言い出したのか。
それすら覚えていなかった。
ただ、川島くんの眉をぎゅっと寄せた苦しそうな顔だけは覚えていて、彼のことを二回も傷つけてしまったのだと思った。
ある日、家から出ることができなくなった。
心が鉛のように重たくなって、ベッドから起き上がることができなかった。
そのまま不登校になり、出席日数が足りなくなって高校を中退した。
外に出ずに自分の部屋に引きこもる日々が続いた。
私の心には杉崎くんがいて、彼のことを思い出したり、彼が夢に出てきたりすることもあったけれど、さすがに会わないでいると存在が薄れていった。
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