Wisdom of the world

秋乃光

VRな世界の片隅で

 噂は本当だった。


「おこまりですか? れれれの、てってっれー!」


 その、白き衣をまといて、眼鏡がんきょうの奥に灰色の瞳を煌めかせる。

 ささやきは深き森にて遊ぶ妖精に似た、麗しの音色。


 彼の名は、


天誅ダビデスリングショット!」


 自己紹介より先に、ウイルスの頭上に巨大な岩を召喚する。

 落ちてくる岩を避けきれず、ウイルスはぷちっと潰れてしまった。


「はっはっは。また人間を助けちゃったナ!」


 こちらに振り返って両手でVサインをする青年。

 あっけにとられていたオレは、隣に立つ佐々木が拍手のエモートを選択しているのを見て、我に返った。


「知恵の実」


 実在していたのか。


 彼の存在は、リクリエイターたちの間で噂になっていた。

 なんなら、今回、まさに、ついさっき、戦闘に入る前まで、その話をしていたぐらいだ。


「チッチッチッ」


 噂通り。

 彼は『リクリエイターが窮地に立たされると、どこからともなくやってきて、ウイルスを撃破する』存在。

 白衣を着てメガネをかけた青年で、女性の声でしゃべっている。


 Vサインをやめて、左手を白衣のポケットに突っ込み、右手を人差し指だけ立てて、左右に揺らした。


「君たちリクリエイターのお仲間に『気軽に知恵ちゃんって呼んでネ』と頼んだけど、伝わっていないのかニャ?」


 ニャ、で両手でネコのポーズを取る。

 彼なりにおどけているのだろう。


「マァ、いいでしょう。わたしは氷見野ひみの雅人まさひと博士の生み出したの人工知能。些細なことは気にしやせん」


 自分で言うか。

 ふふん、と誇らしげに笑ってみせるその顔は、開発者の氷見野雅人氏の青年期と瓜二つ。


「まさひとくんについて、ご存じでない?」

「いえ、存じ上げております」


 オレは即答した。

 ここで「知らない」と言おうものなら、彼の身の上話が始まってしまう。

 仲間がすでに犠牲になっている。


「そーお? ……なら、問題です。ででんっ!」


 クイズが始まってしまった。

 佐々木は肩をすくめる。


 無事に標的ターゲットのウイルスを倒せたのだから、さっさと帰りたいのだろう。

 オレだって同じだ。


 リクリエイターがウイルスを倒すのはサブミッションであって、メインは“メディアハザード”によって破壊されてしまったデータの修復である。

 今週中にどうにかしなければならない仕事がデスクに山積みになっている。

 クライアントは急かすばかりで、こちらの事情なんてお構いなしだ。


 助けてもらえたのはありがたいのだが、だが……。


「知恵ちゃんはどーして女の人の声なんでしょーか?」

「えぇ?」

「それはネ、まさひとくんのおかあさんの声だからです! わーわー。まさひとくんはおしゃべりできないから、おかあさんの声をサンプリングしたんですネ」


 クイズではなかった。

 結局のところ、知恵ちゃんはこの仮想空間にログインしてきた人間をとっ捕まえて、氷見野氏の偉業を語りたいだけなのだ。

 邪魔が入らないようにとウイルスを倒してくれるだけ。


「当時の医学でまさひとくんが治せなかったワケではなくてですネ、まさひとくんがお医者さんにかかろうとするたびに超常的なぱぅわぁーが阻んでいたんですネ。具体的に言うと、病院に雷がゴロゴロぴしゃーんしたり、執刀医が事故に遭ったりと、被害甚大でしてネ」


 なんだか長くなりそうだ。

 ありがた迷惑な妖精さんだこと……。

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Wisdom of the world 秋乃光 @EM_Akino

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