不法侵入

ちかえ

侵入者とは

「上流ゾーンに不法侵入者ですって?」


 ヘーゼル・ウィレッツ公爵令嬢は学園内にある自分のサロンの応接間で眉をひそめた。目の前で神妙な顔をしている友人の一人である伯爵令嬢のアイリーンが身を縮めた。

 別に威圧しているわけではないし、普通に接してくれればいいのに、と思う。


 彼女によると、先ほど、怪しい影を見かけたという。それでヘーゼルに知らせに来てくれた。


 もし、その話が本当なら大問題だし、すぐに警護の人達に知らせて侵入者を捕らえてもらわなければならない。


 それでもなんとなく違和感を覚える。国内のほとんどの貴族通う学園の、王族と上流貴族の社交場である上流ゾーンに侵入者がいるにしては、校内が静かすぎる。そうだったらもっと大騒ぎになっているはずだ。


 彼女は、動物か何かを侵入者と勘違いして駆け込んできた、とかそういう事だろうか。


「それなら、私に言うより、先生や職員の方に伝えた方がいいのではなくて?」


 実際その方が手っ取り早いと思う。ヘーゼルは王太子の婚約者だ。そして、学園内に専用のサロンを持っている。立場的には学園の事に口は出せる身分である。

 とはいえ、自分はこの学園の一生徒でしかないのも真実だ。こういう事件を解決するのにふさわしいとは思えない。勝手な事をして混乱を招くのは良くないと思う。そして、簡単に学園内で権力を使うのも最低限にしておきたい。

 こういう事は職員に言って速やかに解決してもらうのが一番だ。

 なのでそう提案する。


 だが、アイリーンはもごもごと言葉を濁してきた。


「その……ご婚約者様の方がこういう事には適しているかと……」


 視線までそらしている。怪しい。


「では私が先生に知らせてくるわ」


 それだけを言ってサロンの使用人に伝言を頼むために声をかけようとした。

 だけど、彼女は慌ててヘーゼルの動きを止める。


「いえ、そこまでされなくても……」


 わたわたと慌てている。怪しすぎる。


「何を隠しているの?」


 厳しく問いかける。これ以上のごまかしは許さない。それを視線に込める。


「実は……」


 アイリーンは観念して話し始めた。



***



 目の前で、ティーンを迎えたばかりであろう少女二人がうなだれている。


「申し訳ありません、ご婚約者様!」

「ごめんなさい! 許してください!」


 かわいそうに初等部の制服を着た少女達はペコペコとヘーゼルに頭を下げている。


 伯爵令嬢の言う『侵入者』は外部の者ではなかった。この上流ゾーンが見たいだけの男爵家の令嬢達だったのだ。


 下級貴族、特に初等部の生徒の間では、上流ゾーンというのはあこがれの場所なのだそうだ。だからちょっと覗いて雰囲気だけでも味わいたかった。ただそれだけの事だった。


 ここは学園の敷地内だ。別に上流ゾーンと呼ばれる場所に下級貴族や平民が入ってはいけないという校則はない。


 実際、サロンを持っている一人である侯爵令息は、彼の婚約者である男爵令嬢を、ほぼ毎日サロンに呼んでいる。他の者も子爵家、男爵家出身の友人達を招待しておしゃべりをしているのだ。


 だが、それをよく思わない上流貴族もいる。アイリーンはその一人だったようで、ヘーゼルに注意してもらおうと駆け込んできたという。


 本当に馬鹿馬鹿しい話だった。ただの小さな可愛い冒険ではないか。


 とりあえずヘーゼルは、きちんと諭しておいた。何も悪くない年下の初等部の生徒をいじめさせるつもりかと。

 自分には下級貴族を差別するつもりはないし、こういう事は迷惑だと。


「あの、あたし達は罰せられるんでしょうか」


 男爵令嬢の一人がおずおずと尋ねてくる。


「て、停学とか……まさか退学とか?」


 もう一人もガタガタと震えている。


「まさか」


 ヘーゼルは笑ってそれを否定する。


「上流ゾーンを体験してみたかったんでしょう? お茶でも召し上がっていって」


 ヘーゼル達のような身分の高い者が学園内にサロンを持つのは、生徒同士の交流をさせるためだ。そうやって社交のおもてなしを学ぶために、学生の中で身分の高い五人がサロンを持つ事を許されている。


 だからこれも普通の事だ。


 まだ恐縮している小さな令嬢達に、ヘーゼルは穏やかに微笑みかけたのだった。

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不法侵入 ちかえ @ChikaeK

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