第31話
破魔矢さんによれば、いや、破魔矢さんが観ている都市伝説YouTuberによればだから、あくまで都市伝説として、空想や妄想の類いとして、ていうか別の世界の話として、事実とは異なることを承知の上で彼女の説明を聞いてほしい。
「日本が、戦争に負けた後、GHQとかマッカーサーとか、なんかアメリカ軍に占領されて、統治下にあった頃、アメリカの兵士を相手に売春してた人たちがいたんだって」
「それが、パンパン女?」
「そう」
「でも、なんでパンパン?」
「それは、諸説あって、はっきりしてない。第一次世界大戦の後に、日本が国連から委任されて統治してたサイパンで、日本海軍の兵士たちが、サイパンの先住民の、チャモロ族って人たちの女の人を、パンパンって手を叩いて呼んで、その肉体を味わったことからだって説があるみたい」
「破魔矢さん? 肉体を味わうとか、生々しいからやめようか」
「サイパンには、パンパン坂っていう地名もある」
「やめないんだね。わかった。最後まで付き合うよ」
「サイパンでは、性行為を、キシキシパンパンって呼んだりする」
「もうそれ、ベッドがキシキシいってる音だし、パンパンが違う音になってるよね?」
僕はそこまで言って、あれ?っと思った。キシキシパンパン?
「ちょっとちょっと、また新しい疑問が出てきちゃったよ。そのキシキシパンパンは、チキチキバンバンと何か関係あったり……」
「わたしも、それ、気になったから、調べた」
「調べたんだ……」
「チキチキバンバンは自動車の排気音の擬音だった……」
「なんでちょっと残念そうなのかな?」
破魔矢さんとこんな風に会話をしたのははじめてのことだった。
すごい一面を見てしまったような気もするが、僕は少し嬉しかった。
だいぶ話が脱線してしまったけれど、僕は馬場まなみ、通称ババパンの結婚がショックだったわけじゃなかった。
「実は僕、結城天馬が結婚してたことがショックでね……」
旦那の方、結城天馬のことを僕はデビュー当時から応援していたのだ。
「もしかして、『全仮面戦隊タキシードー&ウェディンガー』のファン、とか? 田中くん、特撮、好きなの?」
「うん……まぁね。タキウェディは僕が特撮にハマるきっかけになった作品だし」
タキウェディこと全仮面戦隊タキシードー&ウェディンガーは、平成の最後の年の秋から令和最初の年にかけて一年間放送された戦隊でありライダーでもある特撮番組だ。
「わかる。歴代のライダーや戦隊に変身できるヒーローはそれぞれいたけどライダーにも戦隊にも変身できるのはタキシードーとウェディンガーだけだし、タキシードーのメンバー五人はみんなイケメンで背も高くてタキシードも超似合ってたし最初は敵対してたウェディンガーの女の子たちもみんなドレスかわいかったしタキシードとウェディングドレスの生身のアクションとかも超かっこよかったしヒーローが十人もいるのに全員にちゃんと見せ場があるストーリー展開はさすが小早川靖夫脚本だなって思ったし」
破魔矢さんは急に早口になって話し始めた。いつ息継ぎをしているのかわからないくらいだった。
「ただのお祭り作品とか悪ふざけが過ぎるとか言われてるけどニチアサのスーパーヒーロータイムを毎週一時間ぶち抜きで一年間完走したのは本当にすごいし、そんなドラマ他には大河ドラマくらいしかないわけだし、特に長年謎のままだった鳴巻さんとか財団Bの正体がついにわかる第三四話と四三話は神回だったし、コスモポリスシリーズとかキカイデスヨーとかカミナリオンまで絡めてきた最終章は毎週鼻血が出そうだったし、最終回とか放送時間を急に一時間半に拡大したかと思ったらプリリンキュアンが実写になって参戦してきたり歴代のプリリンキュアンロボなんていう聞いたこともないロボットが当たり前に出てきて歴代戦隊ロボと超合体して地球よりでかくなったり……」
文字に起こすと軽く原稿用紙百枚を超えそうな濃厚な特撮オタトークをずっと聞かされたわけなんだけど、僕も概ね同意見だった。
破魔矢さんのことが少しだけわかった気がした。少しだけ仲良くなれた気がした。
結城天馬・馬場まなみ夫妻は、お互いに人気絶頂の時に華々しく芸能界を去りたいと考えていたらしい。
ババパンこと馬場まなみは、天馬くんとの結婚を発表する際に「普通の女の子に戻ります」と言って引退すればいいと考えていたらしいが、天馬くんの考えは違っていた。
人気絶頂での引退はお互いに復帰を望まれてしまう。だから絶対に復帰できない形で、芸能界を引退しなければいけない。彼はそう考えていた。
そこで彼は自殺したミュージシャンや俳優たちが伝説的な存在になっていることに目をつけた。
「自分たちも、伝説のレジェンドになるには、自殺しなきゃって、考えたみたい」
パリ五輪で生まれた「伝説のレジェンド」というパワーワードを、まさか破魔矢さんの口から聞くことになるとは僕は思いもよらなかった。
破魔矢さんは僕が思っていたより、ずっと可愛らしくて面白い女の子だった。
妹の言う通り、彼女は僕の好みのタイプだった。
初めて彼女を見たときは、そのあまりの可愛さに見惚れた。
ずっとどんな女の子か知らずにいたから好きになることはなかったけれど、本当に好きになってしまいそうだった。
通夜が終わり、葬儀が終わり、火葬場に運ばれた僕たちは、いつも通りに棺に仕込まれた細工を使って抜け穴へと出た。
地上に出て火葬場の煙突から上がる偽物の煙を見上げながら、
「天馬くんって結構イッちゃてる人だったんだね……」
僕は彼の顔の特殊メイクをしたまま呟いた。
憧れの俳優、結城天馬の顔になれていたのに、なぜだかちっとも嬉しくなかった。
抜け穴の途中に特殊メイクを落とす場所はちゃんとあった。
けれど、「天馬くんの顔のまま、わたしの手を引いて歩いて」と、自分だけメイクを落とした破魔矢さんに頼まれたのだ。そのときも、彼女とはじめて手を繋ぐというのにちっとも嬉しくなかった。
「まぁ、俳優になる前は、脱原発とか大麻合法化とか、強めの思想を呟いちゃったりしてた人だから」
破魔矢さんは苦笑しながらそう言って、
「ただのヤバい人じゃん。絶対大麻やってる人が言うやつじゃん」
そう返した僕の、天馬くんの顔に手を伸ばしペタペタと触った。
「かっこよかったし、演技も上手だったけどね。しかたないよ。ババパンといっしょに大麻が合法の国に行くって言ってたみたい。カナダかドイツかウルグアイか、もう着いてる頃だと思う」
それはもう、大麻をやることが目的になってしまっているんじゃないだろうか?
わかってるつもりだったけど、役と本人を一緒にするってだめなことなんだなぁ……と僕はしみじみ思った。
長年特撮ファンをやっていると、好きだった登場人物を演じていた俳優の中から犯罪を犯してしまう人がそこそこいた。この子売れたなぁと思っていたら、いきなりカルト教団に出家してしまった子もいる。
その度に心を痛め、これからは役と本人を一緒にしないようにしようと思っていたけれど、いまだに慣れない。
「それにしても、これ、本当によく出来てるね。そろそろ、そのマスク取って。誰かに見られたり写真を取られたりしたら困るし」
「あなたがさっき『天馬くんの顔のまま、わたしの手を引いて歩いて』とか言ったからなんですけど……」
「言ってないし! 田中くんと手なんて繋いでないから!」
あれ? 僕の記憶違いかな?
「乱暴に取ったりしないでね。わたしの家に飾りたいから。わたしも被ってみたいし、ベルトつけて鏡の前で変身ポーズとか決めたいから」
そんな風に急かされ、特殊メイクのマスクを取り始めた僕の横で、破魔矢さんはスマホを取り出すと、アプリで任務完了の報告をした。
依頼人の顔そっくりに3Dプリンターを使って作られたそれは、僕の顔にぴったりと貼り付けられていた。
人工皮膚を使っているため、毛穴まで再現されとてもリアルだったが、顔から剥がすときはひどく破れやすい。
破魔矢さんの大切なコレクションになるものだから、破らないように慎重に顔から剥がさなければいけなかった。
「おふたりとも、お疲れ様でした。え!?なんですかその顔。怖い!」
霊柩車のドライバーの瀬名さんが迎えにきてくれたとき、僕はまだ顔の半分が天馬くんのままだった。
破魔矢さんは鼻に綿が詰まったままだった。
以前僕がしたように冗談でそうしてるわけじゃなさそうで、僕がようやく外した天馬くんの顔を嬉しそうに抱き締めていた。
本当に、なんて可愛い女の子なんだろう。僕は思った。
僕はたぶん、このとき破魔矢さんに恋をしたのだと思う。
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