第32話

 霊柩車は運転席と助手席の二人乗りが主流だ。大きな車種の場合は、運転席と助手席を含み四人までの乗車が可能らしいけど、KITセレモニーには二人乗りの霊柩車しかない。

 破魔矢さんには助手席に乗ってもらい、僕は棺専用のスペースが大部分を占める荷室に乗っていた。


「いいんですか? 田中さん、そんなところで」


 瀬名さんに申し訳なさそうに問われたけれど、僕は正直わくわくしていた。

 僕たちを家まで送るとき、彼が運転する霊柩車は、そのいかにもな装飾を内側にしまい込み傍目からはリムジンにしか見えなくなっている。

 僕は以前からずっと、どうやってあの大きな装飾を内側にしまい込んでいるのか興味があった。トランスフォーマーのようにヒト型にこそならないけれど、この車は霊柩車からリムジンに変形する特別な機能が搭載された世界に数台しかない車だった。

 本物の霊柩車がどうかは知らないが、どうやらこの霊柩車の装飾は、何十もの小さな装飾から出来ているようだった。小さな装飾には同じ数の機械の腕のようなものがついており、それをすべて一台のコンピューターが管理している。

 霊柩車になるとき、運転席にあるボタンひとつでコンピューターが車の屋根の部分を真ん中から大きく開かせ、内側に収納された無数の腕が小さな装飾を順番にあるべき場所に運ぶ。

 おそらくは運ぶ順番が大切で、ひとつの大きな装飾に見えるようになる順番になっているのだろう。

 装飾を運び終わるとすべての腕は収納され屋根が閉じる、そういう仕組みのようだった。

 その仕組みは棺とさほど変わらない大きさか少しずつ小さいくらいで、大人の男ひとりくらいは十分に座れるスペースがあった。その技術に僕は驚かされていた。


「ここからだと、破魔矢さんのお宅の方が近いですね。破魔矢さん、先にご自宅にお送りしますね」


 スピーカー越しに荷室の僕に伝える瀬名さんに、


「いえ、僕を先に送ってください」


 僕は言った。一分でも早く帰りたかった、というわけではなかった。


「え、あ、いや、でも……」


「いくら同じ会社で働いているとはいえ、ドライバーの瀬名さんはともかく、破魔矢さんは女性ですから、あまり親しくない同僚に自宅を知られたくはないと思うんです」


 僕はそう答えた。僕が女性ならそう思うだろうと思ったからだ。

 家は個人情報の宝庫だ。ただ住所がわかるだけでなく、家の外観を見るだけで様々なことがわかる。何坪くらいの土地にどんな家が建っているかで、両親のおおよその収入がわかる。間取りを見なくても家の大きさで何人家族かなど、家族構成も大体想像がつく。

 僕の家のように、家族四人には広すぎる家もあるけれど。うちはもうひとりかふたり兄弟か姉妹がいてもおかしくないくらい無駄に大きかった。


「あ、いえ、別に、そんなことは……」


 破魔矢さんはそう言いかけたが、僕に小さな声で「ありがとう」と言った。


「あぁ、すみません。私の配慮が足りてませんでした」


 瀬名さんは悪くないですよ、と僕は言った。確かに配慮は足りなかったが、元タクシー運転手だったらしいから、相乗りの客は近いところからというのが染み付いてしまっていただけだろう。

 彼は僕たちより一回りも年が上だったが、誰に対しても偉そうな態度ひとつしたことがなかった。真面目で大変勉強熱心なドライバーだった。運転の技術も申し分なく、乗り物酔いしやすい僕は彼の運転だけは酔ったことがなかった。


 車が僕の家の前につき、僕はふたりに礼を言うと、棺を出し入れする観音開きのドアから車を降りた。

 助手席の窓をノックすると、


「どうしたの? 何か忘れ物?」


 窓を開けてくれた破魔矢さんは、ほんの数日前まで僕に対して人見知りをしていたのが嘘のように僕に声をかけてくれた。


「妹が感謝してたってこと、破魔矢さんに伝えとこうと思って」


 僕はそう言って、


「本当にありがとう」


 頭を下げた。


「わたしは、ただ、自分の仕事をしただけで……」


 破魔矢さんはまさか僕に礼を言われるとは思ってもいなかったのだろう。顔を真っ赤にして、うつむいてしまった。

 僕も依頼人に礼を言われたら、同じ反応をしたかもしれなかった。

 この仕事を始めてから僕は依頼人から一度も礼を言われたことはなかった。

 タナトーシスを依頼する人間は、自分のことしか考えていない者ばかりだからだ。高額な依頼料を払うのだから、死の偽装くらいやってもらって当然だと思っている者ばかりだった。


「でも、その仕事ができる人は世界でひとりだけだからさ。破魔矢さんにしかできない仕事だから」


 男の僕には妹の代わりはできない。だから、ありがとう。

 そう言って、じゃあまた、と手を上げた僕に、破魔矢さんは慌てて取り出したスマホを操作し僕に見せた。


「きゅ、QRコード。わたしの。『RINNE』の。無料通話アプリの」


 今度は僕が驚かされる番だった。



 家に帰ると、その日も妹は僕を出迎えてくれた。

 なんだかニヤニヤと気持ち悪い……じゃなかった、満面のかわいい笑顔をしていた。


「何かいいことでもあったの?」


 僕が訊ねると、


「みてたよ。よかったね。れんらくさき、こうかんしたんでしょ」


 妹は「あのひとが、わたしのおねえさんかぁ」と、かなり飛躍したことを言った。

 どうやら、二階にある自分の部屋から見ていたらしい。


「さんねんはんもかかって、やっとれんらくさきだけとか、おそすぎだとおもうけど」


 妹はからかうように言ったが、僕は首を横に振った。


「これ以上の進展はないよ。僕はたぶんあの子のことが好きだと思う。でも、告白とか付き合うとか、そういうのはないよ」


 僕が何より大切に思っているのが妹だということは言わないでおいた。いつものようにシスコンだと笑われるか、自分のせいで兄が恋愛や結婚を諦めてしまったと思わせてしまうだろうからだ。

 それなのに、妹はプッと噴き出した。


「にじゅうごさいのおとなが、こくはくするとかしないとか、つきあうとかつきあわないとか、ちゅうがくせいのれんあいじゃないんだから」


 からかうように言う。まるで意地悪ないじめっ子のようだった。


「中学生だよ」


 僕は答えた。


「中学生の時から、僕の時間はずっと止まったままだよ」


「なにそれ、ちゅうにびょう?」


 妹の記憶が抜け落ちているのは、八月の終わりの海難事故だけじゃなかった。

 それ以前の、十年前の出来事を、それが起きてしまった日から、妹はもうずっと忘れたままだった。



「今、家に着きました。今日はありがとうございました」


 僕が帰宅し小一時間ほどした頃、無料通話アプリ「RINNE」に、破魔矢さんからメッセージと写真が届いた。

 破魔矢さんから送られてきた写真は、部屋のコレクション棚に置かれた天馬くんのマスクだった。まるで怪人に頭を踏み潰されたかのようにべろんとしていた。なんだかかわいそうだった。

 同じ写真が彼女のアイコンにもなっていた。

 こういうのはどうやって飾るのが正解なんだろうか。100円ショップで500円とかで売られている発泡スチロールのマネキンの頭とかだろうか。ウィッグも用意しないとだめな気がした。


 妹は僕の隣でまた深夜アニメを観ていた。『僕の妻には人権がない』という、アンドロイドを妻に迎えようとする青年の話で、最終回だった。


「チクショーッ! なんでこの子たちが裁判に負けるんだ! これじゃ、肌の色が違うってだけで人権を認めなかった大昔の裁判と一緒じゃないか! 多様性の中にはアンドロイドは含まれていないのか? 誰がそんなこと決めたんだ!? いいのか!? 南北戦争が起きたみたいにこの裁判がきっかけで戦争が起きるぞ! ウワーッ! ホントに戦争が始まった!! このままじゃ、人類の未来はマトリックスみたいな世界に、エエエー、もうなった! なっちゃった!! なんかもう、最終回にいろいろ詰め込みすぎだろ……」


 VTuberの同時視聴実況動画くらい妹は叫んでいた。


「疲れた……」


 そりゃ疲れるだろう。そんなに一生懸命観てもらえてると知ったら、スタッフの皆さんもさぞ喜んでくれることだろう。


「もう寝る……」


 疲れすぎだった。

 息も絶え絶えになりながら二階に行く妹を僕は見届けると、


「いえいえ、こちらこそ。破魔矢さんこそ、三日間お疲れ様でした」


 僕は破魔矢さんに返事をすることにした。

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