超有名覆面JK歌手の三手さんは、承認欲求が強すぎる

来生 直紀

三手さんと僕の日常

 ここ最近、ひとりの歌手が世間を賑わせているようだった。


「mim.マジやばいよね! この間の年末特番もマジ神ってたし~」

「今度のライブ、絶対チケット取れないんだろうなぁ……」


 今日も教室でクラスメイトの女子達が、その歌手の話をしている。

 これももはや日常の光景だった。きっと日本中のありとあらゆる場所で同じような会話が繰り広げられているのだろう。


 つい数年前、音楽界に突如として彗星のように現れた、現役女子高生シンガーソングライター『mim.ミム』。

 年齢以外の素顔や本名は一切明かしておらず、デビュー当時は中学生、現在は現役の女子高生ということしか知られていない。だが若年層を中心にその人気は今や絶大で、様々な映画やアニメの主題歌や、有名企業の商品とのコラボなども手掛ける大スターとなっていた。


「えへ、えへへ……」


 と、そんな光景を横目にしながら、 教室の隅で、人知れずとろけた顔をしている少女がいる。


 彼女の名前は、三手求芽みて もとめ

 肩口程度まで伸びた黒髪は、癖毛が強めなのかところどころ跳ねている。長めの前髪は目元を半分ほど隠してしまっていた。色白で肩が薄く、全体的に華奢な彼女は、その外見の印象の通り、声も小さければ存在感も小さい。

 彼女は、僕と同じ二年一組のクラスメイトだった。

 まず間違いなく、目立たない方の部類に属する少女である。


 三手さんが溶けたスライムのような締まりのない顔をしていることに、おそらく気づいているのは教室で僕ひとりだろう。


 すると三手さんがはっとした。

 何かを思い出したようにスマホを取り出すと、画面を猛烈な勢いでタップしはじめた。

 

 直後、ピロン、と聞きなれた通知音が僕のスマホから聞こえた。

 それは僕がフォローしている有名人のアカウントが、新しいポストを投稿した通知だった。

 文面に目を通す。内容はこんな感じだ。


 <クラスメイトが隣でmim.の話してる…!

  あなたの大好きな歌手、本物がここにいるから!

  言ってくれたらこの場でサインあげちゃうのになぁ~>


 僕の眉間に激しくしわが寄った。

 三手さんに鋭い視線を送ると、ふと顔を上げてこちらに気づいた三手さんが、びくっと背筋を震わせた。


 僕は彼女を手招きし、教室の外に連れ出した。


「ちょっと、こっち来て」

「は、はい……」

 素直に応じる三手さんと、人目につかない廊下の端っこまで歩いてきてようやく、僕は抑えていた怒りをなるべく声量を抑えつつ声に出した。


「もうっ! こういう投稿はやめとけってあれほど言ったでしょう!? 三手さんの正体がmim.だってバレたらどうするの……!」

「うう、嬉しくて、つい……」


 と、三手さんはたじたじになりがらも、弁解がましく答えた。

 

 そう―—信じられないかもしれないが、今や日本中、いや世界中にファンがいる超有名覆面現役女子高生シンガーソングライター《mim.》の正体こそ、なんとここにいる三手求芽という少女なのである。


 僕は、とある事情からそれを知っている唯一のクラスメイトだった。


 たしかに、ファンの声援が嬉しい気持ちはわかる。

 だが少しくらいは自分の立場というものを自覚してほしい、と僕は常々願っているのだが、その祈りはあまり通じていないのが現状だった。

 その証拠は、彼女が日々ネットに投稿する数々のポストで明らかだ。


「あと、昨日のこれだけど……」


 僕は自分のスマホで、彼女が昨晩投稿した写真を提示した。

 三手さんが気まずそうに視線を逸らす。

 

 その写真には、街中で撮った三手さんと思しき少女の姿が映っていた。

 一夜にして、すでに何十万も拡散されている。


「どうしてこういう匂わせをするの!? だいたいこれ、どうやって撮って……」

「階段にスマホを置いてタイマーで……。で、でも後ろ姿だけだし……」

「そういう問題じゃなくてさ……こういうところからバレたらやばいって思わないわけ?」

「は、反応がほしくて、つい……」


 ギリギリ、本人や居場所が特定できるような情報は映っていないが、とてもじゃないが身バレを気にしているような有名人の投稿ではない。

 僕は深いため息をついた。


「……ねえ、三手さん。考えてごらんよ。もし正体が特定されちゃったらどうなるかって。マスコミやファンや野次馬が毎日のように押しかけてくるよ。ストーカーとか、もし危ないやつに目をつけられたりしたらどうするの?」

「そ、それはやだ……困る……」

「でしょ。だったらもう、ああいう投稿は慎むこと。いいね?」


 ピロン、と通知音が聞こえた。


「あ、予約投稿……そういえばこの時間に設定したんだった」

「今度はなにアップしたの!?」

「だ、大丈夫っ。顔は隠してるし……」


 僕は即座にスマホを取り出した。


 彼女が投稿したポストには、ショート動画が貼り付けられており、そこにはTシャツに短パンという部屋着姿で、流行りのリズムネタを踊るmim.の——つまりは三手さんの姿が映っていた。


「や、やたっ。めっちゃ反応くる……昼休みの時間を狙って正解ぃ……」

「三手さん……!」


 たしかに顔は加工されて隠れているが、そういう問題ではない。

 僕が叱ると、三手さんはしぼんだ風船のようにしおれた。


 僕だって、べつに意地悪をしたいわけじゃない。

 実は、これが僕のだからだ。

 

 僕の両親は音楽業界で働いていて、仕事上、彼女の所属する事務所と深いつながりがあった。それがきっかけで、僕は偶然、彼女の正体を知ることになってしまった。

 だが事はそれだけには留まらず、彼女の事務所のマネージャーから、ある大変な依頼を受けることになった。

 

 それは、三手さんが高校を卒業するまで、彼女の正体がmim.であると身バレしないように、傍で彼女の行動を監視することだ。

 彼女の承認欲求の強さと、迂闊な行動や投稿の数々には、マネージャーの人もかなり危惧しているようで、何度も注意したが抑えられず苦労しているとのことだった。

 そんなとき、彼女の正体を知っていて、かつ同じ学校に通うクラスメイトで、自然と毎日彼女の近くにいる僕に、白羽の矢が立ったのだった。


 だが、これはミッション・インポッシブルだ。

 なんなら高校卒業の日はおろか、明日にでも正体がバレるのではないかと僕は日々、戦々恐々としている。


 とにかくそういう事情で、僕には彼女が迂闊なことをしないように見張る責任があるのだった。

 

 ―—と、そんなとき。


「ねえねえ、ちょっといい? あとで三手さんに聞きたいことがあるんだけど……」


 突然、クラスメイトの女子のひとりが、僕たちを見かけて話しかけてきたのだ。

 おそるおそる、といったその口調に、思わずぎょっとした。

 ひょっとして、ついに三手さんの正体が……?


 立ち去るクラスメイトを呆然と見送った後、僕たちはすぐに顔を見合わせた。


「や、やばくない三手さん……? とりあえず、一旦なんとか誤魔化して―—」


 だが僕が話しかけた瞬間には、三手さんはスマホを高速で操作していた。

 直後、ピロンと通知音。

 

 <やだ嘘!? なんかクラスメイトの子が意味深な感じで

  聞きたいことがあるとか話しかけてきたんだけど!

  バレた!? ついにバレちゃった!? どうしよう~!>


「めちゃくちゃ嬉しそうな投稿……!! っていうか打つの早すぎない!?」

「か、数少ない特技なのでぇ……」

 

 三手さんは緊張感のない笑顔を浮かべた。

 その危機感のなさに、僕は呆れることしかできない。


 数分後——


 さきほどのクラスメイトの女子と話してきた三手さんが戻ってきた。


「で、ど、どうだった……?」

 僕は緊張しながら声をかけた。

 すると、なぜか三手さんはひどく落ち込んだ様子で、


「ちがった……授業の提出物、わたしだけ出してないから出してって言われただけ……」

「め、めちゃくちゃがっかりしてるじゃん……。でも、とりあえずよかったよ」


 ひとまずほっとする。

 だが、三手さんはちがっていた。

 なぜか、わなわなと拳を震わせていた。

 影のある顔つきは投げやりで、破滅願望があるようにさえ見えた。


「きょ、教室で私が突然歌い出したら、どうなるかな……。

 『なにこの歌声!? あれ、どこかで聞いたことがあるような……はっ、ひょっとして……あなたがあの!?』とかなっちゃったりして……ふふ、ふふふっ……」

「暗黒めいた笑顔でそういうこと言うのはやめよう!?」


 三手さんはゾクゾクとした様子で、ぶつぶつと独り言を呟いていた。

 僕はちょっと怖くなる。

 

「三手さん、マジでやらないよね? そんな大人げないこと……」

「え? も、もちろん……たぶん……」


 三手さんはひきつった笑顔で曖昧に否定した。

 だが、やりかねない。承認欲求の強い三手さんのことだ。

 たぶん、毎日毎分ごとに、彼女はそんな妄想をしているのだろう。


「っていうかさ、三手さん……mim.は、ちゃんと世間ではめちゃくちゃ評価されてるじゃん。わざわざ身近な人に直接褒められなくても、よくない?」


 僕はふと、前から気になっていたことを口にした。

 すると三手さんは、


「……わたし、高校を卒業したら、本格的に音楽活動に専念すると思う」

「え? ああ、そうなんだ」

「でもそうしたら、周りにはほとんど仕事でかかわる人しかいなくなるでしょ。だから、こんな風に身バレを気にできるのも今だけかも……。だからなんていうか……勿体ないかなって……」

「ごめん、全然わからない感情だ……」


 僕が内心引いていると、三手さんがおもむろに窓ガラスに近寄った。

 そこに映る自分の顔——あるいはmim.の顔を見つめる。


「……ときどき、苦しくなるんだ。mim.であるわたしも、三手求芽っていう高校生のわたしも、どっちも本当のわたし。でも、自分しか、本当のわたしを知らないみたいな気がして……だから、知ってほしいのかも……しれない」

 

 消え入るように呟くと、彼女はそのまま俯いてしまった。


「三手さん……」


 前髪で隠れた彼女の表情は見えない。

 ひょっとしたら、その目には涙が浮かんでいるのかもしれなかった。

 正真正銘の一般人である僕に、彼女の苦労や悩みはわからない。

 

「……一応、僕は知ってる」

「え?」


 一般人の僕に言えるのは、この程度のことだ。


「歌手としてのmim.も、クラスメイトとしての三手さんも、それが同じ子なんだって僕が知ってる。もちろん、それだけじゃ足りないかもしれないけど……」

「真守くん……」


 顔を上げて、三手さんが僕の名前を呟いた。

 その目はうっすらと濡れていたけれど、どうにか涙が頬を伝うことはなかった。

 僕にできるのは、結局のところ、この程度のことなのかもしれなかった。



 ピロン、と通知音がした。



 なんだか……激しく嫌な予感がした。

 僕は無言でスマホを取り出す。

 すると案の定、mim.の最新のポストが投稿されていた。


 <クラスメイトの男の子が真剣に私の相談に乗ってくれてる……

  ひょっとして私のこと好きなのかな?

  こういう経験あるひと、返信で教えて!>


 その瞬間、僕の全身からは暗いオーラがたちのぼったに違いない。

 それに気づいた三手さんは、ひっと、小さく喉を鳴らした。


「……三・手・さ・ん」

「ご、ごめんなさいぃ……」


 こんなことをしていたら、身バレするのも時間の問題かもしれない。

 彼女をどこまで制止できるか、僕にもわからない。

 

 超有名覆面JK歌手の三手さんは、今日も今日とて承認欲求が強すぎるのだから。



 [了]

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