悪魔の遺したもの

「もうひとつだけ、教えてください。あなたは、これからどうするんですか?」




 この問いに対し、ペドロの出した答えはシンプルなものだった。


「いつもの生活に戻る」


「この村は……この島は、どうなるんですか?」


「後のことは、君に任せるよ。たまに顔を出すつもりではいる。しかし、俺もいつ死んでもおかしくないからね。一年以上顔を出さなかったら、死んだと思ってくれたまえ」


 いつ死んでもおかしくない──

 ペドロは、そんな世界に生きているのだろう。それはわかっている。

 だが、この男を死なせたくない。


「違う生き方をしたくないんですか?」


 昭夫の問いに、ペドロの表情が僅かに変化した。面白いことを言うね、とでもいいたげだ。しかし、昭夫は構わず続けた。


「あなたは、間違いなく天才であり超人です。僕のような凡人には、及びもつかないほどの……あなたの持つ能力ちからを、苦しんでいる人々を救うために使ってはいただけないのですか?」


「悪いが、そんな気はないな。俺は、元の世界に戻る。俺の住む世界は、ここではないからね」


 事もなげに答えるペドロを見て、昭夫は思わず奥歯を噛み締めていた。


「あなたは、ずっとその世界に居続けるつもりなんですか?」


「そのつもりだよ。こちら側は、刺激がなさすぎるからね。そろそろ失礼するよ。これから、やることがあるのでね」


 言った後、ペドロはポケットに手を入れる。中から何かを取りだし、昭夫に差し出した。

 USBメモリーだった。


「さあ、約束だよ。受け取ってくれ」

 

「これは……何ですか?」


 訝しげな表情の昭夫だったが、次の瞬間に愕然となる──


「岡田結菜さんを拉致し、七年に渡って監禁した人物のデータが全て入っている。かつて若かりし日の雄一氏に、目の前で実の母親をレイプされたことが動機らしい。ちなみに、その人物の父親はギャンブル好きで、あちこちに多額の借金をしていたとのことだ。そのため、岡田雄一氏らの手によってマグロ船に乗せられた。挙げ句、船上にて死亡した」


 もはや耐えられなかった。昭夫は、その場に倒れ込む。床に両手を着き、呆然とした表情で呟く。


「そ、そんな……」


 何ということだろう。あの雄一が、そんなことをしたのか──

 ペドロはといえば、笑みを浮かべつつ語り続ける。


「雄一氏の名誉のために言わせてもらうが、彼はやりたくてやったわけではない。いわゆる兄貴分なる男に命令されたのだ。ヤクザという人種は、見せしめと称してそういうことをするのさ。ちなみに、その兄貴分がどうなったか……それは、あえて語らないでおこう。ひとつだけ言えるのは、彼は今も生きている。ただし、もはやひとりで生活することは出来ない。たいていの人が目を背けるような姿になりながら、かろうじて生きながらえている」


 言った後、ペドロは近づいてきた。しゃがみ込むと、昭夫の手にUSBメモリーを握らせる。


「このデータをどうするか、それは君に任せる。雄一氏に教えたが最後、彼は日本に行くだろう。そして、犯人を恐ろしい目に遭わせるだろうね。果たして何をするか、個人的には非常に興味があるよ。どのようなことをするのだろうね」


 囁くような声だった。顔には、楽しくてたまらないという表情が浮かんでいる。

 昭夫は顔を上げた。何も言いたくない。喋ることすら辛い。でも、言わずにはいられなかった。


「恐ろしいことを言わないでください……」


 呻くような声だった。ペドロの方は、にこやかな表情で話を続ける。


「俺はね、君がこのデータをどう扱うかにも興味がある。結菜さんの人生を目茶苦茶にした男に罰を与えるため、雄一さんに報告するか。雄一さんを罪人にしないため、このデータを胸にしまっておくか。いずれにしても、君は間接的に罪を犯すことになるわけだね」


 何を言っているのだろう。昭夫は唖然となった。


「つ、罪って……どういうことですか?」


「もし君が、このデータを雄一さんに渡したとしよう。さっきも言ったように、雄一さんは犯人をひどい目に遭わせるだろう。死なせるか、あるいは死ぬよりも恐ろしい状態へと、ね。その行為は、紛れもない悪であり罪でもある。さて、ここで問題だ。雄一さんに罪を犯させたのは誰だろうね?」


 答えるまでもない。昭夫は、わなわなと震えていた。

 

(俺は、最低の人間だったんだよ。いや、人間とさえ呼べないようなものだった。本当なら、死刑にされても文句は言えねえんだ)


(あんたの手に余るような化け物が来てるなら、ふたりがかりで殺すしかねえだろ)


 以前に聞いた雄一の発言が蘇る。かつての顔の片鱗が見えた瞬間だ。あの男は、やられたらやり返す。おそらく犯人を殺すだろう。

 いや、もっとひどい目に遭わせるかもしれない──


 ならば、絶対に渡せない……昭夫が、そう言おうとした時だった。


「もし君が、データを渡さなかったとしよう。その場合、犯人は何の罰も受けずのうのうと生きていくわけだ。君は、罪を犯した人間を見逃すことになる。しかも、その罪人の被害者を間近に見ながら、ね。君は共犯者になるわけだ」


「どういう意味ですか?」


「ある人間が、大罪を犯したことを知りながら何も手を打たず見逃す。結果、その人間が罪に問われなくなった……これは、共犯といっても間違いではないと思うよ。犯人の逃亡を手助けしたのと、同じ行為ではないのかな」


「そ、そんな……」


「君がそれをどう扱うかにも、非常に興味がある。苦しんでいる人々を救うより、そちらの方が面白いね」


 そう言い残し、ペドロは去っていった。




 ようやく昭夫は理解した。

 あの男は、断じて聖人などではない。超人などという都合のいい存在でもない。


(悪魔というものが実際に存在せず、人間の想像の産物であるのなら、悪魔は人間そっくりの姿をしているに違いない)


 何かの本に書かれていたセリフだ。本の内容自体は覚えていないが、その部分だけは鮮明に覚えている。

 ペドロは、紛れもなく悪魔なのだ。そう、並の犯罪者とは全く違うレベルの存在である。御手洗村の住人を救ったのも、結局は己が定めた契約のためだった。

 そして今、ひとりの凡人を闇の世界に堕とした──




 昭夫は立ち上がった。

 このまま座り込んでいるわけにはいかない。こうなった以上、どちらかを選択しなくてはならないのだ。ならば、自分なりに正しいと思うことをする。

 USBメモリーを手に、ゆっくりと歩き出す。向かう先は、岡田たちの住む家だった。


 ・・・


 アメリカのカリフォルニア州ロサンゼルスの一角に、大きな日本人街がある。リトルトーキョーと呼ばれ、現地の日系アメリカ人が多く住んでいた。治安はいいが、すぐ近くにはスキッドロウという地域がある。ホームレスが多く住んでおり、犯罪発生率も高い。アメリカでも屈指の危険地帯なのだ。

 桐山譲治は今、そのスキッドロウにいた──


 桐山は、廃墟と化した建物の中で突っ立っていた。かつては何かの工場だったのだろうか。様々な機械の残骸が、哀れな骸を晒している。ただし、中は広い。大きな体育館ほどあるだろう。

 そんな廃墟の中心に、桐山は立っていた。彼の周囲を、東洋系の若者たちが囲んでいる。全部で二十人以上はいるだろう。時おり、英語の罵声が飛んで来ている。

 そして、桐山の目の前には小山のごとき体格の大男が立っていた。これまた東洋系ではあるが、並の欧米人より確実に大きい。身長は二メートルを超えているだろう。タンクトップを着た姿はたくましく、二の腕は桐山のウエストより太いかもしれない。ドレッドヘアに髭面で、桐山を見下ろす目は冷えきっていた。

 一方、桐山はリラックスしきっていた。サイズの大きなTシャツにカーゴパンツ姿で、大男をじっと見上げていた。両腕をだらんと下げ、自然体で突っ立っている。

 不意に、囲んでいる若者のひとりが何か叫んだ。彼はスキンヘッドで、革のジャケットを着ており頭には梵字のタトゥーが入っている。すると、全員が一斉に黙り込んだ。どうやら、この若者がリーダー格らしい。

 直後、リーダー格が空に向け拳銃を撃つ──

 それが合図だったかのように、大男が動いた。巨体に似合わぬ素早い動きで、一気に間合いを詰めていく。

 直後、左のジャブが放たれた。岩のように厳つい拳が、桐山めがけ真っすぐ飛んでくる。

 次の瞬間、誰も予想していなかったことが起きる。桐山は、伸びてきた腕に飛びついたのだ。

 しかも、それでは終わらなかった。太い腕をロープ代わりに、一瞬にして巨体をよじ登ったのだ。曲芸のように、肩の上に立った。

 直後、両手を挙げ天を仰ぐ。神に感謝する聖者のような格好だ。

 取り囲んでいた若者たちは、その不思議な光景に我を忘れ魅入っていた。一方、大男の表情は一変した。腕を振り上げ、桐山を叩き落とそうとする。

 だが、振るわれた手は空を切った。桐山はひょいと飛び上がり、簡単に躱したのだ。と、その表情が変わる。


「んじゃ、そろそろ終わらせるのんな」


 言った直後、彼の両脚が大男の太い首に巻き付く。そのまま一気に絞め上げた──

 大男はもがいたが、それは一瞬だった。首の動脈を絞められ、すぐに意識を刈り取られる。

 次の瞬間、どうと倒れた。

 

 一瞬、場内はしんと静まりかえっていた。だが、すぐに歓声があがる。日系人のギャングたちは、桐山という男の圧倒的な強さを認めたのだ。

 そんな中、桐山は悠々と引き上げていく。入れ替わるように前に出てきたのは、これまた日本人の少年だった。廃墟に似つかわしくないスーツ姿で、どこか知性を感じさせる顔つきだ。リーダー格の若者に近づき、流暢な英語で話しかける。

 しばらく英語のやり取りがあった後、日本人の少年は拳を突き出す。リーダー格もニヤリと笑い、拳を当てた。いわゆるグータッチである。どうやら、話し合いは上手くいったらしい。

 日本人は、そのまま桐山の方に歩いていく。すると、桐山は口を開いた。


「で、どうなのさ?」


「交渉は成立だ。これからは、彼らが取り引き相手だ」


 満足げな表情で答えた少年は、三村大翔ミムラ ハルトだ。若いが、日本の裏社会でも知られた存在である。桐山の相棒のような存在でもあった。


「んでよう、ペドロ博士のことはどぅーなのさ? 奴らは知ってたんかい?」


 桐山の問いに、三村はかぶりを振った。


「聞いてはみたが、そんな奴知らないってさ。なあ、本当にそんな化け物がいたのか? ちょっと信じられないよ」


「いたんよ。ここにいる連中を、素手で三分以内に全滅させてカップラーメン食べるような奴だにゃ。ジェイソンもフレディもレザーフェイスも、裸足どころか全裸でダッシュして逃げ出すバケモンなのん」


 言ったかと思うと、その表情は一変する。


「待ってんしゃい、博士。必ず見つけるにゃ。俺が、あんたの人生の幕を下ろすのんな」


 口調はふざけていたが、その目には異様な光が宿っていた。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悪魔との取り引き 板倉恭司 @bakabond

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ