第16話 お屋敷紹介 中編

「ででーん! ここが天ヶ崎邸の図書室よ!」


 エリスが勢いよく扉を開いた瞬間、私は目の前に広がる光景に圧倒された。


 天井まで届く巨大な書棚が、壁一面にそびえ立つ。

 分厚い革表紙の本がぎっしりと並び、どこか歴史を感じさせる重厚な空間。

 床にはふかふかのカーペットが敷かれ、長机とソファがいくつも配置されている。


「……なんかもう、一般の図書室ってレベルじゃ……」


「でしょ!? 屋敷に、こんな立派な図書室があるなんて、普通思わないわよね!」


 エリスが得意げに腕を組む。


「天ヶ崎家の蔵書はね、ただの本じゃないの。歴史書、哲学書、経済学、魔法理論書はもちろんのこと、一般には流通していない貴族の記録や、秘伝の書まで揃ってるのよ!」


「そんなものまで?」


「そうそう! 詩音様もよくここを利用されるのよ。特に歴史や哲学の本を好まれているみたい」


「へぇ……詩音さんが、読書家だとは意外です」


 私は書棚を見回しながら頷く。

 まるで貴族の書庫のような重厚な空間。

 並べられている本のタイトルも、どれも見たことのないものばかりだ。


《エージェント総士、ネットで検索しても情報がない書籍が多く確認されました。この場での記録を推奨》


(……え、そんなレベル?)


《本のタイトル、著者、出版年のデータが通常の検索アルゴリズムにヒットしません。これは極めて貴重な情報源である可能性があります》


(いや、天ヶ崎家の書庫なんだから、それくらいはあるんだろうけど……)


 私は本棚を眺めながら、そっと手を伸ばす。

 一冊の革表紙の本を手に取ってみると、

タイトルは『生体実験による魔法の調査 初版』。

 しかし、著者名が記載されておらず、出版社の情報もない。


「エリス、この本……誰が書いたんですか?」


「あー、それ? 記録に残らない人がまとめた書物じゃない?」


「記録に残らない……?」


「こういう上流社会のなかには、あえて名前を伏せて記録を残す人もいるのよ。特に、実験や軍事に関する文献はね」


「……それ、現代の情報管理的にどうなんです?」


「そういう世界なのよ、この社会は」


「……奥が深いですね」


《エージェント総士、この書庫の情報は長期的な監視対象とする価値があります》


(いや、オラクルが食いつくレベルなのかよ……)


 私は深くため息をつき、再び本を棚に戻す。


「まぁまぁ、他にも面白い本はたくさんあるわよ! あっ、ミレーヌが紹介したがってるし、そっち行ってみなよ!」


「えっ?」


 気がつくと、ミレーヌがじっとこちらを見つめていた。

 目が、輝いている。


 ミレーヌは無言のまま、静かに図書館の空気を吸い込む。

 そして――


「……素晴らしい……」


 その目が、輝き始めた。


 私がミレーヌの横顔を見て何かを言おうとした瞬間、スイッチが入った。


「総華さん!! ぜひ読んでほしい本があります!!」


「え、いや、私、まだ……」


「ついてきてください!!」


「わわっ!?」


 速い!


 普段の落ち着いた雰囲気はどこへやら、ミレーヌは私の手を引いて書棚の間を駆け抜ける。


「総華さん!! この本です!!」


「えっ、どれ!?」


「『貴族の隠語大全 ― 公式文書では読めない言葉の歴史』!!」


「……よりによって、それ!?」


「これはですね!! 貴族社会で使われていた隠された言葉がまとめられているんです!!!」


「な、なんでそんなのが……」


「貴族社会では、正式な文書には残らない表現や、社交界でしか通じないスラングがあるのです!!」


「……え、それ知ってて何か役に立つんです?」


「もちろんです!! 例えば、『上品にお断りします』の隠語が『この場から立ち去れ愚か者』と同義だったり……!!」


「こわっ!!?」


「つまり、この本を読めば、貴族社会の裏側が透けて見えるのです!!」


「いや、そんなものまで記録してるの天ヶ崎家、すごくない?」


「ふふふ、素晴らしいですよね……!!」


 目が、輝いている。


(ミレーヌ、本を見ると本当にオタク化するんだな……)


 ふと、私は図書館の奥にある重厚な扉に目を向けた。


「……あれは?」


「あぁ、あれは禁書庫です」


「禁書庫?」


「簡単に言えば、選ばれた人間しか入れない、天ヶ崎家の超貴重な書庫」


「へぇ……そんなものが」


「歴史的価値のある本や、代々伝わる貴族の秘密書類、果ては魔法理論の原書まで、ありとあらゆる貴重な資料が保管されてるの」


「……つまり、普通の人間は入れない場所ってことですね?」


「えぇ、私もまだ足を踏み入れたことはありません」


 ミレーヌは扉を見つめ、ふっと微笑んだ。


「でも……いつか、必ずあそこに入るつもりです」


「えっ」


 私は言葉を失った。


 普段は冷静なミレーヌが、明確な野心を持っているのが意外だった。


「まぁまぁ、ミレーヌの野望は置いといて、次行こっか!」


エリスが私の手を引っ張る。


「えっ、置いとくの!? すごいこと言ってませんでした!?」


「まぁ、そのうち叶うかもしれないし、叶わないかもしれないし?」


「そんな軽いノリで流していい話!?」


 私はエリスの言葉にツッコミを入れながら、図書館を後にした。



            ◆


「さてさて、次は食堂!」


 エリスが張り切って案内する。


「お腹が空いてるわけじゃないよね?」


「いやいや、ただの案内だからね!」


 私は少し疑いながらも、エリスとミレーヌについていく。

 屋敷の廊下を進み、重厚な扉の前で立ち止まる。


「ここが使用人用の食堂よ!」


 エリスが勢いよく扉を開くと、目の前には広々とした空間が広がっていた。


使用人用の食堂 ― 広く、しかし機能的な空間

 私の目に飛び込んできたのは、意外なほど快適そうなダイニングスペースだった。


 長机がいくつも並び、木製の椅子がきれいに配置されている。

 壁にはシンプルながらも温かみのある装飾が施され、窓からは自然光が差し込んでいた。


(……思っていたより、庶民的な雰囲気ですね)


「ここが私たち使用人用の食堂よ!」


 エリスが得意げに紹介する。


「毎日の食事はここでとるの。シフトによっては時間をずらしたりするけど、基本的に朝昼晩、ここでみんな集まるわ」


「へぇ……」


 私は辺りを見回す。

 既に何人かの使用人たちが昼食の準備をしており、賑やかな声が響いていた。


「こっちはキッチンと直結してて、出来立ての料理がすぐに提供されるのがポイント!」


「なるほど、それはいいですね」


「でもさ、ここの料理もすっごく美味しいんだけど……やっぱり本館の食堂は格が違うのよね」


「本館?」


「あぁ、詩音様たちが食事をする食堂のことね」


 エリスが指をさす方向には、もう一つ別の扉があった。


「そっちは本館の食堂。つまり、お嬢様たちが食事をする専用の空間よ」


「なるほど……使用人用とは完全に分けられているんですね」


「えぇ。大きなテーブルが並ぶ豪華な食堂で、メイドが給仕をするスタイルになってるの」


 想像するだけで、まるで貴族の晩餐会のような風景が思い浮かぶ。


「まぁ、給仕専門の人がいるから総華がそこに行くことは滅多にないと思うけど……たまに給仕として入ることもあるかもね」


「……それはそれで緊張しますね」


「ふふ、まぁ、今のところはこっちの食堂がメインだから、安心して!」


 私は小さく頷いた。


(とりあえず、ここでの食事環境は悪くなさそうだな)


「さて、お次はキッチンね!」


 エリスが食堂の隣にある扉を開く。


 そこには、想像を超えるほど大規模な調理場が広がっていた。


「……なんですかこれ、レストランの厨房レベルじゃないですか」


「まぁ、屋敷の食事をすべて作るんだから、当然よね!」


 キッチンは使用人用と本館用に分かれており、それぞれがまるでプロの厨房のような設備を備えている。

 しかし、広さの割に動いている料理人の数は少なく、手際よく調理を進めていた。


「意外とシェフの人数が少ないですね?」


「それはね、この屋敷の料理人たちは少数精鋭だからよ!」


「ほう……」


「限られた人しかいないのに、この広さのキッチンを回してるんだから、実力は本物よ!」


 確かに、料理人たちは無駄のない動きで、まるで精密な機械のように連携していた。

 まるで戦場のような緊張感すら漂っている。


(すごい……)


 そんな中――


「ふふふ……」


 エリスが冷蔵庫のほうへと静かに歩き出した。


 私は嫌な予感を覚えた。


「エリス……何を考えてるんです?」


「……」


 エリスは冷蔵庫の扉をそっと開ける。


「ちょ、ダメですよ!」


「ふふふ、ちょっとだけよ……」


「何がちょっとだけですか!!」


 エリスは冷蔵庫の奥から小さな箱を取り出した。


「……これは……主人用の高級チョコ!!」


「つまみ食いじゃないですか!!」


「ちょっとくらいならバレないって!!」


「バレるバレるバレる!!!」


 その時だった。


「エリスちゃん、またつまみ食いかー?」


「!!?」


 遠くの調理台から、厨房のシェフのおじさんがニヤニヤしながら声を掛けてきた。


 エリスの手がピタリと止まる。


「ま、ま、またって……そ、そんなことないですよ?」


「ほぉ~、じゃあ今持ってるその箱はなんだい?」


「え……えっと、その……」


 私とミレーヌは無言でエリスを見つめる。


「こ、これは……えっと……見間違い!??」


「いや、それは通らないだろ」


「総華!! ここはフォローしてくれてもいいと思う!!」


「無理!!」


 そのままエリスはシェフに腕を掴まれ、厨房の片付け当番に追加されることが決定した。



「……はぁ、エリス、完全にバレてましたね」


「うぅ……まさかおじさんに即バレするとは……!」


 エリスはしょんぼりしながら、片付け作業を急いで終わらせようと動き回っていた。


 私はふと周りを見渡す。


「……あれ? ミレーヌは?」


「え、確かにいないね……どこ行ったんだろ?」


 先ほどまで一緒にいたミレーヌの姿が見当たらない。

 私は少し不思議に思いながら、食堂の奥へ歩いていく。


 すると――


「…………」


 食堂の隅のテーブルで、ミレーヌが静かに座っていた。

 そして、彼女は優雅に紅茶を飲みながら、軽食を楽しんでいた。


「……え?」


 私は一瞬、自分の目を疑った。


「ミレーヌ?」


「……あ、総華さん」


 ミレーヌは紅茶を優雅に口に運び、何事もなかったように微笑んだ。


「お疲れ様です」


「いやいやいや!! なんで普通にお茶してるんですか!? ついさっきまでキッチンにいましたよね!?」


「ええ、終わったので、先に休憩していました」


「何が終わったんですか!? エリスと一緒にいましたよね!?」


「いえ、私は捕まっていませんので」


「いや、そうだけど!!」


 私は思わず頭を抱えた。


(どういうこと……!? なんでミレーヌだけ、自然に休憩モードに入ってるの!?)


 その時だった。


「くぅ~! なんとか片付け終わった! これでやっと……」


 エリスの視線が、食堂の奥に座るミレーヌへと向かう。


「……」


「……」


 紅茶を優雅に飲むミレーヌ。


 片付けを終えて疲労困憊のエリス。


 数秒の沈黙の後――


「ミレーヌずるい!! なんであんただけのんびりティータイムしてるの!?」


「……私は捕まっていませんので」


「それもう聞いた!! なんで!? なんで私だけ苦労してるの!?!? ねぇ、総華!! 何この理不尽!!」


「私に言われても!!」


 私は再び頭を抱えながら、ミレーヌの落ち着いた表情を見つめる。


「……ちなみに、何を食べてるんです?」


「あぁ、キッチンで出してくれたサンドイッチです。ちょうどいいタイミングだったので」


「いやいや、何その奇跡のようなタイミング……」


「たまには運がいいこともあります」


「私にとっては運が悪い!!!」


 エリスは悔しそうに床に転がりながら、ミレーヌを指さす。


「こうなったら、私も!! サンドイッチ!! 食べる!!」


「いや、もう次に行きますよ!!」


「ええぇぇ~~~!!!」


 私はエリスの襟元を引っ張りながら、次の場所へと向かうことにした。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る