1月29日PM 池袋
「部長の直感が当たっているかもしれませんね」
天粕が平山紬に関する書類を見せながら声をかけてきた。平山の出身地は栃木県那須塩原市。
「その後、調査中だった17名のうち、4名は居所が掴め、5名は死亡していることがわかりました。依然行方不明の残り8名のうち、栃木県に関係がありそうなのは、この平山紬だけです」
平山の経歴を改めて確認する。父親は地元で複数の飲食店を展開する経営者。宇都宮の高校に入学が決まったタイミングで親戚を頼って家を出た。阿蔵と同じ東京の
書類には新聞記事のコピーが添付されていた。
“4月30日未明、栃木県那須塩原市で住宅1棟が全焼する火事があり、焼け跡から2人の遺体が見つかりました。この家に住む60代の夫婦と連絡が取れておらず、警察が身元の確認を進めています。
30日午前3時50分過ぎ、那須塩原市美原町の住宅から「炎と煙が見える」と119番通報がありました。
火は約2時間半後に消し止められましたが、木造二階建ての住宅が全焼し焼け跡から2人の遺体が発見されました。
警察によりますとこの家には男性(66)と女性(65)の夫婦で住んでいて、火事のあと連絡が取れていないということです。”
更に、喪主に平山紬と書かれた新聞のお悔やみ欄。この葬式の後、平山の足取りの一切がわかっていない。
会議を始めようかという時、内線が鳴った。番号を見ると日本本部の玄関からだ。EOCにいた者の表情が強張る。私は事前に気配を感じていたので驚くことはない。榊も気づいていた様子で慌てる様子はなかった。
香椎が内線に出る。
「もしもし」
一瞬の間。香椎の背が伸びる。表情が無くなっている。
「はい……。勿論です。すぐに開錠します」
香椎は手元のパソコンを操作し、6階のドアを開錠した。皆を見ながら、ポツリと言う。
「
侑子と天粕の表情が消えた。御手洗と要は緊張に飲まれてはいるが、本当の意味では状況がわかってはいない。白鹿と鳥居は私と同じく気配を感じ取っているのだろう。焦ってはいないが、緊張の面持ちで沈黙している。
しばしの後、EOCに入ってきたのは身の丈2メートルを超える偉丈夫だった。織のしっかりした重厚感のあるブリティッシュスタイルのスーツに身を包み、サングラスをかけた男。立っているだけで周囲を圧倒する身体。傍にいる人間を呑みこんでしまうかのような妖気。マダムNに直接噛まれた栄誉ある側近。ドクターと同じ時代を生きた800年越えの
「奥様からの伝言を伝える」
鎮西は持っていた書類と封筒を侑子に手渡し、前置きなしに話し始める。
「那須の件について、奥様は大変に心苦しい思いをされている。3日待つ。諸君らで解決したまえ」
「3日とは…… いくら何でも早すぎます」
天粕の答えを聞くと、鎮西はサングラスを外し、天粕を見つめる。射貫くような紅の視線。
「君は何か誤解しているようだ。今回の件、私が今から行けばすぐに解決する。君達に任せて時を待つのは、
天粕はさすがに動揺を隠せていない。侑子も香椎も言葉が出ないようだ。
「ここに那須の件について我々が持っている情報が書いてある。参考になるだろう」
「お待ちください。状況は承知しました。ですが、
侑子が取り繕うように言うが、鎮西に一蹴される。
「状況と言ったかね。君達は状況を何もわかっていない」
鎮西は淡々と続ける。
「奥様の重要な
皆、表情を失い、頷いている。
「その吸血鬼が、
「なぜ教えてくれなかったのですか」
天粕の声も虚しく響く。
「君達から聞かれなかった。我々は君たちの配下ではない」
「しかし、マダムの領地を……」
「奥様は奥ゆかしいのだ」
天粕は黙り込む。
「では、奥様から
侑子が発した言葉は、鎮西の発する怒気に触れて霧消した。
「よく聞け。人間。奥様は誰にも属さない。奥様は誰からの命令にも従わない。奥様は、奥様が考え、奥様が決めた通りになされる。君たちは奥様の何なのだ」
鎮西は侑子、天粕、香椎と順番に見ながら話を続ける。
「私は奥様がお困りになっている姿を見たくない。そのようなお姿は全く望んでいないのだ。わかるかね。人間たち」
侑子たちが無言で頷く。
「よろしい。では、励みたまえ」
鎮西は皆の反応には興味を持たずEOCを出ようとするが、振り返って言う。
「代理人。そしてその娘よ。話がある。来たまえ」
鎮西の言葉を聞き、私は榊を伴ってEOCを出る。三人は無言のまま6階に移動し、合わせ鏡の前で止まった。鎮西と榊の姿が鏡に映り、無限に続いていく。
「先ほどの無礼、何卒ご容赦ください」
鎮西が頭を下げる。
「気にしていない。先日の大宮の件か。
「はい。仰る通りです」
鎮西は畏まって話し続ける。
「先日の件、奥様が仰るには、最近、
「そうだな。最近の挙動はさすがにな……」
「部長の立場をご心配されていました。禮子さんのこともです」
鎮西は榊に視線を移す。
「何かあればすぐ頼るようにとのことでした。部長は悩むだろうからと」
私は思わず口を挟む。
「それは余計なお世話だと伝えてくれ。私は血族と人間のどちらにも肩入れする気はない」
「僭越ですがそれは違います。大きな事件を経るにつれて、どんどん人間に振り回されているように見えると奥様が仰ってられました。私も同感です」
私は黙った。中立であろうとしていたつもりだったが、そうではないようだ。傍らの榊を見ると、その通りですと言わんばかりの表情。私は榊から視線を外す。
「それに、
「その件は本当にすまなかった。玉恵に詫びを伝えてくれ」
何かあるとは思っていたが、那須野を経由してくるとは老人たちも嫌がらせの仕方を熟知している。あるいはジョバンニからの入れ知恵か。
「恐れながら、たまには顔を出していただけませんか。奥様も寂しがっていらっしゃいます」
「それは玉恵の思いか、それとも君の考えか」
鎮西はしばし無言となり、私から視線を外してサングラスをかけた。正直な男だ。
「浅はかでした。ご容赦ください」
私は手を振って答える。
「作戦の詳細が決まり次第連絡する」
「わかりました」
私は一瞬の躊躇の後、去り行く鎮西の背に声をかける。
「今でも思いは変わらないと玉恵に伝えてくれ」
「承知いたしました。確かに」
振り返った鎮西は一礼し、帰って行った。
阿蔵の行先がわかった時点でこちらから話を聞きに行くつもりだったが、先手を打たれた形だ。マダムN、現在は
理由が無くては会えない間柄ではないが、いざとなると足が遠ざかる。仕事と違って感情を整理するのが得意ではない。おそらく表情に出てしまったのだろう。私を見る榊の視線は複雑な色を帯びていた。
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