315年 月日および場所不明

 自分の身体が動かなくなり深い眠りについた後、目が覚めると漆黒の闇の中であった。自分が膝を折った姿でかめに閉じ込められていることを認識するまでに暫しの時が要った。

 目が闇に慣れると、気持ちに少し余裕ができ、自身が埋葬されたことを察した。だが、なぜ目が覚めるのだろう。死んだ後の世界は甕の中から始まるのだろうか。


 自分の身体が動くのかどうかをゆっくりと確認する。身体中が強張っており、なかなか思い通りにはいかない。指が動き始めた。手を握る、開く。腕を動かしてみる。足も動かしたいが、膝を伸ばせるほどの広さがない。


 その時、強烈に襲ってきた喉の渇き。日々のいとなみに従事した後に腹が減った、喉が渇いたといった程度のものではない。身体全体が何かを欲して声のない悲鳴を上げる。

 真っ暗だったはずの空間が良く見えるようになった。まるで昼のように明るい。やはり甕棺の中だ。

 自分自身がこれまで携わったはふりの儀式を思い出す。思考が乱れる。考えがまとまらない。身体中から突き上げてくる衝動。皆で穴を掘り、棺を納め、土をかける。此処は土中だ。出られない。喉が渇く。欲しい。欲しい。誰か。誰でもいい。よこせ。血を。血をよこせ。欲しい。欲しい。欲しい。血を―――。


 自分の考えが乱れれば乱れるほど、自身の身体から力が湧いてくる。此処から出なければ。右腕を上に突き上げると容易に甕が割れた。開いた穴から土がぼろぼろと落ちてくる。左手も使い、甕を割り、土をかき分ける。視界がぼやけてくる。紅い。闇の中のはずなのに目の前が紅くなっていく。陽が沈む前の空。流れる血。身体に流れる紅い―――。


 伸ばした右手が空を掴む。左手で土を更に押しのける。外の空気。湿った感触で夜気だと感じ取った。大きく息を吸い込む。おかしい。

 上半身が外に出る。力を込めて身体を引きずり出した。満天の星空の下、私は奥都城おくつきから生まれた。衝動が薄らぎ、乱れていた考えがまとまる。

 自分の身体を見る。動かなくなる前とは違い、腕や足が太い。醜く浮き出ていた胸や腹の骨は見えない。髪のこわさも以前のものだ。

 不可思議なことだが自分が自分であることを確認し、ほっとしたところ、あの衝動が改めて、そしてより強く湧き上がってきた。渇き。血。紅い。飲みたい。欲しい。止めらない衝動に飲まれ、意識が遠ざかる。また、闇か。


 目が覚めると、天井が見えた。身体を起こすと、そこら中に嗅いだことのないほどの血の匂いが充満しているのがわかる。自分の身体を見ると、血だらけとなっており、ほとんど乾き始めていた。口の周りや髪にも血がついており、ごわごわした感触が不快だった。


 私はそうしてむらをひとつ、ふたつと飲み干しながら夜の地を進んだ。陽にあたるのが怖かったからである。自分が成ってしまったモノを知りたくなかったからである。

 随分と歩いた。幾度となく昼と夜を繰り返し、いつしか私は昼の陽を恐れないようになった。私は衝動に突き動かされて人を飲み尽くすことがなくなった。私は老いず、傷ついても死なず、弱ることなく生きていた。死ぬ前よりも長く、とても長く生きていた。

 そしてある時、大きな邑に行きついた。


 外濠には土塁。そして柵が張り巡らされ、逆茂木さかもぎ乱杭らんぐいなどが建ち並んでいた。流れ者は容易には中に入れてはもらえない。

 私は諦めて北に向かうと大水おほみに出た。水門みなとがあり、そこの者達からは歓迎された。最近、仕事が増えて人手が足りないらしい。私はそこで雑用に従事しながら時を過ごしていた。


 私は自分自身を隠すことが上手になった。そして渇きを癒すことにも。自分自身がわからなくなるほどの渇きを感じる前に少しだけ噛ませてもらう。水門みなとで働く者も漁に出る者も屈強な者達ばかりだ。おのこめのこも少しばかり血をもらっても元気に働いている。


 ある日の夜。私の住まいを訪ねてくる者があった。

「ごきげんよう。君に会いに来たのだ。入れてくれるかね」

 その者は見たこともないような衣を纏っていた。腕も脚も隠れており、足は黒く指が無かった。何かを履いているのか。身体にぴったりと合った黒い衣など見たことがない。それに衣を何枚か重ねて着ているようだ。外は黒いが、内は白い。その男の顔には刺青が無く、見たこともない筒のようなものを頭に被っていた。異相である。

 そして男の発する言葉。聞いたことがない言葉、聞いたことのない音。だが、なぜか意味がわかる。

「我らが血族。そして最も古き者の一人よ。君も会ったのかね。あの男に」

 急に何を言い出すのだこの男は。困惑していると、唐突に頭の中に何かの情景が見えた。真っ黒い日天。何処までも続ているように見える陸。闇の中なのにひどく明るい。まったくの無音にも関わらず轟いている咆哮に振り返ると、空に聳え立つ三本足の巨大な何か。捻じれた脚がひどく歪んだ身体を支えており、縄をより合わせたような尖った頭が天を衝く。顔のない男がやってくる。その男は、今私を訪ねてきた男と同じような服を着ていることに気が付いた。

「そう。それだ。やはり君に会えて良かった。不毛の大地の風景ヴィジョンを持つ者は少ない」

 男の顔を見る。この男には顔はある。

「その顔のない男が配り歩いている力。サイコロを振って気まぐれにかけている呪い。私はそれに抗おうというわけだ」

 彼に促され住まいから出る。月明りの強い夜だ。

「私は何処にでもいるが、何処にもいない。私は全てであるが、私はなにものでもない」

 男はそう言うと胸のあたりから何か丸いものを取り出した。月の光で鈍く光っている。鉄や銅のようだが、もっと綺麗な何かだ。紐のようなものが衣に繋がっている。

「思いの外、時間が無いようだ。また会おう」

 男は丸いものを見て、言いたいことだけを言うと霧のように消えていった。私は独り月明りに照らされていた。

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