1月13日 池袋
およそ4時間の往復の後、私は池袋駅に降り立つ。西口から地上に出ると、すでに日が落ちていた。冷えた空気、風が強い。
首元をマフラーで覆い、外套の襟を掻き抱く。自然と足早になっていく。
道を行くと、老若男女、性別も歳もよくわからない人々。様々な土地の生まれと思われる者達とすれ違う。何処からか来て、そして何処かへ行く者。何処からか来て、此処で生きる者。此処から何処かへ行く者。夜も昼も問わず、駅にも街にも人は溢れている。
池袋の懐は広くて深い。様々な出自。様々な職に就く者達。性別も年齢も国籍も言語も信仰も主義も主張もまとめて飲み込み、そして吐き出し続ける。
北に向かって線路沿いにしばらく進み、落ち着いた商店街に入る。
道に放置されたゴミの横を走り抜ける丸々と太ったネズミ。スマートフォンの画面に注目しすぎてふらふらと歩く若者。スーツケースをがらがらと引く外国人観光客の集団。ラブホテルの方に道を折れていくよそよそしい中年男と少女。酔って大きな声で話している老人たち。
昔ながらの魚屋の前を通ると店主から声がかかる。私は手を挙げてこたえ、道を進む。
商店街が終わろうかという手前で左に曲がり、古臭くはないが新しくもなく、何が入居しているかを表す突出し看板やプレートのようなものが一切ついていない6階建ての前に立つ。目に入った次の瞬間には忘れてしまうような個性のない外観。一階には営業中の喫茶店。そして、入口にシャッターが下りている店舗がある。
入居者用の玄関に向かい、ドアを開けて奥に進む。エレベーター前の灯りは心細い。ボタンを押すと、ほどなくドアが開く。
ビルの外観からは想像できないほど近代的な箱に入り、懐からカードを出してパネルに押し付けた後、「6」のボタンを押す。一瞬の間。緩やかな上昇。微かな鳴動を足で感じ取る。
エレベーターの扉が開くと、
エレベーターで使ったカードをドアノブにあるセンサーに近づける。微かな電子音の後、鈍い機械音が聞こえた。開錠の音だ。
ドアを開けると、天井まで届こうかという大きな鏡が二面、入室した者がちょうど間を通るように合わせ鏡に設置してある。その先にはドアの類が全くない廊下がフロアを貫通するように真っ直ぐ伸びており、突き当りは床から天井までの全面ガラス。外は暗いが、廊下には煌々とした照明。
アイボリーの空間を進んでいると、進んでいる先に白と黒の塊が音もなく現れる。詳細は伺い知れないが、人の肩にも並ぼうかという体高の二頭の獣。その白と黒の塊が廊下を疾走し、私に飛び掛かってくる。
「ただいま。ジェヴ。ハヤ」
前の両足で私の肩を押さえつけべろべろと顔を舐めようとする黒い獣と足元に纏わりつく白い獣を撫でまわし、落ち着かせる。二頭とも立ち上がると私よりも大きい。純白のハヤ、そして黒一色のジェヴ。二頭とも瞳は紅く、歯は磨きぬいたかのような白。
獣たちが落ち着きを取り戻す。すると、二頭の体がみるみると小さくなり、大型犬程度の大きさに収まった。双方とも私の手を甘噛みしてじゃれようとしてくるが、私が進みはじめると、傍らをおとなしくついてくる。突き当りを右に曲がり、執務室に入る。私がコート掛けに向かった間に、獣たちは自ら部屋の隅に移動して丸くなった。
格闘家のごとくがっしりとした身体。禿頭の男の後ろを通り過ぎる。
香椎の身体は大きいが、所作の一つ一つが繊細で物腰も柔らかい。外見に比し、何事にも丁寧な男だ。応対している声には五十を超えているとは思えないハリがあるが、決して押しつけがましくなく、優しい。電話先の者が香椎の姿を見れば、意外に思うだろう。
その向かいの席に座っているのは、香椎とは対極的なやせ形の男。薄く色の入ったレンズの眼鏡。白髪が目立つ所為で同年代にも関わらず、香椎より年上に見える。
自席に着くと、向かいの女と目が合った。女が軽く頭を下げる。前髪が揺れる。腰まで伸びた髪。タイトなスーツ。左目を覆う眼帯。全てが黒い。沁み一つないブラウス、雪のような肌、鯨幕のような姿だが唇だけが紅い。
自席のパソコンの電源を入れる。ちょうど立ち上がったところで電話が終わった香椎から声がかかる。
「部長、お疲れ様です」
私は手で答えた。
「せっかくの休みだったのにご苦労様ですね」
執務室の奥に座る恰幅の良い初老の女。淡いグレーの伝統的なスタイルのスーツ。白髪をさっぱりとしたショートカットにし、崩れることがない柔和な表情。私の上司であり評議会日本本部の長。
「仕方ない。仕事だ」
「わざわざ部長が休日返上してくださったのですから、早々に始めましょう」
侑子はほっておくと何処までも余計な方に話が伸びていく。先んじて天粕が本題を促してくれた。
「そうね。では早速」
侑子は景気づけのように軽く拍手をすると、私に書類の束を渡してきた。各文書のタイトルや束についた付箋などを素早く確認する。一番上のクリアファイルには何らかの検査結果の一覧。そして、検査をした者からの所見。署名欄には一文字。「S」。
「先月の事件。捕まえた
侑子の声を聞きながら所見を読んだ私は思わず息をのむ。これは確かにメールでは送れない。
「重大さに気付いていただけたかしら」
侑子が微笑を浮かべる。
「未特壱号か」
「その可能性があります」
私はおそらく表情を隠せてはいなかったはずだ。
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