第3話 鈴の音

アウロラの涙が、一粒、リクの頬に落ちた。


それは、乾いた砂に落ちる雨のように、静かに、深く、消えていった。


「……君に、ずっと会いたかった。」


リクの言葉に、アウロラはそっと唇を噛みしめる。


微笑みながらも、涙は止まらない。


「……リク……あなた、本当に……覚えてるの?」


リクは目を伏せる。


記憶が、波のように揺れながら、確かにそこにある。

けれど、それはまるで霧の向こうにある風景のようで、はっきりと掴めない。


「全部は……まだ、思い出せてない。でも……」


そっと手を伸ばし、アウロラの頬を拭う。


「君の名前は、覚えてる。」


彼女の肩がわずかに震えた。


「……“また来るね”って、約束したことも……。」


アウロラの瞳が大きく見開かれる。


それは、彼女がずっと願い続けた言葉だった。


「私……ずっと、その言葉を信じてた。」


十五年。


夢だったかもしれない“リク”を待ち続けた、長すぎる時間。

再び会える保証などなかったのに、それでも信じていた。


「私……ずっと待ってた。」


アウロラは微笑む。

泣きながら、笑う。


そんな彼女を見て、リクの心が軋んだ。

彼女がずっと待っていたのなら、自分はどうして、こんなにも簡単に“忘れて”しまったのか。


「……俺は……。」


言葉を探すように視線を彷徨わせた瞬間——


遠くから、鐘の音が響いた。


——チリン。チリン。


瞬間、リクの意識が揺れる。

それは15年前の記憶の断片だった。


—— 乾いた空に、淡い夕焼けが滲んでいた。


白い城壁の上で、幼い王女がひとり、鈴の音を鳴らしていた。


「ねえ、リク。」


まだ幼い彼女が、無邪気に笑う。


「この音、綺麗じゃない?」


リクは隣に座り、微笑んだ。


「……うん、俺はこの音好きだな。」


「でしょ? これはね、願いが叶う鈴なの。」


小さな手で鈴を握りながら、アウロラはそっと呟いた。


「……あなたは、またここに来てくれる?」


「もちろん。」


「本当?」


「本当だよ。だって、俺は——」


("アウロラが"。)


——その言葉が口をつく。


けれど、その記憶はすぐに砂に埋もれるように、霧散した。


—— ゴオォォォッ!!


乾いた砂漠の風とは明らかに違う、轟音が街の奥から響いた。


リクは顔を上げる。


アウロラの表情が、一瞬にして張り詰めたものへと変わった。


「……始まった。」


その一言に、リクの胸がざわつく。


「何が、始まった?」


アウロラは震える唇で、静かに答えた。


「……ネフェレトが……終わるの。」


その言葉と同時に、街の奥で炎が弾けた。


—— 砂漠の国、ネフェレト。


 その滅亡が、今、始まろうとしていた。

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