四日 #口ずさむ

 稽古場での失態は、ヤヨイにとってお咎めなしみたいなものだった。


――毎度毎度、あなたに付き合っていては皆の時間を奪います。


 ため息混じりの嫌みを言う大巫女が急に老け込んで見える。皆、気苦労の絶えない老女に同情的な目を向けていたので、さすがのヤヨイもばつが悪かった。

 言い与えられたのは、五色布を洗い清めなさいということ。

 今度は、皆から憐れみの目を向けられたが、なんてことはない。トウマにくどくどと説教を食らうことを思えば、ヤヨイにとって願ってもない言い付けだった。



 稽古の最後の挨拶と同時に、社務所を目指す。宝物殿から五色布を出してもらい、籠を背負って勝手知ったる裏口を出た。

 境内よりもさらに山奥にある湧水へは、細い川を登って行けばすぐだ。獣道を進んでもいいが、川原の岩を駆け抜けた方がはやい。

 苔のはえた岩の上を跳ねながらヤヨイは進む。背中の籠が浮いて、体勢を崩しても軽い身のこなして次の岩へと足をのばした。湧き出る水の傍らに建てられた祠まで進み、周りを見渡す。近くに獣がいないことを確認して籠を置いた。

 祠のほぼ真下から、こんこんと流れ出る清水に一息ついて、平らな岩の上で正座をとる。

 湿った苔があたたまった体に心地よかった。

 祠に向かって柏手を八つ打つ。清めと願いと感謝、敬意を込めなさいと教えてくれたのは、大巫女だ。厳しくも、決して冷たくはない彼女の教えをヤヨイは守るよう心がけていた。


「古の神よ、かしこみかしこみもうす」


 始まりの祝詞に続き、清めを願い出ても、やはり神は何も答えなかった。

 まぁ、いつか会えたらいいか。軽い気持ちで考えて森が静けさを取り戻すまで待つ。

 遠くの森で響く嘴を鳴らす音が拾えるようになってから、籠の中身を取り出した。厚手の包みを岩の上に広げ、折り畳んだ五色布を並べる。

 比売ひめ鈴につけられる布は、あお、赤、白、黄、紫の五行を型どっていた。折り畳んでしまえば掌よりも小さい。

 ひとつを手に取りなおして、二つ降り程度に広げて岩肌を流れ落ちる清水にさらした。

 山から湧き出る水は、暑さに嫌気がさしていた体が喜ぶほどに冷たい。

 ヤヨイは音に出さずに祝詞を口ずさんだ。神がいるのかいないのかは別として、祭祀が無事に行えるように祈る。

 見守る山の空気はゆすぐよう、目に見えるものや耳に聞こえるものを鮮明にしてくれた。

 葉の間を抜けた光が、水の上を踊り、蒸した苔を明るくする。風に揺れる葉音に追い出された蝉の声は、耳をこらしてやっと聞こえるような水音に負けていた。

 森の影は明るく、時の流れを忘れて清めを勤める。

 きんと冷えた水は手先がかじかむほどで、全て終える頃には真っ赤だ。

 震える手で、五色布を包んで籠に入れた時には、日は思ったよりも傾いている。

 また口煩く言われるなとヤヨイは頭の端で考えて、帰路を急いだ。


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