五日 #三日月

 三日月が青空に消されるよりも先に起きたヤヨイは、半分寝ている母に頼んで家を出た。

 目を丸くする宮司に挨拶をして稽古場に入る。胸に抱いていた裳袴もばかまを広げ、少しだけ得意な気持ちになった。

 まだ固く白い生地は目にまぶしいぐらいだ。眺めるのもそこそこに腰に巻き、表着うわぎを羽織る。夏に合わせた薄手のものではあるが、体を動かせば暑い。

 少し考えたヤヨイは、白い裳袴の下にはいていた天青色の袴を脱ぎ捨てた。

 見ているのは窓から覗く薄くなった三日月だけだ。

 音もないが、人目を気にせずに思いっきり舞えると考えればちょうどいい。練習用の比売ひめ鈴を右手に構え、左手は五色布に添えた。

 七夕しちせきの節句に行われる星祭りでは、七つの舞が奉納される。ヤヨイの役目は、ちょうど真ん中に位置する『かささぎ橋』だ。

 本当は、後半で活躍する織姫役のどれかをしたかったが、選ばれなかった。

 五色布を織物に見立てて、広げて舞う姿は目にも鮮やかだ。毎度、同じ服で舞う踊り手にとって、五色がたなびく振付は他にはない高揚を味わうことができる。

 舞姫だった母が、広がる五色布がたまらなく美しかったとしきりに言うものだから、なおさら残念だった。いつか、あの役が巡ってくるだろうとなぐさめ、悔しさは研鑽の力へと変える。

 冷えた朝の空気に澄んだ音を鳴らせば、鳴き始めた蝉の声がさらに遠のいた。

 時に大きく、時に小さく鳴らす鈴は羽ばたきの音。星空を飛ぶ鳥が、足音を立ててはいけない。触れるか触れないか、すべる手前の踏み込みで舞台を回る。

 鵲の翼を表す腕と手の動きは、そのほとんどが左右対照だ。羽が美しく見えるよう袖の動きや広がりにも神経を巡らせる。


―― 一本の橋にならなければなりません。すぐに崩れる橋では渡れませんよ。


 大巫女の激励が耳にこびれついていた。

 舞姫の数が決まっていない『鵲橋』は少なくて四人、多くて八人程の舞だ。一人が和を乱せばまとまりが悪くなり、皆が揃えば感嘆の声がもれる。

 ほうけるなよ、と釘を刺してきたトウマを見返したい気持ちも、もちろんあったが、皆と一緒に舞えるのは素直に楽しかった。

 最後に袖で隠した両腕を閉じ、息をつく。

 やはり、裳袴が固いせいか、足が上手く動かせない。もう少し先へ行きたいのに、一瞬遅れる。


「もう一度」


 己を鼓舞して、比売鈴と五色布を構えたヤヨイは、視界の端でひっかかりを覚えた。五色布をまじまじと見て、しばし思案する。


「何を考えていたの」


 声をかけられてから人が来たことに気が付いた。


「紫の染め方のコツを教えてもらおうと思って」


 練習用とはいえ、あまりにも色褪せていたから父に頼もうと考えていた。

 素直に答えたのに、同い年の少女は眉尻を下げた。その歳には似合わない大人びた笑みを浮かべる。


「そんなこと考えるの、あなたぐらいよ」


 それと、と息をついだ少女は、私が聞きたかったことと違うわと付け足した。



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