【KAC20252】没落アイドルちゃん、更生する

Yoshi

第1話

 カーテンが閉め切られた薄暗い部屋の中、二乃は静かに佇んでいた。何もする気になれず、外に出ることなんてもっと考えられなかった。


 ため息をつきながら、ベッドに身を投げ出す。


「痛っ……」


 頭に何か固いものがぶつかり、顔をしかめる。手を伸ばすと、それは一冊の週刊誌だった。


「……あぁ、これか」


 数日前に読んだものだ。読み終わったあと適当に放り投げたせいで、ベッドの上に残っていたのだろう。


 その週刊誌には、二乃が枕営業をしているという記事が載っていた。ぼやけた写真付きで、「関係者の証言」と称する言葉が並べられている。


 彼女は、今まさに人気上昇中のアイドルユニット『sweets』のメンバーだった。ファンも多く、次世代のトップアイドル候補として注目されていた。


「炎上、してるかな……」


 そう呟いて、電源を切っていたスマホを手にする。一瞬強烈な不安に駆られたが、何とかスマホの電源をつける。

 すでにSNSでは非難の嵐だった。


「幻滅した」

「やっぱりそういうことだったんだ」

「sweetsはもう終わりだな」


 そんな言葉が画面に次々と流れていく。応援してくれていたはずのファンが、二乃を責め立てていた。


「……そりゃ、そうだよね」



 事実なのだ。枕営業は。


 『sweets』のメンバーは二人だ。もちろん一人は二乃。そしてもう一人が、美咲という女の子だ。


 『sweets』といえば美咲ちゃん。それが世間の一般的な認識だった。

 美咲は華やかな笑顔と圧倒的なパフォーマンスで、sweetsの顔として注目を集めていた。ステージに立てば、自然と視線は彼女に集まる。二乃もその実力を心から認めていた。


──でも、それが苦しかった。


「sweetsは美咲ちゃんだけでいい」

「二乃って、ただの飾りじゃない?」


 そんな声がネットでささやかれるようになった頃、事務所の態度も変わり始めた。新曲のメインは当然美咲、インタビューでも二乃は話を振られることがほとんどなくなった。


 焦った二乃は必死に努力した。ボイストレーニング、ダンスの自主練、ファンとの交流──でも、結果は出なかった。


 そんな時、プロデューサーに声をかけられた。


「もっと目立ちたいなら……わかるよね?」


 言葉の意味を理解した時、二乃は震えた。それでも、断れなかった。sweetsとして、自分の存在を証明したかったから。

 

 最初は抵抗感があったが、数を重ねるたびに、罪悪感は薄れていった。人間は慣れる生き物なのだ。


 その甲斐あってか、最近では美咲と同じくらい出番がもらえるようになった。そこで、二乃は油断してしまった。


「これが、私の結末か……」


 二乃はスマホを握りしめたまま、天井を見上げた。涙は出なかった。もう何も感じなくなってしまったのだろうか──自分でもわからなかった。


──ピロン


 スマホが再び震えた。関係者からの連絡だろうか。見たくもない。これまで事務所から何度も電話がかかってきたが、全て無視してきた。

 相手だけでも確認しておこう、そう思ってスマホを見る。

 美咲からのメッセージだった。

 届いたのはたったの一文。


『テレビ、見て』


「……テレビ?」


 何の話だろう。そうは思ったものの、指示通りテレビを付ける。何かの中継が流れ始めた。リポーターが勢いよく話し出す。



「現場からお伝えします! 人気アイドルユニット『sweets』のメンバー、美咲さんが緊急記者会見を開きました」


 カメラが切り替わり、映し出されたのは、ひな壇に立つ美咲の姿だった。シャッター音が会場中に響く。


「まず、この度の報道について、お騒がせしてしまったことをお詫び申し上げます」


 その声はかすれていたが、力がこもっていた。


「ですが……記事の内容は事実ではないです」


 二乃は目を見開いた。彼女は何を言ってるんだ?事実だ。事実以外の何でもない。


「記事には、二乃が枕営業をしていたと書かれていましたが、事実無根です」


 会場がざわつく。


「証拠として掲載された写真は捏造です」


 記者たちが声を荒げる。


「適当なことを言って誤魔化さないでください!」

「証拠が!証拠があるじゃないですか」

「ミサキさん!どうなんですか!」


「黙って」


 美咲のその一言だけで、会場が静まった。いつもの可愛らしい彼女からは想像もできないほどに重く、低く、そしてなぜか暖かい声だった。

 会場中、そして二乃を含めた中継を見ている人々全員が、彼女に視線を奪われた。

 

「証拠? そんなもの、言葉を並べればどうにでもなる。写真だって、言葉だって、作ろうと思えば作れる。そんなことはみんな、本当はわかってるはずです」


 記者たちは口を挟もうとするが、美咲は続けた。声が震え、しかし力強かった。


「私は、二乃と一緒にここまで来ました。どんなに辛くても、彼女は努力し続けてきました。ダンスがうまくできないと泣きながら練習した夜、ファンからの手紙を読んで励まされていた朝……全部、私が見てきたんです。だから、私は知っています。彼女がどれだけ真っ直ぐに夢を追いかけていたかを」


 美咲は一度、ゆっくりと息を吸った。その目は、カメラの向こうの視聴者に向けられていた。


「あなたたちは、記事に書かれた言葉だけで判断するんですか? それが、彼女が流した汗や涙よりも信じられるものなんですか?」


 記者たちは沈黙した。この言葉に反論できる者がいるはずがない。


「本当に彼女のことを知りたいなら、もう一度思い出してほしいんです。sweetsのライブで、彼女がどんな風に歌っていたか。ファンの皆さんのために、どんな笑顔を見せていたか。彼女が今まで積み上げてきたものが、そんな安っぽい記事一つで崩れてしまっていいんですか?」


 もう一度彼女は会場を見渡して、言った。


「二乃を、どうか!どうか信じてあげてください!おねが……」



二乃はテレビを消した。


 それでも、あの声は耳にこびりついて離れない。


 美咲のあの堂々とした態度。鋭い眼差し。静まり返る会場を支配する声。


 ──ああ、やっぱり。


 美咲は「特別」なんだ。


 ライブのときも、インタビューのときも、いつだって視線の中心にいるのは美咲だった。二乃がどれだけ努力しても、どれだけ自分をすり減らしても、彼女には敵わなかった。


 そして今も──この泥まみれの記者会見すら、美咲はたった数分のスピーチで支配してしまった。

 記者たちの声をねじ伏せ、疑惑すら捻じ曲げる。彼女の言葉ひとつで、人々は惑わされる

 これが美咲のカリスマだ。


「……ふざけるな……」


 胸がざわつく。喉の奥が焼けるように熱い。


「ふざけるな!!!」


 ベッドを蹴飛ばし、机の上の雑誌を乱暴に払い落とした。


 結局、全部美咲の手のひらの上じゃないか。


 私は……私は、美咲のお情けで守られるしかない存在なのか!!二乃は激昂した。


「違う……違う!!!」


 そんなの認められるわけがない。


「私は、私の力でここまで来たんだ! 美咲にすがるつもりなんて、これっぽっちもなかった!私は、私は……」

 

 スマホを投げる。ベッドを殴る。机を叩く。皿を投げる。そして我に帰って気づく。


「美咲に、勝ちたかったんだ……」


 二乃は、肩で息をしながら部屋を見回した。

 スマホは壁にぶつかり、画面がひび割れている。床には投げつけた雑誌が散乱し、机の上には無残に割れた皿の破片が転がっていた。

 そして、皿に映る自分の顔。


 乱れた髪、怒りに歪んだ表情、涙の痕。


「……何やってんだ、私……」


 静寂の中で、感情が波のように引いていく。


 美咲に勝ちたかった?

 そんなこと、ずっと前から分かっていたはずなのに。

 けれど、それを言葉にした瞬間、自分の中にある矛盾がはっきりと見えてしまった。


「勝ちたい……? 本当に……?」


 美咲は二乃を守ろうとした。

 それは事実だ。

 だが、それは同時に、美咲が二乃を『守る側の人間』であることを意味していた。

 美咲の庇護のもとにいる限り、二乃は決して対等にはなれない。


「それじゃダメなんだよ……」


 二乃は震える手でスマホを拾い上げ、壊れた画面に映る美咲のメッセージを見つめた。


『テレビ、見て』



 美咲はきっと、二乃がどんな反応をするかまで考えていた。

 あのスピーチは、ただの弁明じゃない。

 二乃に対する、ある種の試練だったのかもしれない。


「信じてあげてください、か……」


 二乃は、深く息を吸った。


 ──いいよ。


 そこまで言うなら、私は私のやり方で証明してやる。


 美咲が築いた『sweets』の世界で、ただ守られる存在として生きるのではなく、自分の力で立ち上がる。

 真のアイドルである彼女の影から抜け出して、本当の意味で並び立つ。


 涙を拭い、コートを羽織る。

 もう、間違った道は歩まない。

 帽子を深く被り、部屋のドアを開けた。


 ──私は、アイドルだ。

 そして、ステージを終えることは、まだ許されていない。


 足音を響かせながら、罪悪感と決意を胸に二乃は駆け出した。

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