〈道程にて〉

 長い長い黒髪が――雛人形のように、数か所で紐で束ねた、ふしぎなシルエットの黒髪が、ざらりと砂を含んだ夜風に舞う。

 先ほど仕入れた情報や事前知識を反芻しながら、通りをひたすらに直進している。先日市場で買った布が重宝していた。だんだん、建築物が少なく、傾いていくにつれ、体に吹き付ける砂が多くなる。

 砂漠地帯では、昼夜の寒暖の差が激しいことは常識以前の、生きていく上で知っていなくてはならない知識のひとつである。それでもかき合わせた襟ぐりや、ハカマの裾から侵入してくる風はたとえ弱くともひどくつめたい。

 先日までの旅の行程を思い返していた。……南の大陸からの連絡船に揺られ、やっと着いたこの中央の大陸の半島から、とにかく西へ、西へと、砂漠を歩いてきた。

 塩を運ぶ隊商に同行して進んだこともあったし、散らばる骨や、廃墟を目印に、たったひとりで夜の砂漠を越えたこともあった。砂嵐や、徒党を組んで行動する追剥ぎに出会わなかったのは幸運というほかない。

 それに比べれば、砂に覆われているとはいえ、石畳で舗装されたこの道は天国である。生まれ故郷の島国にもあるという『遺産都市』はもしかしてこんな感じなのかもな、などと思いながら、不思議な形に穴が空いて石が砕けている部分を避けつつ、歩く。

 空を見上げれば、夜明けはまだ遠そうだった。瞬く星の銀や紅、紫にかがやき、その光を互いに共有し、天に河をかけている。無数のそのきらめきは、沙漠の砂粒にも似ていた。

 ふと、ゼンの耳が異音をとらえた。……背後から足音が近づいてくる。明らかにゼンを追ってきている音だ。それとなく背負い紐に手をかける。足の指に力を込めた。傍目にはわからずとも、すぐに草履を脱ぎ捨てて刀を抜けるように、油断なく身構えた。大抵の人間なら一刀のもとに斬り捨てる自信はあったが、この街中で決闘が行われるような地域では、どんな手練れがいるかもわからない。

 だんだんと近づいてくる足音に紛れて、しゃらしゃら、特徴的な衣擦れが耳に届く。おや、と振り返ってみれば、これまた特徴的な姿が目に入った。幾重にも着かさねた布。長く垂らした、赤い三つ編み。浅黒い肌に、端正な顔立ち。

「どういう風の吹きまわしだ」

 立ち止まり、ユィルマズ・ベルカントが目の前までやってくるのを待って、ゼンは口を開いた。指先はまだ背負い紐にかけているが、その身にもう緊張はない。あざやかなターコイズ・ブルーの一対が細められ、眉尻が下がる。

「………良心の呵責!」

「は?」

「……っていうわけでもないんだけど」

 首を傾げると、頭部の左側から垂らした三つ編みが揺れる。

「猫をも殺す好奇心一割、謎の東洋人の旅の目的に感する興味一割、漠然とした不安感一割、周囲の微妙な圧力一割、………」

 指折り数えるユィルマズに苦虫をぐしゃっとしたような顔をしたゼンは「もういい」と止めそうになったが、目の前に突きつけられた長い指にそれを阻まれる。

「………そして、ちょっとした友情が一割!」

 ゼンのぽかんとした表情に、ユィルマズはぱちんと指を鳴らしてウィンクをした。「―――総評、つまり、俺の自己満足!」

「お、おう」よくわからないなりにゼンは頷き、その場をうまくおさめようとした。ユィルマズは急いて歩いたせいで体にまとわりついた砂を払い落として、かぶっている帽子の位置も直す。六芒星が刺繍され、その六端から房の下がる、丸い帽子。ゼンは背負い紐からやっと指を離した。

「まだだいぶかかるよ」

 闇に沈む通りの先に目をやって、ユィルマズは言った。「歩かなくちゃ」ゼンは頷いて足を踏み出す。その隣に、ユィルマズも並んだ。

「探してる人っていうのは好い人?」

 ゼンは答えない。元より返事を期待していなかったのか、ユィルマズも黙る。代わりに、その目が、風になびく黒髪を見つめる。一本気な性質をあらわすような、真っすぐに伸びた、墨を流したような髪。

 これがいつか切り落とされて、美しく編まれる日がやってくるのだろうか。

 旧い風習――愛しい相手に、自分の長い髪を編み、冠にして求婚するという儀式。

 力でもぎ取り、守ってきた強さの証を、自ら切り落とし、誰より大切な相手に捧げるのだ。

 よくわかんないなぁ、と、ユィルマズは内心で呟く。

 顔の左側だけ、アンバランスに長く長く伸ばした細い三つ編み。これで作れる冠なんてはたしてどのくらいのものだろう。今まで刈ってきた髪の毛を合わせて編んでみて、まだらな色彩の混ざるそれはさぞかし気持ちが悪いものになるだろう。そもそも、他人の体の一部である。……体の一部を渡すからこそ、強い愛の証になるということもあるのだろうか。

 自分のこれは商売道具。ユィルマズは自身の髪の奇妙な重みを感じながら、独りごちる。誰かのために切るものではない。

 そして、自分に冠を渡す相手などいるはずもない。

 ユィルマズは傍らの男を見やる。ただ真っすぐに前を見て歩む彼の横顔が、月に照らされて青白く輝いていた。視線に気づいたのか、切れ長の眦に黒い瞳が寄る。ユィルマズはその視線に笑いかけた。

「ねえ、ゼンの故郷の話をしてよ」

「はあ?」

 こちらを見たゼンが大口を開けて思いきり怪訝そうな顔をする。身長差は十センチもないが、多少見上げる形になると、上睫毛があがり、表情の印象が少し幼くなる。

「道々暇だから。ねえ、東方ってどんなところ? まだ俺行ったことないんだ」

 何かもの言いたげに口をもごもごさせていたゼンだが、やがて諦めたように息を吐いて、さて何から話そうという顔つきになった。

「いや、俺としても、出身は確かに東方なんだが、東方というか、東方のさらにはじっこというか、もはや極東というか……」

 しかも島国だし…孤立してるし…変な文化だって言われるし……とうだうだ言い募るゼンに「なんでもいいから」と催促する。

「山がちだ」

「いきなりそれ?」

「俺の生まれたところは基本的に四方を山に囲まれてたぞ」

「やばいね、どこ見ても山かよ」

「一応、近くに木も生えていた。枯れ木だが」

「だめじゃんそれ」

「……草は育った」

 へえ、と興味深そうにユィルマズは相槌を打つ。「植生の観察にもってこいだね」

「なんて?」

「いや、植生の観察……なんでもいいや、続けて」

 植生という言葉を知らなそうなゼンの表情に、手を振って先を促す。

「……それで、俺はだな……ええと、主にイモとかを育てて暮らしていた」

「まじで」

「まじだ。イモだ。こう、紫色の皮で、ふかすとおいしい」

「ふうん……食料には不自由しなかったのね」

「いや、イモ以外はだいぶ不足していた。コメとか。……わかるか、コメ?」

「俺の知ってるコメとゼンの言うコメが同じかはわかんないけど。こう、ちっちゃい穀物でしょ? 粒の」

「それだ。まあとにかく、それが俺たちの主食なんだが、いかんせんコメが育つ土地は限られているから、一週間に一度、俺はイモとかを荷車にいっぱいに載せて、コメ農家のところまで行って、イモなどと交換してもらっていた。……」

「へえ。……」

 ユィルマズの脳内で、今より幼いゼンが、イモを満載した荷車を引いて、ぽてぽてと岩だらけの道をひとり歩いている様子が思いうかぶ。妙にいじらしい姿に思わず吹き出してしまい、口を押さえると、ゼンがまたもや怪訝そうな顔をしてこちらを見てくるので、咳ばらいをひとつして呼吸を整える。

「食料が厳しいのはどこも一緒かあ。ま、『遺産都市』でもないかぎり、まともな土壌のところってないもんね」

「そうだな。やたらときのこが生える林があって、あそこは近づいちゃいけませんと厳しく言われていた」

「まあそりゃ、きのこは『破滅の種子』の末裔だからね」

 死の灰が降り注いだ地域に芽生える菌類は、いまだに強い放射線をはなっていることで有名だ。

「……あと、狩りもした」

「へえ。山で?」

「山でだ。ふもと近くとか、それなりに森ができてるところもあって、そのへんなら、わりと獣がいた」

「たとえば?」

「うーん、鹿、とか……雀とか……雉とか……猪とか……」

「それをカタナで狩るの?」

「いや、基本的には罠だ。たまに……本当にたまに、大物になると――熊とかな――近所のじいさまが、猟銃を出してきた」

「銃!」

 ユィルマズは驚いて大きな声をあげた。「銃なんて持ってるんだ」

「いかんせん火薬と弾が少ないから、滅多に使わなかったけどな。俺はそのじいさまに、剣術を教わったんだ」

「アグレッシブなじいさまだな」

「うーん、そうだな。居合が上手かった。生きるのに精いっぱいみたいな村の出だったんだが、小さい頃から武道の鍛錬だけは欠かさなかったらしい」

「大事だからね、武道」

「だからか、俺も含めた近所の子供たちに、ちっちゃいうちから剣術に限らず、身を守る術を厳しく叩きこんできた。本当に厳しかったんだぞ。裸足で山脈縦走のときは死ぬかと思った」

「生きててよかったね」

「まったくだ」

 しみじみと頷いたゼンに、ユィルマズはまた笑いそうになる。表情もほとんど変わらず、身振りもしない、感情の読みづらい外見をしているが、内面はなかなかどうして気さくな奴なのかもしれないと思った。

 薄っすらと、夜の底があかるみ始める。薔薇色に似た靄がたなびく地平線が、通りの向こうに見え始めていた。しかしまだ、夜明けではない。あたりはすっかりと廃墟ばかりになり、崩れかけた屋根のへりが地面につきそうなほど傾いていたり、地面が大きく割れていたりした。本来なら通りのあちこちで見られる決闘騒ぎや酔っ払いの声もなく、周囲は静まり返っている。

「……お前は」

 不意にゼンが口を開いた。「え?」とユィルマズが訊き返すと「お前の故郷は、どうなんだ」と、真っすぐな黒い瞳がこちらを見てきた。

「俺の、俺の故郷ねえ……」

 少し天を仰ぐようにして考えこむ。赤みの強い睫毛がぱたぱたと上下して、首を傾げる。右と、左に、一度ずつ。

「……忘れちゃった」

 ゼンが、解せないというように眉を寄せるのが見えた。

「……話したくないなら、いいが」

「話したくないんじゃないけど。……ほんとに、忘れちゃった」

 微笑む唇で力ない笑い声を洩らす。真っ赤な三つ編みがばらりと揺れる。吹き抜ける風が、空虚に二人の間に砂を巻き上げた。

 唇を真一文字に引き結び、ゼンは黙っている。……ユィルマズは微笑みを浮かべたまま、彼のほうを見ている。美しい濡れた色をしている彼の瞳は、しかし、トルコ石のようにその奥底を覗かせることはなく、ひどく謎めいた印象ばかりを残した。

 会話が途切れたまま、二人は歩き続けた。まとわりつく夜がだんだんと浅くなっていく。……通りを浸す闇が、だんだんと淡く、青からすみれににじみ、空の涯てが白み始める。そこに視点を合わせ、真っすぐに歩む。

 ついに太陽が顔を出した。ゼンが目を細める。黒い瞳に、朝焼けが燃える。

「………着いた」

 呟いた彼の目の前には、朝日を背負った、巨大な廃教会がそびえ立っていた。


 神の子は廃教会を根城にしている。

 砂漠化した地域にあるゴシック建築風の尖塔を、まだらに白い砂がおおいかくす。風にさらわれるたびに、舞う砂は燃える水晶の粒のように光った。その光景はいっそ神秘的で、朽ちかけてもなお壮麗さの名残を遺すファサードが白く霞み、砂漠のまぼろしのように揺らぐ。

 金色の朝日が、あたりをまばゆく照らしだしていた。とうの昔に滅びた時課に合わせて、鐘が鳴る。誰が鳴らしているのかもわからず、誰も鳴らしていないという話もある。誰も立ち入ったことのないだろう鐘楼のうえは見えない。見上げれば、尖塔と薔薇窓、石の彫刻が静かに佇んでいる。

 不意に、視界の端を、何かが横ぎった。

 砂ではない。羽根のようにみえた。しかし、こんなところに鳥はいない。思わず手をのべると、その指の先にふわり、とそれがとまる。

 てのひらに載るくらいの、千枚ちかい花弁をつける、真っ白な花だ。

 この土地で花は貴重品だ。おそらく、最高級の。

「奇妙でしょ」

 ユィルマズは、ひらりと目の前を横ぎった花びらを見つめて息をつく。

 ゼンは頷いた。「なるほどな」ひょいと、自分の前まで漂ってきたその白いひとひらを掴み、広げてその薄さ、はかなさに驚嘆にも似た気持ちを抱く。雲をつかむ、とは少し違うが、こんなものなのだろうか。

 あたりを見渡せば、砂とおもっていた白い小山のそこかしこが、花びらに埋もれたものだとわかる。目を疑うような光景だったが、ここが神の子の棲み処なら、これも当然なのかもしれなかった。

 廃教会が、まるごと白い砂と花で埋め尽くされている様相は、美しいと同時にどこか狂気に満ちていて、まぼろしを見ているような気にさせられた。

 ゼンは、扉を押し開け、拝廊に一歩足を踏み入れる。建物のあちこちには既に砂が侵入し、剥がれ落ちた漆喰が花びらのようにその山の上に降り積もっていた。船の内部をおもわせる身廊にはいると、既に崩れかけた長椅子が、同じように白く覆われていた。装飾もみな風紋のようにはかなく崩れかかっていた。

 左右にわかれた長椅子の群れの中央の通路に立ち、真っすぐに、その正面を見据える。

 祭壇から、滝のように、金の髪が垂れ落ちていた。

 黄金の河。太陽の泉。光の渦。比喩はいくらでも思いつくが、そのどれもが陳腐で、まったくありきたりなように思えた。紗幕のようにきらきらしく垂れるそれは、ときに薔薇のようにうずまき、火花のようにはね、彼の一見細身にみえる体をおおい、艶めかしく床に流れている。

 その髪をまるで敷物のように無造作に垂らし、豪奢なつくりの椅子のようなものに腰かけた”神の子”――ジュール・キャンデロロは、ぼんやりと繊細なワイングラスを傾けていた。

 果実酒にぽとんと氷砂糖をおとして、その金色の蜜を、まぶしげにおっとりとした眼を細めてみつめている。固形の砂糖が溶けて、陽炎のように酒をかき回し、とろりと立ち上っていくさまが面白いらしい。

 砂を踏む音に気づいたのか、彼はゆっくりとこちらを向いた。その目が、客人の姿をとらえる。

 身のうちに秘めた黄金の太陽が、瞳からあふれだしているような輝き。磨いた陶器のような肌、薔薇色の唇、天使の肖像画にも似た、人とは思えないほどの美しいかんばせよりも先に、そちらに目も――心も奪われる。

 彼は、組んでいた足をほどき、立ち上がる。つばめの尾羽のような白い裾がなびいた。彼は西洋風の古風な礼服をまとっていて、その汚れひとつない衣裳はむしろ、廃墟の中にあってその異常さを際立たせていた。

 彼の立つところには、真珠と、たくさんの花が、海をつくっていた。寝台のような祭壇からおびただしい滝のように垂れ落ちる白絹や紗が、花と砂と重なりあい、純白の波打ち際を演出している。そこに絶え間なく舞う白い砂が、あたりをまばゆく霞ませている。


「―――Qui?」


 美しい、楽器のような声が、廃教会に響いた。

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