第7話 > 五線譜に大事件
ノワールはブランの左手を握った。
やはり、アバターの手は冷たい。
「なーに?」
「なんでもない」
ブランは知恵ちゃんを信じている。
ノワールとしても、助力できない領域で姉を手助けしてくれている人工知能を信じたい気持ちは山々だ。
しかし、握手の感触とぬくもりが、会ったばかりの存在への信ぴょう性を低めている。
あれでは、生きている人間と変わらない。
「女の子の手を握って『なんでもない』なんてことないでしょう」
「女の子……?」
アバターは
中身は小学五年生でも、ブランのアバターの見た目年齢は二十代前半の女性として設定されている。
「おんなのこっ!」
「はいはい。わかったわかった」
ノワールは手を離して、
ライブの映像や音声を楽しめるのはチケットの購入者の特権なので、開演後は外部との通信ができなくなってしまう。
母親にメッセージを送ってから、通信機能をオフにした。
「あたしもオフにしておかないとっ」
場内のアナウンスでも、開演前に通信機能をオフにするように呼びかけている。
ノワールの動きを見て、ブランも腕時計のボタンを押した。
これで、アイテムの出し入れもできない。
「にしても、人で埋まっているわねえ」
ブランは周囲を見渡す。
ざっと見た感じ、三百人ほど。
チケットは抽選販売だったというので、この場にいる人たちはほとんどが笹貫ぱんだのファンなのだろう。
ほとんど、というのは、ブランはノワールが買ったチケットで入ってきたからだ。
ぱんだのファンではない。
「ノワールが教室で話していた子たちは、来ているの?」
「教室で話していた子たち、って……クラスメイトの名前を覚えていないのかい?」
「リクリエイターになるためには、他にも覚えておかないといけないことがいっぱいあるのよねっ」
ブランは自信満々に、悪気もなく言っている。
小学五年生になり、クラス替えはあったものの、学年単位でのメンバーに変動はない。
今年度新しく赴任してきた担任の名前を覚えていないのならまだしもだ。
「みんなは『チケット外れちゃった』って言っていたなあ。当たったのは僕だけ」
「チケットが二枚あるのなら、他の子と来るっていう選択肢はなかったの?」
「えっ……」
「その『みんな』が行きたがっていたのなら、あたしよりも『みんな』を優先すればよかったじゃない」
「それも、そうかもだ。けれども、僕はブランと見に行きたかったからさ。みんなのうちの誰かを誘おうとは思わなかった。ブランに言われて、今、そうかあ、って」
「変なの」
開演時間になった。
照明は徐々に暗くなっていき、隣のノワールの横顔が見えなくなる。
後ろも前も緑色な『ぱんだのファン』に囲まれていた。
腕時計の機能でカラーチェンジはできるのだが、もう遅い。
「……音楽かあ」
ブランは床からゆっくりとせり上がってくるステージを見ながら、つぶやいた。
提出期限までにアイテムを作成しなくてはならない。
知恵ちゃんとアイディアを出し合っているが、まだ『コレ!』といった案は出ていなかった。
「あれえ。一人?」
ステージの動きが止まる。
一体のパンダが、マイクも持たずにステージの上で突っ立っていた。
「一人だよ?」
「ライブって、バックバンドとかダンサーとかがいるものじゃないの?」
パンダしかいない。
スピーカーから前奏が流れ出す。
前奏の大音量に負けないぐらいの歓喜の声に、ブランは思わず耳をふさいだ。
マイランドには楽器がない。
「ぱんだの初ライブ、来てくれてアリガトー! さっそく一曲目、いっちゃいますよー!」
ぱんだの声に、観客が叫ぶ。
ブランはこのアウェイの空間で、気付いた。
この演奏は、現実世界で録音したものを再生しているだけだ。
「楽器を作ればいいじゃない!」
ブランの声は、ぱんだの熱唱にかき消される。
場違いなセリフを、他の誰かが気に留めはしない。
隣の弟ですら聞き取れていないだろう。
マイランドのアイテムに、楽器というジャンルはない。
マイランドのアバターは人間の魂を一時的に預かる都合上、人間になるべく近付けて設計されている。
そのぶん、現実世界で楽器を演奏するのと、仮想空間で楽器を演奏するのとに、差はないだろう。
これは、ひらめいてしまったかもしれない。
「次は形状ねっ。管楽器か、弦楽器か、打楽器か……鍵盤楽器もあるわね……」
ぱんだの歌は、歌声だけでは成り立っていない。
ブランは『どのような楽器が使われているのか?』に注意して、歌を聞くことにした。
できれば、最も使われている楽器を作ったほうがいい。
使用頻度の高さは、需要の高さだ。
せっかく新アイテムを開発するのであれば、いろんな人に使ってもらいたい。
しかもCCSという大舞台であれば、いい宣伝になる。
「続いて、ぱんだの『歌ってみた』コーナー!」
オリジナルソングを三曲続けてから、ぱんだは自身の知名度を押し上げてくれた『歌ってみた』ことカバーソングのコーナーに入るようだ。
いったんの小休止。
と、ここで、ステージ上にスモークがたかれる。
ライブの演出としてはめずらしいものでもない。
「着到にござる!」
だが、白い煙が晴れてからの光景は、観客の予想を裏切るものだった。
ぱんだの姿がない。
代わりに、
「なんだお前!」
「ぱんだちゃんは!」
「ライブ中なんですけどー!」
観客のうちの一人が声を荒げると、つられて怒号が飛び交うようになった。
ライブを楽しんでいた人からすれば、知らない忍者が演者を差し置いてステージを占領して、ライブを中断させている。
怒るのは当然のことだ。
「クハハ。
エリミネイト。
かの『メディアハザード』の実行犯ではないか、と、リクリエイターから疑われているハッカー集団のうちの一つだ。
依頼を受けて、クラウドに不正アクセスを仕掛け、依頼人にとっての不利益となるデータを抹消する。
「エリミネイトですって!」
即刻、通報しなくてはならない。
ブランは腕時計を操作して『情報復元チーム』に連絡を取ろうとする。
「あれえ?」
何度ボタンを押しても、叩いても、画面が明るくならない。
ノースが妨害電波を発生させているのか、耳鳴りにも似たノイズが会場に流れている。
「どうしようっ!」
「あー……」
「ノワール! ねえ! ノワール!」
「らいぶ……ぱんだちゃん……」
「しっかりしてよお!」
弟は、ショックで口をパクパクとさせている。
姉が身体を揺すっても、まともな反応を返してくれない。
「
かのしぃは、雨量カノンの現役アイドル時代のニックネームだ。
ノースは
広げて、天井に向かって掲げた。
「
巻物から青白い光がほとばしり、ドゴォォォンと、天井が爆発する。コンクリートの塊が客席に雨となって降り注いだ。ブランは反射的に身を伏せる。
「きゃああああ!」
耳をつんざく悲鳴に、天を見上げた。穴から現れたのは——巨大なホオジロザメの電子生命体。体長は優に五メートルを超えている。鋭い三角の歯がぎらりと光った。
「なにっ!?」
空気を切り裂くヒュルルルルという音とともに、サメが客席めがけて急降下してくる。ブランの心臓が止まりそうになった。あの巨体が自分たちの頭上に迫っている。
「ドシャァン!」
最前列の座席が粉砕された。金属の破片が飛び散る。アバターが一人、光の粒子となって消滅した。
「逃げて!」
「こっちよ!」
パニックに陥った観客たちが出口に殺到する。サメの小さな黒い目がギョロリと動いた。次の獲物を探している。その視線がブランを捉える。
「あ……」
背筋に冷たいものが走った。見られている。
「グオオオオ!」
サメが床を這うように泳いできた。巨大な尾ひれが座席を薙ぎ倒していく。
「ガガガガガ!」
腹部が床を擦る音。火花を散らせながら、突進してくる。
「ブラン、手を!」
我に返ったノワールはブランに手を伸ばす。ブランは必死に手を伸ばして——
「グァアッ!」
さっきまでいた座席がサメの顎に噛み砕かれた。もし一秒遅れていたら。
「拙者はドロンさせてもらうでござるよ」
ステージから高みの見物としゃれこんでいたノースの姿が消える。通信を妨害していたやかましいノイズがなくなったが、観客たちは逃げるのに必死だ。後方からズシンズシンと重い音が追いかけてくる。ブランとノワールは、座席の間を縫って駆けた。息が切れる。足がもつれそうになる。
模擬戦闘の経験は積んでいても、実際の戦いで通用するかどうかは別問題。
本物のウイルスと出会って、ブランとノワールは冷静さを欠いてしまっている。
自慢のゴーグル型
「パパに、ママに、連絡しなくちゃ!」
ブランは腕時計を叩く。起動はした。
だが、サメは大きく跳躍し、空中で身体をひねり、こちらに向かって落下してくる。
巨大な影が二人を覆った。開いた巨大な口。のこぎりのような歯の列。暗い喉の奥。
逃げ場がない——
「ずいぶんと風通しがよくなった」
ブランの言いつけを守り、会場の外で体育座りをしてライブの終演を待っていた知恵ちゃんだったのだが、ダイナミックに天井を突き破って外に飛び出したサメの姿を見てしまってから、居ても立っても居られなくなり、会場の中に飛び込んだ。
「困っている人間が、たくさんいる」
知恵ちゃんは、縦横無尽に暴れ回るサメを視認して、状況を把握する。
この様子では、ライブの演出の一つ、ではなさそうだ。
「今宵はサメ肉パーティー。ヒレは干してフカヒレにしよう」
人工知能の知恵ちゃんは生涯において一度も食事をしたことがないのだけども、茶目っ気たっぷりに言い放った。
誰にも聞こえていない。
知恵ちゃんが両手を打ち鳴らせば、白い雲が渦を巻く。
渦の中心部からは『三つ叉の槍』が、ズドドドと轟音を響かせながら現れる。
「
知恵ちゃんのかけ声で、ポセイドンの『三つ叉の槍』が、ズドォンとまっすぐに飛んでいく。
海の生き物には、海の神の武器だ。
対するサメは、陸では急な方向転換ができない。
槍はサメの鼻先に突き刺さり、サメは「ギニャアアアア」と断末魔の叫びをあげた。
ブランとノワールの目の前で、サメはしゅわしゅわと泡のように消滅する。
やがて、静寂がやってきた。
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