第8話 > 市松模様な空の下

 知恵ちゃんがサメを倒したあと。

 知恵ちゃんの「この後のことは任せて」の言葉にうなずいて、ブランとノワールはマイランドからログアウトした。

 双子はそれぞれの部屋から出て、リビングに集まる。


「何もできなかったな」


 ノワールがつぶやいた。

 リクリエイターになったら、戦っていかねばならない相手はウイルスになる。

 模擬戦闘エリアにいる電子生命体は、決まった動きしかしない。

 ウイルスは、見境なくアバターを襲っていた。


「ノワール、かっこ悪かった」

「いや、でも、だって、僕は、ほら、ライブが」

「あたしたちがリクリエイターになるなら、ああいう時こそ冷静になって、みんなを守るために戦えるようにならなきゃダメよねっ。あのノースとかいうのがいなくなって、変な耳鳴りがなくなってたってことは、アイテムは取り出せたはずだしっ」


 ブランが状況を整理する。

 あの場でゴーグル型解析アナリティクスデバイスを出していれば、知恵ちゃんが来なくとも対処できていた。


「うん……ごめん……ちょっと反省する……」

「あたしも、今日はもうクラフトはなしにする。明日は学校だもの」

「そうだね。宿題をしないと」

「宿題?」

「出ていたよ。国語と算数と」

「そうだっけ?」

「先生の話を聞こうよ……」


 このやりとりの、しばらく後。

 日本時間で、ライブの当日から翌日に日付が切り替わる頃。

 笹貫ぱんだのチャンネルで一本の動画が公開された。


『【ご報告】笹貫ぱんだ、バーチャルシンガーとしての活動をしばらくお休みさせていただきます』


 エリミネイトの一人、ノースの足取りは掴めていない。

 情報資産復元チームは総力をあげて行方を追っている。


 これまで、ウイルスによる被害はクラウド内に限られていた。

 マイランドに持ち込まれたケースはない。

 この騒動がこれほどまでに大きく取り沙汰されたのは『マイランドの特設エリア』という、マイランドの中でもアイテムの持ち込みが制限されている区域で発生してしまったからだ。

 夏と冬の大イベント、クラフトチャンピオンシップCCSもまた特設エリアでの開催を予定されているため、マスティフ社のマイランド担当チームは「警備を強化する」として、特設エリア全体が閉鎖となっている。


 ほかに、マスティフ社はノースのアバターを『一定期間ログイン不可』とする措置を取った。

 腕時計マイランドウォッチは個人情報とひも付けられているため、たとえば、あの小人キッズタイプのアバターを使用していたユーザーが新しくアバターを作り、ノースではない別人としてログインしてくる、という事態にはならない。


 ブランノワールの通う夏芽かが小学校では、全校集会やプリントで、マイランドにログインしないように呼びかけている。

 ノワールがぱんだのライブのチケットを手に入れていたことはクラスメイトに知れ渡っているので、ノワールは朝からクラスメイトに囲まれてしまった。

 矢継ぎ早に現場の様子がどうだったかと聞かれているノワールのフォローを、ブランはしない。

 ブランはブランで、学校にいる間にがあったからだ。


 下校してからのブランは学校での諸連絡を無視して、マイランドにログインし、工作エリアの個室に入る。

 CCSのテーマ部門に提出するアイテムをクラフトしなければならない。


「いやー、はっはっは……まるで知恵ちゃんが実行犯のようだった」


 右手でサラサラの黒髪を掻きながら、知恵ちゃんは毎度のごとく、ブランにしか入れないはずの個室に入り込んでくる。

 氷見野雅人まさひと博士の最高傑作であり、マイランド創設以前から仮想空間に存在している人工知能の知恵ちゃんにとって、カギはかかっていないのと同じだ。


「何かあったの?」


 もはや慣れっこになっているので、ブランは驚かない。

 音楽室で手に入れた『楽器』のデータを作業机に並べながら、知恵ちゃんに訊ねる。


「ぱんださんの件で、知恵ちゃんが情報復元チームに連行された」

「情復に、?」


 ブランは作業の手を止めて、知恵ちゃんのいる背中側にイスを向けてから座った。

 知恵ちゃんは実行犯のようだった、とも言っていて、どうも穏やかではない。

 サメのウイルスを倒したのは知恵ちゃんであり、あの場に知恵ちゃんが来てくれなければ、被害はより拡大していただろう。


「知恵ちゃんは仮想空間をいつも通りうろうろしていただけなのだけど、ブランさんのパパの、天翔あまとさんが、こわーい顔をして近付いてきた」


 知恵ちゃんは両手の人差し指を立てる。

 左右のこめかみに添えて、鬼のツノに見立てた。


「パパが?」

「手錠型拘束バインドデバイスを使ってから『話がある』と言って、取調室のような場所に知恵ちゃんを連れて行った」

「知恵ちゃんは悪くないのにっ!」


 知恵ちゃんは通常のアバターとは異なる古参の人工知能のため、アイテムを使用されたとしても逃げられる。

 しかも、知恵ちゃんにはそもそも罪がない(あるとすれば、チケットが必要な場所にチケットなしで入ってしまったこと)。

 ブランのいきどおりはごもっともだが、知恵ちゃんは身の潔白を証明するだけの暇な時間があった。


「知恵ちゃんは、情復と、腰を据えて話がしたいと思っていた。いいチャンスが巡ってきた」


 鬼のポーズをやめて、ニコニコと微笑んだ。

 知恵ちゃんは、知恵ちゃんの生みの親である氷見野雅人博士と同じ容姿だ。

 白衣姿で微笑むと、やさしそうなお医者さん、のように見える。


「そうなの?」

「メディアハザードで大事なデータを失って、情復に依頼を出している人間は、知恵ちゃんが助けたい『困っている人間』に該当する。知恵ちゃんと情復、目的は一致」

「あっ、そうか。そうかも。というか、あたしはてっきり、知恵ちゃんはリクリエイターに知り合いがいるのかなあって」

「いないいない。知恵ちゃんはフリーの人工知能。リクリエイターがウイルスに苦戦していたら、駆けつけて、加勢していた」

「そうなんだ」


 個室にイスは一脚しかないので、知恵ちゃんは壁にもたれかかった。


「天翔さんに会ったのは、今回が初めて」


 リクリエイターの中でも極めて優秀な天翔は、出会ったウイルスを確実に仕留めていた。

 結果として、知恵ちゃんとは鉢合わせしていない。


「パパ、どうだった? 元気そう、かどうかは、アバターだからわからないか」

「どうだったって、ブランさんはパパと暮らしているのではない?」


 リクリエイターの家族の事情を、知恵ちゃんは知らない。

 首を傾げて、不思議そうな顔をしている。


「あたしの家は、知恵ちゃんも知っているように、パパもママもリクリエイター。だから、あたしとノワールと、お手伝いさんの三枝木さえきさんで、三人しか住んでいないの。パパとママは社宅しゃたくっていうところにいる」


 三者面談や授業参観といった『親が学校に来るイベント』のたびに、担任から質問されるので、ブランはするすると答えた。

 小学校も五年目になれば、つっかえずに言える。


「まさひとくんは、まさひとくんのおかあさんとご実家暮らしだった」


 人工知能の知恵ちゃんに『家族』はないからか、家族に近しい氷見野雅人博士の話をし始めた。

 その『まさひとくんのおかあさん』の声が、知恵ちゃんの声のモデルだ。


「パパは?」

「まさひとくんのママは、まさひとくんが産まれる前までアイドルをしていた。まさひとくんのパパは、テレビ局で仕事をしている。パパは、家にいないことのほうが多かったらしい」

「ふーん。アイドルと、テレビのお仕事の人かあ」


 知恵ちゃんはたびたび『まさひとくん』の話をしてくる。

 以前、知恵ちゃんが開発者のことを『次に教科書が改訂されたら、載る』と主張したので、ブランは三枝木や担任や周りの大人に「氷見野雅人博士、って人、知っている?」と聞いたのだが、誰も知らなかった。

 マイランドの開発者の名前は「芭蕉ばしょうさん」だと、誰に聞いても答えられるのに、これだけの人工知能を造り出した発明家が知られていないとは、なんとも不思議な気持ちにさせられる。


「そうそう。アイドルといえば、かのしぃの話をしたい」


 知恵ちゃんは話を強引につなげてきた。

 左手をパッと広げて、オーディオプレイヤー型再生リスニングデバイスを出現させる。


「まさひとくんのおかあさんがかのしぃ、ってアイドル?」

「いやいや。だとしたら、知恵ちゃんがかのしぃの曲を完全にコピーできてしまう」

「まあ、そうよね。似ていないわ。もし、かのしぃが氷見野博士の母親なら、知恵ちゃんが喜んで話してくれているわよね」

「よくおわかりで」


 この個室で、知恵ちゃんと二人で笹貫ぱんだの『歌ってみた』を聞いてから、かのしぃの歌うオリジナルバージョンも聞いていた。

 アレンジが加わっているぶん、同じ『オーバーザレインボー』でも曲から受ける印象が違う。

 オリジナルバージョンは雨上がりのしっとりとしたニュアンスを残しているが、ぱんだバージョンはからっと晴れた空にかかる虹といったおもむきだ。


「このデバイスを、ノースにプレゼントしたい。困っている人を助けるのが、知恵ちゃんの役目」

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