第三話 バー・モリンの天才
バーなんて場所には初めて来た。まだ成人認定を貰っていないから飲酒できないし、兄や周囲の大人達も僕を誘うことは今までなかった。お酒を飲むところだという知識はあるが、モルガンはここで働いているということは成人しているのだろうか?
「モルガンって何歳なの?」
「俺様は二十二歳だぜ!」
「えっ!?」
僕は声を出してしまってから口を押さえた。モルガンは僕をフッと鼻で笑い、カウンターの向こうに回った。二つのグラスに氷を入れ始めたので、片方は僕のかな、お酒じゃなければいいなと思いながら僕は手際を眺めた。
「……分からなくもねぇぜ。ここは移民街、俺様は移民三世だ。生え抜きのトニトルスっ子より若干、ほんの少ぉし若作りな民族なのさ。」
「ごめん、なさい。五つも年上だとは思ってませんでした。」
確かに見た目も童顔だけれど、言動が、特に俺様っていうのが子供っぽいのだということは黙っておく。
「俺様の妹がお前と同い年だな。」
「妹さんがいらっしゃるんですね。」
「お前やめろ、急にそんな言葉遣い……。」
モルガンが眉をひそめたところで、バーの係留所側とは反対の、恐らく表口と思しきドアが開いた。女の人っぽかったので慌てて顔を正面に戻す。
「お、噂をすりゃってやつだな。リンス、こいつは俺の仲間になったイナホ君だ。イナホ君、彼女が俺の妹だぜ。」
俺。イナホ君。僕はモルガンが僕と妹さんのどっちにカッコつけているのか分からなかったけれど、そういうのを気にする人なのだということにちょっと笑えてしまった。歓迎の笑顔のように誤魔化して立ち上がり、同い年だと聞いた彼女に一礼する。モルガンよりも背が低くて長い金髪が綺麗な、儚げな感じの可愛い女の子だ。
「初めまして、リンスさん。僕はイナホといいます。お兄さんに拉致られてきました。」
「初め、まして……。あの、兄がご迷惑をお掛けしてます。」
「世話になってますだろそこはよぉ!」
「迷惑を掛けられたのも事実ですしね。」
「チッ、慇懃無礼が服着て歩いてらぁ。王族らしいってこういうとこかよ。」
「……王族?」
リンスさんが僕を見つめたまま瞬きをする。モルガンに似た幼い顔立ち。だが受ける印象は天使と悪魔のように真逆だった。どちらが天使かは言うまでもないだろう。
「よく見ろ、『神の子』だぜ、こちらさん。公開情報の家名がカミナリノだろ。」
「あら、まぁ……。」
リンスさんは少し目を見開いた後ふわっと笑顔になり、それ以上何も言わなかった。そのまま僕の背後を通り過ぎ、僕が入ってきた裏口から再び出ていく。エレベーターなんかもあったから、住居エリアへ移動したのかもしれない。
「……大人しい人ですね。」
「おう。俺様に似て賢いから余計なこと言わねぇんだ、あの子は。」
「正反対だと思いますけど。」
「お前は余計なこと言うから俺様側だな。」
「そう来ましたか。」
それなりに自分は弁が立つ方だと思っているものの、同時に見苦しい争いはしたくないという美学のようなものもあり、それだけに鮮やかに返されると対抗心より先に感心が出てしまう。いつの間に作ったのか、オレンジ色の綺麗な飲み物が出された。ヴァージンベリーニという商品タグが拡張視野で確認できる。
「……お酒ですか?」
「未成年にゃ出さねぇよ。それはノンアルコールのカクテル、モクテルってんだ。拉致って迷惑かけた分ってことで。」
「僕、そんな安くないですよ。でもいただきます。」
炭酸のオレンジジュースかなと思ったけれど、飲んでみると甘ったるかった。嗅覚を制限していたことを思い出し、元に戻す。柑橘よりも桃の風味が強い。モルガンはカウンターの端に移動し、自分もグラスを傾けはじめた。
「カクテル言葉は、喜びの序章、だな。」
「そんなものがあるんですね。」
「カクテルは面白ぇぞ。錬金術や恋愛に似てる。少し手順やら匙加減やらが違うと、全然違う味になるんだ。」
「れ、恋愛……。」
僕は今まで恋人を作ったことがない。気になる人はいても、王族じゃ嫌がられるかなと考えて発展させる気にならなかった。僕が鼻白んだのが伝わったようで、モルガンは少し意外そうに肩をすくめた。
「なんだ、お前彼女とかいたことねぇの?」
「ええ、まだ大人になる前ですし。」
「別にそういうんじゃなくても、遊び相手とかさぁ。」
「その遊びって、ゲームとかじゃないですよね?」
「あたりめぇだろ、別にお前のオトモダチの話を聞きたいんじゃねぇんだよ。あ、王族だから避けられてる? 公開情報の偽造の仕方教えてやろうか?」
「結構です。」
「王子なら別の家名を貰えただろうが、神の実子じゃなぁ。そういや、アレは嫁さん貰う時はどうしてるんだ? 色仕掛けとか効くのか?」
「モルガン。プライバシーの侵害じゃないですかね。」
「お前はどっちの味方なんだよ。」
「僕は、人間の味方です。僕の母のことでもあるので、僕が怒るのは当然だと思いますよ。」
「そうか、そうだよな……。悪かった。」
グラスを置いて、僕の正面まで来てまっすぐに見上げてくる。頭は下げないのが「らしい」なと思った。モクテルの香りが薄れ、カウンターの木の香りと混じる。大人なら、こんなにムキになって怒らないようなことかもしれない。でもきっと嫌な気持ちになるのは同じだろうから、モルガンと仲間でいたいなら、ちゃんと言った方がいいに違いない。少し木の感触を指で楽しんで、僕は深呼吸した。
「謝罪を受け入れます。……堅くてごめんなさい、その、なんというか……性分なので。」
「お前が謝るこたねぇだろ。理性的に怒れるってのはきっと長所なんだぜ。
「そうかなぁ……。笑って流せるのが大人じゃないですか?」
「笑って流すのはただの面倒くさがり屋だろ。つまり俺様だな。」
「モルガンのは、接客業だからじゃないんですか?」
「んじゃ、そういうことにしといてくれ。」
あ、今面倒くさがられたな。ズルい、僕は、嫌われるかもしれないのにあからさまな態度を取る勇気はない。勇気があるというより無神経なのだろう。羨ましいと思った自分を恥じて、それから更に、こうやって自分に言い訳をするためにモルガンを馬鹿にした自分を恥じた。できない人間とやる人間がいる。ただそれだけのことなのに、自分を正当化するなんて、器が小さすぎる。
「……なんか俺様の言葉が引っ掛かったか? 思春期やってるなぁ、
見透かされた気がして、僕は顔に血が上るのを感じた。
「仲間だっていうんなら、子供扱いしないでください。僕らは対等じゃないんですか。」
「テメェが先に……はァ。ま、いいや。そんじゃ、これからは大切な用事は暗号で送るから、この紙読んでこの絵を解読できるかやってみてくれ。」
モルガンが二枚の紙をカウンターの上に置いた。紙、だって! このご時世にそんな懐かしいアイテムが出てくるとは思わなかった。だが確かに、有害コンテンツを遮断していても見えるということは壁のお酒のポスターも紙なのだろう。すごい、モルガンは時代劇の住人なのか。
「……へー、つるすべだ……。」
「おいおい、紙くらい触ったことあるだろ。世間じゃ十数年前にも流行ったんだぜ、サイネージ
「クラッキング!? そんなことあったんですか?」
「まあ事件自体は日を置かずに解決したんだがな。定期的に紙には紙の良さがあるっつって流行るんだ。要は嗜好品だ、酒やタバコと同じで。」
「ああ、だからモルガンは好きなんですね。」
「間違っちゃいねぇな。」
モルガンはニヤリと笑い、紙面をトントンと叩いて話を戻した。
「これが暗号の鍵の紙。これを元に俺様は暗号を描くから、お前もそれに
鍵の紙の上には、何本もの無作為に見える直線で区切られた図形のようなものが並んでいる。数字も図形の周りに配置されているが、さっぱり意味が分からない。
この鍵を使って、もう一枚の紙の絵を解読するんだっけ。絵の方はもっと意味が分からなかった。クモの巣か、ヒビ割れたガラスか、地図か、幾何学模様の何かに見える。ここから言葉を読み取れるなんて全く思えない。
「読めるようになる気がしないんですが……。」
「なんとか読めてくれよ、天才の子だろ。」
「無茶言われてるなぁ……。解説してくださいよ。」
「だってこれをここで解説しちまったらアレに伝わるだろうが。」
「じゃ、僕のボードに戻りましょう。とにかく僕は天才じゃないんでこういう謎解きは無理です。」
「仕方ねぇな。」
モルガンが舌打ちしながら紙を僕の手から引ったくり、裏口を開けた。僕は彼を失望させただろうか。でも仲間になってほしいと頼んできたのは向こうなのだから、僕が引け目を感じることはない。僕はそう自分に言い聞かせてモルガンの後をついていった。
モルガンはボードの後部座席に詰めて座り、僕を隣に手招きした。僕が乗り込むと勝手に窓が閉ざされた。僕のボードなんだけど、相変わらずモルガンの意のままに操られているようだ。それから、しばらくモルガンが何か拡張現実で操作した。多分ボード内のナノマシンを乗っ取り直すのだろう。やがて僕の方を見て、お待たせとも何も言わずにすぐ暗号の話に入った。
「この鍵の図形は全部同じ大きさだろ。つまり、これが一文字の大きさだ。そう考えて暗号の絵をこのサイズに区切ってくれ。紙で用意したのは折り目を入れれば良いから楽だからだ。こんなふうに……。で、この鍵の紙を数字の順に、数字の向きがちゃんと上になるように回して重ねて……ほら、これで文字として読めるだろ。」
「……すごい……! 暗号に詳しくないから知らないんですが、これ何ていう暗号なんですか?」
「え? 知らねぇよ。俺様オリジナル。似たようなのも世の中にはあるだろうが、既存のだと解読の危険性が上がるだろ。」
「オリジナル……!? ホントに天才なんだ……。」
「こんくらい別に、大して凝ったもんでもねぇし。」
「でも、なんで普通の暗号化技術じゃ駄目なんですか? 今よく使われている暗号だって、鍵を知らないと解読にものすごく時間のかかるものなんでしょう?」
「そりゃ、どこに雷様の目があるか分かんねぇからさ。いくら暗号化したところで、復号したファイルや画像をお前の脳内以外の場所に表示させたら意味がねえ。この方法なら、機械には既存の文字として認識されねえ
「確かに……コツは要りそうだけど、描けそうです。そうか、描いた絵はオンラインでそのまま送信しても、他の人には読み取られない……。」
「俺様が読み方を教えねぇ限り、な。というわけで、これを使ってやり取りする。鍵の紙を誰かに見られても構わねぇぜ。暗号の絵とセットでなけりゃ、暗号の鍵だとすら分からんだろうからな。」
僕は店に戻って解読を進めた。暗号の絵には、『バー・モリンへようこそ。ご注文はなんですか?』と描かれていた。僕は拡張現実で鍵の紙を重ねながら、白いキャンバスに『ヴァージンベリーニをもう一杯』と描いてみて、モルガンに送信した。モルガンはすぐに読み解いて不敵な笑みを浮かべ、僕の注文を受け付けてくれた。
誰かと大きな秘密を共有するなんて、今まで無かった。喜びの序章、かあ……。不安しかないけどな、とちょっとクスッと来てしまい、僕は笑えた自分の余裕に自分で驚く。先のことを深く考えるのを脇に追いやっているみたいだ。そうしたくなるくらい今が楽しいのだと気付いて、なるほど確かに喜びの序章かもしれないとモクテルを飲み干した。
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※3 AIの文字認識について。
現在、AI技術の発達により、手書きなどのクセのある文字でも精度よく識別することが可能になってきています。しかしそれは、あくまで既存の文字としてラベル付けをした多様な教師データを用意した結果です。一見無秩序な線だけの画像に文字が書かれていると自発的に気付かせるのは難しいと言えるでしょう。しかし人間であれば、その画像が存在する意味を推し測って文字ではないかと解読を試みようとするかもしれません。
この「文字であるという情報」のように、データ自体ではなくデータについての情報のことをメタデータと呼び、メタデータを学習させることが強いAIへの第一歩とされています。
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