第四話 怒りを手札に
暗号でやり取りできるようになったものの、急ぎでもない用事は直接話した方が楽だ。僕はよくボードで出掛けるようになった。途中で決まって拾う同乗者はモルガンとリンスさん。リンスさんを巻き込むのはカモフラージュだとモルガンは言っていた。僕がリンスさん目当てで遊びに足繁く通っているように見えるだろ、と。僕が本気で狙い始めたらどうするつもりなんだろう。その場合は玉の輿だから良いのだろうか。なんだか複雑な気分だ。
リンスさんはニコニコと大人しくて、あまり会話が続かないから正直少し苦手なタイプだ。ただ、歌はものすごく上手だった。バーで披露することもあるらしい。基本的に医療バー・モリンには体の悩みを抱えた人が集まるそうで、彼女の歌はセラピーとしても有効なんだとか。お金が取れるほどの力量なので、僕だけに聞かせるのは惜しいのか、モルガンはドライブ中にはあまりリンスさんに歌わせてくれなかった。
「武闘会で勝つのが一番の問題なんですよね。僕も訓練はしてるんですけど、職業
「コノエ? なんじゃそりゃ。」
「王宮や雷様を守る警備の人達のことですよ。」
今日は島の東端まで来た。午後の陽の光を浴びて極彩色に輝く雲の壁はいつまでも眺めていられるくらい綺麗だ。民間放送で企画が進行している夢の島プロジェクトの舞台となる小さな浮島が係留されていた。まだ公園くらいのサイズだが、これをどんどん大きくして、そのうちトニトルス本島を双子島にする壮大な計画なんだそうだ。ここまでで五年はかかっているから、もし無事に完成したとしても、その頃には僕はとっくにおじさんになっていることだろう。下手したら死んでいるかもしれない。なんとも気の長い話だ。
「まあ行けんじゃね。俺様が勝たせてやるよ。」
「どうやって?」
「妨害はどうだ。会場に漂う雷様のナノマシンを改造して、敵選手の体に支障を出す、とか。」
「そんなんで勝っても人気は出ないんじゃないですか?」
「バレねぇようにやるんだよ。」
「僕は嫌ですね。」
「頭の固ぇ奴だな!」
後部座席でふんぞり返りながらモルガンが揶揄してくる。
モルガンが僕より年上だという認識は、早々に無くなった。この人には全く気が置けない。僕の敬語がかなり崩れてきても、モルガン自身何も気にしていなさそうだった。
「モルガンだって、人の心で勝てって僕に言ったでしょ。」
「そりゃそーだけどさぁ……。分かった分かった、じゃあお前のモジュールを改造する。」
「それならまあ、悪くはないですね。具体的には?」
「予報モジュールとガイドモジュールの知能を引き上げる。医療モジュールについているような対話型の操作を可能にして、戦いながら相手を分析させて、脳内で相談できるようにする。頭でごちゃごちゃ考えるお前にはピッタリだろ。」
「兄さん、またそんなこと言って……。ごめんなさいね、イナホさん。」
モルガンと並んで後部座席に座っていたリンスさんがほんの少しだけ語気を強めて兄を諫めた。するとモルガンは口を閉じて酸っぱいものを食べたような顔になった。なんと、妹の言葉はてきめんに効くらしい。ちょっと可哀想なくらいだ。
「大丈夫ですよ、リンスさん。モルガンの腕がすごいのは本当なんです。だからモジュールの件に関しては、モルガンの考えに従いますよ。」
「おうよ、バー・モリンのモルガン工房はお客様への真摯なカウンセリングに基づいた一点モノの特注モジュール構築を得意としています、っと。」
「その謳い文句は胡散臭いからやめたほうがいいですよ……。」
僕らは軽口を叩き合いながら、カウンセリングという名のドライブを楽しんだ。
それからだいたい一ヶ月ほど経って、モルガン工房から注文の品が完成したと連絡が届いた。モジュールの改造版、だっけ。門外漢だからよく分からないけれど、恐ろしく早い仕上がりな気がする。
「連携させたいから、『予報』と『ガイド』を合わせて戦闘モジュールってことにしたぞ。」
モルガンが僕の首の後ろに注射の針を刺しながら説明してくれたところによると、僕専用の戦闘モジュールは戦闘の記憶や剣豪データや僕のクセなんかを学習して、僕が取れる最適解を考えてくれるそうだ。勝手に記憶野にアクセスするから、もしかしたらその刺激で僕の意識にも戦っている様子が想像されるかもしれないが、できる範囲で付き合ってほしいとのことだった。
実際は想像されるかもしれないどころか、戦いのことで頭がいっぱいになった。寝ても覚めても脳内シミュレーションが終わらない。僕は三日目の朝、最悪の寝覚めに溜め息をつきながらモジュールを呼び出した。
「〈
【はいマスター。私のことはセンとでもお呼びください。しかし、ここでシミュレーションをやめると学習が足りない可能性があります。】
拡張聴覚に、凛とした女性の声が聞こえてくる。モルガンの好みだろうか。
「しばらくで良いからさ……。」
【では、次にマスターが自発的に脳内シミュレーションを再開するまで休止する、というのはいかがでしょうか。】
「それでいいよ。またね。」
【はい、またのちほど。】
確か、記憶野にアクセスするモジュールには、厳しい制限が掛けられているはずだ。もしかしたらこれは違法モノかもしれない。僕は未成年だけど弁護士資格を持ってるから雷様に調査を依頼できる。しかし、それではモルガンとの仲がこじれてしまうだろう。
とりあえず、モルガンに生のユーザーレビューをお届けするか。僕は通話で彼を呼び出した。
『違法な
「想像以上に意識を持っていかれて困ったからですよ。で、どうなんですか?」
『あー……そりゃ悪かった。だが違法じゃねぇぜ、スレスレ。』
「スレスレって……。」
『お前の合意があった上での試作品みたいなもんだからな。一般に流通させるものよりは緩いんだ。一応、やめろって言えばやむはずだぜ。』
「はい、それは通りましたね。」
『なら問題ねぇだろ。上手く使いこなしてくれ。ま、心配なら神にも誓えるぜ。』
神に誓う。それは言葉に嘘がないか雷様にファクトチェックを任せるという意味だ。僕がさっき自分で考えて遠慮したことをモルガンから提案されるとは思わなかった。
「モルガンの方からそう言ってくるなんて、驚きました。」
『やましいことなんか、そのモジュールにはねぇからな。』
モルガンは気楽そうに笑っていたけれど、多分この会話が最初に、雷様の監理システムに引っ掛かったのだと思う。
翌日、突然リンスさんから通話が飛んできた。
『イナホさん、あの、すみません……兄さ、モルガンが……逮捕されたみたいで。』
「ええっ!?」
驚きの直後、ついにバレたかという気持ちにもなった。手足が冷たくなり、急激なストレスをボディメンテモジュールが警告してくる。中程度の対応を指示して、深呼吸をする。大丈夫、息は、できるし、脈も、落ち着いてきた。
『イナホさんにもご迷惑お掛けするかと……。』
「僕はいいんですよ、共犯なんですから。リンスさんは……その、大丈夫?」
大丈夫って何だ、どういう状態なら大丈夫なんだ。聞いてしまってから自分の気の利かなさに腹が立った。
「えっと、つまりその……つらくないかとか、不安じゃないかとか、いや、ああ何を分かりきったこと、だから、あーっと……誰か頼れる人とか、いますか?」
ようやくなんとかマトモなことを絞り出せた。もし僕を頼って通話してきたのだとしても、こんなんじゃ頼りないことこの上ない。僕がリンスさんならお断りだ。
通話の向こうで、ふふ、と控えめな笑い声が聞こえた。
『はい、私は大丈夫ですよ。バーには先代を呼びましたし、兄さんがいなくても、ちゃんと仕事も続けます。』
「そ、そう……。偉いね……。」
予想以上に大丈夫そうだった。僕よりよほど精神的に大人なのか、……ひょっとして、これが初めてでもないのか。
「罪状……なぜ逮捕されたかは、分かりますか?」
『ボードのハッキングと……違法な自動運転、だそうです。』
「そっちかぁ!」
それは、うん、言い逃れのしようもなく有罪だ。直接的な被害者である僕が訴え出なくても、雷様にバレたら逮捕されるだろう。
「あー、でもそれなら多分、数日の拘留と罰金で済むはずです。お店が問題ないなら保釈金を用意するまでもないですかね。」
『分かりました、待ってます。……あ、もし兄さんと話すことがあったら、お店は大丈夫ってこと伝えてください。』
「家族だし、面会くらいはさせてもらえると思うけど……。」
『いえ、私は……。そういえば、兄さんはイナホさんにお話ししてないんですね……。』
「えっ、何を……?」
『どうしてこの国の……に反抗しようとするのか、です。』
リンスさんは言葉を伏せたが、僕には通じた。
「ああ、今の法のあり方がおかしいからだと言ってましたよ。」
『……それだけではなくて。実は……私、のためでもあるんです。私……モジュールが入れられないんです。』
「……えっ?」
入れたくない、という人達がいるのは知っている。そこには思想的な自由がある。でも、入れられないとは?
『あの……ナノマシンが、体に合わなくて。気付かずに入れられていた小さい頃は、すぐに目を回す虚弱体質だと思われていました。歌えるくらい元気になったのは……兄さんが原因を突き止めて、お店の周りから空気中のナノマシンを減らしてくれたからなんです。』
「そんな……、全然気付かなかった。ドライブとかして、平気でしたか?」
『兄さんがボードの中のナノマシンを抑制してくれていましたから。それに、体が大人になるにつれて……多少は外に出られるようにもなりましたし、拡張現実くらいなら平気になりました。もう、あんまり不自由はないんですが……医療モジュールとか、ボディメンテモジュールとかは駄目だから、兄さんはやっぱり心配みたいで……多分、あれを飛ばすのをやめさせるまで、止まらないと思います。』
「それで、なのか……。」
だったらこの街から出れば解決しそうなものだけど、移民三世である彼らは、それがどれだけ大変なことなのかも僕よりよほど理解しているのだろう。この街でしか実現していない技術は、ナノマシンだけではない。磁気輸送網も、ボードのハイウェイも、無給電デバイスの
だからって、自分達の都合の良いように変えさせるという発想には普通ならないと思う。やはりモルガンには、根本的に雷様への嫌悪があるのだろう。
人間のフリをした、人間でない何か。
万能の顔をした、妹を救わない何か。
僕が父に彼女のことを説明して、彼女の健康のために特別な措置を講じてもらうことはできる。モルガンだって、僕というカードを手に入れた時に考えなかったはずはない。でも、彼女一人を守ったところで、同じ体質を抱える人が他にいた時に気付ける保証はない。その上、彼女を研究対象として国に差し出さなくてはならず、そんなことモルガンが許すとは思えなかった。
天才技師モルガンは、恐らくできることを全て自分でやろうとしている。彼女の体質の研究も自分一人で進めているのだろうし、彼女の居場所を作る社会的な働きかけも、僕を巻き込んで計画している。
同じく妹を持つ僕は、彼の気持ちが少し分かるけれど、分かるからこそ恐ろしいとも思う。自分に対する妥協とか、世間から押し付けられた常識とか、そういうブレーキがモルガンには一切無いのだ。モルガンはきっと、自分を含め、妹以外の誰が傷付いても構わない。僕だって一歩間違えばボードごと雲の下に突き落とされるに違いない。
「逮捕されて、少しはブレーキを覚えてくれるといいな。」
『イナホさんがいて下されば、きっと大丈夫です。』
「荷が重いよぉ……。」
思わず口をついて出た本音をそよ風のように笑われ、モルガンが彼女を守りたくなる気持ちが分かった。そして次の瞬間、僕は腹を立てていた。十分だろう、十分幸せそうじゃないか。これ以上この子が守られる必要があるか?
彼女に僕は必要ない。僕が力を貸すのは彼女のためじゃない。僕がこれから戦いを続けるとしたら、それは。
それは多分、僕自身の執着。
父とモルガンの天才同士の戦いに、それでも僕という非才の存在が必要なのだと分からせたい。カードとして扱われた者の、意地だった。
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