第二話 僕が出会ったのは

 僕のボードは完全に乗っ取られてしまっているようだった。どのボタンも反応しなかったし、ドライバーツールを呼び出して緊急停止コマンドをコールしても止まらなかった。鳥の顔の形をした丸いボード壁面の透明パネルを破れるような、高威力の武器の持ち合わせはない。拳で叩いただけではボンボンと虚しい音が響くだけだった。密室というやつだ。

 敵国? テロ? 拉致? 色んな危険が想像できたけれど、「雷様」が見ているのになぜこんな馬鹿な真似を、とも思った。

『あー、俺様以外の誰にも止められねぇし、外部にも連絡つかねぇから諦めな。誰にも気付かれねぇから、大人しく座ってろ。』

 声の主はどこか別の場所から、僕の行動を悠々と観測しているようだ。目的があるにしてはずいぶん暢気のんきな態度だった。

「やめとけよ、誰だか知らないけど、僕をさらったって何のメリットもないぞ。それにこの会話だって雷様には聞かれてる。今に何も起こらなかったことになるだけだ。」

『大丈夫だ。このボード内は全て俺様のコントロール下にある。アレだって何が起こってるのか分かるはずもねえ。お前は今から自分の意思で俺様のアジトまで運転してくるのさ。』

「お前、他の国の奴なのか? この街じゃ、空気のあるところには雷様の耳が必ずあるんだよ。何も知らないんだな?」

『全てって言っただろうが! 当然、ボード内の空気のナノマシンも全部掌握済みだぜ。そこから出ねぇ限りお前の声はアレに届かねぇし、俺様の要求を飲まねぇ限りお前はそこから出られねえ。』

「……ねえねえうるさいな。」

 神のご加護が届かない、だって? 僕は衝撃のあまり言いあぐねて、どうでもいい悪態をついてしまった。犯人には逆撫でかもしれない。それでも、少しでも優位を目指さないと、不安に押し潰されそうだった。

『こちとらお上品な育ちじゃね……いもんでね。まあそうカッカすんなって。危害を加えようってんじゃねぇんだ、ちょっとだけお前に手伝ってほしくてご招待しただけさ。』

「拒否権はあるの?」

『間違いなく失敗すると思うぜ?』

「何……ああ、脱出にってことか……。」

『そういうこった。何千台とあるうちたった一台のボードの中身が巧妙なフェイクにすり替えられていることにアレが気付くまでどれくらい時間がかかるか……賭けてみるか?』

 雷様の監視システムが街中に行き渡っているこの国では、この街のどこかにいて、生体反応に異常が無ければ、王族でも放っておいてもらえる。いや、放っておかれてしまう。ボードごと偽装されているなら、僕が中で死んでしまっても気付かれないかもしれない。

 ボードはどんどん王宮から遠ざかる。勝手にハイウェイに乗り込んで、誘導灯に沿ってすごい速度で街の方へ飛んでゆく。自動運転モードなんだろうけれど緊急停止ができないから、これで万が一事故を起こされたら困※2な。要求をのんで解放されたら、ボードのセキュリティ面の安全性について抗議しなくては。僕は深々と溜息をつき、せめて無茶な要求でありませんようにと祈った。


──────

※2 自動運転時の事故について。

 現在、車などの自動運転は、どこまで人の作業を省くかでレベルが分かれています。運転席に搭乗者が座り、加速や減速、ハンドル操作が可能であれば、事故の際の責任は運転者にあります。運転機能が搭乗者に用意されていない場合、それは無人タクシーに乗っているようなものですから、搭乗者に責任はありません。ただし、セキュリティの欠陥から予期せぬ事態に陥った場合、セキュリティの責任元がそのまま事故の責任元と見なされ、製造元だけでなく搭乗者も罪に問われることはあります。

 自動運転にもAIは活用されていますが、「飛び出してきた歩行者と搭乗者のどちらの安全を守るべきか」というように人命を天秤にかける、いわゆるトロッコ問題の解決方針については、製造元や政府、つまり人がガイドラインを定めなくてはいけません。人命に責任を持てるのは人だけなのです。

──────


 下町まで出てきたのは初めてかもしれない。生活全般は琥珀宮で事足りるし、物見遊山に出掛けるのも目抜き通りや芸術通りの方向ばかりだったし。なんだかどの店も価格の数字をデカデカと表示させてるな。翻訳モジュールが解読できないマイナーな文字も見える。女の人のアバターがいくつも並んでいる店は何屋だろうか。耐え難い異臭をボードの中まで押し売りしてくる惣菜屋があったので、ボディメンテモジュールに嗅覚の感度をかなり下げるよう指示した。どの建物も目立ったもの勝ちのように色とりどりに光っていて、調和のとれた綺麗な街並みしか知らない僕は通り過ぎるだけでされてしまう。

 拉致でなきゃ見慣れない店を物色してみたいんだけど、あいにくボードから外に出ることはできなかった。

 やがて、医療バー・モリンと表示された謎の店の係留所でボードが停まった。医療とバーって繋がることあるんだ。店の裏口らしいドアの前に一人の少年が立っている。見た感じ、僕より小さい。身長は百七十センチも無さそうだ。髪を左側だけ緑色に染めて伸ばし、右側は剃り上げている。この地区にお似合いの、なかなかパンキッシュな少年だ。僕の短い茶髪であの髪型にしても多分合わないだろうな。丸刈りにしてしまった方がまだマシだ。

「らっしゃい、神の子のイナホ君。」

 少年が両手を広げて迎えてくれる。しかしその声はボードの中で聞いていた犯人の声と同じだった。

「君が僕を……?」

「そう、俺様がお前を呼んだ。俺様はここのバーで働いてるモルガンってんだ。ああ、悪いがまだ解放はできねぇぜ、俺様の話に乗ると言ってくれるまではな。」

「手伝ってほしいことって何さ?」

 拡張視野で確認できる公開情報にはモルガン・モリンという名前と一級技術士(電気電子)としか表示されておらず年齢は非公開だったものの、多分歳が近そうで僕は少し安心した。俺様と自分を呼ぶくらいイタい奴だ、ボードをジャックしたのだって、ただの腕試しなどという子供っぽい理由かもしれない。すると彼は片頬を吊り上げてニヤリと笑った。

「……神の子と一緒に、この国のシステムをぶっ壊す。人間が人間らしく生きていくのに、アレは要らねぇんだ。」

「アレって、雷様のこと?」

「そうだ。お前には、王様になってもらう。アレを排除して、新しい時代を作るんだ。」

 モルガン少年は熱っぽく、しかし慎重に言葉を選びながら話している。当然だ、ボードの外は雷様の監視下だもの。どれだけ慎重になったって足りないぐらいだ。でも僕を拉致した時点である程度の覚悟はついているのだろう、彼の口調に迷いはなかった。

 一方僕は、顔から血の気が引いているのを感じていた。

 モルガンが排除しようとしているこの国のシステムは、つまり。

「……僕に、父親を殺せって言うのか。」

 僕の喉から低い声が出て、モルガンは少しだけ気の毒そうに眉を寄せた。

「そこまでは言ってないさ。ただ、その座からは退場してもらう。アレが何なのかが分からねぇからだ。俺様は、理解できねぇものを信じられるほど盲目じゃいられねぇんだ。理解できねぇから信じるしかねえってのは、『逃げ』だろ。

 ……おかしいとは思わねぇか。アレは今、人間の法律よりも優先していいことになってる。アレが人間なら個人の判断が法律を侵すことになるし、アレが人間じゃねぇんなら、そんなモノに問答無用で裁かれるのは納得がいかねえ。なあ、法学専攻のお前なら、分かるだろ?」

「ああ……それで、僕に目をつけたのか。」

 僕は法律の話になってようやく深く呼吸ができた。そう、確かに真面目に学ぶのが馬鹿らしいと思ったこともある。結局裁くのは全部雷様だ。あの人を弾劾できる法律は存在しない。大人は皆それについては諦めているし、それを受け入れてでもこの国に帰属するメリットの方が格段に大きかった。医療モジュールなんかの一部の重要なナノマシンが、この国の特殊な電場でないと動かないからだ。

 この国で弁護士の資格はとても軽い。ただの生活指導や示談の相談所の役割を果たすだけだ。裁判は当事者と雷様だけで事足りるのだから。この国においてあの人に掴めない証拠など無いし、国民全員に平等に権利と自由を与えているのもあの人だ。そう、あの人は間違いなく神様なのだ。

 そんなモノに、人らしさを、父親らしさを求めている僕の、なんと滑稽なことか。

「お前を選んだのはそれだけの理由じゃねぇぜ。闘技場で練習しているのを盗み見させてもらった。俺様の目的のために、次の武闘会で、お前を優勝させてみせる。」

「それってつまり……他国に介入させるつもり?」

「驚いたぜ。お前は賢いな。確かに……戦士に選ばれたら、外交の権利が手に入る。よく今の一瞬で思いついたな。でも駄目だ、味方につけておくのは良いが、この国が乗っ取られるのは困るんだ。俺様達だけでやる。戦士にさせたいのは、王様を替えるのにあたって、市民の支持を集めるためだ。」

「俺様達って……。」

「俺様と、お前だ。イナホ、俺様の仲間になってくれ。」

 ボードの外で差し出された右手は僕のより小さくて、とても頼りない。僕は手を出すどころか、運転席から動くつもりもなかった。

「僕が王様や雷様に勝てるとでも?」

「知恵比べでは、俺様が勝つ。この天才技師モルガン様に任せろ。お前は王族らしく、人の心で勝てばいい。」

「何がちょっとだけ手伝って、だよ。国家転覆の片棒を担げってことだろ。」

「だがよ、武闘会で優勝することと王様になること、どっちも王族なら当たり前に目指すべきことなんじゃねぇのか。そこにちょいとばかし俺様の我儘を通す余地を作ってもらうだけさ。嘘は言ってねぇよ。」

「馬鹿、ちょいとばかしで親を排除しろって言われた身にもなれよ。」

「闘技場じゃ、親だとは思ってなかったように聞こえたがな?」

「会話まで盗み聞きしてるなんて、悪い奴だなぁ……。」

 呆れ笑いが出てしまった。確かに、モルガンは天才なのだろう。並のハッカーには雷様のナノマシンどころかボードすら突破できないはずだ。それだけにこの危険分子を雷様が長生きさせてくれるとはどうも思えない。

 僕が間に立って庇えば、うまく取りなせるだろうか。それとも僕ごと消されるだろうか。

 世の中をひっくり返す気は正直全く無いけれど、モルガンには興味が湧いてきた。きっと良い方に転べば、この男は僕ら次の世代の技術的な未来を担う存在になれる。それなら僕は彼の手綱を握って、一緒に正解を探すのが良いんじゃないかな。

 人間がどう在るべきかなんて、考えても分からない。ただ、嫌だと思うことを嫌だと主張する権利はある。たまには反抗期をやらせてもらってもいいだろう。そのうちきっと、僕らの納得する未来が見えるはずだ。

 色々と理屈をこねてみたが、要は僕もモルガンとの出会いにワクワクしているのだった。さっきまでみじんも動く気はなかったのに不思議なものだ。

「……仕方ないな、仲間になるよ。」

「お? なんだ、もう折れてくれるのか。もっと粘られると思って脅迫ネタもいくつかご用意してたんだがな。」

「何それ!?」

「軽犯罪に手を染めることにならなくて助かったぜ!」

「脅迫は軽犯罪じゃない!」

 僕の指摘を無視して、モルガンはニカッと不敵に笑った。ボードの壁がようやく開放される。僕はモルガンの手を取って、ボードから脱出した。

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