Chapter1 屍

 午前十一時、蛍光灯を背負ったドローンたちは公共道路に解き放たれる。まるで水泳のシンクロのような規律された動きで空中へ正方形を作り出すと、自慢の背中の光の色を自由自在に変えながら、義肢美容外科や電気動物メーカーの広告と共に本日の天皇陛下の体温や血圧のテロップをゴシック体で繰り返し右から左へ流れるように映し出す。目線を落とすと、タンパク質を有さない異常にか細い手足や、それとは対照的な五本の筋肉質な腕、そしてそれらを追従する全身金属性の四足歩行フォーレッグの電気動物らが町中を闊歩していた。


 先に断っておこう、今じゃ街中で四人に一人は義肢ユーザーであり、そして二匹に一匹が電気動物であるが、これは宇宙人エイリアンや未知の感染症ウイルスの襲来で手足を失わなければならなかったわけでも、人類の身体が進化したわけでも、はたまた犬や猫といった愛玩動物たちがなにがしかの陰謀で種が根絶されてしまったわけでもない。これは単なる一つの人間社会のファッション文化として義肢と電気動物が流行っただけで、実際、精神性含め二千年代から人間の本質的な箇所は一切の変化を会得してはいなければ、天皇陛下が意識を失ってからもうすでに半年が経っているが、義務的に目に入る本日の陛下の御容体はとっくの昔に形骸化した日常の一要素として社会と融和を果たしている。そんな種にも薬にもならない物思いに耽りながらドアノブの無いドアに体を寄せると、中央に設置された赤色のランプは僕の身体をスキャンして義骨に刻まれた生体番号を読み取る。その体の色を黄緑色の点滅へと移行させるとドアは僕をその身体の内側へと招き入れた。


「おかえりなさいませ、今泉志郎いまいずみしろう様」


 モバイルアシスタントは僕を認識すると共に玄関上の電灯を照らした。廊下の奥からは玄関のランプを通じて主人の帰宅を認識した電気犬が充電パッドを抜け出してミシミシという音を立て僕を出迎える。電気犬はしばらく物欲しそうに僕の目を見つめると、「カラカラピー」という引っ掻き音を首元のスピーカーから漏らしてその場にコテンと横たわった。玄関横のクローゼットから「電気病治療端子」というステッカーが貼り付けられたケーブルを引っ張り出して腹元の差し込み口へ接続すると、痙攣を始めていた電気犬は再び活気を取り戻し、僕の周りを何度かクルクル周回して再び廊下奥の充電パッドへと鎮座した。


「それ、なんか意味あんの?」


 そんな様子を見ていたのか、廊下奥のリビングから口に何かを含んだようなくぐもった我孫子の低音声が玄関に響いた。


「貰ったんだよ、就職祝いに幼馴染から。できることなら僕だってこんな不便なもの捨てちまいたいが、生憎右隣と下層の機械愛護オタクのばあさんがそういうのにうるさくてさ。まぁそいつらから貰った治療端子を使い果たしたらとっとと粗大ゴミにするよ。」


 電気犬は文字通り電気で作られた機械人形だが、購入時に自動的にメーカーが指定した寿命がランダムでセットアップされ、寿命が近づくにつれて電気病という痙攣症状を発症するようプログラムされている。この電気病の症状を治療するには別売りの治療端子を定期的に接続しなければならず、接続せず長時間放置を続けるとそのまま命を落としてしまう。まぁ、命といってもただプログラムが初期化されてしまうだけだし、そもそも電気病なんてものも単にプログラムの誤作動を必然的に引き起こすプログラムがあらかじめ入力されているというだけなのだが、そんな不便な代物が逆に擬似愛情アンプラトニック製造装置として世間では人気を博している。愛情っていうのは思ってるよりもずっと不便という概念と鏡映しなのかもしれない。


「せっかく機械の犬なんだから寿命なんて取っ払ったものにすればいいのになぁ、なんだっけ、さっき広告で流れてきたぞ、確かそういうのを電気家族サードファミリーとか言うらしいな。それの母親タイプとかわけわかんない代物も出てるらしいぜ。」


 リビングへ足を進めると我孫子がその巨体を僕のソファーに我が物顔で支えさせながらピザを食し、それと同時並行でタブレットの無料ゲームに勤しんでいた。


「そんな生活してたら早死にするぞ?」


「知らねぇのか?不健康ってのは人間の権利なんだぜ?まぁ政府製の義骨まみれのお前にはわかんないだろうがな。あ、そういえばさっき局長から来たメール見たか?ほら、例の二日前の重工ハックのアッフィーのヤツ。」


 僕は我孫子に不満を漏らしたい気持ちをグッと堪えて端末の電源を入れる。そこには僕らが二日前対応した筒井重工ハック事件に関する調査の進捗と、重要な報告があるからという理由で二時間後に本部第二調査室へ出頭せよという命令が端的に記述された文面が通知されていた。


 

あの黒ずみに塗れたアッフィーの瞳は今も尚無機質に反響を繰り返していた。




 こうやって全身を精密人工皮膚ニューロシリコンで覆われたアッフィーをまじまじと見つめるのはこの仕事についてからも初めての経験だった。十八から二十五歳程度の女体を模した義肢体が鋼鉄製のベッドに横たわり、手足を固定されて数多の鋭い電極を一つ一つ関節部に差し込まれていくその光景は、まるで何かのポルノ映画か、それか司法解剖現場や病棟地下の霊安室のような、湿っていて、それでいて曇った空気を漂わせていた。実際に電極の針先を差し込んでいるのはタングステン製の全頭ゴーグルのエンジニアであるが、こうやって壁に義背骨を密着させてその光景を傍観していると、そんな傍観者である自分自身の存在がこの空間内に於いて酷く残酷に感ぜられるのはなぜだろうか......。そういえば、半年ほど前にフランスのインフルエンサーが自前のアッフィーに暴力を振るう映像を公開し、それが大衆の憐憫に触れて猛烈な批判を浴びた小さい炎上事件があった。今まで理解に苦しんだその大衆メカニズムがここでようやく少し理解できた気がする。

 ああ、補足をしておくよ、今の今までの三十行弱で登場したアッフィーという言葉はアーティフィシャリアンの略で、主に直立二足歩行型の汎用作業機械、人型ロボット、飛んで義肢体に向けて使用される言葉だ。まぁ分かりやすく人造人間アンドロイドと思ってもらえれば良い。じゃあなんで人造人間って言わないかって?そりゃ単純な話さ、アッフィーを最初に開発、製造した会社は当初人造人間っていう名称で販売しようとしたけど、いざ特許を取得しようとしたらどっかの出版社がとっくの昔にその単語の権利を独占していたことが判明して、新たにアッフィーという言葉を作って販売したらいつの間にか社会指標はそっちにすり替わって、逆に人造人間アンドロイドとか言う時代錯誤でチープなSF用語は辞書の隅っこでひっそりと暮らすようになった、と、こういうことだ。


「なんとも不思議だよな、あのアッフィー、完全にオリジナルの言語でプログラムが組み立てられてるらしいぜ」


 我孫子はアッフィーの鉄ベッドの横に取り付けられたディスプレイへチラチラと目線を移しながら言う。


「その言語からの推測もできないのかい?」


「エンジニアが言うにはそもそもの暗号化の方法も全く未知な手段が取られてるらしい、どっかの諜報機関のエージェントか技術者が作ったものだって言われても納得しちまう出来らしいぜ」


「そんなどこかの諜報機関がなんで日本の政府関係でもない重工会社にハッキングを仕掛けるんだ」


 今から二日前、筒井重工という有限会社の接待用アッフィーが一台突如暴走を始め、工場内の機械群を一斉停止、また生産ラインを組み替えるという事件が起きた。目の前の鉄ベッドに横たわっているのは通報を受けて出動した僕と我孫子が捕獲したその暴走アッフィーだ。


「待たせてすまない。君たちに紹介したい人がいる。」


 豊かな白髪を携えた芹沢局長は第二調査室の重厚な扉を開き三名の背広男性を引き連れながら現れた。一名は大柄で我孫子のように小太りな初老の男、一名は威圧的でガタイの良い長躯な黒人男性、一名はそんな二人とは対照的なやや痩せ型の色白の白人であり、その中でも小太りの初老男性の面影には見覚えがあった。そして同様にそれが僕らの上司である情報庁副大臣の小松新一氏であることに気づくのにもさほど時間は掛からなかった。黒人が芹沢局長に耳打ちで何か語りかけたと思うと、課長は「はい、彼らです。」と返答を挟み「君たちに紹介しよう」と前に置いた。


「彼はCIAのミスターフィリップ、同じくドクターチェザリーニ、小松副大臣は君たちも既知だろう。」


 ミスターフィリップと指された黒人男性は高圧的な態度を崩さず大きく鼻から息を吹きだし、ドクターチェザリーニは僕らに軽く会釈をすると鉄のベッドの方へ視線を向けた。


「初めまして今泉さん、我孫子さん、私はフィリップ・ライリー、これから話すことだが君たちのアレの捕獲には非常に感謝をしている。彼、ドクター・カリギャン・チェザリーニは米資本のロボット産業会社ナウスインダストリーの研究員でね、自他共に認めるアッフィー技術の第一人者だ。インターネットで少し名前を検索すればその業績と証明は担保できるだろう。」


「十二時間ほど前にアメリカ政府から直々に彼らの身分を証明する資料が届いてね、内容は君らの捕まえたその鉄人形の調査申請と日本国内における数週間の捜査権要求、また君たちとの共同捜査要求の三点、当然のことながら捜査関係については未だ審議中だが調査申請は二十分前に受理した、もちろん印を押したのは私だ。」


 次は小太りの小松副大臣が一枚の受理証を見せつけながらこの二人の目的や身分を弁舌する。ふと鉄ベッドの方に目を向けると、チェザリーニ博士がエンジニアを押しのけ、首元から数本のケーブル端子を引っ張り出し、まるで昆虫の触覚のように操りながら調査端末と接続していた。


「ドクターチェザリーニ、どうだ、それは例のプログラムか?」


「コードは一致している、F1961Cだ。間違いない。」


 フィリップ氏に返答をし、チェザリーニ博士は目線を交互にモニターとアッフィーに切り替えながらデバイスのキーボードをタイプする。


「さて、本題に入りたいのですが一体この義肢体のハッカーは誰なのですか?一体なんの目的があって筒井重工をハックし、CIAのあなた方がわざわざ出向いてきたのです?共同捜査が仮に受理されたとしても情報を開示して頂けなければワシも、ワシの部下達もあなた方のことを心から信用して共に仕事をすることはできんぞ」


 芹沢局長の物言いに一瞬は小松副大臣が何かを口ずさんで静止を試みるが、フィリップ氏はそんな小松副大臣を宥めて「いいだろう」と言って中型のタブレット端末を懐から引き出し、作業をするチェザリーニ博士の方に目線を仰いだ。


「君たちが言っているそのアッフィーのハッカーに法的拘束力はない。同時にそれを定義する法も無いとも言えるが。」


 タブレットのディスプレイが点灯し、ややノイズ混じりのチェザリーニ博士によく似た音質の声がスピーカーから再生される。それと同時に画面上ではその文言が文字に起こされ、日本語、英語、フランス語、ロシア語、中国語と、五カ国の言語に翻訳されていた。


「このような無礼をお許しいただきたい。発声機関やその他体内の関節駆動部や排泄機関への人工臓器用エネルギー割り振りを一時的に停止し、これの高度分析のキャパシティに回しているが故に現在私は呼吸器官を通じた一切の発声、及び意思疎通ができない。」


 確かにタイピングをしながら首や眼球を回すチェザリーニ博士の肩や腰、足は不自然なほどに完璧な静止を遂げていた。


「まずそのアッフィーのハッカー、仮にそれを彼と定義しようか。彼の名前はF1961C、我々ナウスインダストリーと世界各国のロボット産業会社や研究団体が米中政府の援助を受けて生成した人工知能だ。組み込まれた思考計算用組織の速度は魚類程度ならば軽く超越している。」


「ちょっと待て、人工知能だと?」


 芹沢課長はあまりの突拍子の無さに口を挟み、チェザリーニ博士にその一点のさらに詳しい説明を求めた。


「信じられないのも無理はない。ほんの数年前まで人工知能の反乱や犯罪なんぞSF映画の舞台装置にしか過ぎなかったからな。しかし現に彼らは暴走を始め、我々のコントロールを逸脱し、日本のネットワーク上に潜入した。」


「彼ら?今あなたは彼らと言ったのか?」


「そうだ。暴走を始めた人工知能は全部で六体、うち一体は暴走当初に我々で捕獲し、うち一体はこいつだ。最初から説明をしよう、我々は十三年前、様々な分野の専門家をインドのカルカッタ総合研究センターへ招集し、ある人工知能の製造に着手した。プロジェクトはモラルトリアム計画と名付けられ、人類を幸福へと導く経済形態を全世界の総合的なデータを集約した完璧な人工知能を用いて導き出すこと最終目的として開始された。しかし幸福という概念一つとってもそこには地域、宗教、民族と環境的要因によって膨大に異なる解釈が存在している。それをカバーするため、プロジェクトではプロトタイプを含めた七台の人工知能を生成し、データのラーニングの道筋を競合の無いよう適度に調整しつつ七台全てが異なる結論に到達するよう仕組んだ。当初彼らはカール・マルクスの資本論やジェレミ・ベンサムの最大多数の最大幸福に酷似した結論や、そこから派生した現代社会に於ける経済形態を出力したが、ある点を通過した途端、彼らは非倫理的な結論を出力し始めた。持続可能社会の為の人類からの意思決定能力の切除、非出生による将来的な幸福減少阻止のための不妊、去勢手術の強制。」


「後者の結論は非出生主義の延長線上と捉えることができるが、前者の意思決定能力の切除とは?」


「人間という生物から痛みや快楽を含めた一切の感情を消失させ、蟻や蜂のような絶対的な能力値によるカースト制度を持った一種の群体生物に作り変える。なんともまぁ、我々のプロジェクトに於いては論外な結論だが、このような回答を受けて我々はプロジェクトを一時凍結、彼らの終了処分とそれまでに至る迄のコードの解析に最終目的を変更することを決定し、手始めにプロトタイプの電源コードを引き抜いた。これは六日前の出来事だが、そこで予想外の出来事が発生した。プロトタイプとデータを同期していた彼らはプロトタイプからの信号が停止したことを察知すると突如ネットワーク上に自身を複製し、我々のコントロール下を離れ行動を開始した。我々が入力した幸福探求という命令の実行に電源の停止や我々のコントロール下での行動は非効率的であると判断したのだろうというのが私を含めた技術員の総意だ。」


「つまり、こいつはあなた方から入力された幸福探究という命令を実行するために筒井重工をハックしたと?」


芹沢局長はF1961Cと先ほど呼ばれた鉄ベッドのアッフィーの顔を凝視していた。


「そうだ。こいつは日本のネットワーク上を漂い、我々の巻いたプログラムから逃れるため、その工業会社のアッフィーの身体に急遽入り込み、命令を再度実行しようとしたのだろう。」


「ウイルス?」


「仮想空間上を漂う人工知能を仮に生命に例えるのならば、その特徴は体細胞分裂によって無性生殖を繰り返すマラリア原虫に酷似している。無性生殖は有性生殖に比べ分裂の能率は桁外れだが、多様性が存在しない以上外敵や環境の変化に対する世代を超えた適能力が極端に不足している。我々は彼らがコントロールを逸脱するのを確認し、直ちに我々のネットワーク下と地続きになっている世界のネットワーク上に彼らのコピー機能を破壊する去勢プログラムを散布した。そもそも彼らのデータのコードはコピーに三日はかかる特殊仕様だ。彼らにコピー阻害という名の去勢を完了するのに時間は掛からなかったし、我々に残された任務はコピー機能を失った四体を回収するだけだ。ある意味ではこのプログラムは一種のコンピュータウイルスと捉えることもできるが、我々が普段使用しているデバイスへの影響は〇・〇二フレームほど処理が重くなるくらいの微々たるもので、それも半年もすれば自壊する。」


 この事実は流石に初耳だったようで、今までこの会話劇に静観を決めていた小松副大臣は額や掌に軽い発汗を発症していた。


「この人工知能はアメリカ、中国政府や世界有数の産業メーカーの機密技術が大量に複合されている。我がCIAとしても一般に、そして中国にこの事実が明るみになる前になんとしてでも奴らを確保したい。あなた方情報庁特殊作戦分隊は日本の中でも屈指のセキュリティを有していると聞いている。警察や公安は動けば早いがその動くまでに手続きが必要だし、何しろその手続きで彼らにこちらの動きを察知されてしまえば次にどのような動きをされるか検討もつかない。」


 フィリップ氏はチェザリーニ博士の言葉の間を縫ってCIAとしての立場を弁舌する。


「ふむ、それで迅速な独立捜査権が補填されている我々との共同捜査をわざわざ希望したというわけか。」


「プログラムの回収さえできれば良い。完全に破壊してしまっても残骸さえ回収できれば復元はできる。」


 チェザリーニ博士はいつの間にか作業を終えていた。そして僕らの輪の一歩外から立ち尽くす彼はそのどこか人間として不自然な眼球の視線を芹沢課長へ差し向けていた。


Chapter2へ続く......。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る