Chapter2 虐殺

 コンクリートの地下迷宮を走る鉄道には『再生可能エネルギーを使用しています。』というわざとらしい文言のステッカーが徐に貼り付けられている。扉上部に設置されたディスプレイを眺めると、アジア系というだけで詳しい人種が判別つかない不気味な顔つきをしたコメンテーターが一週間前の中国で発生した学生デモの武力鎮圧に対してケラケラとした笑みでナチスを引き合いに出し、その下では本日の陛下の御容態を示すテロップが右から左へとゴシック体で流れていく。我孫子はそんな映像には目もくれず昼間に僕の部屋でやっていたのと同じ携帯ゲームに一生懸命だった。


「アメリカで製造された人工知能が突如責任者のコントロールを逸脱し暴走を始めた」


 なんてあらすじをアメリカの役人から大真面目に聞かされちゃこれは見飽きたSF映画のエキストラ出演なのかと思ってしまう。それに、あのチェザリーニ博士とかいう白人男性の不気味な瞳が頭から離れない。




「お約束はされていますか?」




 フロントに直立する接待用アッフィーは瞳のランプから僕と我孫子の姿をスキャンした。外側から見ればカウンターが邪魔して人間らしい姿しか確認することができないが、一度身を乗り出してカウンターの奥を覗いてみれば床下の電源パッドに固定された案山子のようなやや錆びついた下半身を目に焼き付けることができる。


「筒井慎太郎社長へのお客様ですね、右手突き当りのエレベーターから六十五階まで御移動下さい。」


 アッフィーはマニュアル通りの一言一句違わぬ音声を発し規律された会釈をすると再び体を起こし「お約束はされてますか?」と発した。僕らが移動する間に既に到着していたエレベーターに誘われるまま入ると正面玄関のあの接待用アッフィーと連結されたコンピュータが回数指定ボタンの六十五階のランプを自動で点灯させ扉を閉じた。


「なぁ、あの博士は残りの四体も全部日本のネットワークにいるって言ってたけどよ、あれってなんでなのかな」


 ガラス張りのエレベーターが地面から遠ざかっていくと我孫子は僕の身体を軽く小突いた。


「何が気になるんだよ」


「だってさ、日本だって一応は先進国だぜ?最低限のセキュリティは万全だし、わざわざ日本のネットワークに全員集合しなくたって地域ごとに分散すればいいじゃんか、アメリカとか、ヨーロッパとか、オーストラリアとかさ」


「どうかな、実際日本には全世界からの難民が大量に滞在しているし、情報網の発達もその技術だって今も世界有数だ。いろんなモデルケースをいっぺんに学習することができるとでも考えたんじゃないか?」


「そうなのかなぁ。」


 そう表面上納得する我孫子の表情にはまだ少し不満の残滓があった。エレベーターの扉が開くとそこには人払いを済ませた筒井慎太郎氏がソファーに堂々と座り、横には四足歩行型フォーレッグの介助用アッフィーが次の命令を今か今かと待っていた。


「話は芹沢から聞いとるよ。ほれ持ってきたまえ。」


 筒井氏は僕たちの来訪を待っていたかのように介助用アッフィーへ指示を仰いだ。筒井重工社長の筒井氏は芹沢局長の盟友であり、僕らがあの事件の時にすんなりと工場に突入できたのもその人脈からの伝であった。筒井氏は自身と対面になるよう僕らをその黒革のソファーへ座らせると、介助用アッフィーがその愛らしさを極限までそぎ落としたような鉄板の背中に乗せて運んできたアタッシュケースを受け取り、それの封を僕らの方に向けて解いた。


「これだろう、君らが望んでいるのは」


 そこにはとても精工に形作られたピストルが発泡スチロールの中に納まっていた。警察官の使用するもののようにリボルバー機構は存在しないが引き金もあれば安全装置もしっかりとついている。


「勘違いするんじゃあないぞ?これは水圧銃だ。目標に向けてトリガーを引くと過度に圧縮された加工塩水が重工が発射される。日本国の銃刀法の定義は金属製弾丸を発射する機能を有する装薬銃砲及び空気銃じゃからな、圧縮により殺傷能力を発揮する水鉄砲ははいっちゃおらん。そもそも世界でこんなものを創ったのはワシだけじゃがな、法律は見て起こったことにしかその身体を曲げることができん!けけけけけ!」


 筒井氏はご機嫌にこの水圧銃が如何に法律の穴を潜る優れものかを語る。僕らがそのアタッシュケースの蓋に付属した二部のファイルに気づくと筒井氏は「ああ、そうじゃたそうじゃった」と何かを思い出したような仕草を挟んだ。


「これは芹沢から貰った資料を基にワシが信頼できる技術員に極秘で頼んだその人工知能らの日本のネットワーク上での軌跡じゃ。皆どこかのアッフィーか機材に入り込んでネットワークから一時切断したそうじゃが、少なくともこの最終地点の近くにはまだおるはずじゃ。」


 筒井氏はそのファイルをケースから剥がし僕と我孫子に一部ずつ手渡す。中身を開いてみるとそこには鉄ベッドのF1961Cやフィリップらによって既に確保されたものを含めた六台の人工知能らがカルカッタ総合研究センターでコントロールを外れてからの経由サーバーリストやネットワーク下に於ける彼らのデータの場所が時系列順に陳列されていた。筒井氏は芹沢局長からの資料と言っていたが、実際のところはあのチェザリーニ博士からもたらされた情報を局長が中継しただけなのだろう。


「このデータはすでに局長にはお渡しされましたか?」


 僕がそう聞くと筒井氏は「もちろん」と前置いてこのファイルを公共の監視デバイスに映らせてはいけないこと、筒井氏が今回の発端を断片的ではあるが局長から風聴されたこと、そしてモラルトリアム計画に筒井重工にも一声かかったが丁重に断ったという過去と、もしもその時のデータが発見できれば追って連絡すると話し、最後に「人工知能が自発的に叛乱を企てるということはあり得ない。そこに存在するのは悪意の陰謀とヒューマンエラーのみじゃ」と付け加えた。

 僕と我孫子は水圧銃を懐の中に押し込み、筒井氏に一礼をすると既に扉が開いて一階のランプが点灯しているエレベーターへと駆け込んだ。我孫子はエレベーターの中でファイルを開くと僕に見えるようにK2013UNという文字列とその横に陳列された池袋の住所を指差し、僕はそんな中あの鉄ベッドのF1961Cの表情を脳裏に浮かべ、またそれと同様に街中を闊歩する義肢マニアたちの姿をそこに並べた。今じゃ四人に一人が義肢ユーザーであり、その中でも完全に全身を義肢体で覆ってアッフィーとなった人間も決して少数派ではない。肉体、精神共に人という概念そのものが数十年前のSFの人造人間のような存在に近づいている中で、仮に人工知能が少しでも人に近づくことができたのならば、それか人を人として足り得る何かの柱たるパーツへと人ではない何かがアクセスできるようになったのであれば、その時点で僕らは人という生物ではなくなるのだろうか?何かに人という、人類という存在、肩書きを奪われることになるのだろうか?




「次は池袋、池袋、お出口は左側です。」



 在来線のアナウンスが耳を突いた。


 

 右隣を見ると我孫子はいつも通り携帯ゲームに勤しみ、ディスプレイは義肢保健会社のコマーシャルと今日だけでも三回は見た本日の陛下の御容態を示すゴシック体を右から左へと流していた。



 アナウンスが「まもなく池袋」という文言に切り替わった。



 熱中する我孫子へ声をかけようとした刹那、僕の後ろで鈍く、そしてどこかピーナッツのような空洞混じりの音が弾けた。

 僕はその刹那の衝撃で我孫子への声を遺失し喉を詰まらせ、音の正体を振り向き探ると、そこには床に突っ伏した男性がただただその殺風景で佇んでいた。

 僕は我孫子の名前を叫んだ。二人で駆け寄って男性の肋と足を軽く持ち上げドア前まで誘導する。



 アナウンスが「ドア開きますのでご注意ください」に切り替わり扉が開く。



 車内カメラと連動した昆虫型アッフィーが担架を抱えて車内に駆け込むのと入れ替わり、乗客たちがまるで蟻の行列のように降車を始めた。

 昆虫型インセクスアッフィーは「そんなの慣れっこだ」と言わんばかりの手際で男性をプラットフォームへと担ぎ出す。

 この刻にあの男性が一切の義肢を有していないということに気づくまではさほどの時間も必要としなかった。我孫子と顔を見合わせプラットフォームを見晴らすと、背広姿の男女らがデバイス片手に僕らのことを次々と追い越していく。そうやって担架を運ぶ昆虫型アッフィーと僕らを本能的に、それか義足搭載の緊急回避かもしれないが、そうやって避けていく人々らには、自身に与えられた命令以外を視認することは許されていなかった。



 在来線は、定刻きっかりに発車した。


 

 それをただ茫然と眺める我孫子の表情はこんな文章や単語では到底表すことができない煩雑を描いていた。プラットフォームから池袋の街並みを覗いてみると、そこには増築に増築が繰り返された、まるで小学生が図画工作で制作したグロテスクのような建築群が乱雑なコロニーを形成していた。


 酒屋に宿屋に風俗に、それらの総合窓口に、大通りに出ると社会の好き勝手に組み合わさった願いが僕らを襲う。



 陽が落ちて、灯が登る。



 遥か先から耳を擽る太鼓と金具と鈴の音は、僕の耳から鼻腔を巡って頭蓋を破って飛び立った。


 


 灯が消えて、陽が登る。




 池袋の乱雑を照らして焼却する太陽はコンクリートで形成された社会の人らのコロニーを次から次へと飲み込んだ。




「シロォ!」




 空を見上げる。そこには日没の紫色が太陽を追っていた。僕の視界から音が取り戻され、居酒屋の誘いの文句が耳に流れ込む。ここが池袋の歓楽街通りの一角であると気づくと、右隣には息を切らした我孫子が僕の襟裾を固く摘んでいた。


「やっと気がついたか」


 我孫子は僕の瞳を覗き込んだ。その瞳には紛れもない僕の顔が鏡像となって現れ、そのまま我孫子は僕が池袋の大通りを太鼓と共に行進する行列に突如「死のう」と呟いて返事も何もせず参加したのだと語った。


「僕の義骨がウイルスか何かで乗っ取られたのかもしれない。」


 僕は義骨のアクセス履歴を辿りながらあの幻覚の中で響いた太鼓らの音を思い出す。


「あの長蛇の行列、お前は覚えてねぇかもしれねぇがかなり不自然な動きをしてたぜ、もしかしたらあの集団の奴らもみんなお前みたいに意識を乗っ取られてんのかもしれねぇ」


 第二調査室でのチェザリーニ博士の言葉が反復した。人工知能のうち一体は人間を群体生物に作り変える結論を出力したと。


「もしかしたら想像以上に事態は拡大しているのかもしれない、我孫子!その行列を追うぞ!」


「追うって大丈夫なのかよ!お前さっきハックされたばっかだろ!」


「今の間に僕の義骨への不正アクセスの記録を辿って防壁プログラムを構築した。即応品だから通じるかは賭けだが、時間は確実に稼げる!」


 我孫子は僕の言葉を聞いて何度か頷くと、そのやや不安そうな表情をどこかへと押し込み「こっちだ!」と叫びながら池袋の歓楽街を走り出した。

 誘蛾灯のように太字で格安と書き込まれた看板やコスプレ衣装を着込んだ女性らのプラカードが僕の視界に映り込んでは消えてゆく。

 空の紫色が紺色に飲み込まれていくにつれ、街の橙は薪を焚べられた炎のように勢いを強く増していく。


 死のう!


 歓楽街の住人が向かい風となって現れる。



 死のう!



 空の紫色は紺色に飲み込まれ、紺色は街の橙に侵食されて淡い青となり空に堆積し、そんな空を見上げる視界の端々では居場所を失った紺色がポツポツと沈殿しているのが見えた。




 死のう!死のう!




 自分の思考に何かが芽生えた。




 僕は義骨を閉鎖モードへと移行する。どうやらさっき貰ったウイルスの残滓が僕の義肢の中で好き勝手に動き回っているらしい。あとできちんと除去しなくちゃならない。死のう、死のうという発した覚えのない自分の思考が声となって反響する。


「おい志郎!大丈夫だよな!もう少しで一団に追いつくぞ!」


 我孫子の声が僕を引き戻す。我孫子は僕を先導し、右隣には居酒屋の客引きが追従する。左側にはコスプレ姿の女性たちが口を開いて歓楽街を我孫子を追って駆けていた。着崩れた背広姿の男女が晴れ晴れとした笑みで一人、また一人と走り出す。先ほどまでの向かい風の歓楽街の住人らが、いつしか僕らの追い風となり我孫子の背中を追っていた。


「おい我孫子!後ろを見ろ!何かおかしいぞ!」


 我孫子は後ろを振り向く。僕は周りを見渡した。そこには何十、何百という社会の人らが橙色で照らされた歓楽街の大通りを一挙に塞いで走り抜ける光景がまるで災害のように押し寄せていた。傍に座り込む浮浪者や、なぜか影響を受けず慌てて通りの店に逃げ込んでいく人々はこの大群の行末を困惑の目で見つめていた。


「畜生!こんなの滅茶苦茶だ!」


 我孫子が悲痛の声を上げ、それと同時に本体の長蛇行列が見えた。僕は我孫子に叫ぶ。


「突っ込むぞ!それろ!」


 我孫子は浮浪者のゴミ袋にその身をドカンと投げ、同時に僕も身を投げる。大群が行列の中に突っ込んで、その瞬間突如銅鑼の音が街を包んだ。大群と合体した行列は一斉に足を止めると、一人一人が大きく息を吸い込んで、口を揃えて声を上げた。



「死のう!死のう!死のう!死のう!死のう!死のう!死のう!死のう!死のう!死のう!死のう!死のう!死のう!」



 太鼓の音が、金具の音が、祭りのような鈴の音が、百鬼夜行のようにまた一歩、一歩と足を踏み出し、何千人で構成された死のうの合唱と行進は、鈍くて重い地響きを骨の髄まで轟かせる。


「我孫子、まだ動けるか?」


 ゴミ袋に突っ伏す我孫子は三度深い息を吸って吐きながら僕に向かって親指を上に立てた。


「先頭集団に行くぞ、この音の発信元を破壊するんだ。水圧銃を持て。」


 我孫子は唾をゴクリと飲み込みながら筒井氏の水圧銃を懐から取った。僕が合図を出すと僕は行列の左から、我孫子は右から先頭集団の音の方へと走り出した。死のう!死のう!と響く声の間を次々掻き分けていくとこの行列の先頭集団が池袋駅の内部へ入り込んでいることと、この影響を受けずに帰宅を目指す背広姿の短躯な男性が無理やり行列を突っ切ろうとして躓きぐちゃぐちゃに踏み潰されているのが見えた。駅前の大通りを塞ぐ行列の左右でクラクションを鳴らすタクシーとバスは危険回避機能とダイヤ修正機構が交互に働き、進みは後退し、進みは後退しを幾度も繰り返していた。


 死のうという声とクラクションと、電車の振動と太鼓の旋律が煩雑に入り乱れる。


 僕はただ先頭集団という一点を目指してこの行列と共に駅前の大通りを突っ切った。しかし、その瞬間、僕の行く手を阻むように肉塊が足元を塞ぐ。そして、それと同時に、死のう死のうという声と器楽の音に今までかき消されていた鈍い音と風切り音が無秩序に街へ牙を向いた。

 淡い青色の夜空に血肉の霰が振り掛けられ、バスやタクシーのフロントガラスを歪ませ割って破壊して、その光景に向けられたカメラのレンズは鮮やかな赤色に染められた。それはまるで神が雲の上から失敗作を次々と投棄しているかのような光景で、空から降り注ぐ肉塊は行列すらも脈略無く押し潰し、アスファルトとコンクリートを幼稚園生の落書きのように汚していった。


 エレベーターに駆け込み、何階かを尋ねるエレベーターガールのアッフィーを押し倒して最上階のボタンを押す。水圧銃の安全装置を外し、息を深く吸い込んでまた吐いた。


 到着を伝えるアナウンスと共に扉が開いた。


 行列の先頭にあったのは真っ黒く、そして正方形の昆虫型の巨大スピーカーであった。水圧銃の引き金に指をかけ、死のう、死のう、死のう、死のう、死のう。


 水圧銃の引き金に指をかけた。


 

 死のう死のう。



 水圧銃の引き金に指をかける。スピーカーは僕へ駆動音を鳴らしながら近づくと、上部に取り付けられたランプで水圧銃のスキャンを始めた。僕は水圧銃の引き金に指をかけた。義骨の閉鎖モードが解放に切り替えられつつあるのを感じ、再び義骨を閉鎖モードに切り替える。僕は水圧銃の引き金に指をかけた。死のうという声と鈴の音が生温かさと共に頭蓋で反復した。


 僕は叫んだ。



「幼稚な結論出しやがって!」



 そのランプに向けて引き金を引くと極度に圧縮された加工水がその巨体を貫いた。

 

 行列は止まった。肉塊の霰は止んだ。死のう音頭は終演した。


Chapter3に続く......。

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