第6話 ふたたび、世界の危機

 今にも携帯電話が鳴り響いて、テセラクトが現れたと呼び出されるんじゃないかとか思っているうちに、あっという間に一日は過ぎた。


「それではみなさん、また明日ですよ~」


 と、小学生にするような挨拶とともに、担任の卯ノ花舞花が教室を去る。

 今年で27らしいが、どうみても中学生くらいの顔と身長だ。


 昨日、直と沙詠のテセラクト退治の際オペレータをしていた事実などなかったかのような態度である。

 担当である現代文の授業中も、まったくもっていつもどおりだった。


 そんな彼女の後を追って、男子生徒が数人駆けていく。

 無駄に質問を捻り出して、少しでもお近づきになろうという魂胆らしい。


 直はそんなクラスメイトの狂態を尻目に、ため息一つ、重々しく腰を上げた。


 これからあの正気の沙汰とも思えない元我が家の現秘密基地に戻らねばならないのかと思うと、具合が悪くなる。


 図書室にでも寄って少しでも時間を引き延ばそうか、などと無駄な足掻きの手段を模索してみるが、それを打ち破るようにあっさり声をかけられた。


「帰ろーか、見神楽くん」


 委員長がニコニコと笑っていた。


         ※


 直たちの通う籠鳥高校は、地形上の妙な特徴から、自転車通学者がほとんどいない。


 周りはけっこう傾斜がきついのだが、それぐらいでチャリ通を諦める高校生は、まあゼロではないにしろそう多くはない。

 問題は、そのきつい傾斜を抜けて学校に至る道のほとんどが階段であることだ。


 まったく不便なことこのうえない。

 まあ、世の中には、れっきとした国道なのに階段というとんでもない道路も存在するらしいし、そこまで苦労自慢できるほどのことではないのだが。


 とにかくこういうわけで、直も沙詠も歩いて登下校している。


「なあ、前から疑問だったんだが」


 と、両脇に高い木が並ぶ階段を下りながら直は沙詠に言う。


「委員長はなんで俺と一緒に帰るんだ?」


「ほえ?」


 沙詠は、授業中に『先生このチョークってどうやって使うんですか』とでも言われたような、きょとんとした顔になる。


 そんなに想定外の質問か?


 しかし、直にしてみればいまさらな質問である。

 今までしなかったのが不思議なほどだ。


 沙詠とは帰りは一緒になることが多いが、登校時に待ち合わせをするほどではない。

 校内での会話も挨拶程度。


 本当に、単純に、ただのクラスメイトで委員長。


 なのになぜ、彼女は自分と一緒に帰るのだろう。


 ほかに友人がいない、なんてことはない。

 沙詠は言ってしまえば人気者なので、引く手数多の選り取り見取りである。


 直も、沙詠ほどではないが一緒に下校する友達くらいは何人かいる。


 事実、二人ともそれぞれべつの人間と帰ることは結構ある。


 だったらなぜ?


「ふむふむ」


 口をアヒルみたいにひん曲げて笑みを浮かべ、沙詠は直のほうを覗き込むように見てくる。


「な、なんだよ」


「なかなか面白い質問だね」


 だったらなんでさっきは的外れみたいな顔をしたんだ。


 そんなツッコみを直がする暇もなく、

 だからもちろん、沙詠が質問に答える余裕もなく、


 激しい揺れが、唐突に二人を襲った。


「わわっ……」


「地震か?」


 直は言うまでもないことを呟きながら、とっさに周囲を見回す。


 ひょっとしてテセラクトが出現したのでは、と思ったのだ。


 しかしそんなような兆候は見当たらなかった。


 見当たらなかったがしかし。

 直はそれをほぼ確信していた。


 すぐには気づかなかったが、この地震、ただ地面が揺れているだけではないようなのだ。


「うっ……」


 昨日体験した、テセラクト出現直前の感覚に似ている。


 世界がぐるぐる回るような奇妙な感覚だ。


 直は吐き気を催す。

 乗り物酔いやなんかとはまた違った感じ。


 言うなれば、脳みそを頭から取り出して、洗濯機に入れて回されているような……と、そんな想像をしてしまって、よけいに気持ちが悪くなる。


 地震のような揺れは収まるどころか、なおも激しくなりつつある。


 とりあえず、こんな道の真ん中にいては車が突っ込んでくるかもしれない。

 学校のグラウンドにでも移動するべきだ。


「おい、委員長……」


 と直が沙詠のほうを見る。


 酷く視界が歪んでいる。

 乱視用のメガネでもかけさせられたような感じだ。


 その歪んだ視界の中で、


「にぎゃ!」


 彼女は変な悲鳴を上げながら宙に浮いて、道端の茂みの向こうへ吹っ飛んでいった。


 腹になにか黒いものを抱えているように見えた。

 というよりも、その黒い物体がどこからか飛んできて、彼女を吹っ飛ばした。

 そんな雰囲気だった。


 直は慌てて茂みへ飛び込む。


 果たしてそこにいたのは、気を失って横たわる沙詠と、その腹の上に座る一匹の黒猫だった。


 たしかM-CATとか。


 黒猫は「うにゃ」と口を開いた。

 同時に目がきらりと光り、ひげが急激に長くなった。


 そして直の耳に声が飛び込んできた。


『ふははははは』


「……親父」


 黒猫の口から剛武郎の笑い声が聞こえてきた。

 何度聞いても非常に神経を逆撫でされる声だ。


 直は思わず黒猫を蹴り飛ばしたくなったが、こいつに罪はないはずだと思いなおす。

 というか、気持ちが悪くてそんな余裕はない。


『驚いたかね見神楽直くん。学校から帰っていると、いきなり地震が発生して、沙詠くんが気絶したりすれば、まあ無理もないがな!』


 なんだか昨日と同じようなことを言い出す剛武郎。

 激しく無視したくなったが、多分そうもいかないんだろうなと直はあきらめのため息をつく。


『しかしだ! 安心するがいいぞ見神楽直くん! この地震はテセラクトが起こしているもので、建物や地面には被害が出ない。沙詠くんは隊員が安全なところへ速やかに移動させるので問題ない!』


 黒猫は一気にまくし立てる――といっても猫が直接喋っているわけではないが――と、沙詠の腹から降りた。


 そのタイミングを狙ったかのように、背後に人が2人現れた。剛武郎に似た白い軍服もどきの制服を身に着けた人物――『隊員』とやら――だった。


 2人は直に向かって敬礼すると、堅苦しい口調で告げた。


「大隈沙詠殿をお迎えに上がりましたっ。彼女は我々が責任をもって警護するでありますっ。直殿は至急、人類の防衛に取り掛かられますようにっ!」


「あ、ども……」


 勢いに押し切られるように、直は頭を下げ、脇にどける。


 2人の隊員は慣れた手つきで沙詠を持ってきた担架に載せると、その場を去っていった。


 今の2人にはこの、意識を直接揺さぶるような地震の影響はないらしい。

 なにか対策をしているのだろう。


 やがて聞こえる救急車のサイレン。

 負傷者という扱いで病院にでも搬送するのだろうか。


 揺れはまだ続いている。


『さて』


 黒猫から、ふたたび剛武郎の声。


『見神楽直くん。ただちに基地に向かってくれたまえ』


         ※


「さて、と」


 手にしていたマイクを置くと、剛武郎は笑みを浮かべた。


 地上では途切れることなく揺れが続いているはずだ。

 しかし、ここはまったく揺れていない。


 これは通常の地震ではない。次元怪獣――テセラクト出現時に特有の、余剰次元振動。


 世界全体と、人間の意識との間の揺れなので、建物が崩れることも、地面が割れることもない。


 そしてこの基地には余剰次元振動に対する防護策がなされているため、揺れを感じることはない。


 剛武郎の隣には、彼と同じ軍服をまとい、眼鏡をかけた副司令が立っている。


 曜子は普段の日常生活では眼鏡をかけていない。

 目も悪くない。


 しかし雰囲気作りと、ある実用的な理由から、彼女はこの基地では眼鏡を着用していた。


「いよいよだぞ、副司令」


「ええ、そうですわね司令」


「今度はうまくいくといいのだがな」


「ええ」


 芝居がかった口調で言い合いながら、二人はその部屋――通信室らしい――を出た。

 隊員たちが慌しく行き来する廊下を、悠然と進む。


 しかし、二人の会話には、妙な違和感があった。


「前回が試験運用。今回からが実測というわけだが」


「ふふ、司令は毎回そうおっしゃいますね」


 副司令はそう言ってクスクスと笑うが、司令のほうはいたって真面目な様子で、


「対生成と対消滅……そのもっとも単純な構図だ。この時点での失敗は今までにも一度もない」


「はい、シミュレートは万全です」


「ふむ……まあしかし、どちらにせよ問題はないが」


「成功も失敗も、その価値は等しいということですか?」


「そういうこと――それが研究というものだ」


 そして剛武郎は含むように笑い声を上げる。


 その対話は、『司令長官』と『副司令』というより、研究者とその助手を思わせた。


 しかし、そんな二人の会話を聞きとがめるような者は、その場にはいなかった。


 誰もが忙しく行き来する廊下を、二人は司令室――ブリッジへと向かう。

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