第5話 とんでもない水質と湧出量みたいだ

「とはいえ、とりあえず何から作ればいいのかな」


 湯気の立ちのぼる畑……いや、いまや温泉源となった奇跡の土地を見下ろしながら、俺は腕を組んでうなった。


 色々と作らなきゃいけない設備は山ほどある。湯船に、湯小屋に、脱衣場に休憩所。


 だが、何から手をつけるべきか。焦る気持ちを抑えながら、まずは優先順位だ。


「うーん。源泉の水質とか、湧出量を知るのが先じゃないかなぁ……」


 隣で湯気に目を細めながら、ティナがぽつりと口にした。おっ、案外冷静に物事を考えられるんだな。確かにそのとおりだ。


「そうだな。湧出量が微量だと湯船を作っても意味ないし、水質が悪けりゃ設備が腐る可能性もある」

「でしょでしょ? 私だって、なにげに頭使ってるんだから!」


 ちょっと得意げなティナに軽く笑いつつも、ふむ、と顎を撫でる。


「でもなあ。水質検査用の道具なんて、こんな田舎にあるのか?」

「うーんとね、それならたぶん、マズローさんがなんとかしてくれると思うの」


 ティナがそう言った瞬間だった。


「はぁ‥…はぁ……」


 噂をすれば人影。村の方から、くたびれたおじいさんが息を切らしながらゆっくりと近づいてきた。


 いや、歩いてるだけなのになんでプルプルしてるんだ? 大丈夫か?


「あれがマズローさん」

「くたびれ度合なら、村長といい勝負だな……」

「見た目はアレだけどね。昔はすんごい魔法使いだったらしいのよ」

「ほう。魔法使いなのか」

「うん。ただちょっとボケてるから、話は噛み合わないかもしれないけど」

「不安しかない」

「大丈夫、大丈夫! 水の魔法に関しては、この村で一番の使い手だから!」


 そうこうしているうちに、マズローさんが俺たちの前に到着した。


 ボサボサの白髪にくたびれたローブ。腰には革のポーチをいくつもぶら下げて、手に持っていた古びた木の杖を地面に突き差し、両手でなんとか態勢を保っている。


「はあ……はあ……お主が……グローリングスター・フルコミットさんかえ?」

「いや、グレンだ」


 この村のじいさん達に俺の名前を覚えてもらう事は、もはや不可能なようだ。


「あ、マズローさん! おじいちゃんに呼ばれてここに来てくれたのかな? 実はちょっとお願いがあるんだけど」

「はあ…‥はあ……な、なんじゃ」

「この温泉の水質と湧出量、調べられないかな?」

「ほお……これは、なかなか……」


 マズローさんが吹き上がる温泉をを見下ろしながら、少しニヤリとしたような気がした。


「出来そう?」

「ふぉっふぉ。水質調査、とな? なるほど。ここはわしの“水属性魔法・環境解析あならいず・あくあ”の出番のようじゃな!」


 マズローさんは胸を張ると、杖の先端を源泉に向けた。


 ……いや、ちょっと震え方が痙攣みたいになっているけど、本当に大丈夫なのか。


「水よ、語れ。おぬしの成分を余すことなくワシに開陳せよ! 環境解析あならいず・あくあ!」


 杖の先から淡い青光が広がる。源泉の湯気が渦を巻くように集まり、やがて宙にひとつの魔法陣を描き出した。


「うわぁ!」


 ティナが感嘆の声を上げる。思ったより本格的だぞ、マズローさんの魔法。陣の文字がぐるぐると回転しながら、次々と情報を映し出していく。


「水質判定──超良好。ミネラル成分:鉄分たっぷり・カルシウムたっぷり・硫黄たっぷり・重炭酸塩たっぷり・魔力活性因子少々……」

「なにそれすごい!」

「効能──疲労回復、冷え性改善、美肌効果、気力充填、魔力増幅、恋愛運微増」

「恋愛運!?」


 ティナがその効能に食いついた。わかりやすい反応だ。


 いやそれにしても……


 とんでもない源泉に当たったもんだな。水質、効能ともに申し分なし。


「温度──約80度。うむ。そのままでも入れそうじゃの」

「いや、80度は茹で上がる」


 鈍感ってレベルを超えてますけど。


「あとは湧出量じゃったかの。ほれ、“流量測定めじゃあ・すぷりんぐ”」


 マズローさんが続けざまに別の呪文を唱えると、地面から数本の水柱が吹き上がる。魔法陣が再び浮かび上がり、計測結果が表示された。


「湧出量──1分間あたり……ふむ。約800リットルじゃ!」

「ええ!? イメージできないんだけど、それってどれくらいなの?」

「わかりやすく言うとな、世界最大の滝つぼクラスの水量じゃな」

「ええ!! それってもはや温泉レベルじゃなくない!?」

「毎日湯が入れ替わるどころか、数時間でまっさらになるレベルじゃ」


 俺もティナも、思わず顔を見合わせる。

 

 想像以上の大規模温泉だった。


「はぁ……はぁ……こ、これでええかの」


 魔法を使っているときは元気だったのに、仕事が終わると急に疲労感マックスになったマズローさん。なんか無理させて悪かったよ。


「やっぱりマズローさんに頼んで正解だったね!」

「まぁ……ワシもかつては魔王軍で《魔水のマズロー》と呼ばれ、畏れられとった男じゃからのぉ……」

『えっ、魔王軍!?』


 ティナと俺の声が重なった。彼女も知らなかったのか、マズローさんの素性。見た目はただのじいさんだけど、魔族だったんだこの人。いや、俺と同じハーフなのか?


 魔王軍にいたなら俺が知らないワケないと思うんだけどな。こんなじいさんいたかな? いや、かなりお年を召されているようだから、俺が生まれる随分前の出来事なのかもしれない。


「おお、そうじゃ。100年前はな。じゃが今は隠居して、この村の水質管理とか、たまに井戸水の洗浄くらいしかしとらんがのぉ……」


 そっか。100年前のことなら俺は知らないな。


 いやそれにしても、見事な水魔法だった。


 おかげで、水質も湧出量も完璧に把握できた。それだけ情報があれば、どんな材質で設備を作ればいいのか、大体イメージできた。


「ありがとう、マズローさん。これで準備が進められる」

「ふぉっふぉ、礼などいらんわ。わしも温泉、楽しみじゃからの」


 マズローさんはそう言って、ひらひらと手を振りながら村の方へ戻っていった。


「……いい村だな、ここ」


 ぽつりとこぼした俺のひと言に、ティナがにんまりと笑った。


「でしょ?」


 ああ。想像してたより、ずっと面白い村だ。俺も頑張らなきゃだな。


 こうして、俺が腰を落ち着けた限界集落の温泉開発計画は、次のステップへと進んでいくのだった。

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