第10話 2回連続
「──やってくれるじゃん」
そう言うキリさんの顔は、獰猛な笑みが浮かんでいた。
瞳孔が縦に長くなり、釣り上げられた口角からは八重歯を覗かせている。
「しかし、参ったな。どうやら神経を持っていかれたみたいだ。腕の感覚がない。これじゃあ、弓は引けなさそうだ」
それからボクを見ていった。
「ちょっと遅いかもしれんが、逃げ時かもしれないな。テルをしっかり逃がしてやれるかは分からない。でも可能性が無いわけじゃない。どうだ、賭けてみるか?」
そう言われても、ボクは逃げる気はしなかった。
「多分、無理です。あの速さじゃ、逃げてもすぐに追いつかれます」
「同意見だ。じゃあ、どうする? 白旗でもあげてみるか」
「心にもないこと言わないでください。何か策があるんですよね」
「何でそう思う?」
「だってキリさん」さっきからずっと「笑ってるじゃないですか」
キリさんは「はっ」と息をついて言った。
「手がないわけじゃない。ただ、策なんて上等なモノじゃない。逃げるよりも、もうちょっとマシってだけだ。それでもだ──」
キリさんは「やるか?」と聞いた。
「やらなかったら死ぬだけ、ですよね」
「良い返事だ」
そういってキリさんは、左手で弓を持った。
「双弓術だ? 非力なエルフが考案した、二人で矢を射る技術だ。それをやる。狙いも、タイミングも、全部私がやる。テルは矢を引いて、その手を離すだけでいい」
そう言って、弓をボクの胸に押し当て、片目をつむってみせた。
「今だけでいい、私の腕になってくれよ」
ボクにそれができるとは、思えなかった。
でも、できないとは言わなかった。
ボクは頷いて弓を受け取った。
矢筒から一本をつかみ、キリさんがそうしていたように、弓につがえる。
奥歯を噛み、力一杯引く。
「上出来だ」
キリさんは、左手でボクの頭をぽんぽんする。それからボクの後ろに立ち、左手をボクの左手に重ねた。視線をボクの高さに合わせて、体を合わせた。
「でも力み過ぎだな。もう少し力を抜け。大切なのは力じゃない。タイミングだ。私がテルの呼吸を合わせる。私がテルの身体を動かす。そうして、私たちで矢を射る。だから、もう少し力を抜け。私を信じろよ」
ボクは「はい」と答えた。
キリさんの言葉で、不安が消えたわけじゃない。二人で一つの矢を射るなんて、ボクにできるとは到底思えなかった。
でも勝算はないわけじゃない。
狼の動きとキリさんが狙ったタイミング。それは一匹目でしっかり見てきた。
狼の踏み込むタイミング、距離、狙い、動き。
全て見ていた。
スライムの時と一緒だ。
動きが予想できれば、きっとできる。
そう言い聞かせたあと。
一瞬だけ、ソレに視線をやった。
「心音が上がったぞ。こんな時に覗き見か?」
「違いますよ」
「集中しろよ。来るぞ」
ボクは狼に集中した。
狼は一声上げると地面を蹴った。
左右に蛇行しながら距離を詰めてくる。
狙いが定めにくい。二人なら尚更。
でも、キリさんはまっすぐ構えたままで動かない。
狙いを動かすのは、矢を放つ瞬間だけ。
キリさんは無言にそう言っている。
狼との距離はどんどん縮まっていった。
ボクの目からは、矢が当たりそうなタイミングが何回かあった。
でもキリさんは動かない。
狼との距離が縮むごとに恐怖心は大きくなる。
その気持ちに負けて、右手を離したくなる。
剥き出しにされた牙と、燃えるように赤い口内。
影狼は地面を蹴って飛び掛かって来た。
同時にキリさんは、ボクに矢を放たせた。
1匹目とほぼ同じタイミング。
放たれた矢は、寸分違わず1匹目を射落した軌道をたどる。
不可避の軌道。
そう思った。
影狼は、空中を1度蹴った。
まるで空中に足場でもあるかのように、空気を蹴って、さらに飛んだ。
——2段ジャンプ。
アクションゲームではお馴染みのそれが、今はただの冗談にしか思えない。
そこで、やっと分かった。
1匹目のことを考えに入れていたのは、ボクたちだけじゃなかった。
相手も同じだった。
後悔する間もなく、
2匹目は口を開け、
牙を向け、
飛び込んでくる。
狼の牙は一直線にボクに向かってきた。
赤い目と、赤い口腔が、ボクを噛み千切ろうと迫ってくる。
そんな影狼を見ながらボクは
口の端をあげた
矢が外れた時の、より確実な攻撃手段。
1匹目の動きから、攻撃されるタイミングと場所の予想はついていた。
スライムの時と一緒だ。
タイミングと場所が分かれば、対策は難しくない。
──懐に飛び込めば一方的に勝てる
キリさんの言葉を思い出しながら、右手を
抜き取る。
向い来る赤い口。
腕ごと押し込む。
刃が口の中から肉を引き裂いていった。
それでも狼はなお、牙をボクの腕につきたて首を振り、噛み切ろうとしている。
狼ががむしゃらに首を動かすたびに、血と肉が鳴る音がし、白い熱さが腕に走る。
狼が力尽きるのが先か、ボクの腕が食いちぎられるのが先か。
ぷっ。
ピンと張った糸が切れたような、そんな音が聞こえた。
狼の牙が、神経を断ち切ったみたいだ。
腕の感覚が消えた。
熱が消えた。
――やば……。
そう感じた、次の一瞬。
キリさんの左腕。
握られた短剣。
それはボクの腕の上を沿うように走り狼の頬を裂いた。
頬を切られた顎は、だらりと下がる。
「テル!」そう呼ばれた気がした。
ボクは左手でキリさんの手を握り、
狼は目が小刻みに震える。
やがて影は力なく落ちた。
大きな体が地面に倒れ、泥のように崩れて消えた。
――勝った?
ボクはそれを確認するようにキリさんを見た。
キリさんは左手で、ボクの頭をくしゃくしゃにした。
「勝ったんですね」
「ああ。良くやった。上出来だよ、テル」
「キリさんのおかげです」
「まぁ、そうだな」
そう言ってキリさんは笑った。
それに釣られてボクも笑う。
「お互い、笑えるくらいボロボロだな」
「コレ、治るんですか?」
「ちゃんと処置さえしておけば一晩でな。手当てしてやるから、見せてみろよ」
そう言ってキリさんは、傷口を手当てしてくれた。そんなキリさんを見ていると、そこで本当に勝ったのだという実感が湧いた。勝利の興奮が、じんわりと胸を熱くしていった。
でも。少しだけ気になっていることがあった。
でもそれは絶対に口にしなかった。
言ってしまえば、現実になりそうで怖かったから。
――3匹目っていませんよね。
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