七話 正体
目だけを見開くその顔は一瞬にして幽鬼のような雰囲気に変わっている。
突然の豹変にルーカスが息を呑み、エマは小さく悲鳴を上げた。
そのエマを見て執事はぼそぼそと口を動かす。
「やはり魔女の……せっかく島外から人が訪れたのに……」
「魔女?」
思わず聞き返したルーカスへぎょろりと執事の目が向く。
「ですが、逃げていただいては困ります。せっかく、今日はたくさんの人が訪れていただいのですから……皆様、ぜひとも屋敷のために……」
ルーカスの耳がぶづん、という音を聞いた。天井からだ。
反射的にエマを抱えて転がった。
直後、バッシャァァァン! と大量のガラスが砕け散る音が後ろから響いた。
僅かに振り返れば、さっきまでルーカスがいた場所にシャンデリアが叩きつけられていた。
声にならない悲鳴を上げてルーカスはエマを引っ張るように窓へと走る。
「ほ、本当にヤバイ人だった! もしかして今まで死にかけたのもあの人が!?」
窓に体当たりをしようとルーカスが構える。その行動を察したエマは震えながら呟く。
「ダメ、もう逃げられない……わたしたちは閉じ込められてる……」
「大丈夫ですよ! 窓が閉じてもガラスは割れます、っと!」
ルーカスは思い切り窓へと体をぶつけた。
だがゴッ、という硬質な音と共にはじき返されてしまう。
「いっった……!?」
肩を押さえてルーカスは驚愕する。窓の前に硬い壁があるかのようにびくともしなかった。
エマが歯をカチカチと震わせる。
「割れるとかじゃない。屋敷が完全に閉じてるの。逃げようとして、誰も逃げられなかった」
「そう、この屋敷からは誰も逃げられません」
ゆったりとした足取りで執事が応接間へと現れた。
同時に近くにあった椅子が突如としてルーカスへと飛んでくる。
「っ!!」
ルーカスは咄嗟に後ろへ下がり、尻もちをつきながらそれを避けた。
執事はそれを見て首を傾げる。
「やはり、ルーカス君は運がいい……良すぎる。紅茶も効いていないようですし……」
あの紅茶にも何か仕掛けられていたらしい。
ルーカスは思わず喉をおさえる。しかし効いていないとはどういうことか。
混乱しながら、エマだけでもどうにか逃がせないかとルーカスは頭を巡らせる。
だがそんな暇はなかった。
「仕方ないですね。少し崩れてしまいますが、まあ、|四人(・・)もお客様がいらっしゃれば……また美しく蘇ることでしょう」
執事が上を見た。
するとギシリと屋敷そのものが軋みを上げる。
がたがたと近くの本棚が震え――ぐらりと圧し潰すように迫ってきた。
逃げ道は他の棚で塞がれていた。
大量の本と共に棚が降り注いできて――。
エマの見る景色がゆらりと変わった。
目の前が碧く、青く、染まった。
『お前が、あの子の娘か』
碧い目がエマを覗き込んでくる。写真で見た母親のものとよく似ている気がした。
だが母とは違う。その目の持ち主はしわだらけの顔の、鼻の高い老婆だ。
ひょいと老婆は顔を離す。
その後ろには雲一つない青空が広がっていた。
ごうごうと風の流れる音がして、ふと下に目をやると地上が恐ろしく遠くにある。
エマと老婆は空の上にいた。
エマは驚いて縋るように手を伸ばす。だがその手はふにゃふにゃと柔らかく満足に動かない。
赤子のそれだった。
『元気な子だ。ああ、空にいるのが怖いかい? でもお前もすぐにできるようになるさ。なにせ私達は――』
――魔女だからね、と言って老婆は高い声で笑う。
『方法は簡単。ただ強く、強く願うだけ。最初はそう……気に入らないものを、思いっきり否定するんだ、こんな風に』
老婆が息を吸い——エマの意識が現実と夢で重なった。
「やめて!!」
ルーカスの服を掴んだままエマが強く叫ぶ。
その瞬間、倒れていた棚が後ろへ吹き取んだ。
同時にバシャァンと物凄い音を立て、窓が外側に向けて粉々に砕ける。
そして風がごうと唸りルーカス達の体を引っ張りあげるように外へと放り出した。
「ぐぇぇ!?」
二人が庭へと落とされると同時、ドドォ……と棚の倒れる音が響いた。
ルーカスもエマも呆然としていた。
だが屋敷の窓から執事の影が見えて、急いで立ちあがり屋敷から遠ざかろうと駆け始めた。
二人の後ろでは、残念がるように屋敷がギシリと軋みを上げた。
■ ■ ■
月明りが照らす真夜中の平原を駆けに駆けて、屋敷の庭すら見えなくなったころ。
ルーカス達はようやく、倒れ込むように止まった。
「はあっ、はあっ……死ぬかと思った。これ言ったの何回目だろ……」
エマは言葉もなくただただ荒い呼吸を繰り返していた。
ルーカスはエマの背をさすりながら屋敷の方角を見る。
「とりあえず今は追ってきてないみたいですけど……」
「だ、大丈夫。あの人は……屋敷からは、出られないから」
呼吸を整えたエマがそう言った。
「それもわかるんですか?」
「なんとなく、だけど。……さっきも、ちょっと過去が見えたわ。赤ん坊のわたしが、祖母らしき人と一緒に空を飛んでて――わたしたちは魔女だって、言われた」
「……エマの家族って凄いんですねぇ」
エマから呆れた目を向けられた。
その視線が、窮地から脱していつも通りになったと感じさせて、ルーカスは笑ってしまう。
「呑気なこと言ってる場合じゃないでしょ!? 魔女よ、魔女! あんなヤバい屋敷の執事が取り乱すして恐れるような魔女!!」
「でも今回はエマのおかげで助かりましたし。あ、そういえばお礼を言ってなかったですね。助けてくれてありがとうございます」
どこまでも呑気に、へらりと笑ってルーカスは頭を下げる。
エマはしばらく口をパクパクさせていたが、やがて大きくため息をついた。
「どういたしまして……正直、わたしはちゃんと覚えてないけれど。夢の中の祖母が言う通りにしただけで」
「おばあちゃんもいい人なんですかね」
「あなたそういう考え方するから同僚に騙されてたんじゃないの?」
「うぅっ! いやでも助けてくれた人もいましたし!」
苦し紛れのように反論するルーカス。だがエマもそのお人好しぶりに救われたので厳しくは言えなかった。
目を逸らして、ふとどこまでも続く野原の、その先に目が行く。
はるか遠くに大きな山脈があった。
この島が影の国と呼ばれる所以は、今夜の騒ぎなど何一つ関係なくただ壮大にそびえるだけだ。
「あの山がエマの目的地ですか? ずっと西に行くんですよね」
エマの隣にルーカスが並ぶ。
地図を広げながら山と現在地の距離を測っている。
「正確には、あの山のふもとにある森ね。……まあ、最初は行くかどうか悩んでたけれど」
悩んでたという言葉にルーカスが首を傾げた。
「どうしてです? おばあちゃんを頼りに来たんですよね」
「祖母は普通の人だと思ってたもの。国を越えても追ってくるような奴らに目をつけられたら危ないでしょう」
「……エマ」
ルーカスは初めてエマへと呆れた目を向けた。その視線にエマが怪訝そうにする。
「もう少し他人を頼りましょう。島の人を巻き込みたくないまでならともかく、血の繋がってる家族ですよ。子供一人でそんなに何でも背負おうとしたら壊れますよ」
「…………真っ当な説教なのが腹立つわ」
言い返すこともできず軽くルーカスの足を蹴る。
「何故!?」と騒がれたが顔を背けて聞こえないふりをした。
「乱暴なんだから……それじゃあ明日からはこっちの方角に進んでいきましょうか。地図によると一日歩けば村があるらしいです」
「そうね、でも……」
エマは嫌そうな顔をする。
「その村、近づいちゃいけない屋敷とか無いわよね?」
「……そういう情報は地図に載ってないですね。いやまあ大丈夫でしょう! あったとしても近寄らなければいいんですよ!」
「魔女は亡霊とか悪いものを寄せ付けるって言い伝えもあるらしいけど」
「だ、だいじょうぶ、なはず……」
頬を引きつらせるルーカス。
エマはそんなルーカスをじっと見つめる。
「ついてきてくれるのよね?」
「ええ、もちろん」
どれだけ怖がっていても、その答えには躊躇い一つない。
エマは顔をほころばせた。
二人が去った後の屋敷からは全ての灯りが消えていた。
そんな屋敷の中でただ一つ、執事の持つ燭台にだけ火が灯っていた。
照らされたその顔には表情という表情が消えうせ、人形が佇んでいるようだ。
「やはり魔女に似ていると……残念だ、二人も逃がして……」
暗闇の中で執事がぼそぼそと呟く。
執事がいるのは地下の貧相なドアの前だった。
その足元には二人の男が転がっている。
それはエマの叔父の命令でエマを追ってきた者達だった。
この屋敷に逃げ込むようエマを誘導し、仕掛けをして事故に見せかけて殺すつもりだったのだ。
しかし今は口の端から泡を吹いて白目を剥いている。
その二人を見て執事は首を傾げる。
「……紅茶は効いている……ルーカス君は何故……」
執事は男達の足を持ってドアを開ける。
「いえ、いいでしょう。今回は二人、手に入った。屋敷は美しく保てる」
執事はズルズルと男たちを引きずりドアへと入っていく。
「屋敷を、守らなければ……旦那様の最期の願いを……」
執事は己の使命を虚空へ向けて呟きながら。
バタンと、ドアを閉めた。
ナノーグ国逃亡怪異譚 海山 鍬形 @hataki
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