雛人形

神在月ユウ

流しびな

「そ、今日から、お泊り」


 前原佳恋まえばらかれんはスマホで友人と会話しながら、田舎の駅を出た。

 単線の、二時間に一本しかないワンマン電車が止まる、木造駅舎。

 自動改札もなく、今の時代に切符を買わないといけない地方のローカル鉄道だ。


「美咲も、何年も片思い引きずってないで、カレシ作んなよ」


 女性としては高い身長に、すらりと長い手足。

 春物のコートを着ているが、三月上旬にしては暖かい気温に、チョイスを間違えたと、JRからローカル鉄道に乗り換えた時に後悔していた。


「あたしはこの大学二年の春休みをカレシとエンジョイするから」


 春風が、黒くて長い、背中の中ほどまで伸びた髪を撫でる。

 元々ショートだったが、大学入学後すぐにできた彼氏に勧められ、伸ばしたものだ。

 手入れは面倒だが、彼氏がすごく似合うと言ってくれるので、それで帳消しだ。

 髪色だって、軽く染めていたものを、彼氏が黒い方が絶対似合うよ、と言われ、黒になった。


「いやー、ホント、彼色に染まったわ〜」


 電話越しの「惚気けんな」という言葉も、佳恋にとっては称賛に聞こえる。


「あ、カレが迎えに来たから、切るねー」


 駅前といっても何もない、田畑と疎らな家屋しかない、まさにド田舎。

 そんな背景に不釣り合いな、黒いSUVが佳恋の前に停車した。


「お待たせ」


 ウィンドウが下がり、ドア越しに爽やかな声がかけられた。

 土御門珠嗣つちみかどみつぐ

 同い年の、同じ学科の同級生で、佳恋には彼から声をかけ、交際が始まった。

 今回のお泊りは、後期試験も終わり、長期休暇で帰省した珠嗣からの提案だった。


 車に乗り込むと、佳恋は一息、

「疲れた〜」

「遠くまでお疲れ様」

 助手席のシートに体を預け、ハンドルを握る珠嗣をちらりと見た。

 見た目も中身も爽やかな好青年。

 実家はこんなド田舎だが、地元の名士というやつで、一族で会社を経営しているそうだ。

 車窓に目を移す。

 駅前同様、見渡す限りの田畑に、たまに思い出したかのように家屋が姿を現す。

 

「すっごい田舎でしょ」

「ん〜、ははっ」


 珠嗣に本音を読まれ、曖昧に返事をする。

 娯楽施設どころかコンビニすらない緑に囲まれた田舎道に、佳恋は思うところがあったものの、ほとんど揺れを感じない高級車とそれを運転する爽やかイケメン彼氏の存在が僅かにまさった。


「初夏には蛍がいっぱい見られるんだ」


 微笑と共に語る穏やかな表情に、完全に佳恋は酔ってしまった。


(やっぱり、何してても、何語っても、かっこいい…)


 それから三十分、佳恋は車に乗り続け、目的地に到着した。


「……」


 言葉を失った。

 珠嗣の実家である。

 一般的な住宅地の家十軒分――どころの話ではない。

 瓦敷きの立派な門をくぐると、二階建ての横に広い家屋が目に入る。

 広大な庭には砂利が敷き詰められ、計算された位置に綺麗に剪定された針葉樹が植えられている。

 実に圧巻で、佳恋は敷居が高いという言葉を実感する。

 珠嗣に案内されながら、きょろきょろしつつ玄関に入ると、広い三和土たたきの奥に老父が仁王立ちしていた。


「帰ったか、珠嗣」

「はい、おじい様。佳恋ちゃん、俺のおじい様だ」

「あ、あの、前原佳恋ですっ、珠嗣さんと、その、仲良くさせてもらってますっ」


 いわおのような顔に、長い白髪を後ろに流し、白い口髭の老父。

 佳恋は怖気づきながらも、必死に声を絞り出して挨拶する。

 永遠にも思える緊張の時間だったが、巌が崩れ、ニカっと破顔へと変わった。


「かわいらしいお嬢さんだ。こんな遠方まで疲れただろう、さぁさぁ、早く上がりなさい」

 

 全身で歓迎を表明され、佳恋は珠嗣に促されて三和土たたきを進み、家へと上がった。

 外観はザ・日本家屋だったが、中身はそこまでではなかった。

 襖に仕切られた畳敷きの和室もあるが、内装は概ねリノベーションされており、トイレは温水洗浄便座だった。地味に嬉しい。


「実は、お願いがあるんだ」


 珠嗣が微笑に多少の申し訳なさを滲ませて言った。


「今日は祭事があって、その手伝いをしてほしくて」


 佳恋は少し面倒臭さを感じた。

 労働力としてここまで呼ばれたのかと。

 その不満を察して、珠嗣はバタバタと手を振る。


「あ、別に、肉体労働でも、長時間拘束されるわけでもなくて、ただ、衣装を着て、黙って座っていればいいんだ」

「衣装?」

「着いてきて」


 促されるままに、家の奥へとついていく。

 廊下を進み、いくつか襖を開けた先、八畳の和室にあったのは、衣紋掛けにかかった鮮やかな着物だった。

 しかも一着ではない。

 何着も並んでいる。


「ほら、三月三日だから――」

「ひな祭り?」

「ご明察」


 にっかりと笑いながら、珠嗣はピッと指を振る。


「佳恋ちゃんがお雛様になって、俺のお内裏様の隣にいてほしいんだ。何もしゃべることないし、ただじっとしているだけでだいじょうぶだからさ」


 イタズラがバレた少年のように、片目を瞑って手を合わせる。

 二年程の間、珠嗣と付き合ってきたが、このような表情や仕草は初めてだった。

 珠嗣の印象は、爽やかで、優しくて、誠実な青年だ。

 だからこそ、目の前で見せた仕草や表情が新鮮に感じられた。


(家のしきたりみたいなモンなのかな…)


 田舎の名士というのは、いろいろとしがらみがあるのだろうと、佳恋は察した。

 もしかしたら、なり手がいないのかもしれない。

 女性が一人もいないなんてことはないだろうけど、年齢的な制約があっったりして、地域に適任者がいないのに祭事を執り行わなければならないジレンマがあって、それでわざわざ佳恋にお願いしているのかもしれない。


「わかった」


 いつも珠嗣に優しく接してもらっているから、今日くらいは彼の役に立とう。

 思い返せば、佳恋から珠嗣に何かしてあげるというのはなかなかない。

 今日くらいは珠嗣に協力してもいいのではないか。

 そう結論を出し、了承を口にすると、「ありがとね。急にごめんね」と、また顔の前で手を合わせて珠嗣が感謝を口にする。


「じゃぁ、さっそく湯浴みだね」


 そう言われ、部屋にそそくさと入ってくる女性が数人。

 女中というやつだろうか。初めて見た。


「ごゆっくり」


 珠嗣に送り出され、佳恋は風呂場へと案内された。





「よくやったぞ、珠嗣」

「はい、おじい様」


 佳恋が去った部屋の中で、佳恋と入れ違いに入ってきた老父が、玄関とは打て変わった神妙な面持ちで呼びかけた。

 応じる珠嗣も、同じく固い表情だった。


「悔いなく、しっかりと務めを果たせ」

「もちろんです」





 お姫様待遇とはこのことだろうか。

 薄紙を扱うかの如く、柔らかな手つきで中年の女性二人に体を洗われた。

 修学旅行の旅館を思い出す大きな風呂で、ひのきの浴槽に貯められた少しぬるめの湯に浸かり、ふわふわと夢見心地になる。

 脱衣所でも、ふわふわのタオルで体についた水気を、擦るのではなく優しく当てるように拭いていく。


 そこから、白い着物のような肌着とを身に着けて、打掛をかけられて移動し、髪を結わえられ、先ほど見せられた鮮やかな着物を二人の女性に着つけられる。

 佳恋の前後に二人が佇み、小袖と長袴、単を着せられ、腰でひもを結ばれ、五つ衣を着せられ……と、されるがままに、幾重にも着物を着せられる。

 十二単じゅうにひとえというやつだと思ったが、実際に十二枚は着なかった。

 鏡がないため、自分がどんな姿になっていらのか全容が掴めない。

 できれば記念に写真でも撮りたかったが、どうもそんな空気ではない。

 写真は祭事とやらが終わってから頼もうと、割り切った。

 


 着付けが終わると、外は夕方だった。

 お腹が空いたが、さすがにこの格好で食事はできないだろうと、これからあるであろう祭事の後の食事に期待することにした。

 縁側から外に案内される。

 着せられた着物がかなり重くて動きにくい。全身に重りを仕込まれたかのようで、筋トレかと思うほどだ。


「似合ってるよ」


 珠嗣から声をかけられた。

 束帯衣装を身に纏い、記憶と違わぬ爽やかな笑みを浮かべている。


「結構重くて大変……」

「悪いけど、ちょっと我慢してね。歩くことはほとんどないから」


 そう言って案内された先には、人力車が待っていた。

 ご丁寧に、レッドカーペットのように赤い布が敷かれている。

 着付けをしたのとは別の女性に手を取ってもらい、乗せてもらう。裾を整えられながら、パズルのピースをはめるように、苦労しながらぴったりと座る。

 珠嗣は別のもう一台に乗って、果たして二人はゆったりとしたペースで田舎道を進んでいく。


 ものの十分か十五分といったところだろうか。

 大きな川の傍で、人力車が止まった。

 周囲には、ひとだかりができていた。

 ここで降りるよう言われ、介助されながら地に足を着けた。

 座っている間は幾分がマシだったが、やはり全身にずっしりくる。

 ここでもレッドカーペットだ。

 向かう先は小さな桟橋で、屋根のない屋形舟が見えた。


「さぁ、行こう」


 珠嗣に促され、重たい派手な和装を引きずりながら、佳恋は舟へと歩く。

 一苦労の末、舟に乗り込み、船体後部に据えられた雛壇の上に腰を下ろす。

 隣に珠嗣も座る。

 少し遅れて、端正な顔立ちの和装の男性が三人乗り込んで、佳恋たちの前、一段低い場所に座った。

 一人は鼓、一人は笛を持ち、一人は手ぶらだ。

 正確には、三人とも腰に小刀を差していたが。


(地域で雛壇に違いがあるって聞いたことあるけど、三人官女と五人囃子の兼任かな)


 重い体の気を紛らわそうと、うろ覚えの知識で三人を見た。


 船頭が乗り、舟が出る。

 川の両岸には、こんなに人がいたのかと思うくらい、集まっていた。

 やはり高齢者が多い。

 こんな田舎なら当然かもしれないが。

 皆、手を合わせている。神や仏に拝むように。

 なんだか不気味で、幾重にも着込んだ着物の下で鳥肌が立つ。


「みんな、僕らを見てるよ」


 珠嗣がそっと、手を握ってくれた。

 それだけで、少しだけ安心できた。

 周りは異質な空間だが、自分の一メートル四方だけは、日常が流れている。

 そう感じられた。


 思考を変えてみる。

 地域によって、人の考え方は様々だ。

 例えば、ある地域では豆まきで「鬼はうち」と言うし、世間で悪人とされる人物だって、特定の地域では英雄だったりする。

 だから、今の自分は信仰の対象を模したものに扮しており、信心深い人たちが崇めているのだろう。

 そう思うと、気が楽になった。

 むしろ、今の状況を披露宴みたいなものではとすら思えてきた。

 唐突に、笛の音が聞こえた。

 目の前の三人、その一人からだ。

 笛の音に合わせて鼓が叩かれる。


「かぁぁ~~むぅぅ~~くらぁぁにぃぃぃ~~、おわぁぁぁ~~~すぅぅぅ~~」


 そして、最後の一人がうたう。


「やぁ~~たぁ~~のぉ~~、みくぅ~~まぁ~~り~~」


 あまりに間延びした、大きく空気を含んだような声のせいもあり、何を口にしているのか、佳恋にはわからなかった。


「ねぇ、佳恋ちゃん」

「なに…?」

「ありがとう」


 隣の珠嗣に見つめられ、何を詠っているかを考えることを放棄してしまう。


「今日の祭事に参加してくれて、助かったよ」

「あ、ううん、全然」


 不満や不安があったはずなのに、こうして目の前で感謝されると、負の感情が薄れていく。


「佳恋ちゃんに出会えて、よかった」

「珠嗣くん……」


 佳恋の視線が、珠嗣の瞳に、その奥に据えられる。


「にぃぃ~~えぇぇ~~たぁるぅぅ~、みた~~まぁ~を~~」


 もう、珠嗣の声以外、ただの雑音にしか思えなくなってしまった。


「一緒に、いるから」


 そっと、抱きしめられる。

 分厚い衣装のせいで、互いの体温は感じられなかったが、心は温もりを感じていた。

 最高の気分だ。


「……え?」


 そのはずだったのに、足に感じた違和感に、佳恋は小さく声を上げた。


「ささぁぁぁ~~げぇ~~、たてぇ~~ま~~つぅ~~りぃぃ~~」


 ひんやりしたのだ。

 目線を珠嗣から外し、下を見る。

 水だ。

 ほんの一センチかそこらだが、確かに水が、床に広がっていた。

 水位がじわじわと上がってくる。

 ほんの十秒足らずで、くるぶしが浸かった。


「珠嗣くん、水が――」

「だいじょうぶだよ」


 珠嗣の表情は穏やかだ。

 下段の三人も笛を鼓を奏で続け、声音も変わらない。

 慌てる佳恋の方がおかしいみたいになっている。


「でも、」

「だいじょうぶ」


 水面が近くなる。

 十二単がたっぷりと水を吸う。

 膝が水に浸かる。


「ずっと、一緒だから」


 


「怖くないよ」


 いや、拘束されている。


「俺が、一緒だから」


 あっという間に水面が胸元まで上がり、船が完全に沈んでいた。


「い、いやぁっ!!」


 やっと、佳恋が事態を察する。


 心中しんじゅう


 いや、違う。


 そういう、儀式だ。


 自分は、殺される。


 目の前の恋人に体を拘束され、水の中に沈められ、溺死させられる。


「いや、助けてっ、誰かっ、やだっ、こんなのっ」


 この場で騒ぐのは佳恋ただ一人。

 いつの間にか、近くにいたはずの三人が完全に沈んでいて、間延びしたうたが聞こえなくなっていた。


「やだっ、放してっ、死にたくないっ、死にたくな――――ごぶっ、~~~~っ!!」


 珠嗣に拘束されたまま、とうとう佳恋の口元が水面の下に隠れ、ぶくぶくと無数の気泡が上がる。

 珠嗣の表情も、抱きしめる力も、変わることはない。


「~~~~~~~~~~っ」


 そして、とうとう珠嗣の頭頂部すらも水面下に沈んだ。




 周囲の人々は拝み続ける。


 村役場の職員も、自警団の団員も、駐在所の警官も、みんながみんな、川に向かって手を合わせ続けていた。


 珠嗣の祖父もまた、同様に手を合わせ続けている。


(よくぞ、役目を果たした)


 孫に向けて、立派に役目を果たしたと、賛辞を贈る。


 厄除けのヒトガタ。

 土地神たる八咫水分尊やたのみくまりのみことへの捧げもの。

 

 十年に一度の大切な祭事のために生まれ、その貢物みつぎものとしての役目を果たすためにつがいを見つけ、この日を迎えた男、土御門珠嗣みつぐ


 お陰で十年はまた安泰だと、この祭事を見届けた人々は、川に沈んだ者たちに心からの礼を送るのだった。

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雛人形 神在月ユウ @Atlas36

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