第3話 確執

キーキーと音を立てる不動産会社の引き戸に手をかける。

「通村さん、待つ時間は限られていますからね!!」

青木の声が背後から聞こえる。

通村は振り返らず、黙って首を縦に振った。


シャッター通りにある不動産会社を出ると、春の優しい風が通村の頬をつたう。

だが、通村にはそれを心地良いと思う余裕がなかった。


『それで、どうするの?あの青木とか言う奴の話に乗るつもり?』

「仕方がないだろ?そうでもしないと俺の住むところがなくなる」

声には出さず、頭の中で問いに応える。


『私は知らないよ。どんな目に遭っても』

「ミナミはそう言うけどさ、他に方法がないんだ」


『あ、そう、まあ洋二がそう言うなら、私はもう何も言わない』

「不貞腐れるなよ。俺だって嫌なんだから」


通村は独り事を呟いているのではなく、口を動かさず黙って歩き続けた。



ミナミと名乗った女性、いや本当に女性なのかもわからないが、通村は自分に話し掛けてくる相手の姿を見ることができなかった。


通村の両親はエリート意識の強い人間で、人生の勝ち負けを異常に気にしていた。

父は大手会社の重役。母とは子育ての意見が食い違い、通村が中学生のときに離婚していた。

父は離婚してから2年ほど経って再婚した。

この義理の母は父と同じような人間で、名の知れたやり手の女性弁護士。

離婚するまでは実母が通村を庇ってくれたが、義理の母は容赦なく、そして口汚く通村を罵った。


ミナミが突然話しかけてくるようになったのは、両親が離婚する少し前のことだ。


声は聞こえるが、姿が見えない。声は女性らしいが、少女のときがあれば大人びた口調のときもあった。


通村は気が狂ったと思った。

幻聴が聞こえる。通村だけにしか聞こえない声。

通村は思い切って、このことを両親に打ち明けた。


両親は酷く狼狽した。

父は実の息子を精神科の病院に行かせると体面が悪い。

実母は通村を気遣ってくれたが、どう接して良いのか困惑していた。


この一件があって、両親の離婚は決定的なものになった。


「お前が洋二を甘やかすからだ!」

「私のせいだって言うの?」

「俺の血をひいた子供がこうなったのは、お前の血のせいだ!」

「どうしてそんなことを言うの!」


通村は自室のベッドで布団を被り、両親の罵り合いが聞こえないように耳を塞いだ。


状況は悪化の一途を辿り、両親は離婚をした。

実母は父から家を追い出された。

しかし、通村を一緒に連れていってはくれなかった。


「洋二、ごめんなさい」

通村はそのときの実母の表情を忘れることができなかった。


申し訳なさそうな言葉とは裏腹に、厄介事から逃げることができる安堵の表情。


忘れない、忘れることなどできない。

通村はそのときの光景を思い出すと、今でも吐きそうになる。

 


『洋二、また昔のことを思い出しているの?』

「思い出しくはないんだけど、トラウマになっているんだ」


通村は退去待ったなしのアパートに向かい歩を進めた。

気が重いところではない。これから拷問にあうような気分だった。

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