第5話
空港につくとシザは駐車場のスタッフにチップを渡して、車の駐車を任せる。
自分はそのまま急いでエスカレーターを駆け上がり、空港の入場ゲートをくぐった。
上方にある電子板に乗る情報で、すでに目的の飛行機が到着していることを確認すると彼は急いで到着口に向かう。
到着ゲート付近を探したがまだ姿は見えなかった。ここには着いていないらしい。
シザは小さく安堵する。
彼の安堵とは別に、すれ違う人々が「えっ⁉」という顔をしてシザを二度見して振り返っている。
彼は【アポクリファ・リーグ】所属の特別捜査官なので【グレーター・アルテミス】において彼の顔を知らない者はいない。
【アポクリファ・リーグ】所属の捜査官は国の、外界に対しての広告塔でもあった。テレビでも中継されるし、ネット配信も行われている人気一大イベントなのだ。
そこに来てシザ・ファルネジアはただでさえ人の群れの中でも一つ頭が飛び抜ける、すらりとした長身美形なので、行き交う人の視線を引くのである。
だがシザはそんな人々の視線になど、今は全く興味がなかった。
窓ガラスに映った自分の姿に少し寄って、乱れた髪を整える。
振り返って少し待っていると降着ゲートから一番最初の大きな人の波が引いて、まばらにやって来る人の中にその姿を見つけた。
コロコロとキャリーバッグを後ろ手に転がしながら、少し心許なそうに辺りを見回しつつゲートをくぐってやって来る。
「――ユラ!」
呼んだ瞬間、フラフラと見当違いの方へ歩いていきそうだった彼が振り返った。
シザを見つけた途端、それまで不安そうだった彼の紫水晶の瞳が大きく見開かれる。
輝いた嬉しそうなこの表情を見れただけでも、今日朝からそわそわしつつ急いでここに駆けつけて良かったと、彼は心の底から思った。
「シザさん」
走り出そうとして手首に巻いていたキャリーバッグの紐が絡まり、ユラがあわあわとする。
今日一日少しナーバスな表情を浮かべることが多かったシザが、初めて心から笑顔を見せた。
シザは何をやらせてもそつなくこなす優秀なタイプだったが、
血が繋がっているはずの弟は、不思議なことにピアノ以外のことは全くこうして不器用なのである。
シザの方が駆けて行って、ユラの身体を思い切り抱きしめた。
ユラもすぐにシザの胸に顔を埋めて身体に腕を回す。
周囲の人々が二人の様子を、驚いたように立ち止まって見ているが、そんなことは兄弟には関係が無かった。
「おかえり」
腰をかがめてユラの柔らかな髪に顔を埋める。
「ユラ……会いたかった」
「シザさん……」
顔を覗き込むとユラも思いを込め来て、同じ心でいてくれたのだということが分かった。
ユラの目元に小さく浮かんだ雫にシザは、彼の額に慰めるような優しいキスを落としてから、顔を上げたユラの唇に深く口付ける。
普通有名人がこんな場所でこんなキスをしていたら、人々は嬉々として写真を撮るものだが、あまりにシザの表情や雰囲気がいつもの中継で映る彼と違うので皆、呆気に取られているのだ。
「さ、行こうか」
シザは周囲の人々の驚きなどに興味を一切示さず、ユラの髪を優しく撫でて微笑むと、彼の荷物を持ってやり歩き出す。
残された人々はぽかーん……とした顔で二人を見送ったが、彼らがエレベーターに乗り込んでいくと、慌てたように携帯を取り出して一生懸命書き込みを始めたのである。
◇ ◇ ◇
「んで、ここがトレーニングルームな。ここは【アポクリファ・リーグ】所属の捜査官全員使う所だから、私物は置かずに綺麗に使うこと。あと他所の捜査官と喧嘩はしない。――以上!
ま~ざっとこんなもんだろ。他にもプールとかマッサージルームとかもあるけどそれはそのへんのスタッフに聞いてくれ」
「うぃ~っす」
ライルが適当に返事をする。
「しっかし最高の待遇だなぁ~。夢の街じゃねえか【グレーター・アルテミス】。これで適度に犯罪者逮捕してりゃいいんだろ? あとはこーいうところで優雅にメンテナンスか。たまらんなァ~」
アイザックが笑った。
「気楽な街だろ」
「うん、そお。いい街」
「オルトロスではこき使われてたか」
「まあな。けどそこでも超能力警官まがいのことばっかしてたから、人気はあったな。
【グレーター・アルテミス】に行くっつったら、すんげぇ引き留められたし、署のオンナノコ達が泣いてたし、独房で捕まってる女まで今度は【グレーター・アルテミス】に捕まりに行くって泣いてた」
ライルが適度に短くなった煙草を捨てて、新しいものに火をつける。
「オレ女に甘いからなぁ。好みのタイプの女だと、それとなく甘めの調書とか取ってやってたから」
「バカ。来んなってちゃんと言っとけよ? 【グレーター・アルテミス】は非アポクリファにも優しいなんて言ってっけど、犯罪者にはアポクリファだろうが非アポクリファだろうが、容赦全くしねー街だからな。
この街じゃ俺たち特別捜査官は裁判免除されてっから、何でもアリなのよ。
俺だってあれだ、他の州でこれやってたら物壊した賠償金だけで食えなくなって、今頃首吊ってなきゃなんなかっただろうしな。
けどここじゃあ【アポクリファ・リーグ】に所属する特別捜査官は訴えられないから。だからタクシーの運転手があんなにオレ乗せるの嫌がんのよ。俺にぶっ壊されたら自分で直さなきゃなんねーから」
「お咎めなしか?」
「咎めはあるよ。さすがに行き過ぎるとアリア・グラーツっていういいケツしてんだけど鬼軍曹みたいな上司にヒールの鋭利な踵でグリグリされるしな」
ライルは口笛を鳴らし、バビロニア地区【アポクリファ・リーグ】本部の上階から見下ろす夜景を上機嫌で眺めながら笑った。
「ますます興奮すんねェ」
「まぁ何事も適度にやれってことだな。シザの見ただろ、容赦のねえ戦い方。あいつ人間相手でもあんな感じでやるからな。顔面完全理系だけど戦い方バーサーカーみてぇだから。あいつがいる限り【グレーター・アルテミス】の犯罪者にとってはここは地獄……おっと」
「ん?」
アイザックが携帯を見て、深い溜息をついた。
「なによおっさん。どーしたの」
「いやどーしたもこーしたも……」
アイザックが投げて寄越した携帯を見て、ライルはぶはっ! と煙を吐き出しながら笑った。
そこには速報情報として『今、空港にシザいた! そんで恋人とキスしてたぁっ!』などという情報が入り乱れ飛んでる。
「あの人自分は【アポクリファ・リーグ】現在得点王だとか威張ってたけど、それってお馬鹿ポイント担当なの?」
携帯を放って返しライルがおかしそうにくっく、と喉を鳴らした。
「まー。俺も時々あいつ実はバカなんじゃねえかなって思うことは正直ある」
自分のPDAを起動させる。通常モードならば、すぐに速報ニュースの情報に繋がる。
エンターテイメントジャンルの速報ニュースがあっという間にシザ情報一色になった。
「んでもさ俺、今までも他国いてシザのことは知ってたけど、恋人アリっていうのは聞いたことなかったぜ」
「当たり前だろォ? 【グレーター・アルテミス】のネット回線は規制掛かってて、他国には基本一切流せねーんだよ。
それに【グレーター・アルテミス】の情報統制牛耳ってんのどこだと思ってんだよ。アリア・グラーツなんてあいつ正式な肩書【ゾディアックユニオン司法局情報統制管理室室長】なんだぜ。シザはあいつ自らスカウトして来た【アポクリファ・リーグ】の花形だ。誰が自分の贔屓のスキャンダルを喜んで流すんだよ。シザのこういう情報が飛び交うの【グレーター・アルテミス】で一瞬だけ。あとホントにヤバい映像とかはゾディアックユニオンが潰してんの。だから他国に情報が飛んだって、こっちには何の証拠も残んねぇんだって……。よく出来てるだろ」
「んじゃこういうキスの写真も一時間もすりゃ消えちゃうわけね」
「一時間も掛かんねえよ。下手すりゃ三分で消えらぁこんなもん」
ライルは三十分ほど前までここにいて落ち着かず不機嫌そうだった同僚の、熱烈なキス写真に呆れた溜息をつく。確かにこういう余裕のないキスぶちかまして来るような奴には全然見えなかった。
「シザ・ファルネジアってクールキャラで売ってんじゃねーのかよ」
「売ってるよ。いつもはな。けどユラの前じゃあいつの仮面ベロベロに取れるからしょーがねえもう。つうかこういう情報が出回ると、俺がアリア・グラーツとか養父のCEOに怒られんだぜ? お前の監督不足だとか、絶対納得いかねー」
「いや、こりゃあ確かに監督不足だろ。絶対舌入れちゃってるもんコレ」
「近頃の若い子の情熱ってそら恐ろしいよおじさんは……」
「ちょっと歳離れてるように見えっけど。弟の方何歳? シザ二十三歳だったよな」
「ユラか? ユラは確か……十五とか六じゃなかったかな」
「同じ金髪だけど顔あんま似てねーな。作りの系統が違うっつうか。実の兄弟じゃないんじゃねーの? アポクリファって多いだろ。家庭の環境で義理兄弟だの義理家族だの」
アイザックは髪を掻く。
「……いや俺もそうなんじゃねえかって思ったことあるんだけど、どーも血は本当に繋がってるみたいなんだよな……。前に一回シザが捜査中にすげぇ傷を負ったことあるんだけど、居合わせたユラから血は採れなかったんだよ」
「それは……アレか?」
「そう。似すぎてっから。俺からしてみると確かにあいつら、兄弟っぽいとこもあるんだよ。だから多分、そのこと自体は本当じゃないかなと」
「んじゃ義兄弟ってわけじゃねーのか」
「はっきり聞いたことはねーけど。でもあいつ子供の頃大分家庭環境ごちゃついてたからなあ。もしかしたら、ずーっと一緒に暮らして来たってわけじゃねえのかもしんねえ。そら、半分他人みたいに育って来たなら……兄弟の情に恋情が勝っちまうのも、……あんのかもなあ」
あんのかもなあと言いながらも、アイザックは難しい顔をしていた。
「ユラの方がこんなに懐いてるってことは、あれか。シザが殺したっていう、あいつの父親ってユラの実の父親じゃないのか?」
「そこはホントに知らねーわ。聞ける雰囲気と隙、【アポクリファ・リーグ】に所属する記者会見の時に養父殺害を自供した時以外あいつ出したことねえし。……お前よく知ってんな」
「そらこんなでも警官やってたからな。当時殺人犯が【グレーター・アルテミス】に逃げ込んだのに捜査させねえってすげーこっちじゃ社会問題になってたんだぜ。
殺された父親……なんだっけダリオ……」
「ダリオ・ゴールド」
「そうそれ。そいつがシザに虐待加えてたって、証言や証拠はあるらしいからな。そいつ実父じゃないんだろ」
「ああ。養い親」
「だったら多分裁判になってもシザ側が有利だって、うちの署でもよく話題に上がってた。なんでこいつ国際裁判所に早く出頭して裁判受けねえんだってさ。
裁判受けてとっとと無罪確定させちまった方が、どう考えても楽だろ?
おかげで【グレーター・アルテミス】を一歩でも出たら国際指名手配犯だぜ。
殺人容疑じゃ時効はねーし」
アイザックは側の珈琲メーカーでコーヒーを入れて、戻って来る。
「そんなこたあいつだって分かってるよ。だから今の養父の養子になったんだって。新しい養子縁組して十五年経てば、それまでの戸籍上の関係で行われた全てのことが無効になるからな」
それは、実の親族と上手く行かないことが多いアポクリファを救うために作られた国際法の一つ【アポクリファ特別措置法】の一つだ。
一時期爆発的に増加したアポクリファも、この五十年ほどの間に『アポクリファ狩り』という悲惨な出来事に晒され、珍しい能力者が攫われて闇社会で売買されたり、アポクリファというだけで戦う力のない者は、非能力者が当時強く抱いていた能力者に対する憎しみの攻撃対象にされたのだ。
彼らは迫害に晒されやむを得ず戦わなければならないという事件なども増え、徐々に国際社会でもアポクリファに対して寛容な法を制定すべきだという、穏健派の意見が主流になっていったのである。
世界規模で見てもアポクリファしか居住していない【グレーター・アルテミス】は他国からこの時期、かなり厳しい目に晒された。
「あ、なーるほど……。そんで養子になったのか。んじゃ、シザはいつそれが適応されんの?」
「ん~確か事件が起こったの七年前だろ」
「んじゃあと八年。……なんだよ、まだ全然じゃん。もう国際裁判所に出頭しとけよ。そっちの方がずっと手っ取り早いっつーのに」
「仕方ねーだろ、それは嫌だってシザが拒否ってんだから……」
アイザックは珈琲を飲みながら、足を組み替えた。
「いや、俺は別にそれはいいのよ。あいつの育った環境、ちょっと聞いただけでも劣悪だし。ダリオ・ゴールドは、ただ児童虐待してただけじゃねーらしいんだよ。どうやらあいつの持ってた会社も、裏社会と繋がりがあったらしいんだよな。それがアポクリファの人身売買なんかにも絡んでんじゃないかって話がある。あいつの本当の両親、四歳の時に両方事故死してんだけどな。……それもどうやら噛んでるんじゃないかって、あいつは言ってる」
「マジで?」
「おー。ここ、地上におけるゾディアックユニオンの総本山だから。別に外界に行かなくても世界中の犯罪者のデータには事欠かねえしさ。なんてったって本部は月にあって地球を神様みてえに監視してる連中だからな。シザは仕事の合間にも、個人的な捜査とかしてるよ。今も。そっちの方は俺には一切話さねーけど」
ライルは煙草を灰皿に押し付ける。
「ちょっと待てよ。おっさん。今、四歳で両親が事故死してるっつったよな。んじゃユラはまだ生まれてねーだろ。つーことはなんだ……」
「そ。体外受精児」
PDAに次々と挙げられてくる『シザの恋人だ』というコメントと共に写真を撮られている少年の横顔を、ライルは見下ろした。少し気弱そうだけど確かに整った顔はしてる。
少し波掛かった髪は長めなので、横顔なんか見ると性別どっちか分からない雰囲気がある。
しかし兄貴が迫力ある美形なら、こちらはなるほど小動物系の可憐さという感じだ。系統が違う。
「シザの両親ってゾディアックユニオンの研究者だから、なんかそういう素材が残ってたんだってよ。凍結保存っつうの? ダリオの奴はシザの両親の同僚だったから、そういうこと知ってたらしくて。そんでそれを使って代理出産させたらしい」
「ふーん……んじゃ血は一応ホントに繋がってるわけか……」
「やべーなオレ。いっぱい喋っちまった。お前、あんま色んなとこでこの話ベラベラ喋んなよ。ダリオ・ゴールド事件はな、シザの話じゃとにかく単なる児童虐待話じゃないんだよ。
それにユラとあいつが兄弟っつうことも、あんま口にすんな。
ゾディアックユニオンの司法局は今のところダリオ・ゴールド事件に関してはシザを擁護してるけど、けどあそこは近親相姦に関しちゃ法を遵守してる。そこ曖昧にすると、たちまち国内外から叩かれるからな。だから本当にマズいんだよ兄弟の件の方は。
俺も別に兄弟仲良くしてる分には全く構わんからあんま恋情は表の世界に持ち込むなって注意してんだけど……。
いや。俺は別にいいんだよ。シザが誰を好きでもさ。それにユラは弟だし。性別違ったらさすがに性行為とかは気を付けろくらい言ったかもしれんが」
「そんなアポクリファ同士の子供が能力者で生まれる確率が高いってのも、アレ都市伝説だろ? 科学的根拠なんか何にも示されてねぇんだぜ。それで来て数で圧倒的に勝る非能力者が能力者を迫害するもんだから、各地に【グレーター・アルテミス】みたいにアポクリファだけのコミュニティが形成されんのが嫌で、あんなデタラメな法律作ったんだろ。
アポクリファ特別措置法のアメと鞭の鞭の方。近親相姦は場所によっては死刑っつうくだらねえ法律。近い血が交わって、純血種が増えてより力の強いアポクリファが増えると困るとか、本気で思い込んでんだろ。
作ったてめーらがアポクリファ差別とかしてっから、アポクリファがアポクリファに縋るしかねぇってどーしようもない世界を作ったんだよ」
ライルは新しい煙草に火をつける。
アイザックは笑った。
「それシザも言ってたぜ。
じゃあてめーらが同じ状況になってみろってさ」
へえ。ライルが片眉を吊り上げた。
『自分が楽園から追放されて独りにされてみたら分かりますよ。
自分の目の前に現われてくれたのが【イブ】なら。
それが妹だろうが親友の女だろうが異星人だろうが――僕はそれに縋る』
何者でも構わない。
切実な光を宿した碧色の瞳で、シザはアイザックに話したことがある。
『世界の仕組みが例えどうなっていたって構わない。
僕にはあの人以外いないんです』
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