第4話


 シャワーを浴びて全身の汗を流すと、新しいシャツに袖を通す。

 着替えが終わり細部の身だしなみも整えると、最後に腕時計を手に取り、時間を確認しながら腕に取り付ける。

 シャワールームから出て廊下を歩いていれば案の定向こうから、五月蝿い足音が聞こえて来た。


「シザこのやろーっ!」


 まだ姿も見えてないうちから声が聞こえる。シザは呆れた。

 数秒経って、角の向こうからアイザック・ネレスが姿を見せた。

 彼は怒った顔で真っ直ぐ駆けて来る。

「シザ!」

「そんなに犬みたいに何度も人の名前呼ばなくても、ちゃんと聞こえてますよ」

 冷めた表情と声でシザは言いながら、やってきたアイザックの脇をすり抜ける。

 ちなみにシザは二十三歳、アイザックは三十九歳である。

「てめー! ホントに置いてく奴があるか!」

「置いていくと二度ほど警告したはずですよ。従わない貴方が悪いと思いますが」

「警告が二度ぐらいじゃ、俺絶対従わないもん!」

「それは貴方の勝手で、僕が従う必要のないルールだよ」

 スタッフ用ラウンジに出ると、大きなソファに仰向けに踏ん反り返ってライルが寝ている。


【アポクリファ・リーグ】は十二の州が所属しその州警察から優秀な人材を三人まで登録して選抜された、いわば警察のエリート集団だ。彼らだけは越境し【グレーター・アルテミス】全域での犯罪捜査を許され、犯人逮捕や罪状の重さがハンデとなって付くポイントにより、要するに犯罪逮捕をスポーツのようにエンターテイメント化してしまっている。

 しかしながらこれが国内は勿論国外にも大人気で、サポーターもおり【アポクリファ・リーグ】所属の特別捜査官ともなると、警官というよりもはやタレントや有名アスリートに近い存在だった。

 今回シザの所属するレオ州【獅子宮】警察は、昨年引退したもう一人に代わりライル・ガードナーを新たなる捜査官として登録することになったのだが。


(先が思いやられる)


 シザは思った。

 アイザックは明らかに年齢から行ってもエリート警官としては活躍は下り坂で、自分が熾烈な【アポクリファ・リーグ】で【獅子宮レオ】の為にポイントを稼いでいかなければならないといけないというのに、もう一人はこんな不良のルーキーだ。

 公平な立場でなければならないのに自らがレオ州出身だからといって、やたら【獅子宮】の熱狂的なサポーターであるアリア・グラーツが「いい人材を見つけて来た!」と威張るので、どんな優秀な人物が現われるのかと期待していたシザは早くもがっかりしている。

 空港で見かけた時からちょっと様子がおかしいルーキーだなとは思っていたのが。


(これでは今年も【白羊宮アリエス】との優勝争いは、気が抜けなそうですね)


 ここ七年ほど【アポクリファ・リーグ】は獅子宮と白羊宮で優勝争いをしているのである。

 昨年は獅子宮が優勝して、シザがリーグMVPも獲得したが、その前は白羊宮が史上初の四連覇を達成していた時期もある。


「おうおう、シザ先生よォ、人を置き去りにしといて自分だけ先に帰って猛獣狩りして優雅にポイント稼ぐなんてのは、やりかたとしてどうなんだ……いいのかよォ?」

 こちらはアイザックと違って怒髪天を衝くというわけではないようだったが、納得は行っていないらしい。

「そんな姑息なやり方がまかり通るなら、俺もそれなりに姑息なやり方してくからな」

「いいじゃないですか。結局来れたんでしょう」


「ハァ⁉ 来れたじゃねーよ! そこのおっさんがタクシー止めようにも、お前を乗せたら必ず車を壊されるとか言って誰も乗せてくれねーし、ここに俺、今何で来たか分かってるか⁉ 

 バスだぜ! バス! B・U・S! この俺様を路線バスに乗せてここまで連れてきやがったんだぜ。十年ぶりぐらいだぞ、俺がバスなんてぇほのぼのした乗り物乗ったのは……。これもう……ライル式脳内裁判じゃ即刻死刑にしていいだろ!」


「アイザックさんがタクシーに拒否られたのは、僕のせいではないですよ」

「おめーの相方だろうが! どーにかしろよ」

「誰が相方ですか。僕は誰とも組んでません。会社の方針で仕方なく協力体制を取ってやってるんですよ」

「なんだそうなの?」

 ライルが片眉を上げる。

「そうですよ」

「いつも一緒にいるからコンビかと思ってたわ」

「失礼なことを言う新人ですね……僕は誰とも組んでいません!」

「違うっ! 俺が協調性のないシザ君の面倒を見てくれと、優秀なベテランとして会社に頼まれてこいつのフォローをしてやっているのだッ!」

「誰がそんなふざけたこと言ったんですか? 死にそうな目に遭わせたいから今すぐここに呼んでください」

「うるせー! ぜってぇ呼ばねぇ! 呼んでたまるか!」


「闘技場っていいなぁ~。お手軽にポイント稼げて化け物相手に憂さ晴らしも出来るって噂通り最高じゃねーか【グレーター・アルテミス】。そらエデン・オブ・アポクリファとか言われるわけだわな! 俺も早く闘技場にエントリーしてあまりの強さに女の子たちからキャアキャア言われたい」


「うるせぇ新人は黙ってろ。闘技場は一週間に三回有限だからエントリーは三人まとめてした方が獅子宮としてはポイント得するの!」

「でも単独エントリーした方が個人で得るポイント倍になりますから僕的にはお得なんですよ」

「へ~。色々ルールがあるんだねえ」

「署のポイントはまあ僕にとっては後から付いて来るって印象ですから。僕はあくまでも個人プレーですよ」

「それ一番言っちゃダメなやつ! 警官が俺のことしか考えないとか絶対一番言っちゃダメなやつ! 警察はチームプレーだって俺が毎日教え込んでるだろ! 味方にパス出せパスを!」

「嫌ですよ。貴方に付き合って僕がどれだけ個人ポイント普段損してると思ってるんですか。アレクシスさんは闘技場には思想上の理由でエントリーしてこないんだから、そういうところでポイントを巻き返さないとまた二位に陥落するじゃないですか。ほのぼの十七位にいる貴方と僕は緊張感が違うんですよ」

「誰がほのぼの十七位だ! 降格圏争いしてる俺の緊張感だってお前に匹敵するわ小僧!」

「あのさぁ……痴話喧嘩の途中で口挟んで悪いんだけど、オレ早くホテルに戻って寝たいんだよね。十四時間フライトしてたから寝てるはずなんだけど、こらもう完全に時差ボケだ……」

 どあ~~~~とライルが大きな欠伸をする。

「適当に、短く、簡単にバビロニア地区とかの説明してくんない?」


「アイザックさん、そんな説明もまだしてないんですか」


 シザがアイザックを睨む。

 先ほどまでに怒って勢いがあったアイザックだが、その一瞥には気圧された。

 シザは警官としての実力、戦闘系アポクリファとしての能力で名高いが、実のところ彼が【グレーター・アルテミス】において並のタレントよりも国民的人気なのは、その容姿の良さも大いに関係している。

 この男は口を開くと毒しか吐かないが、黙っていれば本当に「王子様のような美形」なのである。その王子様のような美形にこうも思い切り睨まれると、何年同僚をやっていてもやはり未だに迫力がある。

「いや……だって、バスの中で色んな人に話しかけられんだもんよ……。説明する暇ねーっつうか……」

「今日は時間が無いって何度言えば……!」


 シザが本当に拳を振り上げ殴りかかるような仕草を見せると、アイザックが身構える。

 だがすぐに、これも時間の無駄になるとシザは考えたようだった。


「一度しか言わないので、よく聞いて下さい」

「おー」

「貴方の明日からの所属は、この【グレーター・アルテミス】警察ということになりますが、正式にはゾディアックユニオン所属の特別捜査官、という肩書きになります。

 つまりあなたは【グレーター・アルテミス】所属の警官ですが、ゾディアックユニオンの所員ということにもなり、月宮研究所にも書類の上では関わっているので、その権限は地球上全域に及びます」


「ゾディアックユニオン本部は月にあるんだろ。そこの所員ってことは月にもタダで行く権利があるって聞いたことあるけどほんと?」


「本当です。申請すれば時間かかりますが行けますよ」

「へえ。俺って月に行ける人間になったんだ」

「まあ……月の話はこの際どうでもいいので脇に置いておきましょう」

「あんた女に絶対感動の無い人ねとか言われたことあるだろ」

「バビロニア地区は【アポクリファ・リーグ】活動の本拠地。

 バビロニア地区から続く十二の州は黄道十二星座の名を冠し、レオ州【獅子宮警察】が普段の僕たちの仕事の本拠地です。

【アポクリファ・リーグ】に所属している警官に特別出動要請が掛かったら、出動して各地へ飛ぶ。このサイクルを覚えて下さい。主にキメラ種出現、凶悪事件発生時に【グレーター・アルテミス】司法局本部からPDAに直接要請が届きます。

 プロテクターや個人バイクの性能、及び使い方などのマニュアルは一度ラボに行って、メカニックと確認をして下さい。質問は」


「はいセンセー。俺たちもカジノで遊んでいいんですかぁ」


「ダメです。僕たちは司法と治安、二権に関わっているのでギャンブルは出来ないことになっています」

「げ。そうなの?」

 知らなかったのか、ライルが少しだけ身を起こす。

「俺、前警察だったけどギャンブル出来たぜ?」

「だから【グレーター・アルテミス】には【グレーター・アルテミス】の法があると何度も言っているでしょう」

「何度もは言ってないよなぁ」

「【アポクリファ・リーグ】のシステムやランキングの説明については……まぁ、やってるうちに分かって来るからいいんじゃないですか」

「おっ。なんだその雑い説明は」

「時間がないので、僕は今日はこれで失礼します」

「まだ説明途中だろォ」

「あとはそこのおじさんにでも聞いて下さいよ。早くしないとユラが空港に着いちゃうじゃないか……アイザックさん! もういいでしょう!」

「ああ、わかったわかった……今日はもう帰っていいから」

 シザはそれを聞くと同僚にお疲れ様も言わず、本当にそこから駆け出して行った。


「よっ……と、」


 ライルが完全に身を起こす。

 彼は煙草に火をつけた。

「んで、人の説明とか全く受けてないんだけどさ。

 とりあえずユラって誰よ」

 アイザックがソファに腰掛ける。


「あいつの恋人」


「へぇ……恋人いんだ。なんか意外」

「いや。弟かな」

「あ?」

「弟だけど弟って言うとシザがすげぇ切れるから」

「弟と恋人間違えるってそれなんかの比喩なわけ?」

「まぁ、仲のいい兄弟だわな。たまに怪しいけど」

「……オイオイ、なんなの。ディープな話?」


「さ~な~。俺もよくまだ分かってねーんだよ。あいつの家庭環境っつうか……。

 あいつの本当の親は、小さい頃に死んだらしいんだよ。んで何人か養父みたいなのがいるっつうのは聞いたことがある。

 ちなみに【アポクリファ・リーグ】の最大大手スポンサー企業ラヴァトン財閥のCEO、あいつの養父だから」


「なんだそうなの? 養子なんて目ェ掛けられてんのに現場で働いてるわけ? のちのち事業継ぐなら、こんな猛獣狩りとかやってる場合じゃないんじゃないの」

「いやだからその辺よく分かんねーんだよ。

 シザはあんま養父の事業継ぐ気は無いみたいなんだよな。

 けど。……まぁ! あれだ、別にアポクリファが複雑な家庭環境で生まれ過ごしてたって、今更珍しくもなんともないだろ」

「まぁそりゃあな。アポクリファに生まれて、平凡平和な家庭でいられる方が珍しいからな」

 アイザックは頷く。

「おう、そういうことだ」

「んで、その『ユラ』って? 空港に迎えに行くとかなんとか言ってたけど」


「ユラ……ユラ・エンデはアポクリファだけど、ゾディアックユニオン加盟してる国立の音楽院卒業してるから特別ID持ってんだよ。だから外の世界で暮らしてる。最近世に出始めたばっかりだけど、相当優秀なピアニストなんだぜ。聞いたことねーか?」


「いや。俺クラシックなんか聞かねーからさっぱ分からん。へー、ピアニスト。そうなんだ。シザ・ファルネジアにピアニストの弟がいたとは。知らなかったな。兄貴は猛獣の顔面に平気で流星蹴り叩き込んでるような奴なのになぁ。弟芸術家かよ」

 アイザックが小さく笑う。

「まーな。ユラは大人しくて可愛いやつだぞ。ふわふわしてて、なんかちまっとしてる。うん、そう。あいつと違って小動物系。シザは小さい頃からユラのこと溺愛してたらしい。

 今も兄弟ですげぇ仲良くてさ。

 ユラも多忙なんだろうけど、何だかんだ定期的にこうやって会いに来て、ユラが来るって決まった数日前からは浮かれようが酷いし、当日になるとあれだよ」 

 呆れたようにアイザックが肩を竦める。


「……家庭になんか、色々あったみたいなんだよな。あいつ。絶対話さねーけど。

 でもそういう環境の中で、いつだってユラだけが味方だったんだとさ。

 だから大事にしてる」


「ふーん。【グレーター・アルテミス】の法ってやつでは近親相姦とかは咎められないわけ? 他の州だとアポクリファ特別措置法に適応されて死刑の所もあるよな。

 まぁ俺は他人の恋愛に口挟まねーし、アポクリファ特別措置法とか言ってる奴ら片っ端から並べて顔面蹴りたい気持ちはあるけどよ」

「バカ。それはどこでも一緒だよ。

 ……だから、まぁ、マズいんだけどな。あいつただでさえ司法局に受けが悪いだろ。

 目ェつけられてんだよ。なるべく静かに暮らしとけって言ってんのにユラのこととなると絶対に譲らねえし」



「ああ……。

 まー、シザは少なくとも【グレーター・アルテミス】以外の国にもどこにも、

 自由にはいけねえわな。

 だって、人殺しちゃってるんだからさ」




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