第11話 甘えてほしい

――やっと解放された――


 四条は、学会の用事で、久々に関西へ出張に行っていた。

 二泊三日の出張は、彼女にとっては長く感じた――ほとんど毎日、一緒に暮らす鴻巣と抱きあっているのだから、一日でも会えないとすぐに寂しさが募る。

 大学へいったん戻り、簡単に出張の報告書をまとめて助手の友田へ渡して、帰宅するためにタクシーを呼び、裏門の駐車場付近へ行くと、偶然、鴻巣の車がとめられているのに気づき――途端に、鴻巣に会えるかもしれないと思った。

 一緒に住んでいるけれど、二日間会わなかっただけで、鼓動が高鳴って――

 少しだけ探してみようと、踵を返して学内の大きなカフェテラスを窓越しに何気なさを装って、そっと覗く。

 当然、人が大勢いるし、広い学内で、約束もしていないのに遭遇できるはずもない。

 と、ため息をついた時、「あれ、四条先生、どうしたんですか。誰かお探しですか?」と後ろから声をかけられ、肩を震わせるほど驚いた。


「あ、すみません。突然話しかけて」


 鴻巣と同期の専任講師、川島希美が柔和な笑顔で立っていた。


「こちらこそ、すみません。いえ、何もないんですけど――関西へ学会の用事で、出張してて、帰る前に寄ったところなんです」

「そうだったんですね。よろしければ、お茶でもいかがですか?ちょうど、鴻巣さんと黒岩先生も来ますから」


 と、言われ、川島が振り向いた視線を追うと、後ろ側から鴻巣と、黒岩と――知らない女性がゆっくりと歩いているのが見えた。

 若い綺麗な女性を気遣うように、話しかけ――緊張した様子の女性は、ついに微笑み、鴻巣は、彼女の腰に手を置かないが、かばうようにして――

 状況がわからないのに、いちいちショックを受ける必要はないと――四条は自分を戒めたが――寂しさと、不安が募っていたところに、自己肯定感がもともとない四条は瞬時に沈む。

 さっきまで早く帰って、鴻巣に会いたいと弾んでいた気持ちが――


「あの、女性の方は――」

「ああ、黒岩先生に紹介されて、かわいい子が相手だとすぐデレデレするんですよ、鴻巣さんは。困ったもんです」


 川島は笑いながら言ったが、顔面蒼白になった四条を見て、驚く。


「いえ、冗談ですよ、鴻巣さんは親切にエスコートしてくれてて――何しろ彼女は――」


 何か弁明している川島の声は、遠ざかるような感じで、四条の耳に届かなかった。

 黒岩が女性に話しかけ、ふと周りに目をやった鴻巣と、目があったような気がして――不自然ながらも会話を打ち切り――

「申し訳ない、川島さん――ちょっと気分がすぐれなくて――」と、タクシーを呼んだ場所まで逃げるように去った。


 タクシーに乗ると、四条は――どこか、近い場所にビジネスホテルはないかと尋ね――何も考えないようにしながら、チェックインをして、我にかえると殺風景なシングルルームに、茫然として立っていた。


 :::

「ちょっと、川島さん、今、四条先生と話してた?」

「そうなんだけど、何か出張の帰りに寄ったって――でも気分が優れないって」

「何、話してたの?」

「ええ?どうしたの、鴻巣さん、先生と何かあった?」

「いいから、何話してたか教えてよ」

「うーん、四条先生に、鴻巣さんと一緒にいる人は誰かって聞かれたから、黒岩先生に紹介された人で、かわいい子だからデレデレしてると冗談を――」

「川島さん――何でそんなことを――黒岩先生の妹さんだって、うちの大学に入学希望だから案内してただけだって、説明してくれた?」

「言おうとしたら、行っちゃったんだもの」

「マジか……」


 この短時間に、ふたりも顔面蒼白になるのを見た川島は、何かわからないがまずいことを言ったらしいと、すまなそうな表情になったが、鴻巣は「いや、川島さんが悪いわけじゃないんだけど――」と、フォローしつつも、さすがに案内を買って出た自分が、すぐ恩師とその妹の側を離れるわけにはいかず、ジリジリときっかけを待つしかなかった。


――あの表情――絶対に誤解しちゃったんだろうな。


 鴻巣はスマートフォンを頻繁にチェックしていたが――四条から連絡はなかった。そもそも一緒に暮らしだしてから、家に帰れば会えるので、めったに連絡はしなくなっていたのだが――


 :::

 ホテルのベッドに横になって――四条は、涙が溢れて――自宅にこの感情のまま、帰るわけにはいかなかった。すでに、鴻巣の存在が、色々な記憶が、ありあまるほどある自宅には――

 あの女性と鴻巣が、初対面じゃないことが、なぜか勘でわかった。

 話している表情や、立ち居振る舞いが、単なる他人じゃない雰囲気があって――

 四条は、いつか訪れると思っていた彼女との別れが、ついにきたんだと、そんな思いでいっぱいになり、同時に――耐えられないと――


――私の気持ちなんてどうでもいい、久実が、幸せにならないと――私とではなく別の人と――愛し合うことで、幸せになるなら、どれだけ自分が苦しかろうが、そんなこと――


 そう、思っているのに、鴻巣との思い出が、湧き出て――


――誰も信じない、私と久実が恋人だったなんて――久実が愛の言葉を何度も言って、私を抱いて、時にはお姫様と呼ぶくらいに――愛し合っていたと――そう主張しても、誰も信じないだろう――


 新幹線に乗車する際、サイレントにしたスマートフォンを思い出し――ため息をついて、それでも一度確認して――何も連絡はきていない――そのままカバンの上に放りだし、四条は2日間、あまり眠れずにいたために、目を閉じるとそのまま――


 ハッとなって目を覚ます。うっかりと眠っていたらしい――2時間ほどたっていて、外が暗くなって、雨まで降っている。


――このままここに、一泊しようか?


 と、四条は思う。疲れていたし――鴻巣と、こんな気持ちのまま会いたくなかった。

 せめてもう少し落ち着いて――彼女が別れを切り出しても、すぐに「わかった」と言えるくらいには――

 連絡がなくても、今日は帰らないと、メールをしておけばいいかとスマートフォンを起動させると――鴻巣からの着信があり、思わず通話を選択してしまった。


「涼香、涼香ですね?どこにいるんですか!私、もう家に帰ってきたんですけど――いないから」


 大声でまくしたてる鴻巣に、四条は思わず耳から離す。


「く、久実――」

「――泣いてましたね?どこにいるんですか、ねえ、迎えに行きます、川島さんに言われたことで、また誤解したんでしょう?」


 声の具合で、泣いていたことまでわかるのかと、四条は驚くが――


「ホテルにいるから、今日はもうここに泊まる。明日、あなたの話を聞く。約束するから――」

「どこのホテルですか」


 切り込むような、有無を言わさない口調で鴻巣は言う。四条は言葉を切り、息を飲む。


「久実、だから――」

「私が、ほっとくわけないでしょう。本気で、涼香をひとりきりにさせると思ってたんですか」

「何で、何でそんなに――私がどこにいたって、あなたには――」

「どこのホテルか、部屋番号も言ってください」


 四条は思わず周囲を見回し、テレビの置いてある台に、ホテルの用意した案内などが入っているバインダーを見つけ、ホテル名と部屋番号を言った。

 ホテルの名前すら、知らずに泊まっているなんて――と、いかに自分がパニックになっていたか、それで気づいた。

 鴻巣は性急に通話を切り、四条は通話を終えた後の画面に、鴻巣からメールが山ほど来ているのに気づき――もしかして、まだ終わりじゃないのかと、胸が不安で苦しくなる。


 大学の近くのホテルだったので、30分もたたないくらいで、部屋のチャイム音が鳴る。ビクッとして、念のためスコープで確認して――もちろん彼女だ――ドアを開いた。

 入るなり、抱きしめられ、ベッドに押し倒され、全身でホールドされる。


「私だって、いい加減、怒りますよ――どうして逃げるんですか、私に聞けば、すぐわかることなのに」


 四条が何か言おうとする前に、熱く口づけられ――唾液がこぼれるほど、深く舌を絡ませて――それどころじゃないのに、体が反応してしまい――そんな自分に恥ずかしさを感じて、四条は目を閉じた。


「怒らないで――…気持ちが落ち着くまで、あなたに会えないと思っただけで――だって、あの女性は、明らかにあなたと親しそうで――」


 声がつまる――涙ぐみそうになって、息を止める。

 その様子を見て、鴻巣は「だから、彼女は黒岩先生の妹さんなんですよ!黒岩先生を訪ねて、うちの大学を見に来たんです。入学希望ってことだったから、私が案内をお手伝いしてだけです――前から私も面識はあったので」と言った。


「い、妹さん?」


 驚いて、思わず目を開ける。すでに甘い笑顔でほほ笑む鴻巣が、自分を見下ろして――


「川島さんは、冗談で言っただけなんです。私が黒岩先生の妹さんに、デレデレするなんて――色んな意味でありえないですよ」

「まあ、そうだろうけど――じゃ、結局、また私の――」

「そうですね、誤解です」


 ちょっとしたことで、自分の気持ちがこんなにも不安定になるなんて――けれど、これが恋というもの――わかっていても、なんて恥ずかしいんだろうと、カッと頬が熱くなった四条は、小さい声で「――ごめん、久実――恥ずかしい、こんなに取り乱して――」と言った。


 すかさず、鴻巣も「大丈夫ですよ、涼香が、それだけ私を好きでいてくれるってことですから。しかも2日間も会えなくて、寂しくて――直接聞くのが不安になったんでしょう?」と、耳元で囁きかえす。


 まあ、そういうことになるけれど――何だか悔しい気持ちにもなるが、すでに四条は鴻巣とふたりきりのときは、子どものように甘えて、本音を言ってしまうようになっていたので――頷いて、自分から腕を伸ばし、鴻巣を抱きしめた。

 しがみつくように、必死に抱きしめられ、鴻巣はかわいさに顔が緩んでしまう。


「もう、大体、毎日ベッドで抱きあって、休みの日は涼香をトロトロになるまで抱いてるのに――他に目を向けるわけないでしょう」

「ちょっと、あからさまに言いすぎ――」

「耳までピンクになってるのに、叱ったって無駄ですよ」


 耳を舐められ、首筋まで――すぐに喘ぐ四条に、鴻巣は熱い下半身をさらに押し付け――


「ここでするより、家でいっぱいしましょう。もう涼香がどうなってるか、私にはわかるので」


 自分も息が荒くなっている鴻巣に言われ、四条は言葉も出せず、大人しくうなずいた。


 :::

 家につくなり――2時間程、ベッドから離れられず、その後、ソファで、最近するようになった鴻巣の座っている膝の間に、鴻巣にもたれて座る姿勢で、後ろから抱きしめられる。

 その恰好で簡単な夕食――四条が出張先の駅で買った名物が詰まったお弁当や、鴻巣が多少上達した料理、簡単なお味噌汁や煮物――を食べてから、ゆっくりとくつろぐ。

 色々と話しながらも、四条は鴻巣がまだ満足していないのはわかっていた。

 段々触れている部分が熱くなる。

 それでも、今日は自分から誘うようなことを言うのは気がひけた。

 ただの勘違いで――鴻巣を振り回して――本当は、もっといっぱい甘えたかった。セックスだって――彼女にリードを任せっぱなしで、それで本人はいいらしいけれど――


 数秒、沈黙していただけなのに、鴻巣は「うん?どうしました?」と聞く。

 そんなにわかりやすい人間だと思ったことも言われたこともなかったのに、鴻巣は察しが早くて――早すぎて――


「なんでも、ない」


 鴻巣に完全にもたれて、体をホールドしている鴻巣の手をギュッと握る。


「私のお姫様はおねだりモードですか?それとも?」


 耳の後ろに口づけされ、手がまたスウェットの下に入り、直接、四条の鼠径部を撫でていく。

 それだけで――さっきの行為を思い出してしまう――散々舐められ、甘噛みされ、吸われ、おかしくなりそうなくらい感じて――


「いいんですよ、甘えて――2日間もこうやってイチャイチャできなくて、私だって寂しかったんですから」


 四条の好きな、低い優しい声――


「でも、今日のことで、久実に迷惑かけて――」

「そうか、それを気にしてるんですね――私はもう、まったく気にしてないんですけど、またかわいい涼香を見れて、いっぱいエッチなことしたし――」


 ギュッときつく抱きしめられ、顔をうなじにすりつけられながら、鴻巣の手がさっきよりも強く――鼠径部をなではじめ、性器に触れ――四条は思わず声をあげて――


「久実、まだ話の途中なんだけど――ちゃんと聞いてほしい、のに」


 恥ずかしさも加わって、振り向いて涙目で睨む四条に、鴻巣は手を止めた。


「すみません、つい――」


 そのまま四条は体勢を変えて、膝の上で向かい合わせになる。鴻巣はそのまま自分の方へスライドさせるように、抱きしめて、密着させる。


「久実が、許してくれてるのはわかってる――…いつもこうして、すぐに優しくしてくれて――それでも私は、自分に自信がなさすぎて、結果的にあなたを振り回して――」

「何も気にせず、いつも通りに甘えてほしいんです。気にしてるなら、そうしてください」


 肩に顔を埋めていた四条は、顔を上げ――甘い口づけを交わす。それでやっと、四条は安堵した。


「久実――いっぱい甘えたい――寂しくて、不安で、本当は帰ってすぐ、あなたとこうしたかった――」


 キュンとなるようなこと、よく言ってくれるようになったな――と、鴻巣は内心、デレデレだが、四条の前では常にかっこよく、王子様のようでいたいと相変わらず思っていて――それは自分が年下だということ以外にも、四条に安心して頼ってもらいたいという気持ちからだった。

 四条はあまりに繊細で、奇跡的に純粋なままで、深窓の姫君みたいなところがあって、どう考えても自分は彼女を守るために出会ったと思っていた。

 だから、ちょっとしたことで考えこんだり、不安で泣いたりする四条の側にいて、すぐに安心させたいし、できればそのまま犯したい。

 それができるなら、もう、言うことはない。


「私もです、涼香――」


 微笑みあい、また口づけと愛撫を繰り返し――


「私のお姫様のおねだりは――次は何でしょうか?さっきの失点を取り戻したいので、何でも聞きますよ」


 そう、囁かれるだけで、四条はまた胸がドキドキする。


――ああ、久実に恋している、私の方がずっと――


「優しくて甘いのがいい、意地悪とか焦らすのなしで、今日は――」

「優しくて甘々がいいんですね?」

「う、ん、ギュっとしたまま、ずっと、最後まで久実とくっついて――したい」

「お安いごようです」


かわいすぎる、ほとんど反則のかわいさだな、私の涼香は――

 鴻巣は、心の中ではそう叫んでいたが、表面上は余裕な王子様のままで、四条の手を取ってベッドルームへエスコートした。

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