◇ トゥラーニャ未踏の医療8(ざまぁ①)


 軍医に加え、上層に住む上流階級の商人までもが呼ばれた。アリョーナの試験に、素材を提供してくれている。

 彼がひょいと[鳳凰の羽]を出してきたとき、俺はさすがに言葉を失った。あの日の俺の苦労は一体──。


 一体何事だ? と、兵舎の前を通りがかった部外者がふらっと入ってきてしまえるくらいには、広間は今、騒然としている。

 そしてその人物がアカデミーを運営する側の偉い学者さんだという話が聞こえてきて、アリョーナよりも俺のほうが緊張してしまった。



「この数日、アトリエでやったことをここでも繰り返したらどうだ?」


 と、俺は提案した。


「取りあえず、レベル6の薬から作ろう」


 [鳳凰の羽]でできる薬だ。


「で、その間にレベル5と7の素材を用意してもらえばいいんじゃないか」


 レベル5と7はワンセットだ。【王獣の妙薬ベストリクス・ポーション】があれば【幽輝の雫アステリオ・ポーション】もできる。


 そこでアリョーナが、ふと気づいたように言った。


「でもユーリ、【幽輝の雫アステリオ・ポーション】は一晩寝かさないとダメだよ」

「あぁ、そうだったな」


「だから私、ユーリの傷を治すのにレベル6の薬を使ったんだよ」

「悪い、忘れてた」



 ──というような話に、その場にいる誰もがついてこれないようだった。無理もない。この国は医療を捨てたのだ。


 そんな中で唯一、軍医が俺とアリョーナの会話に割って入ってきた。


「ふむ、作れるのなら、是非見せてくれたまえ。私の部屋に、錬成時間を加速させるリキッドがある。それを使えばすぐに錬成が終わるはずだ」





 査定に時間を要した。

 要職についた何人かが席を外し、下層のバラックに走った。戦争で怪我を負った兵士で実験しているそうだ。


「ユーリがいなくなって、フィリスが鳴いて、プリンも落ち着かなくて、私怖かった」


 アリョーナが苦々しく笑いながら、そう言った。


「……あとでゆっくり聞かせてくれ」


 胸が詰まって息苦しい。これ以上その表情を見せられた、衝動的に抱きしめてしまう気がした。


 レオニードは、革手袋の上からギリっと爪を噛んでいた。

 そう。お前は軍の人間だな。そっち側で大人しくしてるがいい。


 俺は広間を見回した。

 そういえば……アカデミーの学者がいないな。帰ったのか、あるいは──





 しばらくして、広間の扉が重々しい音を立てた。


 軍団長ヴォイヴォダを先頭に、数人の兵士が本営に戻ってきた。

 その中に、──やっぱな──アカデミーの学者の姿もあった。


 総指揮に歩み寄り結果を報告する軍団長ヴォイヴォダを他所に、学者はアリョーナの方をじっと見つめている。その目は、まるで珍しい標本を見るような、好奇と疑念の入り混じったものだった。


「誠か……」


 総指揮がアリョーナの前に立った。


「おい、アリョ……アリョーナ。レベル7が限界か? 8はどうだ?」


 8──その言葉が出た瞬間、広間が一層騒がしくなる。



 ……トゥラーニャじゃ最高ランクだぞ……

 ……いや、レベル9がいるだろ……

 ……お前そりゃ、造物錬金術師フォルマ・アルケミカの話だろ……

 ……医療の8は、国にゃ一人もいないぞ……

 ……無理に決まってる……



 そんな野次馬たちを見ながら、


「素材があればできるよきっと」


 アリョーナは他人事のようにくすくすと笑い、リュックから新しい水を取り出す。どうやら挑戦するらしい。


 総指揮もまた、目尻にわずかな皺を溜めていた。思いがけない戦力の出現に、内心ほくそ笑んでいるのだろう。その様子が、俺の不安をどうしようもなくかき立てた。


「これ、誰か素材を持ってこさせろ」

「と申されましても……何の素材が要るのか私にはさっぱり……」 商人が言った。


「お前はどうだ」

「お恥ずかしながら、レシピを見なければ……」 軍医もお手上げだ。


「なんと情けない……それでも第一線の軍医か」


 代わって口を開いたのは、アカデミーの学者だった。


「[星涙の雫]や[時空樹の葉]ですね。心身をつなぐネットワークを賦活ふかつさせつつ、中程度の外傷にも対応できる薬──が、認定条件となっています」


「どうだ、軍医」

「[星涙の雫]……なら、確かが持っていると自慢してたような……」


「ふむ、よかろう。──ヒナタを呼べ」





 ヒナタなる人物を待つ間、アカデミーの学者が話しかけてきた。


「失礼ですが、アリョーナさんと言ったかな。君、医療分野のレベルはいくつかな?」

「7だよ」


「うん。そうではなくてだね、アカデミーが認定したレベルだよ」

「2だよ」


「2? ……そうですか」


 それきり学者は黙り込んだ。





 やがて、緊張の面持ちで広間に現れたのは──エカリナだった。


 うっ。俺は思わず息を呑む。無意識に頭を低くした俺に、彼女の視線が真っすぐ突き刺さる。

『なんであなたがいるの』──剣のある、そんな眼だった。


 そりゃこっちのセリフだ。『ヒナタ』って何だ。新手が登場すると思っていただけに、既知の顔の登場は二重で俺を驚かせた。まぁ、あだ名か何かなんだろうけど。



 エカリナは俺から視線を外すと、広間の中央を見て、瞬間、愕然とした。


「──あっ、あ、アリョーナ……あなた……」


 幽霊でも見たような顔で立ち尽くすエカリナに、アリョーナはいつも通りの足取りで近づいていく。


 エカリナの手にはバケット。

 アリョーナはためらいもなく、そのバケットに手を伸ばした。


「へへ……素材もらうね」

「──あ、ちょっ」


 アリョーナはレシピに折り目を付けながら、釜に水を注いでゆく。



 ──〜〜♪



「……医療の8? 本気で、私の素材を煤にする気? ねえ、何考えてるの? ていうか……なんで生きてるの? いままで、どこで……何してたのよ……!」


 アリョーナはフラスコを用意する手を止め、唇に人差し指を立てた。


「エカリナちゃん、錬成中は静かにしようね」


 ──決まったな。よくぞ言った、アリョーナ。


 とどめとばかりに、総指揮の声が響いた。


「下がれ、ヒナタ。こやつはお前に並ぶ才を持つ者だ。俺が裁可した。──以後、彼女の行動には口を挟むな」


 エカリナは表情を引きつらせた。ぎゅっと唇を噛み締め、だが広間からは出ていかない。


 まるで立ち去るタイミングを失ったように、釘付けになった視線でアリョーナの背を見ている。彼女は言った。


「……この子が生きてるって、あの時もう知ってたのね」


 俺は肩をすくめる。アリョーナの気を散らさないよう、言葉は飲んだ。


 エカリナはそれきり何も言わなかった。





 小瓶を目の高さに掲げながら、アカデミーの学者は静かに言った。


「──ええ、問題ありませんよ。然るべき水準に到達しています」


 瓶の中には『星空』が閉じ込められていた。

 星空──そうとしか表現できない。


 黒い液体の中に、天の川のような光の帯が浮かんでいる。

 七夕の夜に見たくなるその医薬品の名前は──【星魂再露アイセロン・レヴィネル】。精神的ショックや深層疲労からの蘇生を行う薬です──と、学者は補足した。



 完成はした。

 だが、レベル8ともなれば、各地のアカデミーでの治験が必要らしい。追って、協会からの通達があるという。


 瓶を鞄に収めながら、学者はこう続けた。


「取り急ぎ、アリョーナさん。あなたはレベル7です。今後は──」

「ちょっと待って!」


 エカリナが突然、声を上げた。


「なぜ、アリョーナだけがこんなに早くレベル7を与えられるの? 私だって、あのアカデミーにいたし、ちゃんと努力してきた。どうして彼女だけが……!」

「もうよい、ヒナタ。お前の勤めは果たした」


 総指揮の白く濁った片目が、じわりとエカリナを射抜く。


「屋敷へ戻れ。兵は、定められた居所で待つものだ──祖父上にも、顔を見せておけ」

「……っ」


 ぐっと言葉を飲み込んだのが分かった。

 拳を握りしめ、硬く一礼すると、エカリナは無言のまま広間から退場した。



「……では、改めて」


 一呼吸置いて、学者はアリョーナを見た。


「医療レベル7までは、私が責任をもって確認しております。──アリョーナさん、」


 ごほん、と勿体ぶった咳払い。

 そして14歳の少女に、こう告げた。


「以降、あなたは【秘薬調合士】を、名乗っていただいて結構です」

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