第十四章.成り上がりとざまぁ
▽ 迎えにきたよ
宿屋の二階、とある一室にて──。
一睡も出来ず、朝を迎えた。
とはいえ朝日を拝んでも『朝だ』とは思う心のゆとりはなく、俺にとっての”朝”が訪れたのはそのもう少し後のこと。
「──」
何やら外が慌ただしい。
ベランダに出たその瞬間、アニメのような甘ったるい”猫なで声”が、俺の耳に飛び込んだ。
「ただいま〜ぁ」
……え? 今の声……
下の様子を窺い、ぎょっとした。兵舎の門前に、桜色の頭が見えた。
「──アリョーナっ!?」
次の瞬間には叫んでいた。
桜色の頭が一瞬だけ振り返る。けれど──違う。そっちじゃない。俺は、ここだ。隣の宿屋の上にいる。
アリョーナは、なぜか俺の冒険者バッグを背負っていた。そのバッグを押されるようにして、彼女は要塞の陰に姿を消した。ああもう!
若干パニックになりつつも、俺は慌てて宿を飛び出した。
何やってんだよ……
ローブも着ずに、いつもの格好で。『ただいま!』ってお前、実家じゃねえんだぞ。
・
「いた〜ぁ! ユうリぃっ♡」
「うわわわわ……!」
兵舎の広間。
俺を見つけるなり、アリョーナが赤い絨毯の上を勢いよく駆けてきた。
──バフッ
と、小柄な身体がぶつかってきて、柔らかな風を浴びる。アリョーナの優しい香りがふわりと顔に降りかかった。
「ゆーり、迎えに来たよ♡」
声を聴いて、顔を見て──たった半日離れていただけなのに、堪らなく懐かしく、切なくて、死にたくなった。
「どうどうどう」
アリョーナは他人の目などお構いなしに、ごしごしと胸に頬を擦り付けてきた。背中にざくざくと視線が突き刺さる。
アリョーナ……お前すごいメンタルだよ。
「どうして俺がここにいるって分かったんだよ?」
本当は、他にもっと考えるべきことが山ほどある。
けれど──目の前の彼女を見た瞬間、昂った気持ちが真っ先に俺に、そう言わせた。
「ンー? あー……」
視線がちらりと横に流れる。総指揮以下、大勢の兵士たちがこちらを注視している。
アリョーナは一度、ぺろっと唇を舐め、それから俺に目を戻し、軽く首を傾けた。
「昨日の夜ね、『フィリス』がこっち向いて遠吠えしてたから」
「フィリス?」
「あ、ユーリの狼ね。いい子だから名前つけたんだ。スライムは『プリン』」
「……そうか」
頭が混乱しそうになる。まるで手足の生えたお花畑と話をしているようだ。
そして、俺はようやくこれを言った。
「なんで来ちゃったんだよ……?」
来ちゃダメだろ、お前は。ここは軍の本営だぞ。
……そりゃ、嬉しい。めちゃくちゃ嬉しいが、それ以上に心配が──いや、心配なんて言葉じゃ足りないくらい、先のことを考えるとゾッとする。
レオニードの動揺が、その不安が杞憂ではないことを物語っていた。
「……どういうことか分かってるのかい、アリョン……アリョーナ」
「わかってるよぅだ。トゥラーニャの兵隊になればいいんだよね」
「火薬を作ると言うことだぞ」
「火薬は作らない。私は、薬しか作らない」
呆気にとられていた総指揮が、そこでようやく声を上げた。
「火薬をつくらない錬金術師があるかっ! こんの生意気な小娘がっ」
──あぁ、呆気にとられていたわけじゃなかった。怒りに打ち震えていたらしい。額には血管が浮き、まぶたがぴくぴくと痙攣している。
「だいたい貴様、錬金術師というが“ランク”は何だ! 『アリョーナ』などという名、聞いたこともないぞっ」
「『入門』だよ」
隻眼の強面を前に、アリョーナは一歩も退かない。その身長差、軽く二倍はあるだろうに。
俺はそっと肩を寄せて、「あんまり怒らすなよ」と耳打ちした。
アリョーナは、スンと鼻を鳴らした。──強いな、ほんと。
総指揮は鼻先で笑った。
「聞いて呆れる。見習いの分際で錬金術師を名乗るとは片腹痛いわ」
「でもレベルは7だよ〜ぅ。ね、ユーリ♡」
「え……あ、ああ。7です」
「馬鹿な。レベル7の錬金術師を俺が知らないはずがない。分野は」
「あー……最近、なったばかりで。医療の、レベル7です」
「自称であろう。くだらん」
「いえ、それが……医薬品に詳しい専門家のお墨付きなんですよね」
「ね〜♡」
やめろ、今は話に入ってくるな!
「軍医を呼べ。──それからお前、”アリョ何とか”と言ったな。この場で薬を作れ。今すぐだ。失敗すれば国家侮辱罪で拘束する。覚悟しておけ」
「アリョーナですよーぅだ。浅い浅い。初めて会ったときのユーリより浅いね」
けらけら笑う。
この場にいるすべてのオッサンが、14歳の少女の勢いに呑まれていた。
ごとり、とアリョーナは俺の冒険者バッグから──錬金釜とフラスコを出した。
ハッとした。
お前……最初からそのつもりで──?
──火薬は作らない。私は、薬しか作らない──
自分にはそれが許されるだけの実力がある、と示すために?
「ユーリ、何つくればいい?」
どっこいしょ、と赤い絨毯の上で胡座を掻いたアリョーナが、にこにこと俺を見上げた。
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