彼女とあたしの交換日記
果澄
彼の体が日記帳
遮光カーテンで閉め切った部屋に、汗と香水のにおいが充満している。空気はぬるく淀み、濁っている。
寝入っている彼を起こさないようベッドを抜け、そろそろとカーテンを開ける。わずかに明るくなった部屋で、彼の毛布をそっとめくる。
見つけた。彼女からのメッセージ。
2月25日 右の胸。
初めてそれを見つけたのは、1月のよく冷えた月曜日だった。土砂降りのなか大学を出て、部屋に戻ってから雪崩れ込むようにお互いの体を温めた。
彼はいつも薄暗い部屋を好んだ。指先と唇でお互いを確かめ合う。煌々とした光のなか細かいところまで観察されるよりかは良かったから、その日もしっかりと遮光カーテンを閉めていた。
激しい雨音を聞きながら抱き合ったあと、眠る彼の横顔を見つめていた。
少年のような、あどけない寝顔。静かな寝息の音だけが部屋に満ちていて、ふいに外の雨が気になった。
ベッドを抜けてカーテンを開ける。雨は雪に変わっていた。今年初めての雪を見せたくて、彼を起こそうと毛布をめくったとき、見つけてしまったのだ。
愛のしるし。
彼女のなわばり。
赤く滲む、キスマーク。
土日はバイトだという見え透いた嘘が気にならないわけではなかった。体から始まった関係に、期待してもいなかったけれど。他に女がいたなんて。
押し寄せてくる悲しみはなかった。不思議なくらいに。
左のわき腹に刻まれた、彼女からのメッセージ『わたしのほうが本命です』。
そっと撫でて、重ねるように口づけた。
それ以降、彼と会わない土日を超えて抱き合うたび、増えるメッセージを確認する癖がついた。
1月28日 左の胸
2月 4日 おへそのあたり
2月10日 右足の付け根
2月18日 右のわき腹
2月25日 右の胸
彼が眠ったあと、そっと口づける。
確認しました、あたしからのサイン。
3月7日、いたずら心が働いて、あたしのメッセージを刻もうと試みた。けれど、鋭い勘で見抜いた彼に、さりげなく制されてしまった。代わりに、左肩に刻まれた彼女のメッセージにハッキリとサインした。少し強めに肌を吸ったら、元あったものより濃くなった。
次に抱き合ったとき、あたしのサインのちかく、重ねるようなかたちで、彼女からのメッセージがあった。
3月10日 おなじく左の肩。
受け取りました、彼女からのサイン。
その日を境に、明るいなかで抱き合うことが増えた。密やかにではなく、肌を触れ合わせながらメッセージを確認できる状態になったのに、それを見つけることができなくなった。
彼女からのメッセージは、もう無かった。
あたしはすこし、つまらなくなった。
4月になり、春の温かな光のなか、服を着たままじゃれ合っていた。あたしの髪を梳きながら、優しく目を細めている。そして、ささやくように言った。
「ちゃんと、つきあおっか」
あたしは笑った。
体のにおいも、唾液の味も、耳元で弾む吐息の音も、すべてがモノクロームに溶けていく。
余白のない使い古されたノートはいらないし、交換日記も、もう飽きた。
あなたのことは欲しくない。
あたしだけに開かれる、真っ白なノートが欲しい。
彼女とあたしの交換日記 果澄 @kasumi-tachibana
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