【短編小説】白銀の牢獄

夜凪 叶

第1話

ここは星雲学園。適正係数二十以下の人間がやってくる隔離施設。学園とは言ったが、名ばかりで授業への出席は任意となっている。なぜなら、ただ卒業するだけなら一度も出席しなくとも、卒業に必要なだけの単位が貰えるからだ。そのため、今日も学校に来ているのは、俺たち変わり者の放送部の面々だけだ。だが、今日に限ってはそれでよかったのかもしれない。なぜなら、今日という日は人類滅亡の嚆矢となったのだから。


授業さえ行われなくなった学校で、僕は朝から放送部の部室に来ていた。

「おはようございます!」

部室の扉を勢いよく開くと、中には篠崎いのり先輩がいた。

「おはようございます、前原さん」

「俺もいるぞー」

部屋の隅で漫画を読み漁っている男、島祐介もいた。

「祐介、美沙は?」

「知らないね。まあ後から来るでしょ」

美沙こと藤本美沙は一年下の後輩で、同じく校舎に取り残された生徒の一人だ。

「あのさ……本当に落ちたんだよな、隕石」

「またその話? もう聞き飽きたよ」

祐介はけんもほろろといった様子で、こちらを見向きもせずにそっけなく返事をした。

「でも、未だに信じられませんよね」

「いい加減現実見ようぜ。そもそも隕石が落ちてなかったら、俺たちこんな生活してないって」

アメリカに超巨大隕石が落下して一週間、僕たちは学園で爪に火を灯すような生活を営んでいた。

「ほら窓の外見てみろって」

俺は窓の向こうに視線をやる。辺り一面雪景色。近くに見える民家も、遠くに映るビルも皆一様に白一色。世界は白銀に包まれていた。

「相変わらず凄い雪だ」

「全然止みませんねー」

「多分、もう何十年と止まないと思うよ」

「やっぱりそうか……」

隕石が落下した影響で、灰や煤が大気中を覆いつくして日光が遮断された結果、世界各地で豪雪が相次いでいる。

「脱出方法は見つかったか?」

「職員用非常口を当たってみたけど、駄目だった。専用の鍵がないと開けられないみたい」

「校門も完全に封鎖されてました。私たちおしまいですー」

「そんなこと言わないでください。きっとなんとかなりますよ」

俺が篠崎先輩を元気づけていると、階段に近い廊下側の扉がばっと開いた。

「遅れましてすみません!」

「美沙、やっと来たか」

「はい、わたくし美沙、ようやく参上です!」

「美沙さんは今日も元気ですねー」

篠崎先輩がぱちぱちと胸の前で手を叩く。

「わたくし、元気だけが取り柄ですから! えっへん!」

美沙が得意げに胸を張る。

「ところで、食料の件なんだが……」

祐介が間隙を縫って口を挟む。

「非常食がそろそろ尽きそうだ。新たな食料を確保する必要がある」

「ああ、そのためには……」

「ここから脱出しなければならないわけでありますな、隊長!」

「俺は隊長ではないが、その通りだ」

「でも、どうしたらいいんでしょう」

篠崎先輩がたいそう困ったという様子で、一人ぼそぼそと呟く。

「まあ、何とかなりますよ。それに救助がくるかもしれない」

気休めだった。世界中がパニックに陥った現状、公的機関の救助はあてにならないと考えるべきだろう。肝要なのは公助ではなく自助と共助だ。

「ま、なるようにしかならんわな」

祐介が半ば投げやりな態度でそう口にした。

「じゃあ俺、水汲みに行ってくるよ」

「まあ、いつもありがとうございます」

「いってらっしゃいであります!」

俺は皆に手を振って、部室を離れた。


「うう、やっぱ寒いな」

来たのは、校舎を囲む塀の前。実は水汲みというのは口実で、俺には別の目的があった。塀の地下を貫通するトンネルの掘削。これこそが、俺の成すべき壮大なる計画だった。俺はスコップを手に、地面を掘り進めていく。俺たちはこの学園で生まれ育った。この学園は隔離施設のため、俺たちは外の世界というものを知らない。一体この塀の向こうにはどんな景色が広がっているのか。想像するだけでも、全身が総毛立つ感触を覚えた。

「まあ、今日はこんなもんか」

俺は小一時間ほど掘り進めたあたりで、スコップを放り出した。手がかじかんで使い物にならなくなったからだ。

「部室に戻るとするか」

俺は積み上げられた土の山に踵を返し、校舎に向けて歩みを進めた。


「ほらお前の分」

「ああ、助かる」

俺は祐介から昼食代わりの乾パンを受け取ると、バリバリと貪るようにして食した。

「ただ、こうも乾パン続きだと飽きてくるよな」

「仕方ないだろ。黙って食え」

「……わかったよ」

最近、祐介は余裕がないように見える。きっと満足のいく生活が送れず、ストレスが溜まっているのだろう。人間、希望を失ったらおしまいだ。俺にはトンネル建設という希望があるが、祐介にはそれがない。計画について話しておくべきか。いや、今は伏せておこう。そもそも上手くいくかわからない一か八かの策だ。希望が絶望に変わる瞬間こそ、人は最も生きる活力を失う。無責任に甘美な夢を見せるわけにはいかない。俺は心の中でそう誓った。


俺は昼食の後も、トンネルを掘り続けていた。土をすくい、持ち上げ、放り投げる。その繰り返し。あまりにも単純作業すぎて、脳まで凍結してしまいそうだ。そんな冗談を挟みつつ、俺は一心不乱に作業に没頭していた。そんな時、突然目の前が真っ暗になった。

「あれ、おかしいな、目が」

俺はバランスを崩してその場に倒れ込む。まずい、このままでは凍死してしまう。立ち上がろうとするが、上手く体に力が入らない。死という文字が脳裏をよぎる。ああ、俺死ぬんだ。原因は栄養失調か、あるいは貧血か。どちらにせよ、もう関係もないことだ。俺は絶望的な状況に諦観し、安らかなる眠りについた。


   ○


「ーー輩」

誰かの声が聞こえる。走馬灯か?

「ーー先輩!」

今度はよりはっきり聞こえた。体を揺さぶられている。俺は緩慢な動きで体を起こした。

「翔先輩!!」

美沙が俺に抱きついてきた。あれ、どうなって。

「あの、ここは?」

「部室ですよ」

隣に座っていた篠崎先輩がそう答えた。

「お前、塀の前で倒れてたんだよ。それを偶然美沙が発見して、俺がここまで運んできたわけ」

「そうだったのか」

「お前、あと少しで死んでたかもしれないんだぞ」

「祐介、もしかして心配してくれてたのか?」

祐介は目尻に涙を浮かべて、絞り出すように声を発した。

「当たり前だろ。お前は、友達なんだから」

俺はこんなにも友人に恵まれていたのか。

「そうか、ありがとう、祐介。そして、みんなも」

「困ったときはお互い様です!」

「そうですね。お互い様ですね」

場がなごむ。その空気を切り裂くように、神妙な面持ちで祐介が口を開いた。

「お前、俺たちに隠し事してただろ」

「……隠し事」

「とぼけたってそうはいきませんよ」

「はいはーい! 私しっかと見てきました!」

俺は観念してすべてを供述することにした。

「トンネルを掘ってたんだ。ここから脱出するための」

「で、どうして俺たちに黙ってたんだ」

「それは……」

沈黙が流れる。俺は何と説明するべきか頭を悩ませていた。

「ま、理由なんてどうでもいいけどよ」

祐介はふっきれたような表情で、ぶっきらぼうに口にした。

「俺たち友達だろ? 少しぐらい信用してくれたっていいじゃんか」

「祐介……」

「ということで、残りは俺たちでやるから、お前は休んでな」

「いや、俺もやる。やらせてくれ」

「お前、自分の手、見てみろよ」」

俺は自分の手のひらを見つめる。全体に腫れや水ぶくれが広がっていた。

「これは……」

「完全に凍傷だな。しばらく安静にしとけ」

「……すまない」

「いいってことよ」

祐介と篠崎先輩、美沙が三人揃って部室から出ていこうとする。

「じゃ、安静にな」

「……ああ」

俺はその後ろ姿を眺めることしかできなかった。


部室の窓の外を眺める。端の方に、作業している三人の姿が映った。三十分ごとに交代して穴を掘っている。俺は部室からためつすがめつ、三人のことを眺め続けた。


次の日も、そしてその次の日も作業は行われた。俺は来る日も来る日も三人を眺め続けた。土の山はみるみる高さを増し、俺たちの身長など優に越していた。俺はその光景を目に焼き付けながら、一人感慨に耽っていた。


そして一週間ほど経ったある日。雪降る大地から、美沙が手を振っているのが見えた。穴から祐介がスコップを放り出して校舎に向かってくるのも見えた。ああ、ようやく貫通したのか。俺は部室で一人喜びを噛み締めた。しばらくして、三人が部室にやってきた。

「翔、話があるんだ」

「話なら既に知ってる。みんなのこと見てたからな」

「では、みんなで外の景色、見てみませんか?」

「そうだな、早速行こう」

「そうと決まればレッツゴーです!」

僕たちはトンネルに向かって歩き出した。俺たちの結束によって作られたトンネルをくぐる。見えた外の景色は、僕たちの未来のように、どこまでも遠く遠く広がっていた。いつも窓から見ていた民家でさえ、俺の目には新鮮に映った。俺は振り返って校舎を眺める。ああ、俺たちはなんて狭い世界で生きていたんだろう。

「あのさ、急なんだが」

俺は皆に呼びかけた。

「どうかしましたか?」

「なんかあったです? 先輩」

「どうしたよ? 翔」

俺は名残惜しい気持ちに別れを告げるため、皆にしかと告げた。

「卒業式しないか?」

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