第14話 真実はたいてい、切ない


「で、分かったのかしら? 犯人」

 生徒会長と平泉と共に、再度ひらいゼミの部屋へと戻っていた。


「部員が少ないようなので動機は全員ありそうですけど……わかんないすね」

「……ほんと?」

「はい。お手上げですよ」

 疑るような瀬戸の瞳から目を逸らす。頭の後ろで手を組み、天井を見上げた。


「……問題は、アリバイよね」

「はい。アリバイを壊さないことには犯人がわからないです」

「まさか、こんな面倒な一件になるとは思わなかったわ」


 ふたりが考えている中、俺はぼーっと天井のシミをただひたすら目で追っていた。

 十八時のチャイムが鳴り響き、俺の霞んでいた視界を晴らした。


「じゃあ、帰りますね。十八時には家に帰ってもいい、という約束を平泉としていますんで」

「ちょっと待ちなさいよ。このまま、犯人を突き止めない気?」

 俺はカバンを持ち上げ、気にせずドアノブを握る。


「違います。突き止められないだけですよ」部室を出た。


 無造作に閉まった扉は、俺の心にぽっかりと空いた穴を塞いではくれなかった。




 早朝の学校は新鮮だった。規則正しい生活に戻ることから遠ざかってしまった俺は自転車小屋に自転車を停める。その隣には、一つの自転車があった。


 四月の早朝は、空以外も全て青色に染めていた。涼しい風を裂くように昇降口を通り過ぎ、グラウンドの手前まで辿り着く。まだ太陽は眠たいのか白っぽい色をしている。だが、グラウンドのトラックを一筋のオレンジが駆け抜けていた。太陽だって眠そうなのに、そのオレンジは弧を描いている。


 近づくことはせず、旧校舎とグラウンドの間にある緩やかな傾斜の芝生に座り、眺めていた。


 二、三分ぐらいそうしていれば、朝日が一面を白く照らし出した。


 その陽に当てられた俺を、ウインドブレーカーを着た友人が、校外で友達に会ったように手を振り、近づいてくる。


「おいっ、どうしたんだよ。こんな早くに。まさか、俺のファンになっちったか?」

「元からだ」

「ふっ、相変わらず変な奴だなお前は」


 俺の隣に座った蒼馬は、そのあとは何も言葉を発さずに一緒に朝日を眺めていた。

 彼の呼吸に合わせていたのを、俺は意図的にズラす。


「どうして、こんなことしたんだ、蒼馬」

「……なんのことだ?」

 朝の空気のように寒々しさを纏った声だった。


「お前が、招かれざる生徒だ」

 抑揚もない淡々とした口調でそう伝えた。


「……へぇ〜俺が。どうしてそう思う?」

 冷めた声の芯が震えていることに俺は気づいていた。


「ちょっと長くなるが、聞いてくれ」

「いやって言っても止めないんだろ?」

「あぁ、今日だけはダメだ」


 蒼馬には、他三人に部員確保の動機があることと、アリバイがあることも伝えた。その上で、俺は蒼馬しかこの犯行ができないと断言する。


「確かに俺は、美沙のタイムしか証言が無い。でもな、グラウンドの北側から生徒会室まで行戻ってくるだけでも五分かかるぞ? ましてや誰もいない休日の校舎とは違い、出入りが多い朝方なら尚更だ」

「そうだな。何かしらの作業をやっている時間は無い」


 運動靴を靴置きへ入れる時間がかなりのロスだ。あの昇降口の混雑の中、運動靴を放置しておく、なんてことはできない。実際に無かったしな。それに蒼馬を昇降口で見かけなかった。


「だったら、俺はどうしたっていうんだ?」

「それはな__旧校舎と新校舎を繋ぐ廊下を渡ったんだ」

 今までずっと前を向いていた蒼馬が初めて俺の方へ顔を向けた。


 彼の乾いた唇から白い息が漏れ、すぐに大気へ溶けていく。


「あそこは、渡れないだろ」

「昨日実際に俺が渡ってみたから、それは否定できない。そもそも、あの場所はビニールを広げてペンキが入ったバケツを所々に置いているだけで床が抜けているわけじゃ無い。ただ単に、今の旧校舎みたいに剥げた箇所をペンキで塗り直しているだけだ」


「工事を前々からしているのを知っていた二、三年だったら、危険ではないと踏んで、一か八か渡ったとしてもオカシクないってか」

「あぁ、そうだ」


「じゃあ、清水先輩もそのルートを通れば行き来できる。清水先輩って可能性もあるだろ」

 そう、そうやって俺の論理の穴を突いてくれ。

 俺が間違っているって教えてくれ。


「可能性はあるが、それは無い」

「なぜ?」

「清水が昇降口に貼ってあった『カナリアが鳴き止んだ頃に』の告発予告文を知るタイミングがなかったってのが一つにある」

 蒼馬の瞳に影が舞い込んだように黒が大きくなる。


「あの人はお前と同じように演劇部の朝練のために早くカプセルを引きに行った。そして、朝練が終わると旧校舎三階の理科準備室に行く。ただ、八時十五分には理科準備室にいた」

「だから理科準備室へ向かう際に、昇降口の騒ぎを知ったんだろ?」

「無理だ。なぜなら、八時十五分頃にあの騒動が起きたんだから」

 言葉の意味を理解しやすいように付け足す。


「いいか。八時十五分に理科準備室にいた清水は、八時十五分に起こったあの告発予告を知る筈がなかったんだ。要するに、要するにな、生徒会長がその騒動に向かう可能性すら頭によぎらないんだよ」

「……、それは確かにきっかけを誘発しなかったんだろうけど、キッカケがなくとも、生徒会室に向かって生徒会長がいない隙を突こうとしたのかもしれない。そして、運良く、偶々、生徒会長が出ていったので、清水先輩は侵入して事を済ませた」

 俺が考えた仮説の一つをなぞるように蒼馬も追ってくる。


「極極少ない可能性に賭けてまで、あの旧校舎と新校舎を繋ぐ通路を渡ったとは到底思えない。理科の実験が終わってからそうすれば良いことだからだ。わざわざ、理科の準備をしている最中にやる行動としては意味不明すぎる。だから、先生が居ない二分の隙にやるには、昇降口の騒動を知っている強いキッカケが必要なんだよ」

 話す中で俺の体温がゆっくりと上がっていく。


 蒼馬は『あぁ〜わかった』と間延びした声を出した。


「清水先輩はスマホでその情報を知ったんだ」

「ありうるな。だが、先生がいる前で堂々とスマホを見るなんて出来ないし、今から準備をするってのにスマホは見ない。仮に、先生がジュースを買いに行った後に清水がスマホで確認したとしても、後から話す理由で清水には不可能」


 痛い所を突かれるも、もちろん、想定通りだ。


「栄助、俺はその告発予告があったことなんて知らなかった。なにせ、スマホは部室にあるし、五分間本気で走ってたからな」


「いや、違う。お前は知ってたさ。あの朝、俺は自転車小屋で陸上部のユニフォームを着た学生がいたのを覚えている。オカシイよな? グラウンドは東側。自転車小屋は西側にある。じゃあなぜそこに陸上部員がいたか。それは、昇降口の前を陸上部が走るからだ。昨日話したルートだと丁度南にある正門を潜り、昇降口の前を通る。ゆえに、騒動を知った陸上部の奴が友人を見つけ、声を掛けに行った。お前は実際に見ずとも、遅れて周回してきた部員たちがその話をしていたのを聞いていたんじゃないか?」


 昨日美沙ちゃんが言っていたルートを蒼馬が走り切る。そして、八時十六分頃に帰ってきた部員たちからその話を聞くなり、美沙ちゃんに再度走る旨を伝えれば、昇降口の騒ぎを態々見ずとも知れたってわけだ。


 蒼馬からの反論がないので、俺は言葉を紡ぐ。


「蒼馬、本当にあの周回コースを走ったのか?」

「あぁ、走ったよ。間違いなくな」

「そうか。じゃあ、渡り廊下の話へ戻そう」一際、冷たい風が俺たちへ吹いてきた。「まずあの通路を渡った場合、必ずと言って良いほど塗料が付着するんだ。ビニールシートにも塗料が至る所に付着していたからな」


 油性のペンキや塗料は、完全乾燥までには数日かかるだろう。


「……それがなんだって」

「それに加えだ。あのビニールには金具類も落ちていた。至る所にペンチやネジの類も散乱していたな。『ここは通らないこと』と生徒たちへ学校側から説明していたから業者も態々回収しなかったんだろう」


 俺が昨日歩いた時も、ハンマーやノコギリ、釘などがあった。一部、改修するためだろう。


「じゃあ、そこをどうやって犯人は歩いたか」

「……言っている意味が__」


「ビニールで隠れている下に、何があるかも分からない中を、素足で歩けたか? 否。急いでいる中を悠長に確かめながら歩いている暇はない。だったらどうしたか? そのまま、上履きで駆け抜けたんだよ」


「……だとすれば、通路口を抜けた先で靴に付着して塗料が廊下に付く。ほらっ、そんなルートはできない」


「いや、上履きを脱いで、靴下で歩いたんだよ、廊下は」

「……」


 そうであれば、靴下の下は塗料が付着していないから問題ない。


「そもそも、生徒会室の前を朝方に通る生徒は少ない。加えて、あの騒動が有ったんだ。靴下の生徒がいても気が付かない」

「その理屈なら、やはり清水先輩でも出来るじゃないか」

「いや、無理だろう」

「なぜっ⁈」


「理科準備室に上履きを履いたまま行くことが出来ないからだ」

 静謐な朝のグラウンドに俺の声が嫌に響いた。


「理科準備室まで靴下で向かったとしても、塗料がついた状態で理科準備室を歩けないさ」

「……上履きをタオルやハンカチで拭った可能性だって」


「ペンキの塗料はそう簡単には落ちない。ただの繊維だけで拭うのなら尚更だ。書道で溢れた墨滴を踏んで、下敷きの新聞で擦るけど中々落ちなかった経験あるだろ? それと同じだ」

 塗料をハンカチで拭うのには、それ以上の時間が掛かる。


「分かりやすいな」

 清々しい空を見上げながら、そうしみじみと蒼馬はつぶやいた。


「ただ」蒼馬は俺へ顔を向ける。「俺はこのランニングシューズで外を走ってたんだぞ? もしかして、このランニングシューズで旧校舎と新校舎を繋ぐ通路を走ったとでも言うのか?」


「いや、それはない。土や砂がついたシューズで走ればブルーシートに跡が残る。もし残っていれば、業者が騒ぐだろうな。それに、昨日調べた時もそんな跡が無いことを確認している」

「ふっ、じゃあ、どうやって俺はあの通路を渡ったんだ? 栄助が言ったよな? あのブルーシートの上を靴下の状態では歩けないって」


 この点については、清水が犯行を行なった可能性がある時に調べて分かったことだが、その証拠が蒼馬が犯人という決定的な証拠へと繋がった。


「それはな、旧校舎にあった置きっぱなしの上履きだよ」

「……」


「清水がそれを使ったとしても、一階に置いてある使われていない上履きを持ってくる時間も流石に二分じゃ無理だろうし、自動販売機にオレンジジュースを買いに行った青木先生と鉢合わせてしまう可能性から心理的に不可能」


 清水が先に旧校舎で使われていない上履きを用意していたという、仮説もあるが、それは否定できる。なぜなら、青木先生が理科準備室から抜けてオレンジジュースを買いに行くのを予見していた場合に限るからだ。本来、理科準備室に来る前に青木先生がスーパーや外にある自動販売機で買いに行くと考えているのが自然だからな。


 加えて、カナリアの告発予告すらも予見できたことになってしまう。


 だからこそ、清水があの旧校舎で置かれた上履きを使った可能性は否定される。

 清水には犯行が不可能であると証明された。


「話を整理すると、蒼馬が行ったルートはこうだ。まず、グラウンド北側から出発したお前は、裏校門へと向かわずに、旧校舎の一階から侵入する。そこで誰も使ってないだろう上履きを履く。朝に旧校舎を出入りする生徒なんて居ないから目立ちはしないだろうな」

 蒼馬は目を閉じて俺の言葉に耳を傾けていた。


「近くにある階段から一階から三階へと上り、新校舎へ続く通路を上履きのまま走り抜ける。そのタイミングで生徒会長が生徒会室から出ていく。然も、鍵を閉め忘れる慌てっぷりだ」


 瞑目した蒼馬の口元は自分の記憶にあるもの通りの解説を聞いてか、緩んでいる。

「お前はビニールシートの上で靴を脱ぎ、生徒会室へ入る。籤箱の中身を把握。五番だと知ったお前は予備を盗み、生徒会準備室のゴム印を押しその場を後にする。ビニールシートの上に置いた上履きへと履き替え、再度通路を渡り切り、上履きを脱ぐ。塗料で足跡が付くからな」


 目を開いた蒼馬はただじっと前を見ていた。


「そして、旧校舎の出入り口までおりたお前は適当に上履きを棚に入れ、旧校舎の南側から出た。あとはグラウンドのラストスパートである二百メートルを駆け抜ける。時間的に、五分あれば、行けるルートだろうな」

 蒼馬は脱力したような息を吐いた。




「もう一つ、謎がある。どうして俺は、予備の紙やゴム印の場所がわかったんだ?」

「事前に生徒会の役員へ、冗談めかして聞いたんだろ? 『管理は大丈夫か』って。そうやって仕舞われている場所を確認する。その時からお前は、頭の片隅で決行の機会を探っていた」

 蒼馬は力なくフッと笑う。どうやら当たっていたらしい。


「そこまで推理するんなら、あのメガネん先輩の推理もなぜああなったかわかるんだろ?」

「あぁ。蒼馬は自分が作った五番と、自分が持っているカプセルをあの籤箱の中に入れたんだ。蒼馬は入っていた五番と平泉が引くべきだったカプセルの色である赤を持っていた。だからこそ、蒼馬が元々持っていたカプセルであるピンク色が二つになったんだ。錦戸の高島先輩を疑った推理はお前の思う壺だった」


 錦戸に至っては、一分で生徒会室に向かえても、工作する時間がなく、不可能。

 同じく高島も錦戸に怪しまれてはいたが、不可能。

 残るは、蒼馬しかいない。


「なぜ、こんなことしたんだ?」

「最初の質問に戻るって訳か……」芝生に大の字で横たわる蒼馬はマラソンを走り終えたようだった。


「そりゃあ、部員が欲しいってことだよ。でも、それだけじゃ、納得してくれないだろ?」

 俺を見る目は『分かってるんだろ?』と言いたげだった。


「もしこのまま、新入部員が来なかったらさ。俺たちが三年になって抜ければ、美沙はどうなる? 誰のマネージャーをするんだ? 来年に新入部員が入ってくる保証は? 無いんだよ」

「でも、ダメだ」


「そうだよな、ダメだよな。でも、俺は、自分の衝動を押し殺すことが出来なかった。部員たちが昇降口の件を話していた時、俺は無意識に体が動いていたよ。新校舎へ向かった時、止めようとも思った。でもさ、生徒会長が慌てて階段へ走って行って、俺の中の悪魔が囁いたんだよ『行け』『バレないから』ってさ。俺はその誘惑に負けたんだ。バレなければみんなが笑顔になれるって」


 実際は、平泉の登場でその計画は破綻した。


「渡り廊下を渡る前に、デフォルメされた人間がダメって右手を出していただろ?」

「そうだな、出してたな。なんで、人間よりも悪魔の言葉に耳を傾けたんだろうな」


 きっとそれは、人間の弱さなのだろう、と人知れず俺は思った。


 陽が段々と昇り、世界に光を与えていく。


「俺は、美沙と同じ中学で仲が良かったんだ。で、徐々に彼女に惹かれていってさ。彼女が中学三年に上がった際に告白したら、『同じ高校に私が受かったら、良いですよ?』だって」


 俺は蒼馬の恋愛事情に詳しく無かった。高校一年の頃から、十人ほどの女の子達から告白されても決まって、『好きな子がいるんで』と断っていた。手慣れているな、と思ったれけど本当に好きな子がいたのか。


「頑張って勉強してくれて、同じ高校になって付き合い出した。勉強嫌いだったのに、ここまで頑張ってくれて、陸上部にまで入ってくれたのに、新入部員が集まらない……俺が抜けて陸上部最後のマネージャーになんてさせたくなかったんだ」


 右足を曲げてそこへ額を当てる蒼馬。

 俺が蒼馬に渦巻く感情を理解することはできない。それに『辛かったな』と同情の言葉を与えることはできるが、そこに本当の同情は乗っていないだろう。

 俺は蒼馬じゃないし、廃部を恐れる理由もあまり分からない。

 だが、俺は、蒼馬といる時間が、好きだ。


「蒼馬。だとしても、ダメだ」


 蒼馬は濡れた瞳を揺らしながら、芝生の上で正座する。

 そして、額を、地面へと付けた。


「頼む、このとおり。友達として、見逃してくれないか」頭を捻るように付けている。


 友達か。

 そう、俺はお前の友達だ。


 バカなことして笑って、同じ時間に飯や勉強を一緒に過ごすそんな友達だ。


「バカ言ってるのは百も承知だ、でも、俺は__」


「無理だ、諦めてくれ」俺は蒼馬のその姿を見ていることができず、立ち上がり背を向けた。「今日の昼に流す放送の前に、生徒会長へ自分がやったことを伝えてくれ」


「頼むっ、たのむっ、このとおりだっ」


「いい加減にしろっ」俺はやや右下に向けて声を荒げた。「頼むのはこっちの方だ。俺をもう失望させるな。もしもお前が、生徒会長に言わなかった場合、俺から伝える。……頼むから、そんな嫌なことだけはさせないでくれ」


 芝生の草を毟り取るような音と涙声で唸る声が青の世界にむなしく交じり合っていった。

 

 

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