第15話 悪魔の道

 チャイムギリギリに隣へ蒼馬が座った。生徒会長へ報告しにいったかは知らない。俺に声をかけることなく、ホームルームが始まるまで突っ伏していたからだ。


 甲高い声で喋る朝霧先生が点呼をし、事務連絡を伝える。

 いつも通りの日常。変わることない教室の景色だった。


「色々あったし、心機一転、席替えしましょう」

「おおぉ!!」と、クラスメイトが喜びの声を上げる。朝霧先生の思惑としては席替えというプチハッピーなイベントで『炭鉱のカナリア』の一件を忘れさせる狙いだろうな。余程、上司にキツく注意されたとみる。


 早速、ホームルームの時間にやるのか籤箱を出す。


 籤箱。俺の心が騒めいた。


 各々が番号を引きに行き、黒板に書かれた番号の席へと座る仕組みだ。俺の次の場所は今、蒼馬が座っている場所だった。


「じゃあ〜席替え開始!」

 そう告げると、全員が机を持って移動する。


「じゃあな明智」短く蒼馬はそう言った。


 俺は蒼馬の丸まった小さな背中をぼんやりと眺めた。


「よっよろしくお願いします」机を引きづりながらやってきた平泉がぺこりとお辞儀する。


「ん? ここ?」元俺が座っていた席を指差すと、彼女は頷いた。

「あぁよろしく」


 蒼馬が居た場所へ机を置き、俺は、次の授業の用意を始めた。





 俺、兼国蒼馬かねくにそうまは、教室の一番右前の席になった。廊下側で黒板に近いあまり好まれない席で突っ伏する。隣の席の子とは『よろしく』に続く会話も碌にしていない。級長、失格である。


 過ぎゆく時間が遡る意味など知らないかのように正午へと辿り着く。


 もしも、あの時に遡れば、俺は足を止めただろうか。手を止めたのだろうか。


 こう考えている時点で俺はまたやるんだろうな。卑怯で自分勝手だ。


 教室の左上についていた薄型テレビを誰かがつける。十二時八分。もうじき、放送室で生徒会企画の部活勧誘が流される。俺が部長を務める陸上部の映像はもう流れない。


 栄助に俺の悪行が暴かれ、暫くしてから、生徒会室にいる生徒会長へ謝罪した。


 生徒会長はあまり驚いた顔をしなかったが、当然、陸上部の放送は除外されることに。生徒会室にいた生徒会役員の子達は驚いていたようだけど。


 この日のために、陸上部のみんなと協力して作った八分間の紹介映像もパーになった。


 画面は生徒会長を映し出し、早速、演劇部から始まるようで清水先輩が堂々と演劇部の魅力を語り始めた。もちろん、映像も数分流してだ。一人、十分の持ち時間がある。


 五十音順に進んで行った。演劇部、卓球部__そして、ひらいゼミ。


 生徒会長の紹介に、ウチのクラスは勿論、他クラスからも笑いや驚きの声が響いてくる。


 まさか部活でもサークルでもなく、ゼミなのだから、そりゃこんな反応にもなる。


 俺は、画面を見ることが辛くなり、手元に視線を逸らした。


 その手が生徒会室で行った自分の犯行をフラッシュバックさせる。


 自分が狡猾に忍び込み、脂汗をかきながら工作を行った汚い場面だ。


 頭を抱え、自分の卑劣さが心まで真っ黒に染め上げていたことに今気づいた。


『は〜い、どうもぉ〜ひらいゼミでぇ〜す』

 慣れ親しんだ声がおちゃらけた口調となって聞こえた。


『ゼミ長の平泉理沙は恥ずかしがり屋で映れないので、俺がこのひらいゼミの魅力を説明したいと思いますっ!』


 俺が顔を上げた刹那、クラスは爆笑の渦に巻き込まれていた。


 あの栄助がこんな風に喋れるとは誰も思っていなかったのだ。加えて、平泉ちゃんの名前でさらに笑いが膨れ上がっていく。


『は〜い、魅力はですねぇ〜、知りません! こんなふざけたゼミに魅力なんてまぁ〜ったくありません! 時間の無駄です。みんなっこんな奴の話聞いてても意味ないですよ〜』


 部員を募るためのアピールをするはずが、自分の所属する活動を否定し始めた。クラスメイトはゲラゲラと腹を抱えながら笑っている。さっきまで興味なさそうだった少数のクラスメイトも愉快に感じたのか、視線をテレビへと集めていた。


『じゃあ、残りの九分ぐらい無駄ですねぇ〜どうしましょう。このまま俺が最近起った珍エピソード聞きます? えっ、聞きたくないって?』


 隣のクラスから、『ききてぇぇぇ〜』とふざけた声が飛び交うほどにみな注目している。


『うんうん、みんな、そんなに、聞きたいか。じゃあ〜俺の最近の話をひとつ』


 ニコニコとしていた栄助の顔がぱっとチャンネルを切り替えたように真面目な表情へと移り変わる。


『最近さ、一度も喧嘩したことの無かった友達と、喧嘩したんだわ。まぁ、百パーセントアイツが悪い。百な。ほんとアイツバカだからさ。でも、でも、__大切なんだわ』


 胸の奥から這い上がってくる情動に目頭が熱くなっていく。


 瞼を押さえていた指が小刻みに揺れる。息がうまくできない。


『好きなんだ。バカみたいに真っ直ぐで、カッコよくて。責任感があって。でも、構ってちゃんでめんどくさいそんな友達が』


 上半身を縮こめて、こぼれ落ちそうなアイツの優しさを胸で抱き抱えるように腕を抱いた。


『で、そこで、思った訳です。その友達が今日、誕生日だってさ。みなさん、ハッピーバースデーを歌ってあげましょう。はい、せ〜のっ!』


 そう栄助が指揮者のように両手を振り上げると、全員がハッピーバースデーを歌い始めた。


 リズミカルなその調べが、校舎内にこだまする。


『ハッピーバァスデイディア__けぇぇ〜〜ん。ハッピーバースデートゥ〜ユ〜〜』


 名前でバレバレだったのか、クラスメイトは俺に向けて拍手と『おめでとぉぉ〜』を送ってきた。


『みんな、ありがとう。じゃあ、その友達に、とっておきのサプライズプレゼントをやらなきゃいけないよな? みなさん、俺の最高の友達が所属する陸上部の勧誘映像です! どうぞ!』


 栄助が右の掌を見せると、そこからは陸上部の映像が流れた。


 だが、俺はその映像なんか関係なしに走っていた。机や椅子が傾くも直す時間はない。


 足がもつれた。息が荒れる。廊下の声や机の音、すべてが遠くなっていく。ただひたすら、友達に会いたい。感謝などではなかった。放送室までが、外周よりも遠くに感じる。


 放送室の前の廊下を転ぶように辿り着くと、放送室から栄助が出て来た。その後ろには平泉ちゃんがいて笑いあっていた。全く似ていない二人。俺は足を緩めていく。


 栄助はこちらに気づくと、右手をグーにして突き出した。ニカッと笑う。


「信じてたぞ」


 その一言は、俺の胸へ、ぽんと拳を当てたように、愛があった。


「蒼馬だったら、生徒会長にちゃんと言ってくれるって」


 目尻から温かいものが溢れてくる。自分は彼を否定するようなことを言ったのに。


 友達、なんて都合の良い言葉を使って、彼を丸め込もうとしたのに。


 なんだって、お前はっ。


 瞼を閉じれば、頬を伝い、顎に雫が滴っていた。


 俺の肩に温かい手が包まれる。


「泣くな、バカ。男が泣くのは、嬉しい時だけにしろ」


 粗っぽい口調なのに、その声音は彼の心そのもののように優しかった。


 涙を拭って、前を見た時、彼も目元を拭っていたような気がした。


「すまない」

「謝るなら、平泉に言ってくれ。平泉の『友達百人計画』に遠ざかっちゃったんだからな」


 栄助が振り返ると、彼女は胸元で横に手を振っていた。


「平泉ちゃん、ごめん」

「そっそんなっ、全然」彼女は長く伸びたまつ毛をそっと下ろす。

「良かったです。おふたりが仲直りできて」


 その言葉に感化され、栄助と目があった。


「栄助、俺__」

「あれ、明智の間違いじゃないか?」

「……返す言葉もない」


 目を細めて床へ目を落とすも、『冗談だ』と友達は呟く。


「これで、おあいこ。バビロン法典に則り、俺たちは傷つけあった。もうそれでおあいこだ」


 また涙が目の淵から溢れてきそうになるも、必死で堪えた。もう、泣いてはいけない。


 もし、俺があのまま友達に止められず、生徒会長に言わなかった場合、きっと俺は取り返しのつかない道に進んだのだろう。大人になっても、誤魔化して、嘘をついて、そんな偽りだらけの人生を歩んでいたことだろう。そして、大切な友達や恋人さえも騙して生きてしまうのだろう。言い過ぎじゃないと思う。今後、ひとつの選択に迫られた時、自分へ囁く悪魔の道が太くなっていくのだ。陰湿でずるい方向へと進むのだ。


 お前は、知ってたんだよな。

 だから、止めてくれたんだよな。


「ありがとう、栄助」

「ふっ、誕生日だから、言い方優しくしたんだぞ」


 右手を阿吽の呼吸で差し出しあった俺達は、青臭い握手を熱く交わした。

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