第8話 カナリアの鳴き止んだ頃に
あくびを噛み殺し自転車を漕ぐ。一昨日、平泉とパンチくんらに絡まれ、超優等生な俺の睡眠サイクルが崩れつつあった。毎日二十時半に寝ていたが、昨日寝たのは二十一時半。眠たい。
校門辺りで自転車から降り、自転車小屋へと歩いていく。
左手の甲で目を擦っていたが、手を止める。正面にある昇降口で何やら人だかりができ、騒いでいるのだ。かなり興奮した様子。
おそらく、学食か売店の新メニューが発表されたとかだろう。学生が騒ぐ理由など、それぐらいしかない。「ふはぁ〜〜」あくびが出る。俺は慌てずに、自転車を押した。
陸上部のユニフォームを着た丸刈り男が俺を抜いて駐輪場へ駆け寄る。その男は、駐輪場にいた二人組の男子生徒に大きな声で話しかけた。
「昇降口の掲示板に謎の文章が張り出されてるんだってさ」
「はっ? 謎の文章?」二人組は、自転車のスタンドを慌てて下ろす。「見たい見たい」
「面白そうだな。行こうぜ!」
顔を見合わせた二人組は、陸上部の男に連れられ、昇降口の方へ走って行った。
俺は、二年一組の自転車小屋の一番手前にチャリを停める。
「……謎の文章」
一つ俺の中で心当たりがあった。
「おはようございます」
真紘がひらいゼミのチラシに手を加え、過激な文章にしたという仮説だ。真紘ぐらいしか、謎の文章を掲示板に貼り出す変な奴はいないだろう。
「知らないフリしよ」
固く決意し、昇降口へ歩を進める。近づくと、想像以上の盛り上がりようだ。まるで満員電車のようである。俺の上履きがある前も人で埋め尽くされていた。
「すみません」そう謝りながら、ようやく自分の上履きまで辿り着き、履き替えた。
やはり奥の掲示板に注目が集まっているようだ。掲示板の辺りからはスマホのシャッター音が鳴り、混じり合った人の声で溢れている。
そんな様子を見てしまっては、俺の中の、ミーハー心が擽られる。
俺は図々しく人混みをかき分ける。俺のブレザーの後ろを誰かが握っているが、構わず進み、その掲示物へ眼をやった。
『告発予告
炭鉱の奥に輝かしいモノがあると言っていたのに、無かった。
だから私は、とある人物の恨みを告発する。
四月二十八日、カナリアが糸切れたように鳴き止んだ頃、またお会いしましょう』
A4サイズの紙の上に、一文字ずつ新聞の文字を切り、貼った文章だった。悪趣味で、気味が悪い。ドラマの犯行予告のように邪悪な呪詛が込められている。
一瞬で悟った。
これは、真紘が作ったものではない。
アイツは、頭のネジが緩んでいるし、少ない。だが、人が不快に感じることをしない人間だと知っている。九分九厘とまではいかないが、違う筈だ。多分。
「なんでしょうね、『カナリアが糸切れたように鳴き止んだ頃』って」
「さぁな」
「写真撮りたいので、少し屈んでくれますか?」
「あぁ、わりぃ____」屈伸するように屈み込んだ俺は、首を傾げた。あれっ。振り向くと、幸の薄い顔がそこにあった。平泉がスマホを掲げ、パシャリと撮る。
「いっいつの間に」
スマホを胸まで落とした平泉は二重の瞼を細めた。
「自転車小屋から一緒でした。挨拶しても無視でした」
「……あっ…………おはよう」体勢を元に戻す。
俺の眠気と彼女の影の薄さが影響していたからだろう。そう、納得する。
気まずいふたりの空気を察してくれたのか『通っていいかしら』と甲高い声が昇降口を包み込む。声の主をココへと導くように、生徒達が道をひらく。
俺達の前に現れたのは、生徒会長__
近くには、額から垂れた汗を拭う生徒会役員の姿もあった。
瀬戸は告発予告文の真正面まで来て、一瞥し、四隅の画鋲を取り始めた。
鼻息を漏らしたことから察するに、彼女が来た時点では無かったのだろう。
奇麗な黒髪が舞う。瀬戸は振り返った。
「もうじき、始業のチャイムが鳴ります。みなさん。クラスへ移動しましょう」にこっと微笑んだ瀬戸に、男子は『はいっ』と敬礼し、女子も黄色い声を上げ、指示に従う。
人が捌けた後、クラスへ向かおうと平泉を探すも、いつの間にか、消えていた。前にもこんなことあったな、と思いつつ、クラスへ向かうことにする。
ぽつんと佇んでいた瀬戸の方から告発予告文が握られたような、丸められたような音がした。
クラスはやはり、と言うべきか、その話題で持ちきりだった。
告発の内容に興味を持つ生徒もいたが、それ以上に告発予告文の言葉に興味を惹かれている生徒が多い印象だった。
「今が四月二十日の水曜だから、まだ一週間はあるよな」
「だな。てか、告発って、さっきみたいに掲示板に張り出されるのか?」
「どだろ、『カナリアが鳴き止んだ頃』ってのがいつかも分かんないし」
「おい、みんなぁ、なにか分かった奴いるかぁ?」
クラスの中心人物である金髪の貴崎が問いかけるも、誰も答えない。
「だよな、サッパリだよな」
その後も、始業のチャイムが鳴るまで、各々が好き勝手考察を述べていた。
俺はというと、眠気を少しでも覚ますべく、突っ伏していた。あいにくクラスが煩いので寝れずじまいだったが、目を閉じていただけでも少しばかり眠気が消えた気がする。
学校側はあの告発予告について特段、対応は取らないようで、担任の朝霧先生はいつも通りだった。告発予告文の話に緘口令を敷くとかえって逆効果、と判断したのかもしれない。
そんな朝霧先生が担当である国語の授業中に事件が起きた。一限目のことだ。
教科書に出てきた『炭鉱』というワードを、朝霧先生は二度くちずさんだ。
「ウチのクラスは内容が他クラスよりも先に進んでるから、少し雑談でもしましょうか」
その提案にクラスメイトは嬉々とした声を漏らす。生徒の集中力が途切れていると察したのだろう。俺も眠かったから丁度良い。
「みんなは、『炭鉱のカナリア』って知ってる?」
クラスの全員が『炭鉱』と『カナリア』の単語を聞き、今朝の告発予告を想起させたのは言うまでもないだろう。口を若干開けた生徒達を知らないのだと受け取ったのか、朝霧先生はチョークを持ち、黒板になにやら書き始める。
『金糸雀』と書き、横に『カナリア』とルビを振る。流石、国語教諭。ここでも学生の知識を増やすことを忘れない。手についたチョークを軽くぱんぱんと払ってから話し出す。
「昔ね、炭鉱を掘っている際に、知らずのうちに漏れてた無臭の毒ガスで亡くなる人が多かったの。そこで昔の人達はカナリアを用いた」
俺も含めた多くの生徒は知らないようで、話に聞き入っていた。
「なんでカナリア?」貴崎が投げかける。いつもなら、真っ先に蒼馬が訊くのだが、今日は朝からやけに静かだった。今も、頬杖を突き、ぼーっとしている。
「カナリアなどの鳥類は、飛ぶために呼吸器官が人より発達してる。そう、毒ガスの感知が人間より早かった。加えて、一酸化炭素やメタンガスに敏感で弱いカナリアが適していたの」
多くの生徒がその話の先を聞きたがるように無言が流れた。
「炭鉱に入る際、小さなケージにカナリアを入れ、カナリアの優雅な歌声を聞きながら炭鉱を掘り進む。そして毒ガスをカナリアが吸い込むと、ピタッとカナリアの鳴き声が止まる。退避の合図になったのね」
「ひどい」女子の誰かが呟く。
人間の持つ知能ゆえの残虐さかもしれない。
「そうね。ひどい話。ただ、人間も蘇生装置を開発してカナリアが死なないようにしたみたいだけれど。当時の私たち人間には炭鉱の奥にある鉱物が必要だったようね」
まさか、炭鉱とカナリアがこうやって結びつくなど思ってもいなかった。
こういった教養を授業の合間に挟むのは生徒達の道徳性を育ませる狙いもあるのだろうな。
「
「ん? えっっと、なぞなぞ?」笑いながら顔を傾ける。
その言葉にクラス全員が『えっ?』と言葉を漏らす。
「知らないの、杏香ちゃん⁉︎ 今朝__」
その後、朝霧杏香先生は青天の霹靂のような表情を浮かべた。知らなかったみたいだ。
一限目を早めに切り上げ、職員室に向かった。その数分後、帰ってきた朝霧先生は、人差し指を唇に当てた。前髪は汗で濡れ、唇に髪の毛がくっついている。
「ごめん、さっきの話忘れて! 今朝、昇降口であった紙の件で騒がないように! いい?」
「は〜い」と貴崎が間の抜けた返事をする。
「うぅぅ〜〜、私のバカっ」と涙目で扉のドアを閉め、帰って行った。
クラスは更に、朝霧先生が話した『炭鉱のカナリア』という話で持ちきりになった。その話はクラスに留まらず、全校生徒へ広がるのは時間の問題ように思えた。
おそらく、職員室での朝礼で告発予告の件について上の空で聞いていなかったのだろう。
話題となったカナリアの話をしながら、皆は部活動へ向かっていく。蒼馬もそのうちの一人であるが、どこか神妙な面持ちだった。
俺は今日こそ早く帰るべく、昇降口へ向かおうとすると、平泉が狙い澄ましたように俺の後を追ってきた。普段の俺なら平泉が追ってくるのに気づかない。だが、巻き込まれるのはもう勘弁なので気がついた。
「あのな、平泉。俺は早く帰りたいんだ」
「知ってます」
平泉を見ずに、階段を降りていく。
「だったら__」
「今日の宿題、大丈夫ですか?」
「……ぐっぐぐ」絶対に早く帰ることを誓った自分の芯が揺さぶられ、立ち止まってしまう。
平泉め、意外に痛い所を突いてきおる。
朝霧先生が『炭鉱のカナリア』を忘れさせるためにか、沢山宿題を出したのだ。しかも、俺が嫌いな現代文で、空欄提出は不可だった。違うことに頭を割かせる狙いだと思われる。
「一緒に考えながら進めれば早いですよ? わたし、こう見えて現代文得意です」
「いや、ガッツリ文学少女に見える」
俺は立ち止まり、首を捻る。やはり本に包まれた生活をしてそうだ。
睡眠不足と宿題を天秤に掛ける。答えはすぐに弾かれた。
「わかった。早く終わらせて、早く帰る」
「ありがとうございます」
平泉は満足そうに俺の横を通り過ぎていった。
ひらいゼミに辿り着き、早速、現代文のテキストを開いた。彼女の力を借りずとも自分の力で解くつもりだ。俺の真正面の席へ彼女も座り、解き始めた。
……。
…………。
「なぁ、ここ答えなに?」
平泉は自分のテキストを隠すように閉じた。
目が『ダメです』と言っている。
答えは教えてはくれなかったが、問題文を一緒に見て、俺が引っかかったポイントを解説してくれた。彼女は文章の一つ一つをまるでメスでも入れるかのように分解していく。それはさながら人の心理を読み解く敏腕のカウンセラーのようでもあった。
まぁ、答えをすぐに教えてくれないのが、真面目すぎるが。
ただ、楽しそうに教える姿は、小説好きなのが伝わってくる。
平泉にほぼ全ての課題を教えてもらったこともあり、意外に早く宿題が片付いた。一人でやっていればこの五倍ほどの時間は掛かっただろう。
「ありがとう」ひらいゼミという謎の団体に加入してしまったのは不覚だったが、平泉に現代文を教わる時間は有益だと思った。
このためならば、またここに来るのも悪くない。
「どういたしまして」平泉は目を細め、クシャっと笑う。不意なその笑顔に胸がとくんと音を鳴らす。目を逸らした俺に平泉は『そう言えば』と口を開いた。
「明智くんの誕生日っていつです?」
「なんだ、急に」
「友達の誕生日は聞いておきたいので。ちなみに、わたしは二月二十六日生まれです」
友達認定されていたことに多少の気恥ずかしさを感じる。
平泉は手帳とシャーペンを取り出していた。
「……七月二十八日だけど」
平泉はシャーペンで書き込みつつ、誕生日を何度か暗唱した。『夏男ですね。似合ってます』とも言った。
「誕生日、楽しみにしててください」
「平泉がそう言うと、なにか事件が起きそうだな」
ジトっと愛らしい瞳を浮かべた平泉に笑みが溢れる。
「毎日、なにかに巻き込まれる訳じゃないです」
扉の開く音が聞こえた。
「やあやぁ、ご両人。今朝の告発予告文を見たかい?」
閉まった扉に背を預けた朝居真紘が愉快に問いかける。まるで『昨日のドラマ見たかい?』に似た気軽さだ。
「犯人は、自分の犯行が他者にどう思われているのかを気にするって、本当みたいだな」
「えっ、真紘さん」
平泉が俺の適当な言葉に目を見開いて、真紘へ視線を移す。
俺としても、真紘が本当にやってないのかは気になってたところだ。
二人からの視線を集めた真紘は、なぜか悔しそうな表情をした。
「アタシよりか、目立つ紙を貼りやがって。許せん」
いつものボケやツッコミをしないことから、相当悔しがっているようだ。
あぁ〜違うな、と俺と平泉は視線を交わして、苦笑いする。
「良かったです。真紘さんじゃなくて」
「あんなエキセントリックなの思いつかなかったよ。これ出した奴、やりおる」
「その指標で張り合うな」
とはいえ、この京夏高校で一番注目されているのは事実。
今が四月二十日の水曜日で、来週の木曜日が四月二十八日だ。学校側は当然警戒するだろうし、学生側としてはこの告発に熱狂する一日になることは確実だろう。裏を返せば、これを仕組んだ奴の恨みが深いことを表わしていた。
「真紘、『炭鉱のカナリア』は知ってるか?」
「知ってる。あんたらのクラスで口が軽そうな男が吹聴しているのを聞いた。余程、この告発予告文の謎解きが刺激的なんだろうね」
「謎というのは『カナリアが鳴き止んだ頃に』が、いつか? ということ?」
真紘は頷く。「あの話を聞くに、カナリアが毒ガスで死んだ時ってことなんだろうけど、珍紛漢紛」頭の後ろで手を組んで、唇を尖らせた。
「もしかすると、謎解きは興味を維持させるフックの役割で、わざと変な言い回した。告発に注目を集めておくのための手段。謎は謎じゃないんだ」
真紘が俺へ一瞥するも、すぐに何かを考えるように天井を見上げた。
俺の正面にいた平泉は俯き、『どうでしょうか?』と小さく呟く。
「注目を集めるだけが目的でしたら、予告なんて回りくどいことはせず、すぐさま告発文を学校中に貼った方が効果的です。ですが、それをしなかったのは、犯人なりに、何かしらのメッセージが込められていると受け取った方が……いいように思えます」
なるほど。
犯人がなぜ、このようなことをやったか。その深層心理までを平泉は切り込んでいた。
俺には無かった視点を齎すのがこの平泉理沙という少女だ。
「そうだよ。えいちゃんみたいなツマラナイ思考じゃなくて、そっちだよ」
真紘は平泉の後ろに駆け寄って、ぎゅっと椅子越しに抱きしめる。ぬいぐるみを愛でるように頬をすりすりしている。女子のきめ細やかな肌が重なるのは、なんとも言えないほど、背徳感があった。
「流石だよ、理沙」
「あっ、ありがとう」激しい真紘のスキンシップに引き気味の口許を浮かべる者を何度も見てきたが、平泉は嬉しそうだ。まだクラスで友達ができていない平泉にとって、真紘は数少ない女友達。学校での安心感を真紘から多く受け取っているのかもしれないな。
「だったら、相当負の感情を持っているんだろうな、そいつは」
俺の漏らした一言で薔薇のような光景が固まる。
平泉が『謎を解きたい』などと、余計な考えをさせないための一言だったが、少しばかりやり過ぎたようで、平泉は瞬きを辛そうに何度かしだした。彼女のことだから、恨まれた相手を思って、心配になったのだろう。
「まぁ、先生たちも厳戒態勢を敷くから、書いた奴の思うようなことは起きない。……平泉がそこまで入れ込むことでもないさ」
比較的パーツが小さい平泉。その中でも大きなパーツである瞳が優しく揺らいだ。
「ありがとうございます」
真紘は『へぇ〜』と感心したような声をあげ、胸の下で腕を組んだ。
「……帰る。また明日な」
「はい。また明日」
半ば逃げるような形だったからか、気恥ずかしさが体の周りにまとわりついていた。
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