第40話 Time after time ④(美也子)R18

【Caution!】

 40話『Time after time ④(美也子)』はR18作品です。

 男女間の性描写があります。 

 18歳未満の方の閲覧はご遠慮ください。


 ひとつ前の39話の続きです。

「お盆で拓弥んちにお泊りデート」二日目、仲良く食事の支度をする二人からスタートしますが、後半は大人な展開です。けっこう濃いです。

 途中、ちょっと拓弥がやばそうに見えるかもしれませんが、変な展開にはしていませんので、ご安心を。

 

 もちろん、苦手な人はここで回れ右、でお願いします。そして、わたしのことはきれいさっぱり忘れてください。


 いいですか?

 警告しましたよ?

 OK、望むところだ! という方は、以下からどうぞ。


* * *


「うわ。千切り、めっちゃ細い。すごい」

「そう?」

 慣れた様子でリズミカルにキャベツを切っている手元に、あたしは思わず見とれてしまった。危なっかしいところなんて、微塵もない。間違いなく、普段からちゃんと料理しているひとの手つきだ。

「でも、お店で出てくるのって、もっと細いよね?」

「あれは、たぶんスライサーかなんかで切ってるでしょ」

「なるほど。でも、細い方が口当たり良くて美味しいよね、サラダにしたとき。ほら、とんかつの付け合わせなんかでもさ、細くてこんもりしてる方が見栄えもいいしさ」

 確かにそうだけど。正直、あたしはこんなに細く切れる自信はない。

 まずいわ、これ。拓弥さんの方が、確実に料理スキルは上だ。

 内心焦りながら、あたしは玉ねぎを薄切りにしてバットに移し、人参とジャガイモの皮を剥むき始める。ここは、ちゃんとピーラーじゃなくて包丁ですいすいやらないと、カッコがつかない。

 でも、うっかり怪我をしないようにしなくちゃ。万が一指でも切ろうものなら、このひとのことだもの、ものすごく心配してめちゃくちゃ丁寧に手当てしてくれるだろうし「美也子さんはそっちで座ってゆっくりしてて」と台所から追い出されてしまいかねない。

 内心冷や汗をかきながら、皮を剝き終わった人参とジャガイモを一口大に切る。人参は少し小さめにすると味が染みやすく、食べたときのバランスもいい、と確か本に書いてあったっけ。切り終わって、ボウルに移しておく。

 あとは、しらたき。ざるにあけて水を切ってから、さっと洗って、湯通ししておく。

「そろそろ終わる? お肉、出しとくね」

「ありがとう」

 冷蔵庫を開けて、お肉の入ったパックを出してくれながら、拓弥さんはなんだか楽しそうだ。

「今回さ、美也子さんが来てくれたら、やりたいことがいろいろあったんだけど……こうやって一緒に料理するのって、リストのかなり上位に来てたよ」

「あはは。でも、がっかりしてるんじゃない?」

「なんで?」

「……明らかに、あたしより拓弥さんの方が上手じゃん」

 今朝のミネストローネにも驚かされたけれど、さっきのキャベツの千切りで、もう確信した。このひと、立派に料理男子だ、と。

「そんなことないよ。普段わりとちゃんと作るようにしてる、ってだけ」

「あたしもわりと自炊してるんだけどなぁ」

 お兄ちゃんと暮らしているときは、あたしが食事を作ることが多かったし、楓かえでのマンションに移ってからも、「家賃いらないから、たまにご飯作ってくれればいいよ」というお言葉に甘えて、食事の支度は率先してやるようにしている。

「まあ、基本的にそんな器用なタイプじゃないしなぁ、あたし」

 はあ、とため息が漏れてしまうあたしに、拓弥さんはにこにこ笑うばかりだ。

「別に、いいよ、どっちが上手いとか下手とか。こうやって食事の支度を美也子さんと一緒にしてる、ってだけで幸せすぎて、やばいくらい」 

 確かに、楽しいし幸せだ。まさに、おうちデートの醍醐味だ。

 パックを開け、お肉をまな板に出して食べやすく切っていく。

 拓弥さんは、さっきの千切りキャベツをボウルに移して、そこにツナ缶と細切りにしたチーズを加えて混ぜていた。

「そういえば、肉じゃがのお肉って、地域差あるみたいだね」

「らしいね。関西は牛肉を使うことが多いって、聞いたことがあるな」

「関東以北は豚が多いってことなんだね。うち、実家でもずっと豚だったよ」

 子どものころ、お母さんが作ってくれる肉じゃがはいつも豚が入っていた。適度に脂が入った部位で作ると、甘みがあってなんとも言えないいい味になる。

「牛だと、すき焼きっぽい味になるよね。しらたき入れると特に」

「確かに。それはそれで美味しそうだ。今度やってみようか」

「うんうん」

 ボウルにマヨネーズと醤油を少し、そこに胡椒を入れて菜箸で混ぜてから、拓弥さんはレンジ下の引き出しを開けた。醤油のボトルを戻して、ごま油の瓶を取り出していた。

 切ったお肉を別のバットにあけ、手を洗う。タオルで手を拭いてからゴム手袋を着け、まな板と包丁をさっと洗いながら、あたしは内心またしても驚いていた。ごま油こんなものまで家にあるなんて、やっぱり拓弥さん、ただ者じゃない、と。

「ねえ、ごま油を家に常備してる男のひとって、なかなかいないと思う。すごいわ」

「そう? でもさ、これあるだけで、味にかなり変化がつくから優れものだと思う。一気に中華っぽくなるし」

「確かに。あ、でも、そのサラダにごま油が入るの? マヨネーズベースなのに?」

 てっきり洋風なツナサラダかな、と思っていたのに、ほんの少しだけとはいえ、ごま油がボウルに加えられるのが、不思議な感じだった。ああ、でもさっきお醤油も入っていたし、和洋折衷な感じなのかもしれない。

「これさ、少しごま油入ると、複雑な味になってぐっと美味しくなるんだ。ほら」

 混ぜ終わったサラダを少量菜箸でとって、フォークを添えて小皿に入れ、はい、と渡してくれる。

「どれどれー、いただきます」

 遠慮なく味見させてもらう。一口食べて、驚いた。

「わ。こうなるんだ。なるほど。マヨネーズだけのときとは大違いだ」

「ね?」

 拓弥さんはとても嬉しそう、というか楽しそうな満面の笑みだ。

 マヨネーズだけだと、まあ普通に美味しい、というところだけど、ごま油が入るとなんともくせになる味になっていた。

「これさ、お醤油もポイントだね」

「そうそう。入れすぎるとダメなんだけど、少し入るといいよね」

「うんうん。ああ、これ、真似させてもらおうっと。楓も喜びそう」

 ぜひどうぞ、とやっぱり嬉しそうに拓弥さんは出来上がったサラダを深めのお皿に移した。

「さすがに、食器はそんなに種類ないんだ。学生のときはさ、よく友達が来て飲んだりしてたんだけど、鍋やったり肉焼いたりする程度だったし」

「まあ、ひとり暮らしだと、そうだよね」

 これだけ料理が上手で、さらにあれこれ食器までそろっていたら、ちょっとドン引くかもしれない。というか、別の勘繰りをしたくなってくる。つまり、誰かが――前の彼女が買いそろえたんじゃないの、と。

「ここ引っ越してきてからは、たまにかな、誰かが来るのも。友達連中、だいたい同じ学部だったから、ほぼみんな司法関係の仕事に就いてるんだ。やっぱり慣れるまで大変だから、なかなか会う暇はなくて」

 つまり、友達はだいたい法学部出身で、司法試験に合格して弁護士とか検事とかをやってる、ということだ。

「すごい。エリートだね、みんな」

「いやいや。なってからがまた大変だし。弁護士に限って言えば、所属する事務所によって給料もかなり違ってくるし……あ、ごめん、ありがとう」

「ん-ん。洗っちゃうね」

 空いたサラダのボウルや菜箸を受け取って洗ってから、レンジの前に移動する。お鍋に油を引いて、切った玉ねぎと人参、ジャガイモを炒め始める。

「拓弥さんの勤めてる法律事務所って、どんな感じ?」

「個人事務所なんだけど、規模は中程度かな。給料はいい方だと思う。今年の春に引退した老ボスが30年くらい前に始めた事務所でさ、今はその息子がボスをやってる。繁盛してて、ありがたいことに依頼はひっきりなしに来る。まあ、そのおかげで忙しいけれど。所属弁護士はぼくを入れて19人。去年まではぼくが一番下っ端だった」

 炊飯器に砥いだお米をセットしてスイッチを入れながら、拓弥さんは教えてくれる。

「大学の先輩が以前いてね、いい事務所だから、って紹介してくれたんだ。他にも内定もらってたところがあったんだけど、立地もいいしすぐに決めたんだ」

「そういえば、外の世界を見たいから、ってお父さんの事務所には入らなかった、ってガーデンパーティーのときに言ってたよね?」

「お。よく覚えてるね」

「まあね」

 野菜類の表面が透明になってきたところで、だし汁を入れた。すでにいい匂い、なんてちょっと嬉しくなってきて、思わず口が滑った。

「変なひとだな、って初めからちょっと興味湧いてたし」

 ぽろ、っと本音が出てしまった。まずい、と思う間もなくすかさず突っ込まれる。

「なんだ。最初からまんざらでもなかったってこと?」

「……べ、別に。あのときは、こんなふうに付き合うことになるとか、思ってもなかったし。そもそも、横浜に住んでるひとだしなぁ、って」

「ぼくは、初めから美也子さんのことめちゃくちゃ気に入ってたから、遠距離だろうとなんだろうと、ただ仲良くなりたい、ってそれしかなかったけど」

「だからあんなに強引だったの?」

「その言い方は心外だなぁ。別に無理強いしたりはしてないよ?」

 ちっとも心外そうではなく、あまつさえ少し楽しそうにすら見えてしまう。

 おだしが煮立ってきたところに、さっきのお肉を広げながら入れていく。手を動かしながらも、いろいろ思い出して小さくため息がこぼれた。

『朝顔の齋院さいいん、どう思います?』

 あたしたちが初めて会った、お兄ちゃんとひとみちゃんの結婚式の日。ガーデンパーティーがお開きになる頃、このひとはこう尋ねてきた。

 源氏に決して靡なびかなかった、従姉いとこ。そうやって拒み通したが故ゆえ、源氏に愛された他の女性たちのように傷つくことなく、憧れの存在でい続けられた。一生、源氏にとって高嶺の花であり続けた。

 だから、最も賢い女性だ、と答えたあたしに、このひとはあらかじめ用意していただろう言葉を返してきたのだ。

 ぼくは源氏みたいに複数恋人を持ったりしない。だから、靡いても傷つきっこない、と。

 朝顔の齋院みたいに潔くなんかない。もっと欲にまみれて、どろどろした女だ、なんて苦し紛れに言い返してはみたものの、あのとき、あたしは無意識のうちに駆け引きを仕掛けていたのかもしれない。

 つまり、そういうあたしでもいいの? という媚態びたい交じりの誘い掛け、ととらえられてもおかしくない言い草だった。

 今にして思うけれど、あれはどう考えても、このひとに「言わされた」台詞だった。つまり、朝顔の齋院をどう思うか、という問いかけ以降の一連の流れは、すべてこのひとの思うつぼだったような気がする。

 正直な話、結婚式以降、心の奥底ではこのひとのことがずっと気になっていた。もちろん、長野に出張に来た折に夕食に誘われなかったら、少しずつ忘れてしまったかもしれないけれど。

「拓弥さんってさ、やたらとクリーンかつ強引に自分のペースに持ち込んできたよね。なんか断る方が申し訳ない、っていう気分にさせられるっていうの? わざとでしょ、明らかに」

「別に、全て計算ずくで策略巡らせて、ってわけではなかったよ。わりと必死だったし」

 すらっとそんなことを言いながら、再びレンジ下の引き出しを開けて、お醤油やみりん、お酒などの調味料類を取り出した。砂糖の入ったケースも、棚の上から取ってくれた。

「絶対にあきらめたくなかったからね、美也子さんのこと」

「……熱意には負けました。というか、あれだけ押されれば、悪い気はしなかったし」

 正直に言ってみると、拓弥さんはずいぶん嬉しそうににっこり微笑んだ。

「お。素直だ。いいね、いいね。やっぱりかわいい」

 お肉が全部入ってぐつぐつ煮汁が沸騰してきた。下処理してカットしたしらたきも入れて、小さめのお玉で灰汁あくを掬い取りながら、あたしは苦笑してしまう。

「最初はさ、やたら口上手いし、照れもせずに歯の浮くようなこと言うし、このひと相当遊んでるんじゃないか、ってかなり警戒したよ?」

「マジか。それはショックだ。そんなこと決してないのに」

 半ば本気で困ったような顔をされて、ちょっと焦った。

「いや、今はそんなこと思ってないけどね。でも、普通、警戒するでしょ。かわいいとか、気に入ったとか、素敵だ、とか。会って早々そんなこと面と向かって言われれば。女、口説き慣れてるんだろうな、って、勘繰りたくもなるよ?」

「言ったと思うけど、ストライクゾーン、ほんと狭いんだ、ぼく。いわゆる、無類の女好きってタイプじゃない。しっかり好みじゃないと、スイッチも全然入らない」

「……なんのスイッチ?」

「えー、いろんな面での」

 はいはい。そっちのスイッチってことね、と呆れながらあたしはお鍋に調味料を入れていく。砂糖、みりん、お酒、お醤油。落し蓋をして、さっきのお玉と灰汁の入ったボウルを流しで洗う。

 いや、もうぶっちゃけるけどさ、なんて拓弥さんはどこか開き直ったように話し出した。

「肉食男子、といっても、手あたり次第、なんてわけじゃないんだ。やれれば誰でもいい、っていう男もいるんだろうけど、ぼくは無理だ。容姿だけの問題でもないんだよなぁ……顔や身体がいい、ってだけじゃのめり込めないっていうか。そして、気持ちの入らないセックスは、全然満足できない」

 あけすけな台詞とは裏腹にずいぶん真面目な口調で、なんだか可笑しくなってきた。

「ちゃんと好きなひととじゃないと……ってこと?」

「はい。美也子さんじゃないとだめ、ってことです」

「……ありがと。嬉しい」

「お。また素直だ。いいね、いいね」

 洗い物を終えてゴム手袋を外したタイミングで、ぎゅっと抱きしめられた。いつものように「ああ、いい匂い」なんて言いながら、ちゅっ、と髪にキスしてくる。

「ってことで、ご飯食べたら、うーんと可愛がるね。約束通り」

「あはは。そうだった。約束したよね、今朝」

「うん。楽しみだったんだ、ずっと」

「……あたしも」

 

 昨夜は新横浜でステーキを食べたし、今日のお昼は中華街でおいしい飲茶と四川料理をたっぷり楽しんだ。食べるのが大好きなあたしとしては、他にも横浜で食べたいものはたくさんあるけれど、せっかく泊りに来たんだし、二人でご飯を作る、っていうのも今回ぜひやりたかった。拓弥さんも同じだったらしく、おやつのケーキを食べた後、スーパーで買い物をして少し早めにアパートへ戻ってきたのだった。

 和食がいい、とのことだったので、「肉じゃがは?」と尋ねてみたら、ちょっとびっくりするくらいのテンションで「それがいい!」と大喜びだった。ずいぶんベタな「男子が泣いて喜ぶメニュー」じゃないか、とちょっとおかしくなったものの、喜んでくれるなら、願ったりだ。しかも、失敗の心配がない、とあたしはこっそりほっとしていた。

 というわけで、夕食のメニューは肉じゃが、キャベツのツナサラダ、あとは職場の同僚からお土産でもらった、という北海道産の時鮭ときしらず。春から夏にかけて獲れ、産卵前の若い鮭だから脂がのってすごく美味しいらしい。実は食べたことがなかったから、すごく楽しみだ。

 肉じゃがはあたし、サラダとお味噌汁は拓弥さん、と分担して一緒に台所に立った。まあ、さっきまでのとおり、料理スキルの高さをこれでもか、と見せつけられて凹みっぱなしだったものの、好きなひととあれこれおしゃべりしながらの食事の支度は、幸せ以外のなにものでもなかった。

 炊きあがったごはんをお茶碗によそって、お味噌汁やサラダ、肉じゃが、焼いた時鮭と一緒に運んでセッティングして、あたしたちはダイニングテーブルに着いた。

「うわ。一汁三菜のものすごくちゃんとした夕食だ。こういうの久しぶりだなぁ」

 ものすごく嬉しそうな拓弥さんの向かいで、あたしも自然と微笑んでしまう。こんなふうに好きなひとと食卓を囲むのって、やっぱり素敵な時間だ。

 いただきます、と二人で手を合わせる。お豆腐とわかめ、という定番の具がはいったお味噌汁のお椀に口をつけて、あたしは思わずため息が漏れてしまった。

「すっごくおいしい、このお味噌汁。ちゃんと煮干しのおだしの味がする」

「お。気に入った?」

「うん。これ、あたし好き」

 よかった、と拓弥さんが向かいで微笑んだ。

「実家で猫飼っててさ、煮干しは常備してたんだよね。料理用と猫用、完全に兼用でさ。買い物行くたび補充してたから、ひとり暮らししてても癖が抜けないっていうか。まあ、この辺りには煮干しをふるまってあげられる野良猫がいるわけでもないから、もっぱら自分で使うことになって……となると、味噌汁のだしくらいしか使い道がない、っていう」

 お味噌汁を自分で作る、っていう男のひとも珍しいけれど、ちゃんと煮干しでおだしをとっちゃうというのは、もう天然記念物レベルなんじゃなかろうか、なんてこっそり思ってしまう。そこで、あ、と思い出した。

「ああ、お味噌汁だって、スープだもんね。お野菜はスープにした方がたくさん食べられる、ってお母様の教え、だっけ?」

「そうそう。煮干しと味噌買っとけば、その時冷蔵庫にあるもの具にすれば、味噌汁できちゃうって、すごいよな。あとはご飯炊いとけば、何かしら一緒に食べるものがあれば食事になる」

「お肉でもお魚でも、いけるもんね、ご飯なら」

「うん。忙しいときでも、納豆とか卵があれば、一応ちゃんと食事した、って気分にもなるし」

 拓弥さんは、ふう、と小さくため息をついた。

「仕事立て込んでると、昼なんてろくに食べられないこともけっこうあってさ。面会のスケジュールが詰まってるときとか、あとは、裁判中だったりすると、最後にきちんと食事したのいつだっけ、ってなることも多々だ」

「大変な仕事だよね、やっぱり」

「いやいや、どんな仕事も忙しいときはあるよね。美也子さんだって、この連休前はとても忙しそうだったよね?」

「うん……」

 まさにその通りだ。昨日を半休にするために、ここしばらく前倒しでどんどん仕事を片付けていたから、連日残業で帰宅が9時を回っていた。

「夜遅くなってから帰ってきて、食事の支度するのなんて面倒になっちゃって……つい、なにか買って帰って食べてそのまま寝る、って感じだった。情けないわ、女として」

「いやいや。女性はさ、化粧落としたりとか、肌の手入れとか、いろいろ寝る前にすることが多くて大変でしょ。仕方ないよ」

 ああ、拓弥さんのこういうところ、ほんとに好きだ。嫌味なく、しかもごく自然にこうやって気遣う言葉が出てくるのって、大したものだし、おかげですごく気持ちが楽になる。

「何がストレスになるかって人それぞれだけど、ぼくはきちんと食事ができないのは、結構なストレスでさ。仕事中は仕方ないけど、せめて家に帰ってからは、ちゃんと食べたい、って思うんだ。それで、味噌汁は手っ取り早くちゃんと食べてる、って気分になれるから、好きだよ。栄養もとれるし」

「だよね。あ、肌にもよさそうだね」

「うん、イソフラボン? だっけ? 大豆に含まれてるやつ。味噌にも入ってるし、豆腐を具にすれば二重にとれるんじゃない?」

「よし、長野戻ってから、ぜひ見習う」

「うんうん……お、肉じゃが、味が染みててすごく美味しい。これ、やっぱりしらたきがポイントだな。肉の味とちょっと溶けたジャガイモが絡んで最高」

 拓弥さんの言葉に、あたしはほっとした。

「よかったぁ……まあ、滅多なことがなければ失敗しようのないメニューだとはいえ、けっこう緊張してたんだから」

「いやいや。美也子さんの手料理とか、もうそれだけで嬉しすぎて、失敗しようがなにしようが、鍋の底までこそげて最後の一滴までありがたく美味しくいただきます」

「……それ、何気に嬉しくないよ?」

「あはは。あ、鮭も食べてみて。これ、絶対美味しいから」

 言葉どおり、驚くほどおいしい鮭だった。よくある塩鮭とはまるで違う。身がふっくら柔らかくて、ほんのり薄い塩加減なのに、とてもご飯が進む味だった。

「これさ、ほぐしておにぎりに入れるのとかがもったいないくらいの美味しさだね。立派に夕食のメインを張れるご馳走だわ」

「うんうん、まさにそう。これくれた同僚、釧路出身でね。前にももらったんだけど、すごく美味しかった、って絶賛したら、たまにお土産にくれるようになったんだ。ありがたいことに」

「北海道、美味しいもの多くてほんといいよねー」

「だね。そうだ。今度行こうよ、旅行で。冬にでも」

「いいね!」

 拓弥さんは、こうやってさりげなく幸せな未来を見せてくれる。ごく自然に、何気ない会話の中で。

 ふだん離れている分、ことさら約束が嬉しく思える。心配しなくていいんだ、ってとてもほっとする。たぶん、あたしを気遣ってくれている、とわかるだけに、なおさら嬉しくて、ますますこのひとが好きになる。

「あー、楽しみ。がんばって働こう、って気持ちになるわ」

「うんうん。まさに」

 さっき味見させてもらったサラダも、やっぱりとても美味しかった。市販のドレッシングのように味が濃くないから、さっぱりしていていくらでも食べられる。

 美味しいごはんと、未来の約束。幸せすぎて、ほんとに怖くなってしまうくらいだ。

 そしてこのあとも、うーんとあたしを可愛がってくれる、という幸せな時間が待っていると思うと、うっとりしてしまうのだった。


 一緒に食器の後片付けを済ませてから、先にシャワーを浴びさせてもらった。当然、化粧も落としてしまう。まあ、お世辞かもしれないけれど、今朝、肌がきれいだ、と褒められたから、すっぴんを晒すのにもあまり抵抗はなくなってきた。化粧水をつけて、眉をほんの少しだけ整える。

 部屋着にしている白い膝丈のキャミワンピースに薄手のカーディガンを羽織って脱衣所を出ると、やたらと嬉しそうな顔を向けられて焦った。

「お。すごくいいね、そのカッコ」

「そう?」

「かわいいのとほんのりエロいのがいい具合に融合してて、めちゃくちゃテンション上がる」

「……なんなの、それ」

 毎度のこととはいえ、このひとのこういうコメントにはどう反応していいのか困る。すでにスイッチが入りかけているのがわかるだけに、恥ずかしいのとこっそり嬉しいのとが入り混じって顔が火照ってしまう。

「やばい。早いとこシャワー浴びてこよう……あ、ねえ、洗濯機回すんだけど、もし嫌じゃなかったら、一緒に何か洗うものある?」

 あまりにもさらりと普通に尋ねられたから、遠慮したり困惑するのが逆に憚られる雰囲気だった。

「洗濯ネット、たくさんあるし、乾燥までかけちゃうから。終わったら、ネットごと持ってってくれれば、中、見えないし」

「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて」

「安心していいよ。別にこっそり盗んだりしないから」

 はい、と笑顔で洗濯ネットを渡してくれながら余計な一言がついてきたから、思わず睨んでやった。

「……エロいの通り越して、立派に変態だよ、それ」

「ほんとの変態だったら、何も言わずに洗う前にこっそりキープしとくって。ベッドのおかずにもってこいだし」

「ちょっと!」

「あはは。じゃあ、ネットに入れたら、洗濯機に入れといて。じゃ、ぼくもシャワー浴びてくる」

 ちゅっ、とあたしのほっぺにキスして「ちょっとだけ待ってね。よかったら、あっちの部屋の本棚でも覗いてて。どれでも好きに読んでていいよ」と言って、拓弥さんは浴室へと消えた。

 さすがに何もかも全部、というわけにはいかないけど、ネットに入れるし、まあいいよね、と思って、うっかり見られても大丈夫そうなものだけをネットに入れ、しっかりファスナーをしてから洗濯機に入れておく。

 はあ、と間抜けなため息が漏れてしまう。どこまで冗談なのかよくわからないところがあるから、困ってしまう。というか、ベッドのおかず云々発言は、実は冗談なんかではないんじゃないか、とこっそり疑っていたりもする。

 まあ、あたしがいないときにも、しっかりあたしのことを想ってくれている、というのは嬉しいけれど――勝手な妄想の中で一体何をさせられているのか、と具体的に考えると、恥ずかしくて、とてもじゃないけど顔を合わせられなくなりそうだ。

 ちょっと頭を冷やそう。勧められた通り、寝室の隣にある部屋へと向かう。仕事部屋兼本置き場だ、と昨日教えてくれたけれど、まだ中に入ったことはなかった。

 お邪魔します、と独り言ごちてドアを開けて中に入ると、ずいぶん天井が高くて驚いた。部屋の隅に大きなはしごがあって、上はロフトになっているようだった。

 ほかの場所同様、とても綺麗に掃除してあって、ほこり一つ落ちていない。

 大きめの机と椅子が大部分を占める室内には、作り付けの本棚が壁沿いにずらっと並ぶ。左側の棚は全て仕事関連のようで、法律の専門書と思しき本ばかりだ。当然のように六法全書もあって、軽く感動してしまう。これがそうなんだ、と。

 右側の棚には、いろんな本が雑多に並んでいた。といっても、几帳面な拓弥さんらしく、ひととおりジャンル別に分けてある。新書もずいぶんある。お兄ちゃんの書斎みたいじゃん、となんだか可笑しくなってくる。性格はまるで違うけれど、頭が良くて本が好き、という点は共通している。

 当然のごとく、源氏物語関連の本はとても多い。あたしが大学時代に読んだことのある本もたくさんある。田辺聖子の『新源氏物語』の文庫もあった。そして、図書館にでも置いていそうな、古くて分厚い注釈付き原文の本まである。もしかしたら、午後に行った古書店あたりで昔に買ったものなのかもしれない。

 気になったものを何冊か取りだして、椅子に腰かけた。すごく座り心地が良くて驚いた。長時間座っていても疲れにくい、いい椅子だ。のんびり本に目を通すには、もってこいだ。

 お腹がいっぱいになったし、シャワーでさっぱりしたのもあって、昼間の疲れがどっと出た気がする。午前中から結構歩いたし、午後は例の古書店であの一件もあって精神的に削られた。まあ、子供相手だし、本気で腹を立ててもどうしようもない。

 一応、ちゃんと言うべきことは言えたし、特に引きずっているわけではない。守秘義務があるだろうから、あの男子中学生が絡んでいるだろういじめの問題は、拓弥さんに詳しく訊くつもりもない。

 何より、拓弥さんはしっかりあたしのことを守ってくれようとした。

『ぼくを悪く言うのはかまわない。ただし、彼女は関係ない。侮辱するのは許さないよ』

 きっぱりと、言ってくれた。とても嬉しかった。それだけで十分だった。

 拓弥さんは、いつだってあたしを大事にしてくれる。惜しみなく甘い言葉を囁いてくれるだけじゃない。きちんとあたしを見てくれている。表情や仕草だけじゃない、心の中までしっかり見通して、優しくあたしを包み込んでくれる。

 こうして朝から晩までずっと一緒にいると、ますますあのひとを好きになる。本当に幸せなことだ。けれど、そうなるとやっぱり考えてしまう。

 今あたしを大事にしてくれるように、かつては他の誰かを大事にしていたんだろう、と。

 前はどんな人と付き合っていたのかな、と。

 中高一貫の男子校出身だ、と言っていたし、もしかすると誰かと付き合ったのは大学時代が初なのかもしれない。見た目も決して悪くないし、頭もいいし、人当たりのいい性格だし、実はけっこうモテたんじゃないか、とも思う。

 ストライクゾーンがとても狭い、しっかり好みじゃないとスイッチが入らない、と言ってはいたものの、根っこは肉食男子だ。学生時代は意外と雑食だったりして、なんていつもの癖で下世話なことを考えてしまう。

 雑食、悪食あくじき、暴飲暴食、あれこれ試して、その上でさっきみたいな結論に至ったんじゃなかろうか、と。

 いけない、さすがにこういう品のない思考はやめよう。あたしの全部をかわいい、と拓弥さんはいつもいつも言ってくれるけれど、鵜吞みにして甘えるのはダメだ。あまり調子に乗ると、幻滅されかねない。

 立ち上がって、本を戻した。結構高いところのものもあったから、なかなか大変だ。よいしょ、と背伸びをして戻していると――不意に、背後からぎゅっと抱きしめられて死ぬほど驚いた。

「……おまたせ」

「びっくりしたぁ……け、気配ないから、気づかなかったよ?」

 肩越しに背後を窺おうとすると、すぐさま唇を塞がれた。

「んっ……」

 不意打ちで、変な声が鼻に抜けてしまう。そのままくるりと向かい合わせにさせられて、さらに深く口づけられる。口を開いてキスに応えていると、抱きすくめられたまま部屋の外まで引っ張っていかれた。

 焦っていると、一瞬だけ唇が解放されて、下唇をちゅっと食まれた。いつものように唇がほおへと滑っていき、舌が焦らすように耳朶を這う。

「あっ……」

 思わず声が出てしまうと「いい声。かわいい」と嬉しそうに言いながら、そのまま耳の輪郭を唇が滑っていく。

 ぞくっと背筋を快感が走り抜ける。すでに脚に力が入らなくなりそうなあたしを抱きすくめたまま、拓弥さんは隣の寝室のドアを開けて中へと入った。

 ベッドサイドの間接照明だけがオンになっていて、部屋はほの暗かった。淡いオレンジ色の明かりだけがぼんやり灯っていた。

「ねえ……さっき、何考えてたの?」

 ウォークインクローゼットのすぐ傍で、壁を背に立たされたまま、至近距離でじっと目を覗き込まれた。

「美也子さん、ぼんやりしてたね。ぼくが近づいても気づかないくらいに」

 ああ、やっぱりまた見透かされてた。そう思うと、なんだか怖くなってきた。

「何考えてたの?」

 言えるわけがなかった。元カノはどんな人だったのかな、なんて考えていました、だなんて。誤魔化すつもりで、ちょっとわざとらしいほどかわいこぶってみる。

「……内緒」

「どうしても?」

「どうしても」

 ふっ、と小さく笑う気配のあと、壁にぎゅっと押し付けられ、そのままきつく抱きしめられた。そして、さっきとは打って変わってちょっと乱暴なキスが落ちてきた。まるで貪るように唇を割ってすぐさま舌が入ってきて、ねっとりと歯列をなぞり、歯茎をくすぐってくる。あたしが応える前に強引に舌が絡んできて、息が上手くできないくらいだった。

 これ――どうしたんだろう、いつもと違う。ただせっかちなのとも違う、どちらかというと、なんとなく苛立っているようにも思える。歯磨き粉の味がする拓弥さんの舌が、ずいぶん荒っぽくあたしの口の中をくまなく探ってくる。

「んんっ……」

 苦しい。本気で苦しい。鼻で息をしようとしても、ねっとり奥の奥まで犯してくる舌のせいで、うまく酸素が入ってこない。おまけに、まるで逃がさない、とでもいうように身体に巻き付く両腕に閉じ込められて、逃げ場もない。当然のようにあたしの背中や腕、ウエストを撫でまわす手の感触は、めまいがしそうなほど艶めかしかった。

 いつの間にかカーディガンを脱がされていたことに、今更気付いた。むき出しの首筋や肩を撫でられて、全身がじわじわ熱を帯びていく。

 ああ、なんだかくらくらする。頭がぼんやりして、立っていられなくなる。おまけに、飲み込むこともできない唾液が口の端から零れるのを遠く感じる。

 もう、許して、と懇願するように薄く目を開けてみるけれど、執拗にあたしの唇を奪い続ける彼の目は閉じられたままだった。んっ、と時折鼻から抜ける悩まし気な吐息に、身体の奥がぞくりと疼く。こんなに苦しくてたまらないのに、しっかり反応しているなんて。自分が信じられない。

 どのくらい時間が経っただろう。とうとう本当に脚に力が入らなくなって崩れ落ちそうになるあたしの腰を、拓弥さんは片腕でぐっと抱え込む。

 唇がようやく解放されて、文字通り肩で息をするしかなかった。全速力で走ったみたいに、本当に息が切れていた。

 ぐらぐらと揺れる視界の中で、ふっ、と再び拓弥さんが薄く笑った。彼の目に映っているであろう自分は、さぞみっともない姿のはずだ。だらしなく涎を垂らしながら、はぁ、はぁ、と呼吸を乱しているあたし。拓弥さんの手がそっとほおに触れた。親指で口の端を拭ってくれてから、まるであたしに見せつけるようにぺろりと舐める。その仕草がすごくいやらしくて、とても直視できなかった。

「素直じゃないから、お仕置き」

「はぁっ……ひどい」

「だって、余計なこと考えてるみたいだから」

 口調はいたっていつも通りに思える。なのに、まるで責められているような気分にさせられる。こんな拓弥さん、初めてだ。

「……考えてないよ、余計なことなんて」

「嘘だね」

 口調は優しいのに、なんだかいつもと違う。口元には笑みが浮かんでいるのに、目は笑っていなかった。二つの瞳の奥に、正体のわからない何かが見え隠れしている。焦りか、苛立ちか――判然としないそれが、怖くてたまらない。

 待って。これ、もしこのまま抱かれたら、なんだかとんでもないことになりそう――直観でそう思った。

 そんなあたしをよそに、唐突な台詞が降ってくる。

「そうだ。余計なこと、考えられないようにしてあげようか」

「え」

 拓弥さんが、ウォークインクローゼットにかかっているハンガーに手を伸ばした。しゅるっ、と衣擦れの音がしたかと思うと、次の瞬間、何か細い布のようなものが頭の後ろに回った。

 わけがわからず固まっているあたしにかまわず、そのまま左右両端が前に持ってこられて、今度は顔の前で交差したかと思うと、あっという間にまるで目隠しするように視界が遮られた。再び両端が後ろへ回り、きゅっと結ばれるのを感じた。

 これ――もしかして、ネクタイ?

「ちょっ……」

 慌てて手で払いのけようとすると「だめだよ」とたしなめられた。静かなのに、なぜか抗えない声で。

「見えないと、余計なことを考えなくてすむ。ぼくのことだけ考えてよ」

「ちょっ……やだ、これ」

「どうして? どうせ目、閉じちゃうんだから、同じだよ」

「全然違うし」

「どう違うの?」

 内緒話するみたいに耳元で囁かれて、びくっとしてしまった。

 怖い。見えないから、すごく怖い。

 ぶわっと大きく膨らんだ恐怖で、わけがわからなくなった。

「……へ、変なプレイみたいじゃん、これ!」

 悲鳴みたいな声が出て、力づくで手を払いのけた。

 そのまま目隠ししていたネクタイをむしり取ると、びっくりしたように目を丸くする拓弥さんと視線が絡む。

 変なプレイって――思わず口を突いて出てきた言葉に、恥ずかくて今さら顔が火照ってくる。

 見れば、我慢できない、といった風情で拓弥さんが、ぷっ、吹き出している。

「あはは……ああ、安心した。ようやくいつもの美也子さんに戻ったね」

「へ?」

 というか、ようやくいつもの拓弥さんに戻って安心してるのは、あたしだって同じだった。あまりにほっとして、崩れ落ちそうになる。

「おっと……大丈夫?」

「……だ、誰のせいだと思ってるのよ!」

「すいません、ぼくのせいです」

「ばか。えっち。変態」

 ごめん、ごめん、と笑いながら、頭を撫でてくれる。安心したせいか、ちょっと涙まで込み上げてきそうだった。さすがに泣くのは癪しゃくだから、ぐっとこらえる。

 ネクタイをハンガーに戻すと、拓弥さんはあたしをベッドに促した。ふたり並んで、ぴったりくっついてベッドに座る。

「ほら、いい加減、白状しな? 何考えてたの、さっき」

 またしても、じっと顔を覗き込まれた。でもさっきとは違って、ちっとも怖くはなかった。いつものように優しくて、どこか宥めるような声色だ。

「怒らない?」

「うん」

「笑わない?」

「うん」

 うん、って即答してくれるこのひとが、やっぱり好きだ。もう言うしかないな、と諦めた。

「……前にどんな人と付き合ってたのかな、って」

「ぼくが?」

「うん……」

「どうして突然?」

「……なんとなく」

 あはは、とひとしきりずいぶん可笑しそうに笑ってから、拓弥さんはなんだか嬉しそうにあたしの顔を覗き込んだ。

「ねえ、それって、広い意味で言うと、やきもちみたいなものだよね?」

「……なのかなぁ」

 面と向かって言われると、ちょっとどころか結構恥ずかしい。でも、こうなったらもう正直に言うしかない。

「あのね。さっき、本を見せてもらいながら、今日のことを思い出してたの。朝から夜までのこと。いろいろあったけど、楽しかったなぁ、って。そしたら、改めてしみじみ思っちゃって。幸せだな、って。拓弥さんのこと、すごく好きだなぁって」

「お。いいな、それ。もっと言って」

 すごく嬉しそうににっこりされて、拍子抜けしてしまった。もう、どうにでもなれ、と開き直りたい気分にさえなってくる。

「ずっと一緒にいると、ますます好きになるなぁ、って思って」

「うんうん。で? もっと言って」

「そしたら、気になるじゃない? 前はどんな人と付き合ってたのかな、って」

「なんだ、そこに戻るんだ?」

「戻るよ?」

 拓弥さんは、わざとらしく残念そうにため息をなんかついている。

「ますます好きになったから、もう、朝まで好きにして、とか続くのかと思ったのに」

「……あたしが言わなくても、好きにするじゃん、拓弥さん」

「はい、そうですね。すいません」

 こうやってやけに素直に謝ってくるのは、もうお約束の流れだ。

 我慢できなくなって、あはは、と笑ってしまうと、拓弥さんもすごく可笑しそうに笑った。

「美也子さん、めちゃくちゃかわいいこと言うから……なんかもう、我慢できなくなりそう」

 ちゅっ、と小さなキスが落ちてきた。さっきと違って、とても優しい。なんだかほっとして目を閉じていると、腕がそっと肩に回った。キャミワンピの肩ひもをしばし指で弄んでから、ゆるりと手が腕へと滑ってくる。

 あー、柔らかくて最高、なんて今度は二の腕をふにふに揉んでくる。

 柔らかい、って。ちょい太め、ってのと紙一重じゃん。褒めてるつもりかもしれないけど、それってどうなんだろう。

 いつもならそうやって文句の一つも言うところだけれど、今は黙って好きにさせておいた。まあ、こうやってあたしの身体のあちこちを気に入ってくれていること自体は、嬉しくもある。

 ふと、拓弥さんの静かな声が耳元で囁いた。

「一昨年の初めにさ、前に付き合ってた人と別れてから、仕事もすごく忙しかったし、しばらくそういうのはなかったな」

「そっかぁ……」

 どうして別れたの? と聞きたかったけれど、黙っていた。下世話な真似はやっぱりよくない。言いたくないことの一つや二つ、誰にだってある。

 そんなあたしをよそに、拓弥さんは面白い冗談でも言うように笑顔でこう続けた。

「結婚することにしたから、別れてって、言われて、目が点になったっていう。安っぽい昼ドラみたいな展開だ」

「え」

「どうやら、途中から二股かけられてたらしくてさ。相手の男は知らないし、知りたくもないけど……医者らしいよ。もともと上昇志向が強いタイプの人だったから、医者か弁護士かの二択で、ぼくが負けたってことか。彼女だって弁護士なのに、なんだそれ、って感じだった」

「……ひどい」

 二股って。こんな優しいひとと付き合っていながら、そんな真似をするなんて、なんて女だ、と本気で腹が立ってくる。しかも弁護士のくせして、倫理観、一体どうなってるんだろう。

「……ごめんね、嫌なこと思い出させて」

「いやいや。まあ、まったく気づいていなかった自分も、どうかしてた。裏を返せば、ちゃんと彼女のこと見てなかったってことなのかな。同じ仕事してるから、楽にわかり合えるって思い込んでいたところもあって、コミュニケーション不足だったのかもしれないな」

 あたしが黙っていると、すかさず拓弥さんはこう付け加えた。

「あ、遠距離恋愛ではないよ、ちなみに」

 訊くのを躊躇して飲み込んだはずの質問に、さらりと回答されてしまった。

「司法修習の時に知り合ったんだ。すごく頭が切れる人で、今思えば、女性として好きだったっていうより、尊敬していた感じだったのかも。仕事の面でも、ぼくなんかよりもバリバリやってた。まあ、結局は、とてもじゃないけど尊敬できるような人じゃない、って思い知らされて、当然、未練の「み」の字もないけどさ」

 すらすらと淀みなく話す様子は、いつもどおりの拓弥さんだ。でも、あたしは彼が不憫でならなかった。

 だって、ちゃんと傍にいるのにほかの誰かと二股をかけられる、だなんて、離れ離れの間に浮気をされるよりも、よほど辛いはずだ。理不尽さの度合は、圧倒的に後者に勝る。

 未練はなくとも、しっかり傷ついたはずだ。表に出さなくても、確かに傷はあるし、苦い記憶だろう。

 よく考えもせずに傷を抉えぐるような真似をして、あたしはなんて浅はかなんだろう。

「ほんとにごめんね。話したくなかったでしょ、こんなこと」

 拓弥さんの耳に、あたしは小さく口づけた。お風呂上がりのとてもいい匂いがする。

「ううん。美也子さんが安心してくれるなら、全然平気だよ。やきもち焼くような相手じゃないってわかったでしょ?」

「うん」

「よし。じゃあ、この際だから、きちんとその前のことも言っとくか……って、別に華麗な女性遍歴があるわけでもないんだけどさ」

 拓弥さんは冗談めかしてそんな台詞を続けた。

「まあ、学生のときはそれなりにいろいろあったけど。美也子さんの言葉を借りるなら、全部、思い出フィルターの向こう側だ。しかも、美しく見えるわけじゃなくて、今となっては半ば黒歴史に近い感じだな」

「若気の至り?」

「ひと言で言うと、そうだね。中学、高校と6年間男子校だったからさ、大学入って、まずとりあえず彼女が欲しかったし。でも、すぐに思い知らされてしまったね。ぼくってストライクゾーン、ほんとに狭いんだな、と」

 相変わらず二の腕を弄びながら、拓弥さんはあたしの顔を覗き込んできた。

「だから、正直な話、今も忘れられない、なんて人は誰もいないよ」

 薄茶色の綺麗な二つの瞳が、あたしをじっと見ていた。あたしも真っすぐに見つめ返す。

「もちろん、付き合ってる時は、ちゃんと大事にしてたつもりだけど……好みのど真ん中、って人はいなかったんだ」

 拓弥さんがあたしのほおに触れてくる。

「美也子さんみたいに、話しててもすごく楽しいし、見た目も性格も全部好き、って人は、ひとりもいなかった」

「……ほんとに?」

「うん。初めてなんだよ、だから。こんなに好きになれるひとに会えて、こうして恋人同士になれて、思う存分抱き合えるっていうの。だから、大げさでもなんでもなく、最高なんだよ、美也子さんは」

 彼の唇が、あたしの唇に重なった。

 優しく触れ合うように始まった口づけは、次第に深く大胆になっていった。けれど、さっきと違ってちっとも怖くなんてなかった。好きな人と交わすキスは、どこまでも甘く身体が蕩けそうなほど心地いい。そして、何もかもを重ねて溶け合ってしまいたくて、身体の奥が切なく疼く。

 最高なんだよ、美也子さんは――これまでにも何度か聞かされた言葉だった。

 あるときは冗談めかして。あるときは抱き合っている最中の甘い睦言で。

 嘘じゃない、って、もうちゃんと思えるようになった。

 もちろん、口が上手いこのひとは、あたしを喜ばす術すべを熟知している。でも、心にもない嘘やごまかしをするひとじゃない、とあたしはわかっている。

 どんなに言葉を尽くしても、そこに真実がなければひとの心は動かない。あたしの気持ちがこのひとに向いたのは、その真まことの部分に心動かされたからだ。

 キスをしたまま、キャミワンピの肩ひもがするりとずり下げられていく。カップ付きだから、ブラなしでこれ一枚だけしか身に着けていないのがすぐにばれてしまって、予想を裏切らない反応をされることになった。

「お。この服エロいな……最高」

「拓弥さんの言う最高って、ずいぶん軽いよね」

「そんなことないって。だって、これはやばいでしょ。もろ襲ってください、って服だよね」

 なんて身勝手な解釈なんだか、と呆れそうになるものの、まあ、言いたいことはわからないでもない。

 シャワーの後でわざわざこんなものを身に着けて出てきておいて、そういう意図がゼロだった、なんて、白々しく言うつもりはない。

 はっきり言えば、まあ、可愛がってもらう気満々だった。そもそもあたしは、肉食女子だ。

「ねえ、美也子さん。これ、お願いだから、絶対外に着てかないでね?」

「当然。これ、部屋着だし」

「お。じゃあ、ぼくしか見れないやつ?」

「まあ、そうだね」

「彼氏の特権ってやつか……やばい、テンション上がる」

 荒い息でそんなことを言いながらあたしをベッドに寝かせると、拓弥さんは着ているものをさっと脱いで覆いかぶさってくる。

 するする器用にキャミワンピを剥くようにずり下げ、ぽろりとむき出しになった胸にすぐさま手が伸びてくる。

 いつものようにやわやわと全体を揉みながら、うっとりしたように先端部分にむしゃぶりついてきた。

「あっ……」

 焦らすこともなく、せっかちに唇で挟まれ吸い上げられて、思わず声を上げてしまった。ちゅっ、ちゅっ、と繰り返し舌と唇で弄ばれて、のけ反ってしまう。

 膝丈ワンピースの下には、当然下着しかつけていない。今さらながら無防備なのが恥ずかしくて閉じようとする太腿の間に、拓弥さんの膝が強引に割り込んでくる。

「はぁっ……脱げかけてるのって、エロ過ぎだって」

 ああ、完全にスイッチが入ってしまったらしい。すさまじく嬉しそうに手と唇で胸を弄びながら、膝でぐいぐいと太ももの付け根を刺激してくる。やや乱暴にも思えるその仕草に、すでにじんわり疼いていた身体の奥がさらに熱を帯びて蕩けてしまいそうだ。

 片方の手がするりと脇腹を滑って、ワンピースの裾をたくし上げる。太腿を何度も何度も上下していいだけ撫でまわしてから、下着のクロッチ部分に触れてくる。指で割れ目をなぞるようにくるくる刺激されて、身体がびくっと撓る。

「やっ……」

「ふっ……もう濡れてる」

 嬉しそうにつぶやいて、すぐさま下着がずり下げられた。待ちかねたように指が潜り込んできて、今度は直じかにそこに触れてきた。くちゅっ、くちゅっ、と浅く入り口を弄ぶように指で擦られて、当然あたしは喘いでしまった。

「あぁっ……んっ」

「かわいい声……ね、もっと聞かせて?」

 躊躇する様子もなく、そのまま指がぐっと根元まで差し込まれる。突然の刺激に、まさに拓弥さんの望みどおり、いやらしい声が出てしまう。恥ずかしくて我慢しようとすると、さらにもう一本奥まで指が入ってくる。

 くちゅっ、くちゅっ、っと恥ずかしい音を立てて二本の指が抜き差しされる。

 気持ちいいけど、もどかしい――なんて思っていたら、ずるりと引きぬかれそうになるタイミングで指が折り曲げられて、そのまま、ぐいっ、お腹の方へと内側から刺激された。

 明らかに、ある一点を狙って折り曲げられた指が押し付けられていた。 

 ぎゅっ、ぎゅっ、とその場所を刺激されるたびに、心地よさと、得体の知れない怖さが入り混じった妙な感覚に襲われた。

 え、何、これ――?

 比較的浅い部分なのに、これって――?

 なんか変、と、思う間もなく、ふわっと浮くような不思議な感覚が広がった。少し遅れて、全身を蕩かすようにどろっと快感が押し寄せる。

「んんっ……あぁっ」

 ぶるっ、とわけもわからず身体が震えた。ぼんやりする意識の遠くで、同じ問いがまた浮かぶ。

 何、これ? わけがわからない。なのに、死ぬほど気持ちいい。

 しかも、わかりやすくびりっと瞬間的に走り抜ける快感ではなく、どろりと沈んでいくような、じわじわ続く心地よさだった。

 半ば放心していると、拓弥さんの唇が胸からおへそ、お腹の辺りを滑ってきた。

「ねえ、ここでイクの初めて?」

 ここ、って――この浅い部分、なんとなく気持ちいいのは知っていたけれど、今みたいにピンポイントで攻められたのは初めてだった。

「気持ちよかった?」

 まだぼんやりして、張子の虎のようにうなずくことしかできない。拓弥さんはやけに嬉しそうに、ふっ、と笑みを漏らしてあたしの太腿にちゅっとキスをした。

「素直でかわいい」

 中途半端に引っかかっていた下着がするりと取り去られた。焦る間もなく、ぐいっ、と脚を開かされて、上り詰めたばかりのそこに今度は舌が触れてくる。

 ねっとり焦らすように入口を柔らかく舐められて、あっ、と声が出てしまう。

「やっ……だ、だめっ」

「嘘はだめだよ、美也子さん」

「ほ、ほんとにだめ……あぁっ」

 今度は前の蕾の部分を舌先でつつかれて、脚がびくっと勝手に震えてしまう。

「いい反応。ね、いいよ、我慢しないで……」

 ぬるっ、と舌が差し込まれて中をかき回してくる。さっきの余韻と相まって、またしても首筋から頭の後ろにかけてぞくっと痺れるような感覚に襲われる。

「あぁぁっ……」

 喘ぎながらも、ぺちゃっ、ぺちゃっ、と濡れた粘膜を舐ねぶる音がしっかり耳に入ってくる。わざと音を立てているとわかるだけに、腹立たしい。それなのに、気持ちがよくておかしくなりそうだった。

 ずるっと舌を引き抜かれて、今度は指が入ってくる。さんざん舌でどろどろになるまで弄ばれたところに、ぐっと奥深くまで差し込まれ、しかもおへその下辺りのお腹部分を、もう片方の手のひらできゅっと押えつけられた。唐突に外部から加えられた圧で、のけ反った瞬間に喉がひゅっと笛のように鳴る。

 怖い、と思った。気持ちよすぎて、おかしくなりそう。

「これっ……やっ……」

 思わず手を伸ばして拓弥さんの髪に触れた。まるでそれが合図みたいに、今度はちゅるっと蕾を吸われ、はしたなく喘いでしまう。

「いやぁぁっ……」

 ぐちゅっ、ぐちゅっ、と指で執拗に中を擦られる。相変わらずお腹を圧迫されているから、中が狭くなって余計に辛かった。むき出しの神経を弄ばれている気分だった。すごく気持ちがよくて、怖くて、ひたすらばかみたいに首を振りながら、あたしは声を上げていた。

「もっ……いやぁぁっ……あっ……あっ……」

「かわいい……やばいくらい、かわいい」

 荒い息混じりにつぶやく拓弥さんの声を遠く感じながら、びくっ、びくっとあたしは一際大きくのけ反った。


 はぁ、はぁ、と浅く息をしながらあたしはぐったりしていた。もつれた糸がぐちゃぐちゃに頭の中で絡まり合っている。

 一体、なんだろう、これ。

 昨日の夜も、今朝も、抱かれて何度も何度も上り詰めたけれど、こんなふうにわけのわからない快感に襲われて途方に暮れたのは初めてだった。

 しかも、さんざん気持ちよくなっておきながら、もどかしくてたまらない。

 もっと、もっと、もっとほしい。

 あたしの身体ははしたなく求めていた。

 いったんあたしから離れていった拓弥さんが戻ってきて、そっとあたしの頭を撫でてくれる。

「ねえ……なんかさ、すっごく敏感になってない?」

「ん……変な気分。どうしちゃったんだろ、あたし」

「やばい。めちゃくちゃかわいい……」

 嬉しそうにつぶやいてあたしに覆いかぶさってきて、耳元で囁いた。

「さっき目隠ししたとき、実は興奮してたでしょ?」

「……してないし」

 きゅっとほっぺをつねってやった。

「怖かったよ、むしろ」

「ぼくが?」

「うん……」

 ちゅるっとあたしの耳朶を食みながら、拗ねたような声が注ぎ込まれる。

「ごめんね。でも、ぼくのことだけ考えてほしかったから」

「考えてるよ?」

 両手を伸ばして、あたしはそっと拓弥さんのほおに触れた。

「好き……」

「お。もう一回言って?」

「大好き」

「もう一回」

 とても嬉しそうな、でもほんの少しだけ切なげな声。

 こうやって冗談にしてしまいながらも、このひと、実は本気で言ってほしがっている。

 それがわかると、愛おしさのあまり身体の芯がとろりとほどけて形を失いそうだった。

「大好き……だから、お願い、早く」

 あなたがほしい――

 唐突にキスが落ちてくる。きつく角度をつけて奥の奥まで舌で犯されて、言葉の続きごと吸われて飲み込まれるような口づけだった。夢中で応えていると、一瞬だけ唇が離れた隙に、吐息交じりに拓弥さんが言った。

 愛してる、美也子さん、と。

「あたしも……」

 うん、わかってるよ、とでも言うように再び唇を塞がれる。

 ちゅっ、ちゅっ、と上唇と下唇を交互に食みながら、拓弥さんは切羽詰まったように荒く息を吐く。

「もう我慢できないや……ごめん、このまま挿れるね」

 キャミワンピが中途半端にはだけた格好のまま、抱き起された。ベッドの上で座る拓弥さんの膝に、脚を開いた格好で跨らされる。恥ずかしい恰好なのに、今はただ、拓弥さんがほしくてたまらなかった。

 指で入り口を探られて、あんっ、といやらしい声が漏れてしまう。

「エロいって、その声」

「ばか」

「すごい、とろっとろ……」

 くちゅ、くちゅっ、っとほぐすように指で擦られて、軽くイキそうになってしまう。だめだ、こんな少しの刺激でも、今のあたしにはひとたまりもない。

 蕾をくるくるなでられてびくっと身体が撓る。のけ反りそうになっていると、腰を両手で掴まれて持ち上げられ、硬い先端が押し当てられる。両足の爪先にほんの少し体重を預けて身体を浮かせていると、蜜を塗り付けるように何度かゆるゆると入り口を往復するのがわかる。浅く呼吸を繰り返してもどかしさを逃がしていると、ずぶりとそのままあたし中に熱い塊がねじ込まれていった。

「あぁっ……んんっ……」

 たっぷり濡れているはずなのに、それでもやっぱり苦しい。すごい圧迫感だった。中の粘膜が捲れあがって、めりめり奥へとこじ開けられていくのをはっきり感じる。自分の重みでこうして拓弥さんを飲み込んでいるというのがなんとも恥ずかしくて、それなのにどうしようもないほど興奮する。

「中、あったかくて気持ちいい……すごく」

 はぁ、はぁ、と荒い息混じりに言って、拓弥さんはあたしをぎゅっと抱きしめた。はだけたワンピースから零れた胸にちゅっと口づけてから、唇を首元へ、顎へ、それからあたしの唇へと滑らせる。

 ちゅっ、ちゅっ、とついばむようにキスをしながら、肩から腕へ、胸へ、そして腰へと、今度は手が滑り下りてきた。ぎゅっと両手でウエストを掴んで、あたしを揺さぶり始める。

 同時に、ぐっ、ぐっ、と下から突き上げられて、あたしはなすすべもなく拓弥さんにしがみついた。

「ね、美也子さんも動いて……」

 うっとり悩まし気に囁かれる。言われた通り、あたしも動き始めた。最初はゆっくり、拓弥さんの動きに合わせて動く。ぐちゅっ、ぐちゅっ、っとはっきりいやらしい音がするのに煽られて、羞恥と興奮でだんだんわけがわからなくなってきた。

 相変わらずの圧迫感に、めまいがする。くらくらして、頭の中がぐちゃぐちゃになっている。ねじ込まれた先端が奥深いところに触れて、ごりっ、と音を立てて中が抉られるのを遠く感じる。

 動くたびにその部分にあたって、暴力的なまでの快感が背筋から脳天まで一気に駆け上がっていく。あっ、あっ、と小さく喘いでいると、拓弥さんの手のひらが再びおへその下あたりをぎゅうっと押してくる。

「いやぁぁっ……それ、いやぁぁ」

「嘘……嫌じゃないよね……」

 一際激しく揺さぶられて、あたしはのけ反った。するりと腕が解けて、ベッドに仰向けに倒れそうになったところで、ぐいっと拓弥さんに引き戻される。

「手、突いて。後ろに」

 のけ反った姿勢のまま、両手をベッドに突かされる。拓弥さんに跨ったまま、胸を突き出してあられもない恰好であたしは喘いだ。

「あぁぁっ……だ、だめぇっ……」

 下から突き上げられ、揺さぶられ、手でお腹を押しつぶされて、狭くなった中がひくひく動いでいるのが自分でもわかった。

 怖い。気持ちよすぎて、あたし、どうにかなってしまう。

 それなのに、身体が勝手に動いてしまう。ウエストを掴んで揺さぶってくる拓弥さんの動きに合わせて、嫌らしく腰をくねらせるあたしは、なんてはしたないのだろう。

「いいね……すごくエロい。やばい……かわいい」

 嬉しそうに目を細めてじっと見つめてくる拓弥さんの視線に晒され、このまま溶けてしまいそうだった。

「あっ……あぁっ……」

 さっきから何度も押し寄せる波に飲みこまれそうになる。快感をどうにか逃がそうと浅く吐く息も、もう、持ちそうにない。

「いっ……」

「……イキそう?」

「んっ……んっ」

 ぐっ、と身体を傾けて拓弥さんがあたしを押し倒す。太腿を胸の前で抱え込んだまま容赦なく腰を進め、奥の奥まで押し込まれた。

「あぁぁぁっ」

 目の奥で火花が散った。びりっ、と爪先まで電気が走ったように快感が走り抜ける。中がぎゅうっ、と収縮するのが自分でもはっきりわかった。

「うっ……やばいって、美也子さん、それ……」

 呻くような声のあと、拓弥さんはことさらめちゃくちゃにあたしの身体を突き上げた。ずんっ、ずんっ、とものすごい圧がかかって、息ができなくなりそうだった。

 イッたばかりでそんなふうにされて、あたしはなすすべもない。

 あっ、あっ、とだらしなく喘ぎながら、動きにただただ翻弄されるだけだった。

 どのくらいそんなふうにされていたのか、わからない。とうとう限界を超えたのか、そのまま、ぷつっ、とあたしの意識は途切れた。

 すうっとどこまでもどこまでも堕ちていくような感覚――覚えているのはそれだけだった。


 どうやら、あたしは気絶してしまったらしい。といっても、ほんの数分程度だったらしいけれど。

 さすがの拓弥さんもちょっと焦ったらしく、あたしの肩を揺さぶったり、耳元で呼びかけたり、二の腕やふくらはぎを揉んだりして、意識を戻そうとしたみたいだけれど――

「っていうか、最後のは余計だよね? なんで、二の腕とふくらはぎを揉むわけ?」

「えーと。くすぐったいから、気が付くかな、と思って」

「完全に好き放題しただけでしょ。気絶してるのいいことに」

 睨んでやったのに、ちっとも悪びれた様子はなかった。

「美也子さんの身体で好きなところベスト5のうち、勝手に触って許されそうなところを厳選した、っていうか」

「……もはや完全に変態だね」

 あとの3つはあえて聞きたいとも思わないから、ぷいっと拓弥さんに背中を向けてやった。はあ、とため息が漏れる。

「……もう、死ぬかと思った」

「そんなに気持ちよかった?」

 やたらと嬉しそうに、拓弥さんは後ろからぎゅっと抱きしめてきた。

「なんかね、最初から変だったの……」

「最初って? 」

「向こうの部屋からここに連れてこられて、キスしたでしょ? 立ったままで」

 ふっ、と耳元で笑う気配がした。

「なんだ。美也子さん、ああいうの好きなの?」

「べ、別に好きじゃないし」

「いいよ、またしてあげる。ぼくも嫌いじゃないし。というか、SかMかでいうと、ぼくはどっちかというと……」

「ちょっと! そういうの、いいって!」

 くるっと向き直って、再び正面から睨んでやった。なのに、くすくす笑いながら、拓弥さんはあたしのおでこにちゅっと短く口づけた。

 打って変わって、静かな声が降ってくる。

「……本気でああいうのは、もうしないよ。ちゃんとぼくだけのこと考えてくれてるってわかったから、もうしない」

「本気じゃないのは、するってこと?」

「うーん。そういう気分になったら、するかも」

「そういう気分ってどんな気分なのよ?」

「内緒」

 なにそれ、と呆れそうになっていたら、唇が重なった。誤魔化さないで、と文句を言う気があっさり削がれるような、とても優しい口づけだった。

「どうする? 今日はもう寝ちゃう?」

「えー。うーんと可愛がってくれるんじゃなかったの?」

 あたしの言葉に、拓弥さんは目を丸くした。

「お。やる気満々だね」

「だよ? 肉食女子だし」

「平気? さっき気絶したのに」

「誰のせいよ?」

「すいません、ぼくのせいです」

 あはは、と思わず笑ってしまうと、拓弥さんも同じくすごく可笑しそうにひとしきり笑ってから、静かに言った。

「今度は、ちゃんと優しくするよ」

「うん」

「まあ、ぼくの好きにするけどね」

「いいよ、好きにして」

「お。もう一回言って?」

 やっぱり嬉しそうな拓弥さんのほおを、あたしは両手でそっと挟んだ。

「好きにしていいよ。うーんと可愛がってくれるなら」

「もちろん。持てる技巧と体力の限りを尽くして」

 なにそれ――と呆れそうになっていると、ふっ、と拓弥さんが優しく微笑んだ。愛してる、美也子さん、と。

「あたしも。拓弥さん、愛してる」

 目を閉じると、ほどなく唇が重なった。幸せな時間の始まりを告げる優しい口づけにうっとりしながら、あたしは再び心の中でつぶやいた。

 愛してる、と。

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