the world of 便器

相間 暖人

the world of 便器

俺はトイレに行く頻度が多いかもしれない。


アパートで一人暮らししている事もあり、誰にも監視されていないせいかここの所、生活習慣が乱れてきている。


好きな時に食べ、好きな時に寝て、好きな時にトイレに行く。


在宅ワークで安定的な収入を得る事に成功した俺は周りから羨ましがられるような生活をしているのかもしれない。


しかし、初めの方は上司部下同僚などと関わらなくて良いし気楽だと思えていたが、この生活が長く続くとどうにも落ち着かない事がある。


誰にも注意されなくなった寝起きの髪型に伸び放題の髭。


誰にも笑われなくなったビールっ腹。


誰とも笑いあわなくなった自分の顔。


ゆっくりっゆっくり怠惰はせまってくる。




ある日を境に俺は、このままでは外に出た時に変わり果てた自分と周りとのギャップで大変な事になるぞと思うようになった。


ただ、そこでも思うだけで特に何か行動するわけでもなかったのだが。


そして俺は思考を巡らせると簡単にこの落ち着かない気持ちや不安を解消する方法を思いついたのだ。




それは成長する事だ。




成長とは大雑把な説明だが、俺は筋トレなんかは3日坊主だと自分でわかっている。ストレッチも好きだが夜の晩酌で酔いつぶれた時にはどうもやる事ができなくなっている。


それなら、1日1つ学ぶというルールを決めて、自分の知識の引き出しを増やそうじゃないか、俺はそう考えた。




一日目、インターネットで「雑学」と検索する。直ぐに無数の雑学が表示される。


1個目、地球の重さは毎年約5万トンずつ軽くなっていると言われている。


1日1つと決めたんだ。俺はその雑学を読んで「へぇ~。」とだけ心に思ってから検索サイトを閉じた。




二日目、再びインターネットで「雑学」と検索する。直ぐに無数の雑学が表示される。


マメ知識の由来はうんちくをたくさん語っていた人のテーマが「豆」についてだから。


それを見た瞬間、俺は飽きた。


そもそも1日1つという設定が間違っていたのかもしれないが今の時代、雑学なんかはインターネットで検索したら直ぐに出てくるものだ。そんな希少性を感じない知識に俺はとてもじゃないが価値を感じる事ができなかった。


そして、絶望した俺はトイレへ行き、小便をする為に便座を上げる。




おや?




水が流れ切っていない。詰まってるじゃないか。


我が家にはスッポンがない。滅多に使う機会のないあの道具をトイレに常設しておくのが俺としては嫌だった為だ。下手したら一度も使う事なくトイレの中に眠る可能性もある。


俺は尿意が我慢できなくて仕方なく詰まった状態のトイレで用をたす。


そして水を流すとなんとかだが水がゆっくり引いているようだ。


その事に安堵した俺は何回か流せば詰まりも取れるだろうと思い、水を流しては一定の所まで水が引くのを確認してまた水を流すという事を繰り返す。


しかし、結果は惨敗だ。


畜生、厄介な詰まりめ!


何が詰まっているかはあまり想像したくないが、一人暮らしである為、自分の身体から排出されてる物という事だけが不幸中の幸いだった。他人のだったら余計に嫌な気持ちになってしまう。




一旦、落ち着こうと思った俺は思いつく。


インターネットで詰まりの取り方を調べれば出てくるのでは。


その予想は大的中で流石、人類の歴史は伊達じゃない。


スッポンを買うのさえ躊躇した俺だが、「トイレ スッポンがない」と検索しただけでいくつかの解決方法を提案してくれる。


それを見てどんだけの家庭がスッポンない状態でトイレを詰まらせてるんだよと少し笑いたくもなった。


早速俺はペットボトルを切ってから蓋をした状態でズポズポすると詰まりがとれるという方法を試してみた。


トイレの水が手にべたべたに付くがこの際仕方がない。




「がぽっがぽっ、がぽっがぽっ、ずりっ、がぽっがぽっ」




「ずずずりゅりゅーー♪」




何の事はない、あっという間に詰まりが取れてしまった。


気持ち良く水が便器の奥に流し込まれるのを見ると俺の気分は高揚した。


そして、間違った判断をしてしまったのだ。


何事も実体験で学んだ事のほうが為になるよな。うん。


この便器の奥ってどうなってるんだろう、さっきまでペットボトルを突っ込んでいた感じ、一度上に上がっている感じがしたけど。


変な所で知的好奇心が沸いてしまった。いや、「知的」さは実際ないのだが。


俺は右手を滑り込ませる。案の定上だな。その上がどこまで伸びているのかが手触りで確認してみたくなる。


あっ、何か上から下に降りてるような感覚がある。どれどれー?どんな感じなんだい?俺の便器ちゃん!!♪


上から下へ降りる動線、俺はただそれがそこにあるのを確認したら直ぐにでも撤退するつもりだったんだ。


しかし、時すでに遅し。俺の右手はその境目であらぬ方へ向いてしまったようだ。そして、最悪な事に無理な態勢でいれていたせいだろう、右肩まで痛めたようだ、初めての感覚だからわからなかったが外れていたのだろう。


激しい痛みに涙と同時に鼻水まで噴き出してしまった。


俺の頭は瞬時にこの状況を整理する事ができなかったのだろう、左手でトイレットペーパーを引っ張ると自分の鼻水を拭う俺。




しばらく痛みが治まるのを待つとようやく頭が回り出す。


「右手がトイレに詰まった。」


真っ先に頭に浮かんだのはこの馬鹿らしい一言だった。


右手をトイレに詰まらせる人間なんてこの世にいたのだろうか、俺は誰も見ていないいつもと変わらない孤独の中で一人顔を赤くしていただろう。


そして、どうやってこの情けない状況を打破するかを考えた。


そうだ、インターネットで調べたら出てくるんじゃ?俺に一つの希望が見えたがそれは叶わぬ願いだと思い知る。


パソコンはリビングだ。そうだ、スマホなら、と思ったがそれもリビングだ。一人暮らしの人間がスマホをトイレに持ち込む時なんて大きい方を長々とする時くらいなものだ。


俺は悲しみに打ちひしがれる、そして定期的に襲ってくる激痛。


どうする俺?どうする俺?どうする俺?どうする俺?


自問自答を繰り返していると痛みが和らいでいくのに気づく。


激しく他事を考えてるお陰で痛みを感じる脳が麻痺しているんだ、ありがとう、俺の馬鹿な脳。


そして俺は考えた。


どうする俺?どうする俺?どうする俺?どうする俺?どうする俺?………。




どう考えても、「右手がトイレに詰まった。」状況なんて俺一人ではどうにもできやしなかった。


独立して、家で悠々と他人の目など気にせずに仕事をして好きな事をしていた俺はこんな便器の奥がどうなっているかが気になるという事で人生最大のピンチを迎える事になってしまった。


考える事を止めたらもう限界だった。


脳は痛みを更に俺自身に味合わせてきやがる。




「…す…ぇ…くださぃ。」




声を出したのは何日ぶりだっただろう、俺の声は依然より小さくなっている事に気付く。それでも俺は叫ぶしかなかった。




「…すけて…くださぃ。」




「たすけてください!」




「たすけてくださいっ!!」




「たすけてくださいっ!!」




「たすけて!!たすけて!!たすけてっ!!」




俺は永遠とも感じる時間、助けを求めた。




トイレにいるせいで時間の感覚もわからない。




もう助けを呼ぶ声を出すのも疲れていた。


一休みしては叫ぶ俺、何回繰り返したのだろうか。








そして、ついにその時がきた。


幸いにも玄関の前を通る時と俺の助けを求める声が被ったのだろう。




「ドンッドンッ!!大丈夫ですか?何かありましたか?」




と玄関の扉を叩く音が聞こえる。




「大丈夫ですよ?どうしましたか?」




男性の声だったがその気遣いがとても嬉しかった、きっと優しいお方なのだろう。


そして、俺は叫ぶ。




「助けてください!右手が便器に詰まりました!」




…………。




全ての音が消えた気がした。


そして俺の自尊心も消えた気がした。




少しの沈黙の後に、男性から大家さんとレスキュー呼んできますという声がした。








しばらく待つと大家さんのマスターキーで玄関扉を開けたのだろう、何人もの人間が家に入ってくる音がする。


俺の一人だけのパラダイス。そこはありとあらゆるゴミや服が散らかっておりとても綺麗といえる用な場所ではなかった。




「大丈夫ですかー?返事をして下さいー?」


レスキュー隊がいるのだろう、大声を上げながら近づいてくる。




そして、皆がトイレに辿り着くとこの状況を見て言葉を失う。


俺は便器に頭突っ込んでるんじゃないかというくらいに頭を垂れながら、渋々事の経緯を説明した。


皆の表情がどうなっているかなんて確認したくなかった。


何かを押し殺した声で俺を救おうと話しかけてくれるレスキュー隊。流石プロだ。


救出方法として、かなりの痛みを伴うが無理矢理身体を引っ張ってみるか、便器を破壊して救出するかの2択を迫られたが俺は便器の破壊を選んだ。多額の請求がくるのはわかっていたがこの憎き便器を亡き者にできるならそれでいい。


あと、3個目の選択肢としてそこの蛇口を捻って俺を便器に流して欲しい、そう思っていた。




その後は痛みを伴いながらも俺は便器から解放されてレスキュー隊の車に乗り込むと病院へ搬送される。


玄関から出る頃には大勢のギャラリーができており、俺はただ顔を伏せるしかなかった。


近所付き合いなどほぼ皆無だが、今後、「便器に右手を詰まらせた男」として噂になる事を想像したら引っ越しという決断をするのは直ぐだった。




俺は搬送中の車で思う。


好奇心とは素晴らしい物だ、新たな発見を生み出すのはこの好奇心があってのものだ。


しかし、忘れてはいけない。新しい事を知るには過去の知識や発明を使う事、何があっても助かる準備が必要な事、その為には普段から人とコミュニケーションをする事。




寝ぐせボサボサ、髭は伸び放題、3日何も食べなくても治らないビールっ腹の俺は心に決めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

the world of 便器 相間 暖人 @haruto19

作家にギフトを贈る

カクヨムサポーターズパスポートに登録すると、作家にギフトを贈れるようになります。

ギフトを贈って最初のサポーターになりませんか?

ギフトを贈ると限定コンテンツを閲覧できます。作家の創作活動を支援しましょう。

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ