二人のはじまり

 



 恋をすると女性は綺麗になるという。では、男性はどうだろう。

「推せるってさ」

 目の前の横顔に聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟くと、水上が私を見た。

「なにそれ」

 聞こえてた。

 解きかけの問題に目を落とす。

 「推せる」と言っていたのは三組の吉田で、「推せる」のは私の前の席にいる水上わたるのことらしい。

 推せるってなんだろう。応援する。勧める。好き。この場合は。

「好感が持てる?」

「……いい意味?」

「悪くはないと思う」

「ふーん」

 水上は興味なさそうな返事をすると、再び視線を廊下の方へと移した。

 火曜日、二限目と三限目の間の休み時間のことだ。



「水上っていいよね」

 部活でそんな会話が聞こえてきたのは最近のこと。

「誰?」

「剣道部の渡辺と仲良い人」

「さくちゃん、同じクラスでしょ」

「うん」

 同じクラス。ついでに言うと前の席。

「付き合ってる人いないよね」

「たぶん」

「好きな人いるのかな~」

 それは……。口を開きかけて、飲み込む。代わりに吉田に問いかける。

「好きなの?」

「好きというより、推せる」

 推せるって、なんだ。



「水上は好きな人いるの?」

「いるよ」

 案外さらりと答えたので拍子抜けする。

「渡辺と陽太、それから家で飼ってる」

「もういいよ」

 わかっているのか、いないのか。言葉よりも顔のほうが正直なこともある。

「好きっていろいろあるよな」

 いろいろある。もしかしたら推しも、いろいろあるのかもしれない。

 ともかく、最近の水上には人を惹きつけるなにかがあるらしい。

「桜井、あの先輩って陸上部?」

 誰のことを言っているのか、わざわざ見なくてもわかった。

 火曜日、二限目と三限目の間の休み時間。なみ先輩が移動教室で、私たちの教室の前の廊下を通る時間。

「なみ先輩、好きな人いるよ」

「そう、なんだ」

 わかりやすく肩を落とす。

「りっくんって人」

「三年生?」

「アイドル」

 推している、応援している、好き。嘘ではない。

「水上はりっくんに似てるって。あゆ先輩が言ってた」

「……誰?」

「陸部の先輩。なみ先輩の親友」

「へー」

 先輩はもうすぐ卒業する。もしなにも変わらなければ、それで終わる。

「あのさ、例えばだけど、見た目って付き合う理由になる?」

 推しがいるってどんな感じなのだろう。推しに似ているって、どんな気持ちなのだろう。

「人によるけど、恋人に好みの容姿を望む人は少なくない」

「ふーん」

 少し前と同じ返事。けれど、全く違うように聞こえた。

 

 




 卒業式のあと、なみ先輩と水上を見かけた。

 差し出された水上の手を、なみ先輩が両手で包み込む。

 まだ少し肌寒い空気の中で、二人の周りだけ春が来たようだった。

 

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彼女の推しは同級生 降矢あめ @rainsumika

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