第22話 無我境界への潜入③

「私……?」

 自分がなるべくネモフィラの花を踏まないようにとそろりそろりと歩いている姿がくっきりと映し出された。ほぼ同時に音声も響いてくる。

『これが……無我境界、なんですか?』

『まぁな。とはいえ、そこはまだ入り口だ。ゲームで言うとメニュー画面とかシステム画面みたいな場所だな。安全、安心、好きな景色を投影できる遊び場だ。……しかし、初回の境界像がネモフィラ畑ってなんなんだ? まぁ地に足が着いてて結構だが。青も安定を示す良い色だ。でもなぁ、この光景はさすがに雑味が無さすぎないか? こんな整地された精神があるか? うーん、まぁあるかもな、人間って腐るほどいるし』

 ごちゃごちゃ言っているヴェリタスに困惑しつつ、映像のデュノアは尋ねる。

『どうしたらいいんでしょう、私は』

『今回はひとまず適正検査だけだ。とりあえず、走ってみろ。全力で、息つきて走れなくなるまで。はい、GO! いけいけいけ!』

 映像のデュノアは『え、ええ!?』と言いつつ、走り出した。客観的に自分が全力疾走しているところを見ると何か面はゆい感情が沸き上がった。フォームが乱れているというか、走り方がうまくないのが素人目にもよくわかる。実際、スピードはそう速くない。ネモフィラを踏みしめ、蹴り飛ばしながら、限りのなく青い空間を疾駆する自分自身の映像を実に10分も見続けた。デュノアが痺れを切らすのと、映像のデュノアが泣き言を言うのがほぼ同時で、やはり自分自身なのだなぁ、と他人事のように思う。

『あの、これ、全然疲れないんですけど、いつまでやればいいですかね?』

『うーん。本当はやれる限りやってほしいところだが……。これだけ走れるなら十分か。花丸やるよ、止まっていいぜ』

 映像のデュノアは「ふぅ」と一息ついたものの、一切呼吸の乱れがなく、汗ひとつかいていなかった。間違いなく可能な限りの全力疾走をしたにも関わらず、だ。

『これはもしかして、精神の枷のようなものを測っていたんですか? 思い込みによって、本来感じないはずの疲労を感じるかどうか、みたいな』

 ヴェリタスの深いため息が聞こえる。

『話が早すぎる。ちょっとは説明させろよ。まぁ実際そうだ。そこは精神世界、夢の中みたいなもんだからな。疲れないし、痛みもない。だが、大半の人間は現実に沿った疲労や痛みを幻視する。教えられもしねぇで、いきなり限界なく走れちまうってのもやや問題があるが、こっちにとっては好都合。前向きにいこうや』

『はは……。ご満足いただけたなら何よりですよ。次はどうしますか?』

『本当なら飛んだり跳ねたり転んだりして適正検査を続けてもらう予定だったが……。基礎は吹っ飛ばして応用問題いくか』

 言葉と同時にネモフィラ畑には似ても似つかない二足歩行の狼の群れが現れた。人狼、というやつだろう。獰猛なアンバーの瞳には爛々とした殺意が宿っており、どう考えても和平交渉は不可能そうだ。「珍しく調子に乗っちゃってすみませんでした!」と私なら思っただろうなぁ、とデュノアが考えていると、その通りの音声が響く。

『わ、私もちょっと調子に乗ってしまったところはありましたが! ありましたが、こんな目に合わせます!?』

『簡単にクリアされたら悔しいだろ?』

『ウワーッ!!!!!!!』

 客観的に聞けばコミカルな会話だが、視界に写るのは酸鼻きわまる光景だった。映像のデュノアは一目散に逃げだしたが、人狼が投擲した槍やらナイフやらに貫かれてネモフィラに沈むことになった。そして悠々と追いついてきた人狼は持っている武器でザクザクとデュノアを細切れにしていく。青に赤をすりつけるのが目的のように、飽きることなく、ざくざく、ぶしゅぶしゅと嫌な音が続く。

『あの、これ、いつまで続きます!?』

『ほぉー。声帯が壊れても声を出せるか。さすがだな』

『お褒めに預かり光栄です。……痛くはないんですよ? 痛くない癖に何故か内臓がちぎれる感触はあるんですよ、なんですかこれ』

『オメーの想像の産物だな』

『そうでしょうけども! ……あっあっああぁぁぁぁ! た、食べないで、舌、舌舌が、ああああ、もう全身バラバラなのに、どうして咀嚼されてる感触があるんだぁぁああ!?』

『おぉ。なかなかのスナッフビデオになってきたな。そのまま頼む』

『食べられてるのに意識があるって嫌だなぁぁぁぁぁ!』

 残酷描写はそのまま続き、デュノアの悲しき被食レポも続いた。おそらく喋っていないと狂いそうな心境なのだろうなぁ、とやけに冷静に思いながら見つめていると、やがて映像のデュノアは窮状を打開する天啓を得たらしく大声で叫んだ。

『あぁ、そうか! 意識を切ればいい! なんで気づかなかったんだろう!』

 そうしてネモフィラ畑が暗転した。どうやら録画映像はこれで終わりらしく、筐体のドアが開いた。すぐに出る気にならず、大きく嘆息してしまう。

「な、向いてるだろ。……スナッフビデオ」

 これは現実のヴェリタスの台詞だ。デュノアにはツッコむ気力もなく、「そうかも……」と小さく呟く。実際、食道の柔らかさや胃酸に溶かされる感覚等のレポートは見事だった。自分の嫌な才能を知ってしまい、シンプルに落ち込んでいる。

「いや、今のは冗談で……やりすぎたか? ……やりすぎたな」

 ヴェリタスはあれだけの目に合わせておいて今更バツが悪くなったらしい。頭をガリガリとかいている。

「悪かった。謝る。ごめん」

「……」

「ちゃんと贖うって! めちゃくちゃ美味いパフェ奢ってやる!」

「……」

「肉の方がいいか!? シモシモのフリフリでいくか!?」

「……あの」

「温泉! 温泉もつける! ……ん?」

「チョコレートプリンパフェをバケツで。……じゃなくて。最後の人狼の設問は『意識を切る』ことを教えるためだったんですか? いささか迂遠すぎる気がして」

 ヴェリタスはキョトンと目を瞬かせた。

「いや? 武器なり何なり出力してバトって欲しかったんだが、あぁなっちまって。本来はむしろバトルの方が得意そうなパラメータなんだがな」

 なるほど、とデュノアは無言で納得した。脅威を前にして逃げることしか考えられなかったが、痛くも痒くもないのなら立ち向かえばよかったのだ。どうしてそれが思いつかなかったのか。やはり動揺するとダメだな、と真っ当な自己評価をくだすと、筐体から出た。

 1時間ほど座りっぱなしだったため少し身体がこわばっている。背筋を伸ばしてほぐしながら、傍らのヴェリタスに言う。

「じゃあ、行きましょうか。パフェと肉と温泉に」


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