第21話 無我境界への潜入②
一人で納得していると、ヴェリタスから声がかかった。
「オーケーオーケー。実践開始だな。じゃ、まずは注水するぜ」
「注水……え、注水!?」
疑問をさし挟む猶予もなく、足元からジャバジャバと水があふれ出してきた。靴底を濡らす感触にたたらを踏んでしまう。
「な、なな、なんでですか!? み、水責め!?」
凄まじい勢いで足元からせりあがって来る液体にすっかり正体をなくしたデュノアが悲鳴に近い声で尋ねると、ヴェリタスから極めて平静な声が返ってくる。
「それは液体コンピューターと液体術式、生理食塩水にその他諸々の混合液。毒性はないから飲んでも問題ない。まぁでもあんま飲むなよ。呼吸は出来るから気体と同じ要領で鼻から吸え。鼻うがいしたことあるか? ああいう感じで」
正直それどころではなかった。耳では聞こえているが脳が理解するに至らない。脳は「溺れる! 助けて!」以外の情報を発信出来ない状況にある。ヴェリタスが「おいおい、さっき身命を捧げるって言ってただろ。まぁ仕方ねぇか。初回は慌てるわな」とのんきに言っているが、怒りさえ湧かない。
わーわー言っているうちについに水面が頭部を超え、筐体内部が液体に満たされた。目を瞑ってぐっと息をこらえていてもほんの数十秒で限界はやってくる。ヴェリタスの言葉を信じるにしても、鼻で液体を吸って肺にいれるという行為には抵抗があった。鼻うがいの経験がないデュノアにとって、鼻の粘膜に水が入るのはツンとした痛みに襲われることに他ならない。数十秒の抵抗くらいは許してほしいものだ。
人生の潜水記録を大幅に更新したところでデュノアはついに耐えきれず、肺を開け放った。途端に口、鼻、気管、肺に液体が押し寄せる不気味な感覚に支配される。
「……あれ」
液体を吸うのは奇妙な感覚ではあったが、肺いっぱいに液体で満たされてしまうと、通常の呼吸と大差ない感覚で酸素を得ることできた。息を止めていた反動でしばらく肩で息をしていたが、痛くも痒くもない。気づくと目も見開いていたが、屈折率の歪んだ水中の光景とは思えない鮮明さだった。いや、むしろ眼鏡で1.5に視力矯正している視界よりクリアかもしれない。おそらくは液体コンピューターやら、液体術式やらの効果なのだろう。
「落ち着いたか?」
「えぇ、まぁ……。ですが、こういうことは事前に説明が欲しかったですね」
「あ? 言ったじゃん。水被る前に」
「あれは説明とは言いませんよ」
「……まぁいいだろ。結果は変わんねぇんだ」
あまり良くはないし、釈然としないが問答を重ねても無駄であろうことは容易に察せられたため話を進める。
「私は何をすれば?」
「視界が切り替わるのを待て」
彼女の言葉と共に視界が暗転し、自分の掌さえ見えない暗黒に包まれた。そのまま、10秒、20秒と待っても視界が切り替わる様子はない。さすがに心細くなってきてヴェリタスに声をかけようかと思ったとき。
「お疲れ。上々だな。向いてるぜ、夜番殿」
そんな言葉と共に明るくなり、筐体の外の景色が返ってきた。同時に筐体内部の水が引いていく。顔が水面に出ると、先ほどの逆で肺から水を吐き出さねばならず、一体どうやればいいのか、と悩んでいると意識しないうちに体外へ排出、もしくは体内に吸収してしまったらしく、えずいたりむせたりすることはなかった。それどころか、体表や服についた水がまるで意思を持つかのようにするすると這い出していき、水から上がった先からすっかり乾いてしまっている。液体コンピューター(その他諸々)って便利だな……などと、感心している場合ではないことを思い出して、デュノアは尋ねた。
「あの、これで終わりですか……?」
不安げにしていると、「あー」と何か察したようなつぶやきが聞こえてくる。
「そうだよな。オメーにとっては暗くなっただけの記憶しかないんだよな。忘れてたぜ。初回接続時は記憶が削除(フォーマット)されるんだった」
「そう、なんですね……?」
「待ってな、今出力してやる」
彼女が何かしらの操作をすると筐体の景色が切り替わった。どうやら録画映像らしい。どこまでも広く、地平線まで続く青い絨毯のようなネモフィラの群生地のようだ。その中心に黒い点のような人影があった。映像もそこをアップにしていく。
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