第10話 草村アカリ、魂レベルがワンランク上がる

「レオン様~~~っ‼ 何というおいたわしいお姿にっ……‼」


 つるりんとした赤子のような青臭い人間の姿になってしまったレオンにすがり付こうとしたハルトは、その人間の忌々しい足に蹴り飛ばされて尻もちをついた。


「なんか、お前のカッコ、変だったぞ」


 しかも会心の出来だと思っていた「供野ハル」姿にケチが付いた。

 レオン様ってば。傍若無人っぷり、人間のお姿でもお変わりない。照れるわ。


 ハルトは本来のゴブリン姿に戻り、素直に人間の住処に収まっているレオンの元にやってきた。一応、草村アカリにはアンテナを張っている。もちろんレオン様も気にしておられるとは思うけれど、万一の場合を考えて。

 なにしろ、レオン様がっ、

 魔族史上最高峰の魔力を持つと言われるレオン様の魔力がっ、

 ……封じられてしまったのだから。


 昼間、水蛇を消すためにレオンが姿を現したことで、人間界の魑魅魍魎ちみもうりょうどもにレベル9の在り処が知られてしまった。レオン様の守護があると知ってもなお、無謀にもレベル9を欲しがる蜘蛛妖怪のような輩はたくさんいる。レベル9は今後も狙われ続けるだろう。


 レオン様の最強魔力が健在であれば、何も恐れることはないのだけれど。


「早くあのブタ人間を抹消して指輪の封印を解かれた方が良いのではないですか? なんならアタクシ、今すぐにでも行ってあの小賢しいコブタをブスっとっ、こう、ブタっと……っ‼」


「あれ、一応俺の化身なんだけどな」


 息まくハルトとは対照的に、レオンはゆったりベッドに寝転がる。

 ああ、なんて人間臭の漂う忌々しいベッド。


「一体誰が封じ魔など⁉ ワタクシ、そやつをこうブスっと、こう、ブタっとめった刺しにして進ぜましょうかっ⁉」


「まあ落ち着け、ハルト」


 気持ちがはやって前のめりにレオンに近づくハルトの顔を、レオンが片手で鷲づかむ。


「封じ魔を仕掛けた奴はお前じゃ太刀打ちできないよ」

「レオン様? お心当たりがあるんですか?」

「……まあな。それより、レベル9の魂レベルが上がった」

「え……?」


 レオンは鷲づかんだハルトの顔をわしゃわしゃする。痛いような気持ちいいような……


「コブタのヒョウくん、いい働きしてくれてんだよ。だから、このまま、もうちょい様子見」

「……はあ」


 レベル9はあの貧乏学生の中に確かに存在するのだが、まだ成熟前なので、すぐに狩って魔界に戻っても、グレゴルンの密命を果たしたことにはならない。あの人間の中で魂がレベル9にまで成熟させる必要があるのだ。


 魂の成熟には、経験値がいる。


「何かに目覚めた、ってことですか」

「……みたいだな」

「今いくつくらいなんですか」

「レベル4てとこか」

「全く普通の平均的な魂ってことですね」


 しかしながら、魂の成熟に決まった経験の形式はなく、何をもって成熟するかは人それぞれと言える。

 レベル9が何を経験しているのかは……


「お前、あのへんてこなカッコで、アカリをよく見とけよ」

「はい」

「水蛇は脅しておいたからしばらく何もしてこないと思うけど」

「ですね」

「まだ他にも怪しい気配がちらほらしてるからな」

「ですよね……」

「ま、指輪と繋がればある程度力は出せるから、心配すんな」

「はい」


 レオンはハルトの頭をポンっと叩くと、青臭い人間のベッドにくるまって眠ってしまった。


 なんだかんだ、レオン様はいつもお優しい。

 そしてハルトの人間姿もお気に召して下さったようだ。


 まあ。

 レオン様のお役に立っているならば、レオン様に代わってブタになった人間の世話も致し方ない、か。


 ハルトはレオンの寝顔を目に焼き付けてから、おんぼろアパートに戻った。


 人間が二匹、仲睦まじくくっついて眠っている。

 ハルトが用意した妖魔サーチ布に囲われて。つまりは、魔物除けの結界の中で。


 レベル9ねぇ、……一体何に目覚めたっていうんだろう。




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「ねえ、モモ。これって、恋かなぁ」

「ブッヒブヒブヒ……っ‼」


 マイクロミニブタのモモを抱きしめて、ハルさんが買ってくれた毛布にくるまる。

 温かい。柔らかい。ほっとする。


 アカリの頭の中はある一つの事柄に占められている。

 バイト中も、終わってからも、ハルさんが用意してくれた夜ご飯を食べても。お風呂も、寝ている今も、ずっと頭から離れない。


 あの人に会えた。


 巨大な蜘蛛の化け物に襲われ、薄れていく意識の中で、あの人を見た。あの美し過ぎる男性を。


 恐怖と絶望と苦痛で気を失いかけていたのに、あの人に対する愛しさが込み上げた。

 会いたかった。会いたかった。

 また、会えた……


 剣士様。来てくれた。助けに来てくれた。

 込み上げる愛しさでいっぱいになった時、あの美し過ぎる剣士様が、なぜか真田豹になった。


 そこからの記憶は曖昧で、もしかしたら全て夢だったのかもしれないけれど……


 真田豹が巨大蜘蛛の化け物を蹴散らしたような、

 それでアカリを助けてくれたような、……気がする。


 気が付くと蜘蛛の化け物はいなくなっていて、


「あ、……真田。ありがとう」

「うん。バイト、付いて行ってやる」


 真田は何事もなかったかのようにアカリのチラシ配りのバイトに付いてきた。


 特に何をするでもなく。後ろから、一定の距離を保って。


 なのに。動揺して三回もチラシを道路にばらまいてしまった。

 その度に真田は、ひどくスマートにチラシを拾って渡してくれた。


 おかげで、バイトが終わって帰る時には意味不明の息切れがして、


「じゃあ、おやすみ」


 アカリのアパートの前で真田と別れた時には、不整脈さえ感じた。


 ……恋。なんだろうか。


 あの人に会えた喜びは。愛しさは。


 そして、あの人は。……真田なんだろうか。


 深層心理では、真田のことを美し過ぎる剣士様のように思っているんだろうか。

 無意識に美化してしまうほど、真田のことが好きなんだろうか。


「ないないっ、真田はないっ」

「ブヒブヒブヒっ‼︎」


 急にモモが暴れ出したので、頭を撫でてなだめる。


 あの人にまた会いたいけれど、怖いような気もする。

 いつもいつも、得体のしれない化け物を見た時に現れるから。


 真田は、あの人のことを知っているんだろうか。

 というか、真田があの人なんだろうか。


 ぐるぐるぐるぐる、……ずっと同じことを考えて、結論が出ない。

 真田に聞いたら何かわかるのかもしれないけど、……


「真田、ちょっとバカだし……」

「ブッヒっ、ブヒブヒっ‼︎」


 またモモが暴れ出す。

 ミニブタって寝床が変わると落ち着かなかったりするのかな。

 モモの柔らかな毛を撫でながら、しっかりと胸に抱き直す。


 今日はいろいろなことがあった。


 騒がしくて。恐ろしくて。めちゃくちゃで。

 急に人生が鮮やかに息づいた。モノクロだった世界が色づいた。


 一人ぼっちじゃなくなった。出会えてよかった。

 ありがとう。


 モモのつぶらな瞳を見つめ、その小さな鼻面に口づける。


「おやすみ、モモ」


 モモがすべての動きを止め、急速に大人しくなった。

 柔らかくて温かくて癒される温もりを胸に抱きしめた。


 こんな風に明日を楽しみに思いながら眠りに就くのは初めてだった。

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