第11話 谷口カナ、渾身の顔面蹴りを決める

 なぜ。

 俺は付き合い始めた翌日。

 彼女との初登校シーンを第三者の目で見ているんだろう。


 豹はアカリの制服の胸ポケットに収まって、自問自答していた。


 真田豹、十六歳。

 やっとの思いで告白して決意の指輪を贈ったら、ブタになってしまった。

 俺、なんか、前世で悪いことでもしたのかな。


 真面目に前世の所業を振り返るが、当然ながら何も思い出せず、豹の姿をしたレオンがアカリと一緒に登校するのを盗み見る。


 アパートまで迎えに来るとか、俺(レオン)って気が利く!

 けど、……なんだよ、俺。じゃなくて、レオン。


 髪はボサボサだし、ワイシャツのボタンは開いてるし、ネクタイはしてねえし……

 アカリとの初登校だってのに、欠伸してるしっ


 俺はなあ、金持ちイケメンってとこしか取り柄がねえんだぞ。


「真田さん、念願の初登校」

「寝乱れはハジメテの証ってことか」

「誕生日に決めるとかさすが」

「真田さん、やる時はやるんすね」


 だいぶ後ろからタケルとヤマトが豹に羨望のまなざしを向けている。アカリとの初登校を邪魔しないよう、奴らなりに気を遣っているらしい。


 まあな。俺はやる時はやる男なんだよ。


 そう思ってみると、並んで歩く豹とアカリはすこぶるお似合いである。

 どこかしらアカリも嬉しそうに見える。


 あいつ、恋したとか言ってなかったか?


 もちろん。

 アカリが恋をするなら相手は豹だと、地球史上四十六億年前から相場が決まっている。

 昨夜はばっちり夫婦の契りも結んでしまった。


 同じ布団で抱き合って寝て、キ……ス、したら。これはもう夫婦確定だろう。

 アカリの柔らかい唇が迷いなく押し当てられた瞬間がフラッシュバックする。


 やばい。にやける。


 昨日は一睡もできなかった。と思ったが、アカリの柔らかくて温かい胸が心地よすぎて爆睡した。

 アカリの寝息が豹の髪(正確にはブタの毛)をくすぐり、幸せ過ぎて死ぬかと思った。


 なんだかんだ、アカリは豹のことが好きなのだ。

 つまりは両想い。相思相愛。カレカノ。夫婦。


 やっほい。


「ブっヒぃ」


 軽く口笛を吹くと、ポケットに視線を向けたレオンと目が合った。

 なぜか憐みのまなざしを向けてくる。イケ散らかした俺の顔を器用に歪めて鼻で笑う。おいこら、彼女の前で俺にそんなあほ面させ……


「ご機嫌だね、コブタのヒョウ……」

「ブッヒブヒ―――っ!」


 慌ててレオンを遮る。

 アカリは豹が不名誉にもブタになっていることなど知る由もない。

 この俺がブタになってるなんて知られたくないし、知られたらなんかいろいろまずい気がする。


「どうしたの、モモ?」

「発情してるんじゃん?」

「真田っ、モモに変なこと言わないで」


 そう。ここで問題なのは、今現在、豹はピンクのミニブタ・モモで、金持ち男子高校生・真田豹の中には得体のしれない魔神レオンが入っている、ということである。

 アカリが豹に見とれるのは、イケ散らかした俺のせいだから、まあ仕方がないとしても。そいつに近寄るのは危険な気がする。


 レオンの力は底知れない。

 指先一つで巨大妖怪を倒し、心臓を突き破られた人間を蘇生する。

 ほんの一睨みで相手を委縮させ、簡単に思考も読み取る。


 この世のものではないのは確かだろうが、敵か味方か分からない。


「ブヒぃ……」


 一応はアカリを助けてくれたので、大人しく言うことを聞いているわけだけど。

 アカリに手出したらめちゃクソに噛みついてやるっ


「はいはい。ふああ……ねむ」


 豹がじっとり睨みを利かせると、レオンは気だるそうに欠伸した。


「おっはよう、豹~~っ」


 そんなレオンに谷口カナが突撃する。


「どうしたの、今日は。いつものところで待ってたのに全然来ないし。昨日もうち来るって言ったのに早々にどこか行っちゃうし」


 レオンの腕に腕を絡め、ここぞとばかりに巨乳を押し当てて、下からレオンを覗き見る。


 やべ。カナのことスッキリ忘れてた。


 谷口カナは学年で一番の美人という理由で、アカリに見せつけるためだけに付き合っている女である。しかしながらアカリはブタの毛ほども興味を示さず、交際する意味が分からなくなっていたところだ。


 そして昨日。ついにアカリと付き合えたわけだから、意味は皆無になってしまった。今すぐ別れなければならない。


 目だけでアカリを伺い見ると、なんとなく怒ったようなげんなりしたような顔をしている。

 え。嫉妬? これが噂の?

 なんかドキドキする。


 真田豹、彼女から初めてのやきもち頂きました――――っ


 カレカノってすげえ。


「ブッヒブヒブヒ、ブヒブヒブヒヒ、ブッブブヒヒヒ、ブヒブヒブブヒヒ」


 悪いな、カナ。別れてくれ。俺は運命の相手に巡り合ってしまったんだよ。十年前からだけど。


 豹が切なく別れ話を繰り広げていると、


「モモ、静かに」


 アカリにポケット越しに押さえつけられた。不貞腐れたように豹を握りしめる手に力が入っている。

 おお。これは間違いなく嫉妬……


「ん~? 君はまだ若すぎるかなって」

「……はあ」

「俺の好みは三百万年級の魔女だから」

「ミイラじゃん」

「食べ頃になったら出直してもらえる?」


 豹が初めてのやきもちに感動しているうちに、レオンが独自戦法でカナを煙に巻き始めた。

 レオン意外とやるじゃん。


 豹を握りしめていたアカリの力が弱まって、にわかに嬉しそうだ。

 えー、アカリの奴、俺のこと好きすぎじゃん。


「そっか。分かったぁ~~」


 カナはレオンから腕を離し、甘ったれたようなよそ行きの声でにこやかに頷くと、


「なあんて言うわけないだろ、このすっとこトンマ~~~~~っ!!」


 渾身の蹴りを繰り出し、レオンの顔面にヒットさせた。


 そういえば。

 谷口カナは空手道場の娘で、昨日もアカリの顔面に蹴りを入れていた。

「豹のことはカナが守ってあげるね」と繋いでくる手はいつも力強い。何度貞操の危機にひんしたことか。


 もしかして、俺は付き合う相手を間違えたのでは……


 豹が遅すぎる後悔に青ざめていると、


「さっ、真田さん―――っ」

「大丈夫ですかっっ」


 背後霊のように後ろからついて来ていたヤマトとタケルが飛んできた。

 持つべきものは友である。


「タケっっ、水かけろ、水っ」

「ザッパ―――ン」


「救急車ぁああ」

「ピーポーパーポー」


「いや。大丈夫だから」


 全く役に立たないコントを繰り広げる豹の友人をレオンは軽く制し、


「ごめんね。気が済んだ?」


 血まみれの顔面をカナに向けてにっこり微笑んだ。


 絶対大丈夫じゃないだろ、これ。イケ散らかした俺の顔が陥没している……


「そ、……そんなぁ豹……」


 にわかに谷口カナの顔がぐしゃぐしゃに歪み、自慢のギョロ目から大粒の涙が溢れ出す。


「ホントにカナと別れるつもりなの……?」


「ブヒ……」


 何だか極悪非道なことをした気分になり、豹がブタの心臓をなだめていると、


「うん」


 レオンが一ミリの迷いもなく、しっかりはっきり頷いた。魔神、潔いな。


「……分かった」


 ハラハラしている豹の前で、谷口カナは涙をこすって目の周りを真っ黒にすると、


「でも。覚えてなさいよ、草村アカリ! あんただけは許さない。絶対に吠え面かかせてやるから!」


 なぜかびしっとアカリを指さし、空恐ろしい宣戦布告をして身をひるがえした。


「ばっきゃろ~~~、覚えてろ~~~~っ」


 通学ラッシュの時間帯。周囲の視線が痛い。


「怖え、三角関係」

「タニグチ、不死身そう」


 ヤマタケに全く同感である。

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