第9話 コブタのヒョウくん、魔神と蜘蛛妖怪を倒す

 俺が俺の姿で俺を見ている。


 真田豹は混乱を極めていた。

 東都第九高等学校の制服を着て、それなりにイケている髪型で、金持ち加減を隠し切れない真田豹、十六歳。

 鏡でしか見たことのない自分が、自分の前に立って自分を見ている。

 驚きに満ちた表情で。


「ブヒ、……」


 おい。と言ったつもりが、耳に届いたのはブタの鳴き声だった。


「ブヒ――――っ‼」


 信じられない。俺が。金持ちイケメンを誇る天下無敵のこの俺が。

 ブタになってる―――っ⁉


「モモ? ……大丈夫?」


 草村アカリが心配そうに顔を近づけて、豹の頭を撫でる。


「ブヒ――――っ‼」


 近けえよ。


 アカリに頭を撫でられるとか、なんだこの美味しいポジションは。

 いやが上にも鼻息が荒くなる。


「……なるほど。封じ魔の指輪か」


 豹の姿をした誰かが、目を細めて豹の喉奥辺りをじっと見つめる。

 そこには豹の気持ちを全て詰め込んでアカリに捧げた婚約指輪が虚しくはまり込んでいた。


 これはもう。どう考えても。俺とブタが入れ替わったってことなんだろう。


 豹はアカリの胸ポケットに収まっていて、なんなら薄手のブラウスを通して柔らかな胸の温もりを感じるわけで、

 触れそうなほど近くにアカリの潤った唇もあるわけで……


 ……もしかしたら、アリ、かも。


 意外と簡単に自らの境遇を受け入れて、あわよくばこの色ボケ小ブタに乗じて、昼間果たせなかったあの艶やかな唇にちょっとくらい触れても許されるんじゃ……


 などと考えていた豹は、豹の姿をした誰かに、後ろ首を摘ままれて持ち上げられた。


「……吐き出せ」


 なんか。俺(のカッコした奴)、……怖い。


 豹は背筋が凍るのを感じた。豹の姿をしている誰かは、只者ではない。と直感が告げる。

 ぞっとするほど冷たい声。目的のためなら手段を択ばない。他を圧倒する絶対的な力を持っている。


 誰だ、こいつ。何者なんだ。


 と思いかけて、昼間、学校の講堂で見た光景が脳裏によみがえった。

 光に包まれた魔神のような男が現れたかと思うと、一瞬にして弾けるように消え、その後、アカリのポケットが光の残像を吸い込んで微かに動いた。


 アカリのポケットの中には、ミニブタがいた。


 つまり。

 俺が成り代わってしまったミニブタは、あの魔神(推定)の仮の姿ってことか。


 で。

 目の前にいる俺(のカッコした奴)は、あの魔神(確定)ってことか。


 制服姿の豹の格好をした魔神がニヤリと非情そうな笑みを浮かべて、


「分かったら、さっさとしろ」


 豹の鼻面に顔を近づけた。


 俺って、至近距離で見ても意外とイケてるんじゃね?

 などと思っている余裕はなく。


 ……こいつ。俺の考え読んでる。


 鳥肌が立った。


「ブ、……ブヒっ、ブヒブヒっ‼」


 人間離れした禍々しき力を肌で感じて、とりあえず喉奥にはまっている指輪をせき込んで出そうとしている、というポーズをとってみると、


「……だる。本気出せ」


 魔神が、強引に豹の喉奥に手を突っ込んだ。


「ブヒウエウブ――――っっ‼」


 ブタの本能が生命の危険を感じて悲鳴を上げると、


「何するのっ、真田‼」


 ものすごい勢いで、アカリが魔神から豹を奪い取ってその柔らかい胸に抱きしめた。


「ブヒっ、……ブヒ、ブヒ……っ」


 死ぬかと思っただろ、このクソ魔神っ


「大丈夫だよ、モモ。真田の好きにはさせないからね」


 アカリは豹を抱きしめたまま優しく優しく撫でてくれる。

 けれど、意外と存在感のある胸の弾力が気になり過ぎて集中できない。


 クソ。散れ煩悩……


 豹が微妙な状況に翻弄されつつも、これはこれでアリ、と流されかけていたところ、


「キ、いやあぁああ―――――っ」


 アカリが豹を強く胸に抱えたまま悲鳴を上げた。


 エロ魔神っ‼ 何かしやがったのかと、アカリの腕の中でもがいて周囲に目を向けると、


「ブ、……ヒ⁉」


 豹はまた、自分の目を疑う光景を目の当たりにした。

 特撮映画かと思うほど現実離れした、巨大な蜘蛛のような異様な怪物が気味の悪い脚の一つで後ろからアカリを羽交い絞めにしている。


 うお。なんか、また変なの出てきた―――っ


「ブヒ――――っ‼」


 アカリを離せよ、と薄気味悪い巨大な毛が生えた蜘蛛の足に体当たりしてみるも、鋼鉄のような固い殻に覆われた脚には何のダメージも与えられず跳ね返された。


「モモっ‼」


 地面に転がった豹にアカリが悲壮な顔で手を伸ばす。

 が。その手は届かず、豹は魔神の手によってすくい上げられ、有無を言わさず口に手を突っ込まれた。


「おい、早くしろっ」


「ブ、……ブヒっ……っ」


 目の前でアカリが巨大な蜘蛛の糸にがんじがらめに縛られ、苦しそうに顔面蒼白になっていく様を見ながら、豹もまたどんなに吐いても指輪が出てこず、苦痛に喘いでいた。


〔ハハハ、ハハハハハ、…〕


 それを見ていた蜘蛛が、笑い声と思われる地が割れるような叫びを上げた。


〔いいざまだな、レオン王子〕


 豹の口に乱暴に手を突っ込んでいる魔神が面倒くさそうに舌打ちする。


〔レオン王子が来てしまったから手も足も出せないと水蛇の主が口惜しがっておったが、魔力を封じられるとはなんたる幸運。さすがのレオン王子もただの人間となれば何もできまい。ここでワシがレベル9を手に入れるのをしかと目に焼き付けているがよい〕


 なぜか巨大な蜘蛛の化け物の言葉は理解できたけれど、内容は全く分からない。


 ただ。


「ブギギ―――っ‼」


 糸に巻かれてがっくりと首を折り、意識があるかどうかも分からないアカリに蜘蛛の化け物が巨大な脚の爪を立てようとしているのは分かる。しかも心臓目がけて。


「そいつはまだ成熟前だ。レベル3にも満たない未熟な魂だぞ?」


 魔神が言うと、蜘蛛妖怪は耳障りな笑い声を上げ、


〔構わぬ。ワシは極上の味を知れたら満足じゃ〕


 言うが早いかアカリの胸に巨大な爪を突き立てた。


「ブギギ―――っ‼」


 アカリの身体から赤い血が流れ出て、その華奢な身体が細かく痙攣する。

 そんな。アカリが死んでしまう……


「ブギ、ブギギっ‼」


 豹の考えが読めるなら。

 何とかしろよ、この魔神。アカリがこんな目に遭ってるのはお前が関係してるんだろう⁉


 渾身の吠え声を上げると、魔神は心の奥深くまで突き刺すような目で豹を見た。


「俺を噛め‼ あいつのことだけ考えて」


 豹の喉奥に魔神の長くて細い指が差し入れられる。奥の奥まで。

 そして恐らく。指輪に触れるまで。


 アカリ。

 ダメだ。逝っちゃダメだ。

 俺、まだお前に何にも伝えてない。


 まだ。好きだって。


 豹が長く伸ばされた指先に噛みつくと、喉奥から閃光が放たれ、繋がっている魔神を包んだ。


〔そんな……、まさか……っ〕


 魔神は豹と繋がっているのとは別の方の手を蜘蛛妖怪に差し向ける。


〔ウオオオオオオオ……―――――っ‼〕


 光の洪水に豹は目を開けていられなくなり、反射的に目を閉じた。数秒後、静けさに再び目を開けてみると、断末魔を残して蜘蛛妖怪が消え、辺りに日常が戻っていた。


「ブヒっ‼」


 ぐったりして胸から血を流しているアカリを魔神が抱き起している。

 かと思うと、


「ブヒブヒブヒ―――ーっ‼」


 豹の目の前で魔神がアカリのブラウスをためらいなくはだけさせ、唇を押し当てた。


 なんだこの図は。

 どこからどう見ても公衆の面前で俺がアカリを犯してる……


 豹が魔神に飛びついて手当たり次第に噛みつくと、


「……うるせえな。まだこいつに死んでもらっちゃ困るだろ」


 魔神は豹を乱暴に捕まえ、豹の顔で気だるげに言い放った。


 そりゃあ、もちろん、そうだけど。


 豹はアカリの胸元にチラリと目を向け、思わず凝視した。

 いや、決してやましい気持ちからではない。断じて。断じて。


 アカリの白く滑らかな肌には、傷痕一つ付いていないばかりか、規則正しく上下している。

 蒼白だった顔にもほんのりと赤みが戻っていた。


 治ってる。生き返った。


 呆然としている豹の首根っこを摘まみ上げて、魔神が言う。


「俺はレオン。こいつの魂は有象無象の妖魔に狙われている。助けたかったら俺の言うことを聞け」


 俺の顔してるくせに。有無を言わせない迫力で。有無を言わせない強引さで。


「ブヒ……」


 なんてことだ。


 俺の身体は魔神レオンに奪われ、アカリの命は魔神レオンの手中にある。


「ブヒヒ、ブヒヒ……」


 哀しみに吠える豹に、レオンが言った。


「よろしくな、コブタのヒョウくん」


 豹。なのに、豚。


 いや、全然受けねーし。

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